空色硯 sorairo-suzuri

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zoom RSS 夏色四片 第16話

<<   作成日時 : 2007/10/03 00:16   >>

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待ち合わせ場所を二人に伝えたロングビルは、学院長室に向かって足早に歩いていた。
昨晩の件を報告する為である。
――無論、あくまで表向きの分のみだが。

さほど時間は無いが、それでも最低限の仕事はしておかねば後々面倒だ。
(二度手間でも、言っとかないとまずいしさ)
少なくとも、あの場所に同席したのは事実である。知らない振りも出来まい。
ついでに言えば。
詳細については、王女から直接オスマンに伝わっているかもしれないが、既に旅立った事実を知るはずもない。
そして知ったら知ったで、書類仕事が幾つか発生する。
今回の密命で、ルイズが表向き無断欠席になるのか、休学扱いになるのかは不明。
どちらにせよ王女の意志が絡む以上、評価を下げない方法を捻り出す必要がある。

外出の申請もしなければならないから、それほど時間も無い。
「定番の書式で通ればいいんだけどさ。ややこしけりゃ後回しにするか」
脳裏で業務手順を組み立てながら歩いていると、
「――――ル」
ふと、横から声が掛かった気がして足を止めた。

周囲を軽く見回せば、柱の影にシエスタが立っていることに気付く。
「呼びましたか?」
「……はい。ミス・ロングビル」
丁寧な口調の相手に戸惑いながらも、シエスタは恐る恐る頷いた。
ロングビルが、人目がありそうな場所と普段で口調を使い分けている事は、それほど気にならない。
誰だって職場と私生活ではそんなものだ。
「朝はご苦労様でしたね。それで用は何かしら? 少々急いでいるのだけど」
「申し訳ございません。あの、こちらをお渡し頂きたいのですが」
ややきつめの口調に怯えながら、シエスタは手紙らしき物を差し出した。
表には、宛先すら書いていない。
ロングビルは、訝しげにそれを受け取った。
そもそも平民がメイジに頼み事をするなど、顔見知りでも滅多にない事だ。
「わたしが? これをどなたに?」
「ええと、その――」
逡巡の色を浮かべたのは、さほど長い時間では無く。

シエスタは、胸元で祈るように両手を組むと、やや震えた声ではっきりと告げた。
「学院長様に、お届け下さい」

(ただの平民が、オスマンに直接の用……?)
お願いします、と頭を下げたシエスタを、ロングビルは鋭い目で見つめていた。
接点が全く想像出来ない。この学院の最上位と最下層の人間に、どんな共通項があるというのか。
手紙の内容が気になる。
気にはなるが、封がされているものを覗き見する時間は無かった。
「分かりました。こちらは渡しておきますが――」
「ありがとうござ……います……」
頭を上げたシエスタは、観察するような眼差しに気付いて身を竦ませる。
「宜しければ、後でお話を伺いたいわ」
ロングビルはそう言い捨てると、真っ青な顔のシエスタを残して歩き出した。



その後ろ姿が視界から完全に消えた途端。
「渡し、ちゃった」
呟いたシエスタは、柱にしがみついて身体を支えた。
自分のした事がどれほどのものか理解する。――その恐怖も。
選択したことは間違っているのか、いないのか。他に方法は無かったのだろうか?
幾度となく考えた事だ。
だが、既にその機会は失われてしまった。
(怖いよ……だって――――かもしれないのに)
最後まで、選ばない方法もある。
「でも、そんなことは無理」
彼女は諦めたように首を振った。少し前までなら出来ただろうが、今はもう。
おそらく、自分は一生後悔する。

どんな結果が出ようと、それは仕方のない事だ。
罪を償うには、罰を受けなければならない。――それは逃げようのない事実だから。


      ◆   ◆   ◆


「――――!」
部屋に響く音。
結末を予想していたはずの自分が、思わず息をのんだ事を理解した。
握った掌には汗が滲んでいる。奥歯を噛み締める音が、耳に届いた気すらしてしまう。
ウェールズは、窓際に立つ女性から、目を逸らす事が出来なかった。

