空色硯 sorairo-suzuri

アクセスカウンタ

zoom RSS 夏色四片 第35話

<<   作成日時 : 2007/10/03 00:35   >>

トラックバック 0 / コメント 0

トリステイン城下町、ブルドンネ街は賑わいを見せている。
派手な戦勝パレードは既に終えたが、急激に増えた人口を狙って、多くの店が品物を並べているからだ。
増えたのは元アルビオン軍の捕虜である。
その大多数が、既にトリステイン軍に志願し、入隊を許された。
拒んだ者は数えるほどしかおらず、その少数は未だ牢の中だ。一定期間の強制労働を終えれば解き放たれる事になる。

混乱も無く多くの捕虜が帰順意志を示したのは、タルブの一件があまりにも衝撃だったからだ。
アルビオンに戻れたとしても、あの恐怖を思い出せば二度と従軍する気は起こらない。
更に、敵国の兵である彼らを、トリステインは随分と親切に扱った。
半分以上は同情心からであろうが、味方の被害が無かった事で、勝者としての心に余裕が生まれたと思われる。
無論、士官も同様である。

噂では、捕虜となった士官が集められた場に、一人の空賊が姿を現したそうだ。
何が起きたのかを一般に知る者はいない。
だが、結果として元王党派の者は全員が帰順、他の者もほとんどが従ったらしい。
経験豊かな士官と、無傷で鹵獲された数多くの船。新型砲の技術と大型艦の運用方法。
そして多くの竜騎兵たち。
現時点でのトリステインは、アルビオンに準じた空軍力を備えた事になる。

特に、巨艦レキシントン号は三度名前を変え、今度はトリステイン空軍の旗艦として名を轟かせる事になるだろう。
その名が冠するのは、新たに即位した女王アンリエッタの名である。



戦後処理の進む、ある夜のこと。

アンリエッタは違和感を感じて眼を開けた。
気持ち悪いほどの静寂が辺りを包んでおり、鈴を振っても誰一人として応えない。
不安に怯える彼女の耳に、扉をノックする音が響く。
誰何する声にも、応じる気配は無い。
もしかすると、何処かの暗殺者が迫ってきているのだろうか?

「誰です? こんな夜更けに。名乗れぬような無礼な輩に、用はありませんよ」
杖を握りしめたアンリエッタは、次の瞬間、待ち焦がれた声を聞いた。
「ぼくだよ」
「ウェールズさま!?」
彼女は、思わず杖を取り落とした。
扉に駆け寄ろうとして、何とか思い止まる。
「で、でしたら、何故名乗ってくださらないの?」
「名は捨てたからね。今ここにいるのは、少々訳有りの空賊ってことさ」
「そんな」
アンリエッタは絶句した。
だが、言葉の割には悲壮感など微塵も無い。むしろ以前より生き生きとしている感じがする。
「まあ、ただの空賊じゃ姫殿下の前には立てないからね。代わりに、今日は従妹に会いに来たんだ」
「え……」
戸惑う彼女に、彼は短い言葉を告げた。
かつてラグドリアン湖畔で、何度も聞いた合言葉。
「ウェールズさま!」
返事をする時間も惜しんで、彼女は急いで扉を開けた。
服装こそ変わっていたが、以前と変わらぬ凛々しい顔がそこにある。
「やあ」
「――――!」
照れくさそうに笑う顔を見た彼女は、感極まったのか泣き出していた。



「えっと、いつまで待ったらいいと思う?」
「こういうのってタイミングが難しいのよね。結界を張っておいて良かったわ」
扉の陰で二人の囁き声がしたが、

「少し待つ事にしましょうか。お邪魔しちゃ悪いですし」
「覗き見なんて、悪趣味だけどね」
と、待ち惚けを覚悟したようで。
――結局、泣きじゃくる王女を空賊が宥めるのは、かなりの時間を要したらしい。

その後、姿を現したリンディを見て、王女が卒倒したのは余談。


      ◆   ◆   ◆


「確かに、姫が即位する事で全て丸く収まりますが……先の戦は、少々事情が異なりませんか?」
「だからこそ、です。あの化け物が、我が軍まで手に掛けようとしていたという証言は、極めて多いですからな」
疑問を提示したウェールズに、マザリーニが説明を続けている。

