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zoom RSS 夏色四片 第02話

<<   作成日時 : 2007/10/03 00:02   >>

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「……ルイズよ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール!」


あら、とリンディは楽しそうな笑みを浮かべた。
先程まで怯えていたはずの少女は、どうやら思った以上に強気な子らしい。
腰が抜けた風だったのに、もう立ち上がっている。
蒼白だった顔色も、憤怒で塗り潰してしまった。かと言って、恐怖を強引に誤魔化したわけでもない。
つまり。
理不尽な事からは一歩を引かないという、敵意にも似た意思の強さ。
(気の強そうな子よね。プライドも高そう)
『高潔』と言い換えても良さそうだ。

ただ、意地を張ってるのが丸分かりなところは、少し可愛い。
思わず口元が綻んでしまう。

「な、何がおかしいのよ!」
口に手を当てた相手の様子に、ルイズは激高した。
「わたしは名乗ったわよ! あんたも名乗りなさいよ!」
「あ。そうね、ごめんなさい」
姿勢を正そうとした彼女は――今更ながら、右手の重みについて思案した。中身が残っているので、地面に置くには抵抗感がある。
ちょっと待っててという仕草で会釈したリンディは、数メートル離れた場所に不可視力場で台座を作った。
簡単な持続性バリアで包んだフライパンを放り投げ、ふわりと着地させる。
(もし何かあったら困るし。怒られるのも嫌だしね)
これを含む本格調理セットは、とても高かったのだ。息子の嫁と一日かけて選んだ共有財産である。

「では」
行使された先住魔法?らしきものが、相当衝撃だったのだろう。驚愕に顔を引き攣らせたルイズたちに、彼女は改めて向き直った。
「申し遅れました。わたしはリンディ・ハラオウンと申します。えーっと」
「な、なによ」
視線を向けられたルイズが、びくりと身体を縮める。
「ルイズさん、でしたわね。そちらがファーストネーム?」
「そうよ。家名がヴァリエール!」
「ありがとう。わたしもハラオウンが家名ね。それと――」
促されたのに気付き、コルベールは居住まいを正した。
「失礼。私は、このトリステイン魔法学院教師をしております、コルベールと申します」
丁寧な口調と共に、軽く頭を下げる。
「教師――先生ということですか? そして、こちらは学校? かなりの規模ですけど……居住施設もあるのかしら?」
「お察しの通り」

リンディは建物を眺めた。
なるほど、宿舎らしき部分は学生寮ということか。

「魔法、学院」
確認するように呟く。
(魔法の何を、どうやって学ぶところかしらね)
いわゆる学舎の類か、それとも士官学校の様な訓練施設か。それによって対応手段は大きく異なる。
ルイズ、の方はまだいい。おそらく裏表の無い人間だろうから。
問題は、先程から間合いを計っている教師の方だ。自然体に見えるが、明らかにこちらの一挙手一投足に備えた反応をしている。
名乗った時も、頭を下げながら視線は全く逸らさなかった。それでいて緊張感は漏らさない。
相当の訓練と実戦を重ねた者の所作。
しかも、こちらがそれに『気付いている』事にも気付いている。

という事は――つまり、そういう事だろう。



「良い先生ですね」
「は?」
微笑んだリンディに、コルベールは訝しげに眉を上げた。
「そこまで生徒を大事にしていらっしゃる方なら、わたしも誠意をもってお話いたしますわ」
「…………!」
「ですから、どうぞ緊張なさらずに」
にっこりと笑みを浮かべた彼女からは、何の底意も感じられない。

「参りましたな」
コルベールは思わず苦笑する。
彼が計っていたのは、リンディとの間合いではない。ルイズと――退避経路との間合い。
万が一の時は、己の身を挺してでも生徒を逃がすつもりだったのだ。
そして。
それを見透かされていたという事実が、否応なく理解させる。
目の前の女性は、ただ先住魔法の使い手というだけではない。自分以上の経験を積んだ存在だ。
彼は、肩の力を抜いた。
「どうやら失礼をしっぱなしでしたな。これは申し訳ない」
「いえいえ」