彼女は、柔らかく微笑んでいる。
一点の曇りも無い笑み。だが、その穏やか視線は、自分の奥深い所まで射抜いていると思えた。
奥底。
あるのは自覚している何か。それでも拒もうとしている何かだ。
誇り――それを唱える自分に酔っていないか?
意地――内憂を払えなかった自分を誤魔化していないか?
そして。
(そうか、そうだったな)
彼は心の中で、諦めたように呟いた。
結局、眼前に浮かんだものを否定することなど、自分には出来ないのだから。
瞑目した彼は、天を振り仰いだ。

長い沈黙の後、
「きみは、笑っていられるのだな」
ウェールズは絞り出すような声で話しかけた。羨望と願望を織り交ぜながら。
無論、返事は無い。
「私は、私の愛する者が、私の為に悲しむ姿を、想像したくないのだ」
一節一節を、区切るように口に出す。
「だが」
顔を上げる。澄んでいながら突き刺さるような視線に、真正面から向かい合った。
「私は、彼女がいつの日か、きみのように笑えることを信じている」

小さな、鈴のような笑い声が応える。
「そうですね。殿下の愛した方であれば、きっと」
いつの間にか、彼女の笑顔は本来のものに戻っていた。包み込むような柔らかい笑み。
ウェールズは同じように笑いかけ、すぐに顔を引き締める。
「ミセス。宜しければ家名をお教え願いたい」
「ハラオウン――リンディ・ハラオウンと申します。殿下」
「え、え?」
突然の空気の変化に、ルイズはついていけない。

「ミセス・ハラオウンと亡き夫君に、ウェールズ・テューダー、心から敬意を表します」
名を聞いたウェールズは、姿勢を正して踵を鳴らす。
「お二方の御功績に恥じぬよう、私は、己が意志を最後まで貫くことを誓いましょう」
宣言したウェールズの、鮮やかな敬礼。

カン、とリンディの足下から、剣先を落とした音が鳴る。
それは儀仗隊のように。
「リンディ・ハラオウン、亡き夫に代わりまして御礼申し上げます」
先程までが嘘のような、凛とした声が響く。
「皇太子殿下の、武運長久を心より願い奉ります。そして――」
清廉な敬礼と視線に、ウェールズは同意するように頷く。
同じ船乗りとして、と二人の声が唱和する。

良き航海を!
――それは、それぞれの旅路へ送る言葉。



糸のように張りつめた――それでいて清々しい声に、ルイズは圧倒されていた。
先程の、リンディの身の上話が衝撃だったという事も、確かにある。
だがそれ以上に。
目の前の二人は、命を掛ける事を知っている。
知識だけではなく、本当の意味で。
ウェールズも、リンディも、自分などには想像も出来ない事を見てきたのだろう。
人の死が、どういう意味を持つのか。
無意味な死とは、どういうものなのか。
明確な言葉にこそしなかったが、リンディはウェールズに覚悟を問い、彼は応えた。

そこに、自分が入り込む余地は無い。
脳裏に姫殿下の嘆き悲しむ顔が浮かんで、胸が締め付けられるように痛むのだけど。
口にする事は、どうしても出来なかった。


      ◆   ◆   ◆


「――と、あれでスパッと帰ってりゃ、絵になったんだが」
「まあ、別に舞台に上がってたわけじゃないし。いいんじゃない?」
デルフの呆れたような声に、リンディの苦笑が重なった。
二人がいるのは、質素ながらも品の良い家具の並んだ客間である。
休むように指示された彼女は、ベッドで横になっていた。デルフは枕元に立てかけてある。



あの後、リンディとウェールズが握手をしようとした時。
起床が遅いことを心配した下働きの女性が、ノックと同時に部屋の扉を開けたのである。
一応、リンディが平然と手を振ってみたのだが――剣を持っていたのがまずかった。

辺りに響き渡る悲鳴。

あっという間に近衛や側近の貴族が、そして筆頭にパリーという老メイジが部屋に雪崩れ込んできて。
「ちょ、ちょっと待ってってば!」
剣だの杖だのを突きつけられたルイズが、慌てて両手を上げる。
敵意が無いのは分かるだろうに、それでも警戒の眼差しは十重二十重。
そして。
ウェールズの隣に立つリンディに、全員の視線は集中する。
「あらー……」
珍しく冷や汗を浮かべる彼女。
客観的に言って、やたらと怪しく見えるのは自覚している。目立つバリアジャケットに長剣。
指一つ動かした途端、山のような魔法の的にされそうだ。

