空色硯 sorairo-suzuri

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zoom RSS 夏色四片 第01話

<<   作成日時 : 2007/10/03 00:01   >>

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その日。
帰宅中の彼の前に、不思議な『鏡』が現れる事はなかった。

元々――それなりに真面目な、普通の少年である。
負けん気が強く、多少喧嘩っ早いところもあるが、別に荒れているわけでもない。
周囲から懸念とされた『物事を深く考えない性質』も、順応性という観点からは長所と言えた。
多少危ういと思えるのは、人一倍の好奇心。
彼が日常に刺激を求めていたことは間違いない。小脇に抱えたノートパソコンも、その為の手段の一つだったのだから。

もちろん、そうそう派手な冒険活劇に出会えるはずもなく。

特に何事もなく自室に戻った少年は、可もなく不可もない一日を終えた。
それが果たして彼自身にとって良かったのか、それとも悪かったのか。あるいは、幸不幸の判断基準で語れることだったのか。
少なくとも、家族に過度な心配を掛けずに済んだのは事実である。

もしかしたら、この日最も幸運だったのは――――彼の母親だったのかもしれない。







同日某所。
遅い目覚めを迎えた女性の朝も、不幸とは程遠いものだった。
波乱など起きそうもない、平穏な一日の始まり。

基本的に、彼女の運は悪くない。

例えば――仕事の同僚には、
『意図せず幸運を呼び寄せるのが趣味』だの、
『不運を気付かずに通り過ぎる鈍感』だのと揶揄されたりもしたり。
もちろん、本人もその辺りの事は自覚していた。

彼女は時折、自分自身に問い掛ける。

過信するわけではないが、今まで派手な失敗をした事は無いし、致命的な事態に陥りそうな状況で選択を誤ったことも無い。
誤りそうになった時には、必ず素晴らしい助言者を得られたからだ。
それは同僚であったり、夫であったり、息子であったりと様々だったが、常に誰かに助けられてきたのは間違い無かった。
ありがたい事だと思う。

逆に、自分は本当の意味で誰かの助けになっているのか、などと恐る恐る子供たちに聞けば、
「母さんがいなかったら、僕たちの『今』は無いんだ」と強い口調で窘められたりする。
嬉しい事だとも思う。

おそらく、自分は本当に運が良いのだろう。
いつも誰かと、気付いても気付かなくても、助けたり助けられたりしている。
そして、その結果を得ることが叶っているのだ。
これほど幸運な事はない。



「そうね。少し怖いくらいな幸せって、ホントにあるのね」
エプロンの紐を結びながら、彼女は照れくさそうに笑った。
「わたしの周りは、みんないい子ばかりだから」
胸元にあるのは――昨晩、母の日のプレゼントとして貰ったブローチ。
それを夫の遺影に見せびらかして、楽しげに台所に向かう。

いつも通りの爽やかな朝。

だが。
何故かその日の彼女は、どうしようもなくツいてなかった。


      ◆   ◆   ◆


――――陽が落ちた中。

ルイズは幾度目かの杖を振るう。
手は痺れ、肩はほとんど上がらない。汗が目に入って痛い。

結果は同じ。

唇を噛み締め、ぐい、と袖口で目元を拭う。
拭ったのは汗だ。断じて、それ以外であるものか。
視界が滲んだ事を自覚したが、気にせず詠唱を始める。ゆっくりと、先程と同じように。
同じ詠唱の二回目。……ダメだった。
耳が慣れてしまったから、今の爆音なんて聞こえない。次は少しアレンジしてもう一度。

辺りには自分と、背後に立つ先生の二人だけ。
どんなアレンジをしようが、どれだけみっともなく杖を振ろうが、どうせ誰が咎めることもない。
頬を流れるものを無視して、彼女は杖を振り続ける。



コルベール教師は、黙したまま微動だにしない。

春先の定例『使い魔の召喚』を監督していた彼は、目の前の少女以外の儀式が終わった後、暫くは他の生徒と共に待機していた。
最初のうちは囃し立てる者、嘲る者もいたが、時が進むにつれて気怠い雰囲気に変わっていく。
大きな変化も無く、見せ物としても陳腐な展開では致し方ない。
それでも、『主演』に気力が続く限り、舞台の幕を下ろすべきではない――言葉にせずとも、監督者の姿勢は変わらなかった。

が、授業の中断には限度がある。
撤収を告げた際の少女の表情を見て、コルベールは彼自身にも予定外のことを口にした。
「ミス・ヴァリエール。春の召喚儀式を成功させなければ、落第となることは知っているね?」
「はい、ミスタ・コルベール」
「結構」
彼は鷹揚に頷いた。
使い魔を得た者は、それにより己の属性を確定し、そこから先は専門課程に進む。
得られぬ者に道は開かれない。
「期日の延長は認められない。再試験の機会も与えられない」
「……はい」
小さな声に、深い絶望の色が混ざる。

「ですから」
悄然と俯く少女の前で、コルベールは穏やかな笑みを浮かべた。
「儀式を成功させなさい。本日中に」
「……え?」
「私の授業は、他の方に頼んでおきます。それに――本日召喚に成功した者は、みな忙しくなるのでね」
主が使い魔の触れ合う時間は必要なのだ。
かと言って、教師が一日中監視するようなものでもないから。