「え? なに?」
微笑み合う二人を、ルイズはただ呆然と眺めている。

「やっぱり一から聞かせて頂いた方が、よろしいかと思うのですけど?」
「そうですな。ミス――」
「ミセスですわ。既婚ですの」
「失礼しました。お若いのでつい。それでは改めまして――ミセス・ハラオウン」
煌々と輝く光羽に、人目を気にしたのだろう。彼は近くの木陰を指し示した。
「本来ならば立ち話も何ですが……その、申し上げにくいのですが、学院内にお招きするというわけにも」
「お構いなく。わたし、今は不審者ですものね」
「またまた、ご冗談を。それに当学院に入り込む不審者なぞ、そうそうおりません」
「あら。でも油断はいけませんよ? どんな場所でも万が一はあるものです」
「ご忠告、痛み入ります」



「……なんなのよ、もう」
何が何やら。自分の儀式はどうなったのか。
と言うか、アレはいったい何なのか?
実体ではない羽を持つ先住魔法の使い手。翼人とかエルフじゃなさそう。御伽噺の妖精?
でも既婚とか言ってたし。まあ、妖精が結婚するかどうかは別として。
大体、属性とかさっぱり分からない。羽があるなら風とか?
それに、何故ミスタ・コルベールはあんなに和んでるのか。

アレはわたしの使い魔なのに。……多分だけど。

(わけわかんない)
談笑しながら歩いていく二人の後を、ルイズは不満げについていった。


      ◆   ◆   ◆


「つまり」
やや平坦な声で確認する。

「わたしが使い魔にならないと、ルイズさんの進級はままならないと?」
「現時点では、そうなります」
「念のため伺いますけど、使い魔を送還したという記録は」
「全ての記録を承知しているわけではないのですが、私が知る限りでは残念ながら」
「死亡するまで解除出来ない?」
「そう聞いております。他に手段があるかどうかについては、寡聞にして知りませんが」

「そう、ですか」
リンディは溜息をついた。
(これ、よく今まで管理局に見つからなかったわね)
事情を把握してみれば、はっきり言って次元犯罪になりかねない事だったからである。
今まで人間が使い魔として召喚されたことは無さそうだから、これは特異な状況なのかも知れない。
要するに運が悪かった、という単純な。無論、それはそれで問題だが。

通常は、この世界内で完結している儀式との事だが――果たして本当にそうだろうか?

対象が人間以外だったとしても、同様の事がこれまで全く起きていなかったとは断言出来ない。
そもそも同意も無しに生命体を召喚し、契約を強要するというのは如何なものか。
(だけど、それについては幾らでも事例はあるものね)
管理局が把握している世界――主に管理外世界には、かなり理不尽な風習もあるし、残酷な状況も多々存在する。
それらは全てそれぞれの世界の管轄だ。外部からとやかく言うことでも、判断出来ることでもなかった。

ただし、次元間に影響が及ぶ場合は話が別となる。
他次元の存在を知らない世界からすれば、他からの干渉――主に犯罪等は、防げないどころか認識も出来ないからだ。
故に、一方的な干渉は排除する。それは次元世界に於ける大原則の一つと言えた。



結論を出すには、それなりに綿密な調査が必要かとも思われたが、
(現状で考えても仕方ないかな)
彼女はこっそり溜息を吐いた。
そういった現場判断を求められる業務からは、実のところ引退している。
現役の娘の方が、よっぽど上手くやっているだろう。
(第一、それどころじゃないものね)
髪を梳く振りをして額の汗を拭った。連絡するとか、帰る方法を探すとか以前の問題がある。
平然と会話を続けることが、そろそろ難しくなってきていたのだ。

