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zoom RSS 夏色四片 第29話

<<   作成日時 : 2007/10/03 00:29   >>

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――幸いな事に。
シエスタの母と弟たちは、所用で親戚の家に出掛けており、家に居たのは父親だけだった。
多少遅くなるが、昼食時には全員揃うとのこと。

娘の怪我をした姿に動揺していた彼は、リンディの丁寧な挨拶と説明を聞いて、逆に恐縮した。
「すみません、娘は昔からそそっかしくて。他にも、失敗ばかりしてやしませんか?」
「そんな事はありませんよ。彼女はいつも頑張ってくれてます」
お互いに頭を下げる。
人当たりの良さそうな男性の様子に、リンディは警戒を解いた。
元々、そこまで深刻な危機感を感じていたわけでもない。
まあ――忠告通り、家名は名乗らなかったが。

「では、お台所をお借りしますね」
既に、エプロンを付けたシエスタが釜に火を入れている。
「しかし、お客様にそんな事をさせるわけにも」
「シエスタさんは怪我してますもの。それに好きでやる事ですから、お気遣いなく」
「は、はあ」
妙齢の美人に微笑みかけられては、強くも言えない。
渋々彼は引き下がったが、それでも時折、こちらの方を覗いているようだった。

「いいお父さんね」
「心配性ってわけでもないのに、たまに口煩いんです」
二人は完全分業で料理を進めていく。
人数が多いのでシチューにする。味と火加減はシエスタ。
当然ながら、食材を切ったり炒めたりするのは、リンディの役目である。
じっくり煮込む時間は無い。
厚鍋の底で肉類等を軽く炒め、あとの切り揃えた食材は、シエスタの手の届く場所に並べた。
それ以上の事をすると、逆に彼女の邪魔になる。

「そろそろご家族の方たちが帰ってくるのよね? わたしも進めちゃおうかな」
リンディは隣に立つと、フライパンを火に掛けた。
作り始めたのは、この世界に来る直前まで作っていたオムレツだ。
シチューは肉類がやや少ないし、子供が多いならサイドメニューとして用意してもいいだろう。
メインまでの時間稼ぎにもなる。

「それ……」
出来上がり始めた物に目をやったシエスタは、ふと何気なく呟いた。
「確か最初の日に、ルイズ様が」
「ん? 何かあったの?」
「あっ!」
口止めされていた事を思い出して慌てたが、すぐに考え直した。
「言うなって言われてたんですけど、今のリンディさんになら言ってもいいかなあ」
「今の?」
「ええ。ルイズ様の為に頑張ったんですから、それくらいは良いと思うんです」


最初の――召喚儀式の日。
昏倒したリンディが、運ばれた直後の事だ。

洗い場に戻っていたシエスタは、怖々と覗き込んでくる少女に気付いた。
貴族の、ミス・ヴァリエール。
「な、何か御用でしょうか?」
「これ、洗っておいて欲しいの。大事な物らしいから、丁寧にお願いね」
言いながら差し出されたのが、リンディのフライパンだった。
何故か、料理らしき物が入ったままである。
「分かりました。……こちらは、どうなさいます?」
「小皿、借りるわね」
あっさり言うと、ルイズはそれを皿に移して持ち去った。


「洗った後に捜したら――門の側に座り込んで、泣いていたんです」
リンディを召喚した場所を、そして倒れた場所を眺めながら、彼女は全身で悔いていたらしい。
「泣きながら、冷えた料理を少しずつ噛み締めていました。忘れない、忘れるもんかって呟いて」
「……彼女らしいわね」
自分が奪ってしまったかもしれない命を目の当たりにして、どれほどの後悔と呵責に苛まれていたのだろう。
そこからは、責任感だけではない真摯な気持ちが伝わってくる。
「今だって、ルイズ様の気持ちは変わってないと思います。リンディさんを、本当に大切に思ってる」
「うん」
「リンディさんも、ルイズ様を大切にしてる。まるで自分の娘みたいに」
「そう見える?」
「はい。とても仲の良い母娘って感じで」
「出来れば姉妹って言って欲しかったなあ。……無理かしら?」
可愛らしく首を傾げた相手に、シエスタは苦笑しながらも――きっぱりと断言する。
「絶対、無理です」



「あ、帰って来ましたね」
「そ、そう?」
軽く落ち込んでいたリンディは、楽しげな声に振り向いた。
鍋の方からは、美味しそうな香りが漂い始めている。
「ちょうど良かった。もう少しで出来上がるもの。リンディさんの方は?」
「何とか人数分は。最初の方のは少し冷めちゃったけど」

帰宅した家族たちは、台所に立つ見慣れぬ姿に驚いた。
予定外の帰省をしているシエスタと、その包帯姿も混乱を誘ったらしい。
直ぐに興味を含んだ眼差しに変わったのは、意外と平気そうな姉と、客人の柔和な雰囲気に安心したからだろう。

母親と挨拶を交わした後。
リンディは、改めて子供たちの方へと向き直った。
まだ少し幼い、シエスタの弟妹たち。
元気そうなその様子を、彼女は微笑ましげに眺めていた。
久々の楽しい触れ合いを期待して、つい口元が緩んでしまう。
だが。

最後に入ってきた『弟』を瞳に映した時。
――まるで、凍り付いたように動きを止めた。

「この子は、おじいちゃんの若い頃に、とても良く似てるんだそうです」
戸惑う弟の後ろに立ったシエスタが、こちらを射抜くような視線で見詰めている。
敢えて感情を表現しない、黒い瞳。
何を、言いたいのか。
何を、伝えたかったのか。
もう一度、シエスタの顔を眺めた。
僅かに別の色が混ざった黒髪に、黒い瞳。どこか懐かしく感じられる顔立ち。

壊れそうになり、激しく軋む自分の心に気付いたが、彼女は表情を変えなかった。
静かに息を吸ってから、大きな溜息を一つ。全てを洗い流すように遠慮無く。
それから、ゆっくりと話しかける。

「お亡くなりになったのは、いつ?」
「二年前です」
二年。
言葉にすると短いのに、何故か怖ろしいほど遠い昔の様に感じられる。
「お食事にしましょう。その後で――」
言うまでもない事を飲み込み、シエスタは去っていく。

「そうよね。後で充分よね」
誰かに言い聞かせる様に呟いた彼女は、自分に注目する視線に気が付いた。
見知らぬ客人に対する、子供たちの無遠慮な観察と、無邪気な歓迎。
ついでに催促の気配も含まれていることに気付いて、
「じゃあ、お昼にしましょうか!」
彼女は、満面の笑顔を浮かべてみせた。



残念ながら。
それが、果たして本当に『笑顔』だったのかというと――全く自信は無かったのだが。


      ◆   ◆   ◆


夕刻。
彼女たちは、散歩に行くと言い残して家を出た。
落ちかけた日差しが、細く長い影を、道に二つばかり落としている。

目的地は分からない。
「おばあちゃんと結婚した後、彼は平凡な日常を過ごしました。働き者で、村の皆から好かれたそうです」
祖父を敢えて『彼』と呼び換え、シエスタは話を続ける。
「家族を大事にして、誰にでも優しくて、責任感が強くて。母も尊敬してたって」
子供にも恵まれ、村で評判の働き者。得た物はとても大きかったのだろう。
満ち足りた日常が、容易に想像出来る。

そんな彼の生活は、オスマンという男を助けた時から一変した。
自分が何者なのか、どこから来たのかを思い出した時の混乱ぶりは、如何ほどであったろう。
そして、そんな彼を見る家族達の、不安や怖れも。
運が良かったのは、彼が記憶障害から完全には回復しなかった事だ。
もし回復して記憶を取り戻していたら、現在の家族の記憶を、逆に失っていた可能性もあったのだから。

「結局、変な事を言っていたのは短い間で、すぐに元の働き者に戻ったそうです。残ったのは変な趣味だけ」
「あの丸い建物?」
「そうです。持っていた杖も学院長様に預けてしまいました。それが、噂になった『破壊の杖』だそうです」
二度と帰れぬ事を知って、未練を断とうとしたのだろう。
実に彼らしい選択だと思う。

「小さい頃、おじいちゃんによくお話をして貰いました。寝る前に聞く不思議な話は、いつも楽しみだったんです」
貴族とか平民の区別の無い世界。馬がいなくても走る馬車や、風石が無くても大空を飛び回る船。
荒唐無稽にみえて、どこか説得力のある物語は、幼いシエスタにとって魅力的だった。
一つだけ、気になるとすれば。

「お話の中に出てくる人が、いつも同じだって気付いたんです」
多くの話の中で、その緑の長い髪を持った人の笑顔が伝わってきた。
彼女の幼い息子の事も。
ある時。
話しながら遠くを眺める彼を見ているうちに、唐突に気付いてしまった。
彼が、その人をどう思っているかという事に。

「何でも知っていて、何でも出来るおじいちゃん。子供の時から、ずっと自慢にしてたんです」
シエスタの足取りは、少し重くなっている。
目的地が近いのかもしれない。
「母も、父も、弟たちも皆そうです。わたしは、そんなおじいちゃんが本当に大好きで――」
彼女は、不意に足を止めて、

「本当に――大っ嫌いでした」
と、吐き捨てるように呟いた。


      ◆   ◆   ◆


そこは、村の共同墓地だった。
他の物と同様の、何の変哲もない墓碑が二人の前に立っている。

「家族は皆気付いていました。あの日以降、おじいちゃんが自分たちを半分しか愛してくれなくなったって」
涙を拭いながら、シエスタは眼前の墓に語りかける。
「いつも――そう、いつもです。必ず心のどこかに、別の人が住んでいました」
家族で食事をしている時も、自分の子供が結婚する時も。
孫と戯れる時も。
彼は、誰かのイメージを重ねていたように思えた。
「両親は分かりませんが、わたしは、あの建物を何の為に作ったか気付いていました」
物語の中の、自分が元居た世界に帰る為。
使い方なんて知らないけど、分かってしまうのだ。
「ああ、おじいちゃんは、いつか突然居なくなっちゃうんだ――そんな恐怖を、ずっと抱えていたんです」
子供の心に、澱のように積み重なるそれは、凄まじく重いものだったはずだ。
「わたしたちだって家族なのに。何でそんなにって」

「不器用な人だったからね」
生真面目で、責任感が強くて。
事情を理解し、納得した後は、一生懸命に今の家族を愛そうとしたのだろう。

ただ、彼は捨て切れなかったのだ。

魔力暴走の後遺症か、彼は短命で亡くなった。
もちろん、この世界では充分に長命だったと言える。
死の間際になって行ったのは、自分のデバイスを誰かに託すという事だった。
いつか来るかもしれない、他の魔導師を救う為に。
余程高ランクの者でない限り、最初の魔力暴走を乗り切る事さえ出来れば、助けられるかも知れない。
乗り切れなかった場合については、ほとんどが生存していないはずだから除外。

暴走の可能性は、多くても二回。それ以降は自然と適応する。
そう判断した彼は、特定の状況に特化した魔法を組み上げたのだ。

託す相手は、魔法に関して最も対応に長けた場所――トリステイン魔法学院。
後日、連絡を受けたオスマンが村を訪れ、預かっていた『破壊の杖』をかつての恩人に返却したらしい。
「数日後、おじいちゃんは別の物を渡しました。それが」
「わたしを助けたあれって訳ね。使い方はどうやって知ったの? 教えてくれたはずは無いし」
孫を、危険に晒すような真似をする人ではない。
「学院長様に説明していたのを、勝手に盗み聞きしたんです。あれの使い方や、使う機会とか全部」

彼は特に、使用した場合について念入りに注意していた。
周辺にかなりの影響が及ぶかもしれないから、防ぐ為の防壁を構築する事。
対象が限界を迎える時間まで猶予があるはずなので、対策を充分に話し合う事。
「普通は、一度目から数ヶ月位って言ってました。それ以上なら必要なくなるかもって」
それだけなら良かったのだが――同時に、彼は懸念も伝えていた。
限界が来るのが早ければ早い者ほど優秀な魔導師で、それ故影響も大きくなる。
最悪の場合、起動した者は極めて危険な状況に晒されると。

「リンディさんの場合は……一週間ちょっとでしたね」
だから凄く怖かったです、とシエスタは虚ろに笑った。

「おじいちゃんが亡くなる直前、思い切って聞いてみたんです」
本当は、帰りたかったのではないのか。
向こうの家族の方が、大切だったのではないのか。
「でも、おじいちゃんは笑って首を振っただけ。……最後まで、本当の事を話してはくれませんでした」
もしかしたら、本人にも分かっていなかったのかもしれない。

そう理解した時。
シエスタは、そこまで祖父の心を縛り付けている相手に、激しい憎悪を覚えたのだ。
自分を含めた家族に、あれほど寂しい思いをさせたその女に。

「リンディさんの名前を聞いた時、まさかと思いました」
容姿も、聞かされていたものに良く似ている。
だが、シエスタの頭の中で育てられたイメージとは、随分と異なっていた。
こんなに柔和な、優しげに見える人ではない、と。
憎悪から生み出された虚像と異なるのは当たり前だが、彼女はそれを理解しようとしなかった。

「でも、いつまでも目を瞑ってるわけにはいかなくって」
決闘騒ぎでリンディが展開した魔法陣が、確信を揺るがないものにしてしまった。

「とてもいい人だっていうのは分かりました。自分が憎む必要なんか無いって。だけど」
彼女は貯め込んでいた激情を吐き出す。
「何で今更って。ずっとおじいちゃんは待ってたのに。ずっと帰りたがってたのに」
許せなかった。
祖父と同じようにこの世界に来てしまったのに、帰りたいという意志すら見せない事が。
残してきた家族を、大切に思っていない事が。
「絶対、助けてなんかやるもんかって思いました。このままいなくなっちゃえって」
幸い、学院長も動かなかった。確信を持てなかったからだろうか。
あるいは彼も、猶予期間を多目に見積もっていたのかもしれない。
「だけど、風邪を引いたって聞いた時、凄く怖くなりました」
自分が何もしないせいで、この人は死ぬかもしれない。
この人には何の責任も無いのに。

そこまで考えて、初めてシエスタは気付いたのだ。

いなくなる事を望むとは、死を望んでいるという事だ。
そして、助けられる相手を助けないのは――殺そうとする事と同じだと。
更には。
「おじいちゃんの最後の望みすら、わたしは消そうとしていたんです」
彼女は激しく後悔する。
――だけではなく、夜な夜な重い罪の意識に苛まれた。
知人の死を望んでしまったという罪悪感は、彼女の心を押し潰そうとしていたのである。

「憎んでいたままなら良かったんです。そしたら、あんな怖い思いもしなくて済みました」
助けようとしたのは贖罪の気持ちからだった。
それがリンディに対してなのか、祖父に対してなのか。
思い出そうとしても、自分にだって分からない。
もしかしたら、罪の意識から逃げたかっただけかもしれない。
だからこそ、自分が生きていると知った時に、あれほどの絶望を感じたのではないだろうか。

「――でも」
シエスタは顔を上げた。

夕闇に沈む、彼の墓標。
黙って自分を見詰める相手から、顔を逸らさないよう必死に拳を握り締める。
「憎み続けるなんて、初めから無理だったんです。そんな事は、分かっていたはずなのに」
リンディ・ハラオウン。
祖父が一度だけ口を滑らした、御伽噺のお姫様。
「会った事なんて無い。だけど、絶対に助けなきゃいけない人です。絶対に。だって――」
溢れる涙が、拭われる事は無く。

「血は繋がってないけど――それでもリンディさんは、わたしの『おばあちゃん』なんだから!」



――叫ばれた言葉は、随分と長く、その場所に残っていた。
その一言に、一体どれだけの感情が含まれていたのだろう。


      ◆   ◆   ◆


嗚咽が響く中。
リンディは、星の見え始めた空を見上げていた。


あの時。
自分の船が消滅する直前、彼は転移魔法で脱出を試みたのだ。
愛する家族の元へ戻る為に。
彼は責任感の強い人ではあったが、決して自己犠牲を美徳とする人ではなかったのだから。
しかし。
撃ち込まれた魔導砲が引き起こした、巨大な空間歪曲の余波は、転移魔法にも影響を及ぼす。
もちろん、それは予想もつかない事だった。
正常な座標軸は破壊され、通常の空間から弾き飛ばされたのは、比較的幸運だったと思う。
結果、やや時間軸のずれた――本来なら転移どころか観測も出来ないような世界に、彼は辿り着いた。
確かに、最初の魔力暴走で瀕死の重傷を負い、記憶障害は起こしたかもしれない。
それでも、概ね平和な生涯を送ったと言える。


不思議と、悲しみは感じなかった。
彼の――その人の為の涙を、流し尽くしてしまったからだろうか?
(違うわよね)
リンディは穏やかに微笑んだ。
胸にあるのは、清々しい喜びだけ。
心だけではなく、身体をも満たしていくのが感じられる。

その人は。
不慮の死で終わったのではなく、新たな人生を得ていたのだ。
妻を得、子を生し。――素晴らしい家族に包まれた暮らしを過ごした後、穏やかに生を終えた。
それどころか。
遺した物と孫娘は、こうして自分をも救ってくれた。最後の望みすら叶ったのだ。
これほど有意義な生があるだろうか?

闇に沈みつつある墓を、もう一度眺めた。
刻まれたのはこの世界の文字。彼女には読む事すら叶わない。
例え読めたとしても――刻まれた名前が一度も聞いた事の無いものであると、言われずとも理解出来た。
ここに眠る人が、この世界で得た名前。
この世界での、全て。

そこに眠る管理局魔導師に向けて、リンディは静かに敬礼をした。
読めない方がいい。
それはおそらく、自分が知る必要の無い事だから。



ただ、一言だけ。
彼女は、そっとその人の名を呼んだ。
墓碑に刻まれた文字と、異なる名で。

囁かれたその音色は、風に溶けて――誰の耳にも届かなかった。










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