「時間は気にしないで、頑張りなさい。最後まで付き合いますよ」
「はい!」
勢い良く顔を上げた生徒に、彼は満足げに頷いた。



それから、何時間経ったのか。

生徒は杖を振り続けている。
幾度かの休憩も、僅かな魔力回復を図るだけ。手はマメだらけで、明日肩は上がるまい。足も棒の様だろう。
声も掠れ始めている。

正直な感想を述べると、成功する確率はゼロに近い。

(それでも、この子は努力しているのだ。無駄になるはずがない!)
コルベールは無表情を装いながら、内心で叫んだ。
無論、理解はしている。積み重ねた努力が、必ずしも成功を生まないことは。
成功する為に、努力が必ずしも必要で無いことも。
才能、家格、環境、時代。それ等の何れもが、努力に代わり成功を生み出す要因だ。

常ならぬ状況――例えば戦場で――幾らでも見てきた事でもある。

だが、だからこそコルベールは、努力は報われると信じたい。
これほど頑張っている者が、熱意を注いでいる者が、何一つ結果を得る事が叶わない? そんなはずはない。
いや、そうあってはならない。
(ああ、それでも)
彼は力無く首を振った。
(足りない物があるとしたら、一つだけは否定出来ないか)
それは、どんな時にも、どんな事でも最上位に位置してしまう絶対的な要因。

この子に、もう少しだけ『運』があったら。
――――などと考えるのは、少女に対して失礼だろうか?


そう思考した瞬間。
今までの規模を遙かに超える爆風が、彼と少女を覆い隠した。


      ◆   ◆   ◆


落第が決まりそうな少女が、涙を浮かべて杖を振っていた頃。


彼女は一人、フライパンを振るっていた。
既に真昼に近いが、未だに誰も起きてこない。と言うよりも、起き出す気配すら無い。
(ま、当然かしらね?)
つい苦笑する。
疲れと酒精に支配されてるとしたら、寝床を離れるにはもう少し時間が必要だと思う。

月が綺麗だった昨日の夜。
母の日という事で、久々に息子夫婦と娘たちの一家全員が揃い、パーティーを催してくれたのだ。
それは、ささやかながらも楽しい一時。
自分が寝室に入った後も、四人の孫の声が微かに聞こえていたから――おそらく深夜まで盛り上がったのだろう。

「でも、匂いがしたら、起きてくるわよね」
ト、トンと柄を叩いて、半熟の卵焼きで具を包んでいく。
溶ける直前まで煮たにんじんと山菜、孫たちの分には細かく刻んだチーズを少し。
彼女特製、甘いオムレツをメインに据えた朝食は好評で、苦手にしているのは息子だけである。

「子供が見てる前で、食事を残したらダメよねえ」
彼が子供たちにこっそり分けていたのは、いつの事だっただろうか。
「だいたい、こっそりってのが良くないわよ。子供は親を見て育つのに」
綺麗に丸まったオムレツを皿に盛り、保温機に入れる。人数分揃うまでに多少水気が飛んでしまうが、それは考慮のうちで。
あと一人分。
自分の分だから、味付けはもう少し甘くしよう。

「あ」
気を逸らせたのがまずかったのか、肘が何かに触れた。軽い音を立てて落ちたのは、先程使ったばかりの調味料。
一瞬、掃除機が必要な事態を想像してしまったが、幸運なことにフタは閉め忘れていなかった。
(こぼれたら大変だものね)
心中で胸を撫で下ろした彼女は、フライパンを持ったまま無造作に腰を屈める。

その最中に何が起ころうと、中断出来ないような何気ない動作。
それでも。普段の彼女であれば、そのまま無警戒に立ち上がることは無かったかもしれない。
気を張る必要の無い自宅で、頼りになる家族と一緒にいるという安らぎ。
その油断が、彼女らしからぬ千慮の一失を生んだのだ。





――――などと過大評価する者が、果たして何人いるのかは知らないが。

(いくら幸運たって、限度があるじゃない)
彼女は呆れたように首を振った。

なるほど。
虫取り網で捕まえられる虫は、こんな感覚なのかも。
自分の場合は、網ではなく『光る鏡のようなもの?』だったが、この際は同じことだ。
背後から不意に被せられたら、しかも気配は一切無しとなると。
(……どうにもならないわよねえ)
気が緩みすぎていたと自覚もしたが、兎にも角にも今更である。
体を起こした途端に生じた、理不尽な事態。
妙に冷静に分析する頭と、全力で対抗措置を試みる身体の乖離に苦笑する。
思考の冷ややかな部分が、状況の評価を行っている。
無防備のまま、強制転送させられている現実。しかも、どうやら為す術無し。

要するに、完全な不意打ちだったということだ。
これが悪意極まるモノだとしたら、即死を免れただけマシだろうか?
あるいは自己の能力に自信を持つ者が、意図的に与えた猶予かもしれない。その場合は随分と悪趣味だが。
それとも――単に偶発的な事故なのか?