身体が、軋む。

全身の神経が悲鳴を上げている事を、否応なく理解した。
自分以外の高ランク魔導師が呼び出されていたら、場合によっては即死していたかもしれない。
おそらく――魔力暴走による自壊を起こして。
リンカーコア。
人における魔力制御の源。外界からの魔力収集、放出、制御等を統べるそれが、過負荷を起こし始めている。
周囲の魔力が多過ぎるのだ。
現に、魔力放出を行っている彼女の光羽――展開された特殊フィールドは、全力稼働中である。



かつてリンディは、自分の艦のバックアップを受けながら、小規模次元震を封じた事がある。
複数の世界をも滅ぼしかねない事象を、戦艦から供給される膨大な魔力を利用することで、短時間ながら制御・抑制する。
それが如何に非常識なことか。
制御において管理局有数の力を持つ、彼女だからこそ出来たことである。
その時も、光羽は余剰魔力の為に使用された。
主に『蓄積』する為に。
戦艦からの魔力の内、余剰分を蓄積・随時利用する為のバッファとして。
完全開放すれば、一艦が供給する魔力の全放出する事さえ可能な安全弁――そんな途轍もない能力を有する、極めて稀少な力。
それが、ここでは不完全にしか機能しない。
周囲の魔力濃度が、放出分を遙かに越えるという異常環境により、効率が激減しているのだ。

通常、魔導師のリンカーコアは、周囲の魔力を変換し収集を行っている。
人が呼吸するようなもので、使用した結果の魔力欠損を随時補う。過度に貯蔵することは無い。
もちろん、意識的に集積や圧縮を行う時は全力で稼動する。
例えば。
娘の親友が全力全開で戦闘する時など、外部や圧縮されたカートリッジから供給される魔力を存分に吸収し、湯水のように使う。
それを受け入れられるキャパシティや、制御能力等の差。
それこそがリンカーコアの能力差であり、魔導師のランク差となる。
当然ながら、訓練等でその差はある程度なら補える。それも人の心肺機能と同様だ。

では、体内の濃度より、周辺の魔力濃度が遥かに高かった場合はどうなるのか?
大規模戦闘が行われた空域や、特殊な閉鎖空間等でままある状況だが、基本的に問題は生じない。
一度魔導師が利用・放出した魔力は、即再利用出来る状態にはないからだ。リンカーコア等での変換が行われなければ不可能に近い。
もっとも、再利用しやすい形で周囲にばらまき、土壇場で再収集・放出するような猛者もいるが、それこそ稀なケースである。
逆に。
周囲の魔力が、体内に吸収されやすい形で、かつ膨大に存在した場合はどうだろう?
短時間なら耐えられるかもしれない。淡水魚が河口近辺で即死しないように。
塩分の少ない環境から徐々に慣らせば、ある程度の濃度まで対応出来るかもしれない。時間をかければ可能性もそれだけ高くなる。
環境の異なる場所に慣れる為なら、方法は他にも色々あるだろう。

だとしても。
淡水魚を死海に放り込めば、ほぼ確実に死ぬ事は間違い無かった。



(この世界の魔法システムは、わたしたちと根本的に異なるんでしょうね)
無尽蔵に魔力が供給されるのなら、運用方法が違うのは当たり前だ。
リンカーコアについても、概念そのものすら存在しない可能性が高かった。
「――――どうなさいました? ミセス・ハラオウン」
「あ、いえ……そうですね」
リンディは生返事を返すと、こちらを睨み付けたままのルイズに視線を向けた。
自分の素性は話していない。
細かいことは言えない、と正直に言うと不満そうだったが、それでも自分を『使い魔』にすることは諦めないようだ。

使い魔としての契約。
感覚を共有し、死のみが分かつという絶対的な支配。
正直な話、リンディに契約する気は無かった。あまりにも一方的なものだし、彼女自身、譲れない事がある。
それはルイズへの感情とは別のものだ。この小さなお姫様のことは、一目で気に入っている。
帰る方法が見付からないのであれば、一生彼女と過ごすのも悪くない。

相手に不満が無いなら、意地を張る必要は無いだろうか?

