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zoom RSS 夏色四片 第26.1話

<<   作成日時 : 2007/10/03 00:37   >>

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彼女は満足そうだった。

既に動かない体。
夥しい血に塗れた口元には、穏やかな微笑みが浮かんでいる。
そして、その涼しげな眼差しが、自分には一度も向けられた事の無い光を湛えている。――そう、思えた。
愛娘と共に目指す奈落の果て。
戻り道の無い旅路。
それは死に瀕した彼女に、最後の喜びを与えるものだったのかもしれない。

(かあさん)
そっと心の中だけで呼び掛けた。
徐々に薄れゆく彼女。
常に厳しく、畏怖と共に見上げたその姿は、それでも鮮明な憧憬を心に植え付けている。
母親。
造り物である自分にとって、唯一全てだった人。
自分を棄て、拒絶し、最後まで道具としか見てくれなかった大魔導師。
人として冷酷だったからではない。
それは、娘を本当に愛していたから。娘の姿に似た人形を愛する事は、その感情を冒涜する事に繋がるから。
確かに歪んではいたが、その愛情は深く真摯な物だ。
それ故、恨みなど感じた事はない。

ただ、ひたすら残念に思うだけ。
何故自分は、あの人の為に――もう少し頑張れなかったのだろう。



崩壊しつつある空間。もう時間は無い。
差し伸べられた『友達』の手を取りながら、彼女はもう一度眼下を見下ろした。
彼方へと消え行く、一人の影を見据えようと――

(――――違う?)
唐突に感じた、小さな違和感。

彼女は眉を顰めた。
次元断層に堕ちて行くあの人の傍らには、姉が眠るカプセルがあったはずだ。
自分の元となった少女、アリシア・テスタロッサ。
その姿が無い。
(そんなはずは)
言い表せない不安が大きくなるのを感じて、もう一度意識を集中する。
あの人の長い髪が揺れている。自分の金色とは異なる黒い――いや、淡い緑の髪で。

そう、『緑』色の。

(――――!)
彼女は愕然とした。
何故今まで気付かなかったのか。微笑んでいるあの人は……!
(待って!)
必死に腕を振り払った。
自分を止めようとする声が幾つも追い掛けて来るが、耳には入らない。
「待って――お願い!」
奈落の底に堕ちながら、あらん限りの声で呼び掛ける。
心臓の音が割れそうなほど響く。眼下の光景が明確になると共に、それが自分の心を切り刻むから。

その人は、微笑んでいる。
もの凄い苦痛に苛まれているはずなのに。
見慣れた制服ではなく、いつも自分を優しく起こしてくれる時の普段着は――血で真っ赤に染まっていた。
何があったのかなんて分からない。
(でも、早くしないと)
次元断層では魔法が使えない事を理解していたが、それでも全力で足掻く。
距離が縮まったような気はする。でも、微々たるものだ。

追い付けない。

絶望と共に気付いてしまう。自分が辿り着く前に――全てが終わってしまう事を。
「やだ……嫌だよ……お願いだから……」
手を伸ばし、声を張り上げる。
涙で霞み始めた視界の中で――あの人は、微かに言葉を紡いだように見えた。

それが、自分への感謝の言葉だと気付いた時。
それを最後に、目の前から永遠に居なくなってしまったと理解した時。
四散してしまった彼女の前で。

フェイトは、全てを投げ出すように絶叫した。




虚空を掴んだ拳が、目の前で震えている。
じとりとした感触。
人形の様に身を起こした彼女は、滝の如く流れる汗を拭った。
袖口が張り付いて、腕が上げにくい。
まるで水でも被ったかと思われる程、全身が濡れている。――ベッドシーツの皺が、肌に感じられる位に。

盛大な悲鳴が、耳の奥に残っていた。

肺が完全に空っぽになっている事を、鈍い苦痛と共に自覚する。喉にも痺れるような痛み。
忙しなく息を吸いながら、暗い室内を見回した。
ぼんやりと周囲を照らすのは、窓から入り込んだ街灯の青い光。
学校に通っていた頃からそのままにしてある、自分の部屋。変わったのは、ベッドと壁に貼ってある写真の数だけ。
数ヶ月間放って置いたのに、塵一つ積もっていない。
いつ帰ってきても良いようにと、アルフがこまめに掃除してくれていたのだろう。