部屋の中にいるのは、アンリエッタとウェールズ、リンディとルイズの四人と――マザリーニ枢機卿である。
一度結界を解かせた後、王女が呼び寄せたのだ。
ちなみに、アンリエッタは未だ青い顔のまま、ウェールズと寄り添うように座っている。
「でも、私が女王なんて……母様が即位なさるのが、筋ではありませんか」
「太后殿下は喪に服されておいでです。亡き陛下を、未だ偲んでいらっしゃるのです」
即位を願っても、固辞されるのが目に見えている。

現実問題として、アンリエッタの選択肢は限られる。
愛する者のいる彼女が、婚約解消――ゲルマニアに嫁ぐ事を辞めるには、公の理由が必要だ。
アルビオン侵攻軍をどんな形であれ討ち破り、しかも大幅に戦力を増強したトリステインは、内政の強化を迫られている。
国王のいない現状は、政治的にも軍務的にも問題が多い。
そして、最前線にて指揮を執ったアンリエッタが女王となる事は、内外から見ても説得力がある。
国を憂い、自ら率先して戦に出向く女傑。

問題は、タルブでの戦闘が、少々異常な状況で推移したという事だ。

「姫殿下の手柄は、あの化け物を宥め、恐ろしい災禍から国を守ったという事になります」
「確かに、それならば巫女としての伝え方も出来ますね。奉り上げるには良いかもしれません」
あの化け物の所行が、極めて残虐なものだったが故に、王女の功績がより一層評価される。
上手く世間に噂を広められれば、人気も上がるだろう。

「まあ、噂を広げるまでもありませんな。タルブ村での話は、兵士や捕虜たちが好き勝手に話しております」
「そうでしょうね。数十の竜騎兵、数千の兵士、そして艦隊を丸ごと沈めた先住種族」
「化け物以外の何者でもありませんな」
「そ、そうですね。私も、本当に怖かったです」
ちら、とアンリエッタは後ろを振り返ってから、申し訳なさそうに同意する。

「あ、あの、でも私に務まりますでしょうか? ゲルマニアの方も」
「大丈夫でしょう。今回の件では、彼らは援軍を出し渋りましたからな。それに、一国ではアルビオンに対抗出来ませぬ」
外交上の弱みを抱えた上に、今更軍事同盟を解消するわけにはいかない。
婚約解消は、あっさりと受け入れるだろう。
「心配はいらないよ。枢機卿も、いきなり全てを君に任せるとは言ってないんだ。ゆっくりと学べばいい」
「あまりゆっくりでは困りますがね」
二人の顔を交互に見たアンリエッタは、やがて大きく頷いた。

「分かりました。正直に言うと不安ですが、精一杯頑張ってみます」
「そうこなくては」
ウェールズは彼女の腕を取ると、手の甲に口付けた。そして、あの懐かしい笑みを浮かべる。

視線で語るのは、遙か先にある将来の夢。
アンリエッタも、黙って視線を返す。
いつか。
彼が王権を取り戻した時、トリステインとアルビオンは一つの国となる。
二人にとって、それはどれほど遠くても、追う事が出来る夢なのだ。

「それに、アルビオンの事なら当分心配はいらんでしょう」
軽く咳払いをしたマザリーニは、苦笑しながら言う。
「例の化け物の噂で、タルブ周辺には盗賊が出没しなくなったと聞いております。怒りを買う事が、それほど恐ろしいのでしょう」
敵味方全てに噂は伝わっている。
尾鰭の付いた話は凄まじく、その恐怖は国外にまで広まっているらしい。
好んであの地に侵略を試みる者など、数十年はいないのではないだろうか。
「住民の方たちは? 逃げ出したりはしていませんか?」
心配そうなアンリエッタに、彼は楽しげに答える。
「そうならないように別の噂も流しましてね。あれは豊饒を約し、土地の者全てに祝福を与えると」
「なるほど。外敵には恐ろしいが、内には加護を与える、と」
ウェールズは感心したように頷いた。
「あれほどの化け物ですからね。その噂の説得力は相当高そうですねえ」
「全くです」
豪快に笑う二人に、少し引き攣った小さな笑い声が続いて――