(それに、選ぶ余地が無いことも確かね)
光羽の魔力放出効率は、既に百分の一以下に落ちている。全開を続けられる時間は、昼夜を徹した場合――保って数日。
眠ることは出来ない。詳細な制御は不可能な上、リンカーコアの吸収効率も上がってしまう。
暴走してしまった場合、二度と目覚めることは無いだろう。
更には、周囲を巻き込んでの魔力爆発を起こす危険性もあった。
だから。

「わたしなんかが使い魔でいいの? もしかしたら、いきなりいなくなっちゃうかも知れないわよ?」
「そんな事にはならないわよ」
ルイズは傲然と胸を張った。
「あんたはわたしが召喚したの! 勝手に逃げ出すなんて、許すわけないじゃない!」
「あの、逃げるとかじゃないのよ? ほらほら、わたしって人間っぽくないんでしょ? ぱぁーっと消えちゃうかも」
「な・ら・な・い!」

言い捨てた彼女は、ギッと睨み付けてくる。
プライドと自信、そして不安と悲哀などを一杯に抱えた眼で。

「困った子ねえ」
リンディは、つい笑ってしまった。
「何で笑うのよ!」
「わかったわ」
肩を竦めた後、ぽんとルイズの頭に手をおいた。
「使い魔になってあげる。その代わり、衣食住の面倒とか、調べ物の手伝いとかはしてくれる?」
「……当たり前でしょ。役に立つなら、ちゃんと面倒みるわよ」
拗ねたように目を逸らした彼女から、はっきりと安堵の気配が伝わってきた。傲慢に聞こえる台詞は、ほとんどが照れ隠しなのだろう。
可愛いし、面白い。これからがとても楽しみだ。

(でも、時間との勝負なのよね)
確かに、使い魔として契約することで、この学院内に立ち入ることが可能となる。
腰を落ち着けることも出来るだろう。外部からの干渉や脅威についても、当分は考えずに済むはずだ。
その間に為すべき事。
身体を、この環境に慣らすことが出来るかどうか?
元の世界への帰還方法を探せるかどうか?
その何れもが叶わなかった場合、後から来るかもしれない捜索者に、この環境の危険性を伝える手段を遺さねばならない。
残された時間は、あまりにも少なかった。



――――それから。

彼女は、ふっと表情を和らげる。
(あの子たちなら、何の心配もいらないわよね)
ちら、と胸元に視線を落とした。
夫を亡くしてから、一人息子と一生懸命を積み重ねてきた。特に最初の頃は、あっという間に過ぎた歳月だったと思う。
その息子も、既に26歳になっている。
いつの間にか義理の娘が二人、孫が四人。そして子供の良き友人たちに、その家族との心温まる交流。
これほど充実した人生を過ごせるとは、あの頃には想像も出来なかった。
(うん、わたし、満足してる)

ブローチをそっと握った彼女の表情に、悲壮感は無かった。
リンディは諦観とは無縁である。どんな事だって、良い結果は必ず残せると思っている。
後悔や焦燥を抱え込んだって、良いことは何も無い。

彼女は単に、自分の置かれた状況を確認しただけなのだから。


      ◆   ◆   ◆


「決まったようだね」
コルベールが頷く前で、二人は静かに相対した。

「じゃあ、いくわよ」
「ええ」
少女の声が、緊張にやや擦れている。
そう思うと同時に、自分も思いのほか緊張している事に気付いて、リンディは少し驚いた。

ルイズの詠唱が響き始める中、フィールドを強化する。
彼女は、息子のような目に見える形のバリアジャケット――魔力で編んだ防護服を着用していない。
新しく生成する事は可能だが、今の状況では上手く出来る自信が無かったし、その必要も無いだろう。
元々得意とする同様のフィールド系防御魔法自体は、何とか行使出来ている。
不可視ではあるものの、極限まで圧縮・強化したフィールドを皮膚の表面に沿うよう展開する。厚さはミクロン単位。
無駄に魔力を消費できる分、普段の強度を上回っている位である。
これで、契約の儀式とやらに対抗出来るのか? ……それは分からない。
一種の賭けなのだ。
魔力に基づいた契約は、ほとんどの場合呪いとしての一面を備えている。同意非同意に関わらず、媒体となる身体や精神に同化する。
状態を維持しようとするし、維持出来なくなれば――場合によっては改変を強いるという。

詠唱の最後。

「――――我が使い魔となせ」
額に触れる杖。ルイズと、そっと口付けを交わす。



やがて、二人が離れるのを確認したコルベールは、ほっとしたように頷いた。
「コントラクト・サーヴァントは、無事に終えたようだね」
「はい、ミスタ・コルベール」
上気した顔を向けるルイズ。

成功した――成功した! 今日は、二つも魔法を成功させたのだ!
サモン・サーヴァントだって、何十回も失敗したからこそ、凄い結果に繋がったに違いない。

「これからよろしくね。えーっと、リンディ?」
彼女は満面の笑顔で振り返った。
そして。
自分がたった今使い魔にした女性が、苦悶の表情を浮かべている事に気付いたのである。

「ど、どうしたの!?」
「く、あ……」
呻き声を上げ、身体をくの字に折るリンディ。
相当な激痛なのか。己を抱きしめるようにした指が、左右の腕に食い込んでいる。
爪が皮膚を裂き、血を滲ませる程に?
「ちょ、ちょっと」
ルイズは慌てて、コルベールに向き直った。
「ここ、これって使い魔のルーンが刻まれてるだけじゃないんですか? もの凄く苦しそうなんですけど!?」
「そんなはずは」
コルベールは小走りで近寄った。
「使い魔のルーンが刻まれる時は、それなりの刺激があるという。例えば熱だ。だが、それも直ぐに済むはずなのだ」
「ほ、本当ですか?」
彼は無言で頷いた。
生徒に不安を与えてはいけないと判断して、感情を出来る限り表情に出さぬよう努める。
が、驚愕を隠しきれた自信は全く無かった。
肌にすら圧力を感じさせる程の魔力が、ここまで急激に集まっていく現象など――
(前代未聞ではないか!)




唇が離れて数秒。
(何も起こらない……はずは無いわよね)
ルイズには申し訳ないが、物理的には触れなかった。
DNAや経年変異情報を得る為の接触が成約条件なら、これで回避は出来ている。
魔法が絡むのだから、そういう条件はそれこそ少数派ではあるが。
第一。
(ここから、よね)

コルベールは何と言っただろうか。確か、無事に終えたと――

(来た……!)
それは唐突だった。
ぎしり、と押し潰されるような圧迫感がリンディを襲う。
押し潰す? ――違う。
(取り込もうとしている!?)
彼女の体感としては、自分がフィールドごと溶かされてしまいそうな苦痛だった。全身の皮膚に劇薬を振りかけられたような。
どれほど魔力を注ぎ込んでも、その感覚は激しくなる一方だ。
「く、あ……」
激痛に耐えきれず、己の身を抱え込んだ。

霞み始めた視界の隅に、少女の慌てている姿が映る。つまり、現在の状況はルイズの意図と異なるということか。
おそらく、この術――呪詛は、既に行使した者の制御から離れている。
あるいは、彼女を殺害すればこの状況を打破出来るのかも知れなかったが、その選択肢は選べない。
(何とかしなくちゃ、何とか)
何故、魔力で行使されたはずの呪詛に、魔力で抗うことが全く出来ないのか。
(……まさか)
不意に浮かんだ恐怖が、背筋を凍らせる。
何らかの力が、リンディの存在そのものに食い入ろうとしているのだとしたら。
存在そのもの。それは、彼女が展開しているフィールド自体を、彼女自身と見取っているのではないか?