ふと、目の端に光が映った気がして、彼女は枕元に目を向けた。
金色のデバイスが一つ、月明かりを僅かに反射している。
「……バルディッシュ?」
囁くように声を掛けたが、愛機である『閃光の戦斧』は沈黙を保っていた。
(そっか)
その意図を理解して、フェイトは薄く微笑む。

あれほどの絶叫を上げたのに、隣室のエイミィが起きてくる気配は無い。
おそらく、バルディッシュが遮音してくれたのだ。
アルフは起こしてしまったかもしれないが、心配して声を掛けてくる様子も無かった。
無慈悲な沈黙と、冷酷な無関心。

――だからこそ彼女は、
「ありがとう」
と、素直な感謝を口にした。

二人とも、自分以上に自分の事を知っている。
今、優しい言葉や慰めを与えられたとしても、心を暖める事にはならない。ただ削り続ける為の刃。
それが自責という皮を被った逃避だと、理解はしている。

それでも。

フェイトはベッドから降りると、夜空に浮かんだ月を眺めた。
張り詰めた細い弓。
死神の鎌。

(――って言う地方もあるらしいけど、わたしはこういう月も好きかな)
柔らかな声が聞こえた気がして、彼女は両手で耳を塞いだ。

(映画で見たの? わたしは好きだけどな。フェイトさんに似合ってて、凄く格好良いと思うわよ?)
まだ姓が変わる前に、そう言って微笑んでくれた笑顔。

次の満月の夜。
(桃子さんに教えて貰ったの。お月見って言うんでしょ? フェイトと一緒に作ってみようかなって)
楽しそうに月見団子の材料を揃える、あの人の顔が浮かんで――

「かあさん……」
彼女は、耳を塞いだまま蹲った。色白な身体が、月光に蒼白く染まり震えている。
口から零れるのは、謝罪の言葉。
「ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさ……い」
ただひたすらに繰り返す。
結局、昔から自分は何も出来ない人間だった、という逃避にしかならない自虐。
友人たちに、そして自分自身でも否定してきたはずなのに、それに身を浸す事を嫌悪出来ない。
(……そんな資格があるわけないんだ)
自分には、多分涙を流す事も許されない。

絶対に失ってはいけない人を――為す術もなく、再び失ってしまったのだから。


      ◆   ◆   ◆


あまり良い夢とは言えなかった。

「だけど、正夢って気もするのよね」
眼を開けた姿勢のまま、リンディは溜息を吐いた。
ここ数日ベッドから出られない状態のせいか、どうにも眠りが浅い。
おかげで夢を良く見るのだが――何故か先程のようなモノばかり。
久々に家族に会えたと思ったら、息子が自分の墓参りをしている姿だとか、娘が絶望に喘いでいる姿とか。
全く、悪趣味もいいところである。

墓はともかく、フェイトの様子は酷く現実的で生々しかった。
「……落ち込んでないと良いんだけど」
自分でも説得力の無い事を口にする。
自慢になるが。
ハラオウン家の者は、自分以外一人残らず生真面目である。
クロノを筆頭に、とにかく全員。
明るい性格のエイミィも、実際は責任感が強く真面目で、気配りに長けた面倒見の良い性格をしている。
それだけに思考も深い。

そういう人たちが、内向きに考え始めると?

「うーん……」
少し怖い考えに陥りそうになったので、リンディは苦笑する事で誤魔化した。
昔と異なり、ハラオウン家の交友関係は随分と広がった。子供たちも良い友人に恵まれている。
一人で抱え込むような真似は許さないと、お節介を焼くタイプも多いのだ。
後は、それなりにフォローしてくれる友人も。
「レティなんて、平然と仕事してそう」
動揺の色すら見せず、日常業務を淡々とこなす様子が想像出来た。
人によっては冷たいと思うかもしれないが、動じない姿を頼もしく思う者も多いはず。