(無意味かしらね。どうせ、さっぱり分からないんだし)
苦笑すると、無駄な思考は早々に切り上げた。
外的要因への対応は後回し。想定範囲を狭めるのはかえって危険。
まずは自己防衛を全力で。先制されたのは仕方がないけど、反撃だけは出来るよう準備する。

とは言っても。
何をするわけでもなく、したくても出来る状態でもない。着ているものはTシャツにジーンズ、そしてエプロン。
所持品は……まあ、最後の晩餐には事欠かないか。
(さあて)
終わりが見えてくる感覚に、口元を引き締める。

自信家ではないとしても、悲観的になるつもりもない。
彼女が本気で抗い、対処出来なかった相手なんて――それこそ、数える程しかいないのだから。


      ◆   ◆   ◆


(……成功……したの?)
土煙の中、ルイズは杖を握り締めた。
力を入れすぎた指が真っ白に染まっているが、感覚もほとんど残ってないから気にならない。

カチカチと耳障りな音が鳴っている。
何かと思ったら、自分の口元からだった。歯が全く噛み合わない。
(なによ、バカみたいじゃない)
無理だと分かっても、何とか表情を引き締めようと努力する。自分が笑っているのか、泣いているのかすら分からない。
小刻みに震える身体を、両腕で力一杯抑え付ける。いつの間にか膝も笑っていた。気を抜くと倒れるかも。

ダメだ。
これが成功でも失敗でも、もう動けない。

「やりましたね。ミス・ヴァリエール」
「……え?」
優しく肩を叩く手に振り返ると、コルベールが微笑んでいた。
「ミスタ? でででも、まだ何も」
見えない、と続けようとして、
「ほら」
「?」
ルイズは、示されるまま彼の指先を追った。土煙の向こうに『何か』が立っている。
そう認識した瞬間、彼女は唐突に理解した。

召喚は成功したのだ!

(けど、光ってる?)
何だろう。何か光る物と関わっているなら、あれは火の属性なのか?
とすると、自分の属性も火なのだろうか。
(ツェルプストーと同じなんて)
仲の悪い同級生を思い浮かべて、彼女はつい顔を顰めた。
とは言え、それならそれで競争結果が明白になる気もする。
同じ舞台に上がれたのだ。完膚なきまでに叩き潰せる機会が、ようやく得られたという事かも。
(そうよ。少しぐらい遅れたからって、関係ないじゃない!)
ここが、今こそがスタートライン。
徐々に興奮しつつある自分自身を楽しみながら、ルイズは瞳を凝らして、

「――――な!?」
現れた『モノ』の姿に、息を呑んだ。




美しい女性だった。

二十歳前後だろうか。
緑色の長い髪を首の後ろで束ね、自然に流している。
顔立ちは柔和。
今は緊張した面持ちでこちらを睨んでいるようだが、それでも柔らかさは感じられる。
眉間には紋様らしきもの。何を意味しているのかは分からない。

細身で均整の取れた身体。見慣れない服に、エプロンのような前掛け。
何故か右手には赤いフライパン。左手には淡く輝く光球を手にしている。
そして。
それよりも遙かに強い光を放つ、四枚の透き通った羽が背中から広がっていた。

内包されているのは、肌に感じられる程の圧倒的な魔力。

(精霊? 翼人? 先住魔法!?)
膝が落ちた。四つん這いになるのをかろうじて堪える。
分からない。
分からないが、自分が何か――とんでもないモノを呼び出したのは間違い無い。
未知の脅威に戦きながらも、ルイズは思わず叫んでいた。

「あ、あああんた、誰? 何なの!?」




「誰、と言われてもねー……」
じとりとした視線を、ルイズと――主にコルベールに向けた彼女は、やや不機嫌そうに呟いた。
左手の魔力スフィアを消し、周囲を手早く観察する。
暗い。夜か、夜に準ずる状況。
大きな建物。宿舎……いや、学校だろうか。
空には月が二つ。月光には指向性魔力無し。多分。
厳しい目付きで睨み付けてくる男性。立ち居振る舞いには隙が無い。おそらく軍人か、それに類する者。
膝をつき、震える体を抱きしめるようにしながら、涙目でこちらを見上げてくる少女。
言語は何故か近似。ミッドチルダではなく地球の?

(警戒されてる。でも悪意は感じない……と思うけど……事故の類?)
早計かも知れない。
だが、彼女の勘は、ここが未知の管理外世界だと判断している。
何よりも、だ。
馬鹿馬鹿しいまでに大気に満ち溢れた魔力が、身体を軋ませている。
制御に秀でた自分ですら、リンカーコアの暴走を全力で防がねばならない程の環境。
この事実が、疑問の余地を与えない。

つまり。
少なくとも、彼女にとっては未知の世界。
そこで孤立無援に?
――――何故か、次元断層に落ちたのと変わらない気もしたが、今はとにかく。



「えーっと……とりあえず。あなたから名乗るのが、礼儀じゃないかしら?」

フライパンの中身が落ちてない事を確認して。
彼女――リンディ・ハラオウン総務統括官は、にっこりと微笑んだ。










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