「……ええと、あのな? パリー」
緊張した空気を和らげようと、ウェールズがことさらにのんびりした声を上げる。

「この方たちは密使なのだよ。このような状況の中、わざわざトリステインから参られたのだ」
「トリステインから?」
老メイジは、不審そうに睨み付ける。
「ここ数日、船は入港しておりませんぞ? それに、誰にも見つからずに、どうやってここまで」
「ああ、それはだな……?」
フォローしようとしたウェールズも、言われて気付いた。
確かに、ここ最近船の入港はない。
城の中へは例の結界とやらを使ったのだろうが、そもそもアルビオンまで来た方法は?
視線を向けると、リンディは一瞬視線を空に向けた。
(まさか、ここまで飛んできたというのか?)
驚愕の表情を浮かべたウェールズに、彼女は微かに頷いてみせる。
「……と、とにかくだ」
頭が痛くなりそうだったが、今は言い繕うしかない。
「ある方法で城下まで来て頂いた後、直接会える機会を窺っていたそうだ」
「ある方法とは?」
「トリステインの機密事項だ。入城方法も含めて、これだけは言えんよ」
強引に話を押し通すと、皆の視線が集まる中、ウェールズはリンディの腕を取った。
「?」
何故か、彼は微かに眉を顰めたが、そのまま続ける。
「御使者殿。お騒がせして申し訳ございません。このような時勢ではありますが、しばしの御滞在を歓迎致します」
と、優雅な仕草で、手の甲に口づけた。
「ありがとうございます。皇太子殿下」
合わせるように、リンディも辞儀を返す。

「むー……」
ルイズはそれを眺めながら、納得いかないという風情で呻いた。
これではまるで、リンディが使者のようではないか。――いや、使者には違いないけど。
あくまで自分が主格なわけで。
じろり、と座った目で横を見ると、杖を突きつけていた男が慌てて下がる。
残念ながら。
紹介が遅れてしまったな、とウェールズが気付いた時には一歩遅かった。
実に間の悪い声が、景気良く火を点ける。
「して、こちらの方は? 御使者殿の侍従でしょうか?」

ぶちっ、という音を、誰が聞いたかは不明である。



一騒動が収まった後、平身低頭したパリーに連れられ、ルイズは先に歩き出した。
場を納める為に、ウェールズが食事へと招いたのである。
「ミセス・ハラオウンはどうします?」
ウェールズが意味ありげな視線を向けると、リンディも合わせるように頷く。
少々疲れたので休ませて下さい――そう、やんわりと断った彼女を、ルイズは複雑な顔で睨み付ける。
が、特に何も言わなかった。
体調が悪いのは事実だろうし、無理をさせている自覚もあったからだ。
「それなら、ちゃんと休んでなさい。帰りもあるんだから」
いつもより柔らかい口調で言い捨てると、彼女はさっさと退出した。

「……お気遣い、痛み入ります」
「いえ」
客間に自ら案内したウェールズは、苦笑しながら首を振った。
彼は、先程彼女の手を取った感覚を思い出す。
相当の高熱。
何故か、その直後には平熱しか感じられなくなったが、彼女の困惑顔から察することは容易だった。
「使い魔であれば、主人の前では平然としているべきだ。――そういう事ですか?」
「まあ、そういう事ですね」
にっこり、と微笑んだリンディの様子に、ウェールズは頭を掻いた。
「正直な話、伺いたい話が山のようにあるのですが」
「すみませんね。――女って秘密も多いんですよ?」
口元に指を当てた可愛らしい仕草に、彼は諦めたように溜息を吐いた。
「聞かない事にします。さて、私は食事に向かいますので、ゆっくりとなさって下さい」
「ありがとうございます」



「油断してたんか? 王子様に気付かれるなんてよ」
「ちょっと動揺しちゃって。つい、ね」
リンディは言い訳するように呟くと、デルフを更に近くへと引き寄せた。
鍔元を枕の脇に位置する様に置き、声を聞き取りやすくする。
「じゃ、お願いね?」
「いいけどよ」
いつも通り、デルフは不承不承返事をした。
それはそうだろう。彼は剣であって、目覚まし時計ではないのだから。
「少しでも寝りゃあ、違うだろ――って、おい?」
聞こえるのは微かな寝息。
もう寝てやがる、と言いかけた愚痴を、彼はあっさりと飲み込んだ。