それに第一。
「こういう時こそ、長男に期待すべきよね」
最も信頼している者の姿を思い浮かべて、彼女は深々と頷いた。






クラウディアの出航予定は明後日である。
準備作業に追われる艦長は、本局の執務室に膨大な資料と共に籠もっていた。

急な来客に眉を顰めた彼が、入室を許可したのは昼過ぎの事だ。

書類から目を離さず、淡々と言い捨てる。
「暇なのか?」
「開口一番に何だよ」
「いや、事前調査を山の様に回したはずだったんだがな」
「の様に、じゃなくて、あれは山だ」
「そうだったか?」
彼は、意外そうな面持ちで肩を竦めた。
「前回の任務の資料作成も、多少不備があったな。休みでもないのに、こんな場所をふらふら出来る余裕があるなら――」

「クロノ」

「分かった。話を聞こう」
世にも冷たい視線に晒され、クロノは両手を挙げて降参した。
眼前の無限書庫司書長を本気で怒らせると、抱えている仕事が回らなくなる。それでは少々困るのだ。
「それで? お互い多忙な身だ。簡潔に願いたい」
「相変わらずだね」
司書長――ユーノは呆れたように首を振った。
この腐れ縁の悪友は、本音が極めて分かり難い。こういう時ぐらいは、顔に出しても良かろうに。
「たまーに、エイミィさんの気持ちが分かるよ」
「困らせてみたいってやつか。謀略に参加するつもりなら叩き出すが?」
「そんな暇は無いよ。それに、今のエイミィさんには」

「まあ、な」
クロノは、珍しく口籠もった。
妻が心配なのは事実だが、事は一人に留まらない。
二人の子供と義妹、それに幾人かの同僚についても、考えなければならない事がある。
先が見えているならば、それまで一緒にいてやりたいとも思うのだが――手掛かり一つ無い今の状況では。
「仕事は待ってくれないんでね」
「分かってる」
「明後日には出航だ。後のことは頼む」

「頼む、ね。もう少し、心の籠もった言い方を学んでよ」
苦笑いを浮かべたユーノは、封筒を一通差し出した。
「これは?」
「本題かな。レティ提督に呼び付けられて、配達をお願いされたんだ」
「それはまた、随分と婉曲なやり方だな」
多忙極める司書長を、伝言の為だけに振り回すはずもない。

レティ・ロウラン提督。
管理局で人事と運用を司る、彼の母に負けず劣らずの女傑。
彼女が動くのであれば、慎重な対処が必要となる。……酒癖以外も。


「内容は?」
「今度の航海で、何故かオーバーSランクの魔導師を同行させることになった」
「……ああ、なるほど」
二人は顔を見合わせた。
高位の魔導師も、有能な執務官も、あらゆる現場で引っ張りだこである。
今回のような長期、それも差し迫った危険の無い航海で、常時確保すべき人材ではないはずだ。
だが。
「使い物にならない、と言いたいんだろうな。もっともな話だ」
「随分な言い草だね」
「事実は事実さ。今のフェイトに、高度な任務は無理だろう」
心此処に有らずといった状態では、優秀な補佐官がいても限度がある。しかも、一人は事情があって謹慎中。
かと言って、自宅待機にさせておけるほど、人手が余っているわけでもない。
いや。
「逆に、任務に放り込んでしまえってこと?」
「そうだな。あの人は良く見ている」
休ませれば休ませる程、かえって逆効果になる場合もある。それを危惧したのだろう。

問題は、今度の航海に『多忙』を期待できない事だ。
悩む場所が、自宅から艦内の自室に変わるだけでは、あまり意味が無い。
とすると。


「まあ、そういう事さ」
クロノは空間モニターを呼び出した。
「そうだな……これは前倒しにしても構わないか。それと、この辺りについても――」
「ちょ、ちょっと待ってよ。まさか」
顔を引き攣らせるユーノ。
彼はようやく理解したのだ。自分が伝言役を頼まれた意味と、そこに何を期待されたのか。
嫌とは言わないが、これは幾ら何でも理不尽ではないか。

「よし。これだけ有れば、悩んでる暇など無いはずだな」
大量の案件を並べたクロノは、そのリストを、仕事熱心な無限書庫司書長に突き付けた。

「資料を揃えてくれ。繰り返し言うが、出航は明後日だ」










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