「あのー、そろそろ勘弁して欲しいかなーって……」
やたらと暗い声が上がる。

三人が振り向くと、どんよりとした空気を纏ったリンディが、小さく挙手をしていた。
傍らでは。
顔を真っ赤にしたルイズが、恥ずかしそうに耳を塞いでいる。

「空賊さんも、そんなに化け物化け物って言わなくてもいいじゃないですか」
「そうは言うがね」
彼は明後日の方に視線を向ける。
「戦場に辿り着いてみれば、死屍累々の凄惨な戦跡が広がっていたんでね。話を聞いて幻滅したものさ」
船乗りの風上にも置けない人物だったと、憤りを感じたらしい。
「まあ、すぐに誤解は解けたんだがね」
「でしたら」
「だけど、従妹殿を恐怖に陥れたのは事実だから。彼女は数日魘されたそうだよ」
「ついでに申せば、あの化け物は力を使い果たして眠りについているそうです。こんな所にいるはずはありませんな」

「…………」
容赦無しである。
怯えさせられた意趣返しでもあるまいが。

再び落ち込んだリンディが、ようやく本題に戻れたのは――夜が白み始めた頃だった。


      ◆   ◆   ◆


数週間後。
学院の自室で、ロングビルはグラスの用意をしていた。

「いつもより?」
「……そうね。ちょっとだけ濃くしてくれる?」
机に軽い肴を並べたリンディは、少し思案した後に答える。
学院に戻ってから、夜は二人で飲むのが日課になっていた。
――もっとも、今夜が最後になる。

「明日は行かないからね。湿っぽいのは苦手でさ」
ちん、と軽くグラスを合わせると、ロングビルは呟いた。
明日の早朝、リンディとルイズ、それにシエスタの三人は、タルブに出立する予定になっている。
「護衛の話、断っちゃったの?」
「ああ。それにさ、下手に何かあったら頑張らなきゃいけないだろ?」
「何かあるかなあ」
「今や要人だからね、あの子は」
ロングビルは苦笑した。

あの日、ルイズが虚無の魔法を使ったという事を知っているのは、王宮の三人とリンディ、デルフだけである。
それだけなら全員が口を噤めば良い話だが、タルブでの目撃証言も有り、完全に隠蔽する事は不可能だった。
あの現場に、何故彼女がいたのか。何故あの化け物と共にいたのか。
そもそも彼女は誰なのか。
有力貴族の令嬢を見知っている者は、それなりに存在する。彼女が魔法学院生である事が知れ渡るのは、時間の問題だった。
当然、その使い魔の存在も。
一度知られてしまえば、ルイズは内外の注目の的となってしまう。
どんな危険が襲うか分からない。対策は必要だった。
虚無の使い手であるルイズの力を隠蔽し、しかもリンディの存在に興味を持った者が手を出さないようにする方法。
幸い、魔法自体はリンディが行使したと思われている。

「守護者に身を捧げた巫女ね。言い得て妙だわ。それなら手を出したくはないわよね」
自分自身の死に直結するだけではなく、国に被害が及ぶかもしれないのだ。軽々に試せる事ではない。
「化け物としてはどうなの?」
「仕方ないわよ。だけど、ルイズさんは学院から出られなくなっちゃったかな」
城やヴァリエール家の屋敷ならともかく、気軽に外出するのは難しいだろう。
「当分は無理だろうけど、世間なんて暫くすりゃ忘れちまうって。ちょっと変装でもすれば問題無いだろ」
「そう願います」
どちらにせよ、護衛は必ず付くだろうが。

「あなたは、これからどうするの?」
暫く酒を酌み交わした後、リンディが尋ねる。
「わたしかい? ……そうだね。もう少し実入りがないと厳しいんだよね」
色々と物入りでさ、とロングビルは笑った。
「気が向いたら、あっちの仕事もやろうかね。お目付役はいなくなるし」
「お給料、どれくらい足りないの?」
「今の倍はあると楽だねえ」
「ふうん」
悪戯っぽい顔で無茶な事を言う彼女に、リンディは爽やかに微笑んだ。
「それなら大丈夫。来月からは四倍になるから」
「……はあ?」
脈絡の無い事を言われ、眉を顰める。
どこの世界に、一月で給料が四倍になる事務職があるというのだ。
「そんな昇給があるわけが」
「だって、あなたは」
リンディは遮るように指を立てると、
「――来月からここの先生だもの」
澄ました顔で、そう告げた。