王女の歓迎式典で、ルイズに原因が寝不足だと説明したのは事実である。
仮の相棒である彼女は、この数日間、一度たりと熟睡していない。
聞いても理屈は分からなかったが――なんでも深い眠りに入ると、制御の許容範囲を越えてしまうそうだ。
(魔力なんてな、多けりゃいいに決まってるんだが)
その辺りの是非は、記憶があやふやな自分が考えても仕方がない。
出来る事は、異常を感じるか一定時間毎に、言われた通りの声を掛けるだけだ。
(普段から気い張ってるし、普通のヤツの二割も寝てねえし)

――壊れちまうのは早そうだなあ。
彼は嘆息と共に結論付けると、約束した時間まで思考を止めた。


      ◆   ◆   ◆


食事は、戦時下とは思えないほどの品揃えだった。
数日中には終わる戦いだからな、とウェールズが笑みを見せると、ルイズも黙って笑みを返した。
もう、自分に言えることは何も無い。
だからこそ、彼の聞きたがるだろうトリステインの話をする。
アンリエッタとの幼い頃の思い出も。
楽しそうに笑う相手を見て、ルイズも心の底から笑う事が出来る。
頬が濡れるのも、気にならなかった。

「それにしても」
食事後、顔を拭う彼女を眺めていた彼は、少しだけ残念そうに呟いた。
「きみが彼女を使い魔にした経緯は、是非聞いてみたかったのだがね」
「それは、その」
ルイズは口籠もった。
説明してもいい気もしたが、途中で絶対に破綻するのも分かるのだ。説明出来ない事が多過ぎて。
「リンディの事は、わたしにも良く分からないんです」
「自分の使い魔なのにかい?」
不思議そうなウェールズに、ええ、と頷きかけたルイズは――
「……自分の、使い魔なのに、です」
陰に籠もった声で呟いた。

「ラ・ヴァリエール?」
「殿下、先程のリンディの話ですが……」
戸惑うウェールズの前で、ルイズは曇天の様な雰囲気を纏っている。
「彼女の夫君の話だね」
「そうです」
彼女は、平坦な口調で続けていく。
「リンディにあんな過去があったなんて。――わたしも、あの話は初めて聞いたんです」
「初めて?」
ウェールズは、ようやく気付いた。
目の前の少女が、怒りに震えていることを。
「主人のわたしに、あんな大事なことを、今までずっと黙ってたんです」
「だが、それは」
「わかってます。気軽に話せる内容じゃないってことは」
だけど、と彼女は顔を上げた。
悔しいのか怒っているのか、自分でも分からないのだろう。
「それって子供扱いしてるってことじゃないんですか? 言ってくれれば、わたしだって――?」
そこまで言った彼女は、不意に黙り込んだ。

口に手を当てたルイズは、驚きの表情を浮かべている。
今、自分は何を言おうとしたのだろう?

「何やら事情は複雑なようだが」
ウェールズは優しく言い聞かせる。
「彼女ほどの使い魔はそうそういないと思うよ。これからも共に手を取り合って――」
「――いいえ!」
ルイズは、思わず叫んでいた。

響いた声に、一番驚いたのは彼女自身だ。
それほどまでに、彼の言葉を否定したかったのか?
違う。そうじゃない!
やっと、本当に理解出来た気がする。
「あんなに主人の言う事を聞かない使い魔なんていません。それに、許せないじゃないですか」
呆気にとられたウェールズの前で。
彼女は、自分の言葉が勢い良く組み立てられていく事を実感していた。
ずっと考えていた事なのだ。
心の中に澱のように降り積もった『これ』は。

「わたしの使い魔が、たった一人の親すら失った子供の事を、ちっとも気にしてないなんて」
気にしてないはずはない。
そんな人間が、あんな表情を見せるものか。

「帰りたいとも言わない」
言うわけがない。喚びだしてしまったのは自分だから。それだって分かってる。
だからこそ。

「わたしがリンディに命じなきゃいけない事なんて、本当は一つしかないんです」
「そういうことか」
ウェールズは深々と頷いた。
言い切った彼女の顔からは、自分自身と相対した者特有の、高揚感が伝わってくる。



――必ず、彼女を子供たちの元に帰す。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、その日、絶対の誓約を心に刻んだ。










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