(そんな。それって)
その意味するところに気付いて愕然とした。
フィールドはリンディが全力で展開している物だ。もしそれを自分自身だと定義されているなら、彼女は裸で相対している事になる。
肉体的にも、精神的にも。

存在の侵食――それは明確な恐怖だった。
行使したルイズに悪意は無くとも、この呪詛には抗う術の無い強制力がある。
主を偽ろうとする意志など、使い魔には不要なのかもしれない。
だとすれば。

向かう先は、精神の改変。
結果の分からない、改変された事すら認識出来なくなるかもしれない、人として最大の恐怖。

加えて、リンディには『侵食』という事象に対する、激しい拒否感があった。
心に刻まれた、経験という名の記録。
例えば――娘の職場に所属していた、精神を人為的に侵された姉と相撃った妹の姿であり、
娘の親友が心身を侵され、別存在として世界を滅ぼしかけた姿であり。
そして。
彼女の夫の乗艦が、消滅する直前に起きた怖ろしい光景――――


「――――イヤああああああっ!?」
絶叫と共に、彼女の視界は緑色に染まっていった。


      ◆   ◆   ◆


「これは一体!?」
コルベールは、驚愕を隠そうともせず後退った。
その更に数歩後方には、飛び退いた際に転んだルイズが、呆然と見上げている。

それは『塔』だった。
緑色の光に輝く四本の尖塔。屈み込んだリンディの背中から、高さ数十メイルにわたって羽が伸びている。
煌々と周囲を照らし出すそれが、膨大な量の魔力を天へと吹き上げているのだ。
吹き上げる為の魔力は、彼女が周囲から竜巻の如く吸い上げている。
その様子は、まさに略奪と言っていい。

溢れんばかりの魔力を吸収し、それをそのまま上空へ押し流している?

「何が起きている? 何の意味がある?」
杖を握りしめた彼は、畏怖を込めて呟いた。



(体が、保たない……!)
バラバラになりそうな激痛の中で、リンディは自身の精神だけを守っている。
具体的な何かを志向したわけではない。それでも、身体の枷が勝手に外れたのは理解した。
リミット・ブレイク。
敢えて言うなら、そう言えるだろう。
本来の彼女が持つ『それ』とは異なる――この状況に合わせて発生した、自己能力の制限解除だった。
食い込んでくる呪詛は防げない。だとしたら。
洗い流せばいい。幸い、その為のものは幾らでもある。
身体の負荷を無視したリンカーコアが、凄まじい勢いで魔力を吸い上げ、呪詛ごと全て放出する。何の技術も無い力業だ。
(死んじゃう、かもしれないけど。だけど……だけど!)
成功したとしても、残る時間など無いかもしれない。
ならば、これは無駄な行為なのだろうか?

例えそうだとしても。
自分が自分でなくなることに、彼女は耐えられなかったのだ。



「なんだ!?」
コルベールは、一瞬自分の目を疑った。
そびえ立つ緑色の塔の上空に、意味のある『光』が見えた気がしたのである。
(あれは、何かのルーンか?)
瞬きする間も無い程の、僅かな時間。
『光』は羽にまとわりつくように留まっていたが、やがて諦めるように上空へと上がり――粉々に砕け散った。
燐光となったそれは、次々と闇に溶け込んでいく。
学院中に散らばったようにも見えた。何かしらの物質だったのであれば、回収出来る可能性もある。
(いや、それはあるまい)
期待しながらも、彼は落胆の色を浮かべた。
ここは今の怪異の真下だったのだ。しかし、それらしきモノなど見当たらない。
チリ、と指輪をした指が痛んだような気もしたが、
「――リンディ!」
ルイズの叫び声に、彼は急いで意識を戻した。

月明かりの下、二つの人影が走り寄る。
倒れ伏したリンディ・ハラオウンの背中に、既に羽の輝きは無く。



先程までの喧噪が嘘のように、辺りにはただ――――静寂のみが漂っていた。










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