ロングビルの功績を王宮に伝えたのは、もちろんリンディ自身である。
その結果、女王直々の指示が内密に学院長へ下された。
有能なメイジを一秘書にしておくのは勿体ない。教師に推挙すると同時に、ルイズの護衛を兼ねる事を命ずる、と。
学内の護衛候補は幾人か上がっているが、その内の一人としては申し分ない。


「って、わたしは聞いてないよっ!?」
「学院長さんが、驚かせようと思ったんじゃないかしら。……でも良かったわね。副業はしなくて済みそうでしょ?」
「その代わり、本業が倍以上になったじゃないか!」
「まあ大変ー。お仕事、頑張ってね」
あんたのせいだろ! ――と怒鳴っても無駄なので、ロングビルは肩を落とした。
口では勝てっこないし、口以外は考えるだけで背筋が寒くなる。

それに。
「一応、礼は言っとくよ。都合はいいし、真っ当な仕事で生きていく決心はつきそうだ」
「いきなり、どうしたの?」
突然の殊勝な態度に、リンディは戸惑った。
「実はさ、知り合いに先住種族の子がいるんだよ。事情があって隠れ住んでるんだけど、やっぱり心配でさ」
出来れば学院に呼ぼうと思ってる、とロングビルは語った。
「教師って立場なら庇う事も出来るだろうしね。それにここなら、先住種族ってだけじゃ驚かれないだろ?」
少なくとも、学院全員の前でリンディが見せたようなものでなければ、脅威とは感じないだろう。
あれが与えた畏怖は、今でも見た者の心に染み付いている。

「そっか。それなら安心」
リンディはグラスを置いた。
「色々あったけど、あなたに会えて良かったわ。――ありがとう」
「……こうして酒を酌み交わせるようになるなんて、今でも信じられないけどさ」
代わりを作りながら、ロングビルは笑う。
「後の事は心配しなさんな。あの子や周りの連中も、上手くやっていくからさ」
「そうね」
屈託のない微笑みが、二人の顔に浮かんで。
最後の乾杯が響いた後――囁き声は、夜更けまで続いていた。






翌朝。
朝靄の残る学院の正門に、幾つかの人影があった。
「じゃあ、わたしたちは先に行ってるわね。名残惜しいけど、いつかまた会えたらってことで」
「さようなら」
キュルケはあっさりと手を振り、逆にタバサは神妙な顔付きで頭を下げた。
二人を乗せた風竜は、一声鳴くと勢い良く飛び立っていく。

彼女たちは、ルイズの護衛として一足先にタルブへ向かったのである。
他国の学生に任せるのは問題だが、ルイズ自身の指名だから仕方がない。大勢だと逆に目立つという事もある。
念の為、後からコルベールも向かう予定になっていた。
「リンディの瞬間移動で、みんな同時に行ければいいのにね」
「ごめんなさい。ここの環境だと少し不安で」
実際の所は――妖しげな転移魔法で跳ばされる事を、タバサの使い魔が激しく嫌がった結果なのだが。
「別に責めてないわよ」
申し訳なさそうなリンディに、ルイズはぱたぱたと手を振った。
「タバサの使い魔は大きいしね。あの二人に作った借りは、わたしが倍にして返すから気にしないで」
「あの、その言い方では、もっと気になりますよ?」
シエスタが苦笑する。


「お世話になりました」
「うむ」
深々と頭を下げたリンディに、オスマンを鷹揚に頷いた。
「帰った後の事は、何の心配もいらんぞ。ここに『トリステイン魔法学院』が存在する限りな」
「そうですね。――宜しくお願いします」
もう一度頭を下げようとした彼女は、思い付いたように指を立てた。
「なんじゃ?」
「白です。ここにいた間は、ずっと白でした」
それだけ言うと、軽い会釈を残して去っていく。
正門前では、待ちくたびれたルイズが急かしていたから。


「サービスいいのお」
転移魔法の光が輝く前で、オスマンは感慨深げに髭を撫でた。
「実に惜しいが、仕方あるまいて。ここにいても碌な事にならん」
ああいった存在は、相応しい場所に帰るべきだろう。
「でかい置き土産も残していったしの。さあて、これからどうしたものか」
彼は、正門より学院を見渡した。

白く染まった建物は、そこに眠る数多くの生徒たちと共に――主人の帰還を待ち侘びている。










テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

夏色四片 第35話 空色硯 sorairo-suzuri/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる