空色硯 sorairo-suzuri

アクセスカウンタ

zoom RSS 夏色四片 第34.1話

<<   作成日時 : 2007/10/03 00:39   >>

トラックバック 0 / コメント 0

大きめのリボンが風に揺れる。

ギンガは、静かに息を吐いた。
白いブラウスに紺のキュロットという、極めてラフな姿に緊張感は見えない。

利き腕を腰に添え、右腕を眼前に掲げた半身の体勢。いつもとはやや異なる構え。
素足に感じられる床板の冷たさ。耳に入る小鳥の鳴き声に、さわさわと響く床下からの話し声。
そして――前方より襲う岩のような闘志。
(でもまあ、いつも通り)
自分が緊張していない事を自覚する。心の中には波一つ立たず。
足の指一関節分、僅かに歩を進める。

板の間は二十畳程の広さ。
この価格帯のマンションには珍しい、やや広めのダイニングルーム。
バリアフリー設計の二部屋を開放する事で、こういった広い空間を作り出している。

階下から聞こえる声は、この部屋を借りた直後に入居してきた、若い夫婦の子供たちだろう。
横合いから混ざる意味不明な単語は、隣室の女性が飼うセキセイインコの発するもの。
部屋に差し込む陽の光は暖かく、流れ始めた風も爽やかで気持ち良い。

周囲の様子と音が、身体全体に伝わってくる。
雑念を生むわけではなく、前方に立つ『敵』すらも風景の一部として捉える感覚。



ふと、自分が間合いに達した事を理解する。

――と、同時に。
前方の偉丈夫が先に動いた。
ぎりぎりと握りられた右拳が、こちらの頭を砕こうと突き進む。
風を切る轟音は無い。
子供が走るよりも遅い、ゆっくりとした動き。
だが、激しく軋む筋肉が、膨大な量の空気を押しのける有様が伝わってくる。ちり、と肌を切り裂くような熱気。
まともに受ければ、シールドごと弾き飛ばされる。

腰を沈めながら、左拳にてそれを打ち上げる。ダメージを与える為の打撃防御。
今度は逆に、相手が身体を大きく捻った。
本来ならリボルバーナックルが装備されている拳だ。直撃は危険と判断したのだろう。
崩れた体勢の隙を逃さず、ギンガは左拳を引き戻す反動で右肘を撃ち出した。
狙いは相手の顎。

が、それは相手の左腕に流される。

そう判断したのは数瞬後の事だ。身体は思考に縛られない。
彼女は振り抜いた勢いを維持したまま半回転し、左肘で相手の脇腹を狙った。下方から心臓まで撃ち抜くように。
そして。

トン、と肘が相手の脇腹に触れた瞬間、
「駄目だな」
「ダメですね」
重々しい声と彼女の苦笑が同時に響き――その場の空気が拡散した。

途端に、汗が全身を湿らしていく。
こういった反応速度を落とした組手は、見掛けよりも遙かに精神を消耗する。急激に襲ってくる疲労感。
全力疾走後の様な充足した感覚に、二人は思わず笑みを浮かべていた。
朝の組手は、今ので最後である。



相手の延髄に当てていた肘を、ザフィーラは無造作に引き戻した。
「良くて相撃ちだな。回転軸をずらした反応は良かったが」
「それに対応して正確に肘を落とせる人も、少ないと思いたいんですけどね」
肩を落としたギンガは、窓の外に眼を向けた。
一つ建物を挟んだ先に、ハラオウン家のあるマンションが建っている。
現在、部屋にいる者はエイミィ・ハラオウンと二人の子供、そして使い魔のアルフ。
定例の念話を送ってみる。
『そちらはどうですか?』
『ちょうど朝御飯が終わったトコだ。もう少ししたら子供たちは寝ちゃうと思うぞ』
様子を聞いてみると、明るい口調が返ってきた。
外見同様の子供っぽい印象だが、本来の姿は、ザフィーラと同じく筋骨逞しい女傑である。
『エイミィさんの事も、宜しくお願いしますね』
『当たり前だよ。無理矢理にでも子供と一緒に眠らせるさ。――それと、ザフィーラ』
『なんだ』
『あんまりギンガに無理させんなー。そっちだって本調子の保証は無いんだからさ』
と、忠告じみた言葉を最後に、アルフの念話は打ち切られた。

「そうなのか?」
「大丈夫ですよ。父さんと、マリーさんにも許可を貰ってますし」
ぐ、と握り拳を見せた後、ギンガは軽やかに台所に向かう。
鼻歌を歌いながら昼食の下拵えを始める姿には、素朴とも言える淑やかさと、清涼な美しさがある。
内面に悩み事を抱えても、それを相手に感じさせない。
(そこが彼女の彼女たる所以だな)
後片付けを進めるザフィーラは、彼女の事を思い返す。

以前の事件の後遺症は、まだ完全には癒えていないはずだ。

孤立無援の中で同格以上の敵三人と戦闘になったギンガは、左腕をもがれた無惨な姿のまま、妹の眼前から拉致された。
瀕死の状態から、人体改造と精神制御という『治療』を施された挙げ句、最終決戦ではスバルと敵として相撃つ事となる。
結果は、敗北に因る正常意識の回復。
予想以上に成長していた妹のおかげで助かったが、一歩間違えば、身内を殺害するかされるかの結末を迎えていただろう。

そして、改造されていた部分の復元とリンカーコアの治療。
そのリハビリは長期に渡った。――――今に至るまで。



特殊な生い立ちに境遇、他にも様々な多くの障害に遭いながら、ギンガ・ナカジマという女性に陰は見えない。
母親を失い、どれだけ過酷な運命に翻弄されようと、曲がることなく真っ直ぐに立つ彼女。

楽しげに野菜を切っている姿を、ザフィーラは眩しい物を見るように眺めた。
「凄いな、お前は」
「はい?」
きょとん、とした表情が振り返る。
「あのリンディ提督が為す術も無かった相手だ。我ら三人、一人も欠ける事無くというのは難しいぞ」
「そうですよね」
たまねぎの皮を丁寧に剥きながら、ギンガは頷いた。

リンディ・ハラオウン提督。
管理局高官にして、伝説の三提督と並び称される『英雄』の一人だ。数々の武勇談も伝わっている。
彼女程の魔導師が遅れを取るとすれば、それは閉所での近接戦闘に他ならない。
AMFが併用された可能性もあるが、それならばガードシステムが警報を発していたはずだ。

「おそらく私たちを上回る技量。更には目標だけを確実に狙う冷静さ、ですか」

証拠をほとんど残さず、無防備に就寝していた他の家族に目もくれない。
以降、全く音沙汰が無いという事実からも、リンディ個人に深い恨みを持つ者の犯行と考えるのが妥当だろう。
高ランク魔導師に対処する方法と、明確な強い意志を所持した相手。
――正直な話、家族にまで手を出してくる可能性は極めて少なかった。

だが、完全に否定出来ない以上、身辺警護は欠かせない。
「ザフィーラさん、アルフさん、私の三人の内、誰か一人でも生き延びないと意味が無いんですよね?」
「そうだ。我等の為すべき事は警護のみに非ず。手掛かりを得る事も、重要な使命の一つだ」
特別捜査官として動いている主――八神はやてからも言われている事だ。
抱えている仕事の合間に、睡眠時間を削って机に向かう姿を思い出す。
憔悴しきった親友の為に、そして自分を庇護してくれた最大の恩人の為に、凄絶な眼差しで書類を捲る姿。
主だけではない。他の騎士たちも全力で動いている。

「もちろん、それは分かってるんですけど」
「どうした?」
「何て言うか、その。うーん……」
ギンガは小首を傾げた。
言われた内容の悲愴さに違和感を覚えた――わけではない。
(明らかに矛盾だらけなのよね。わざわざ家族が揃ってる日に狙うなんて)
クロノ提督やフェイト執務官に絶望を味わわせたいなら、もう一押しが有って然るべきだろうが。
それも、一切無い。
――などという事はギンガに限らず、捜査に関わった者なら誰でも一度は考える事である。
今更、矛盾点を洗い出しても仕方がないはず。

それでも。

(誘拐されて、殺されちゃったかもしれない、かあ)
何故か微妙に引っ掛かる。
本局勤めのリンディと顔を合わせる機会が多かった彼女にとって、どうにも想像出来ない光景なのだ。
別に、現実逃避をしているわけでもないのに。

「あの、怒らないでくださいね?」
輪切りにした玉ねぎをざるに放り込むと、ぬるま湯で軽く湯通しする。
「何となくですけど――あんまり心配しなくてもいいんじゃないかな、って気もしてるんです」
「……その根拠は何だ?」
眉を顰めたザフィーラは、陽の降り注ぐ窓に足を向けた。
眼下に広がる平和な街並み。
暖かな光景は心を穏やかにするが、周りも見えない楽観論者を生むほどの物ではないだろう。
「騎士カリムの様な、未来を予見出来る力でもあれば話は別だが」
「それは無いですけど」
菜箸を振り上げたギンガは、どこか楽団を指揮するような仕草で微笑みながら――

「あのリンディさんですから。何事も無かったかのように、ひょっこり帰ってくると思いますよ」
と、やっぱり怒られそうな事を口にした。


      ◆   ◆   ◆


戦後処理は続いている。

大量の捕虜、転じて志願兵の再編成と居住施設手配。鹵獲した艦船の分析と再艤装。際限なく広まる噂からの機密隔離。
他にもすべき事は数限りない。多忙を極める――という一言では到底足りず。
幾日も不眠不休で働く軍事関係者は、喜悦と悲鳴で壊れそうな雰囲気を振り撒いている。

では内政はと言うと。
被害が実質ゼロだった事もあり、平常時とさほど変わらない状態で推移している。
本来なら戦時下の税率上昇は避けられないが、今回は検討している段階で終戦となった為、あっさりと見送られた。
物価の上昇は微々たるものである。流通網への影響もほとんど無い。
アルビオンという、直接国境を接していない国が交戦相手だったという事実が、混乱を最小限に止めていた。
結果として、市民生活は平穏そのものである。

無論、兎にも角にも外敵を撃ち破ったトリステイン軍と、陣頭に立った王女の人気は極めて高くなっている。
そして、新女王即位を控えたアンリエッタは多忙を極め、些細な事を把握する余裕など無かった。
その補佐――というよりも、実質大部分の政務を引き受けたマザリーニ枢機卿も同様で。
定例業務として発せられる名目だけの勅旨など、視界を素通りする有様であったのだろう。

まあ要するに。
妙な噂が目立つトリステイン魔法学院に、いつもの如く勅使が視察に出向いた事など――誰も把握していなかったのだ。





「なにかしら?」
洗濯物を運んでいたリンディは、やたらと豪奢な馬車に目を留めた。

以前のようなバリアジャケットだと目立つので、今はシエスタと同じ下働きの服装である。
ここ数日は、この姿で堂々と下働き作業を手伝っていた。
戦後処理をある程度見届けてから帰還する予定だが、それまではいつも通りの生活をすると決めたからだ。
確かに、例の噂を聞いた生徒の視線は結構痛かったりする。
さり気ない風を装い、質問してくる者も少なくない。
観察対象として多少の緊張は強いられるのは、まあ予測の範囲内。

もっとも、噂は馬鹿馬鹿しい程の尾鰭が付いた結果、かえって信憑性が伝わりにくい内容になっていた。
あと一週間程ならば、何とか誤魔化せるだろう。

(だから、自分から関わるのは良くないんだろうけど)
こういう場合は話が別だ。
荷物を水場に置くと、軽くスカートを持ち上げて走り出す。
目に映るのは――馬車の側で偉そうな男たちに囲まれ、車内の貴族から声を掛けられ困っている女の子。
しかも、それが自分の孫娘なら、尚更ではないか。


「どうなさいました?」
「何だ、お前は」
リンディが声を掛けると、男が一人、鋭い視線を向けてきた。
いかにも護衛といった風情だ。鎧姿は立派なもので、それだけで仕える貴族の家格が伝わってくる。
「わたしは、その子の同僚です」
「リンディさん……」
泣きそうな顔のシエスタに近付く。
視線が集まる中、リンディは彼女を後ろに庇うようにして立ち、周囲に視線を走らせた。

護衛は四人。それなりに場数を踏んだ者。
立派な馬車の中には、平凡な顔立ちの中年貴族が一人、こちらを舐め回すような視線で眺めている。

「何か、この子が粗相を?」
「お前には関係なかろう。今、伯爵様がその者と話をしているところだ。余計な口を」
「ああ、待て待て」
鷹揚に護衛の者を制した貴族が、すうと目を細めた。

「私はジュール・ド・モット伯爵である。波濤のモットとも呼ばれているがね。お前の名は?」
「リンディと申します。伯爵様」
にっこりと会釈すると、彼は思案気に首を傾げた。
「以前、学院に来た時には見掛けなかったな。そこのシエスタよりも後に入ったのかね」
「いいえ。学院外に使いで出向く事も多いので、その時は不在にしていたのでしょう」
「なるほどな」
モットは深々と頷いた。


(これほどの者に、今まで気付かなんだとは)
彼は、眼前の女に目を奪われている自分に気付いている。
弛みそうになる口元を引き締め、威厳を保つ事に全力を傾けた。
改めて値踏みする。
美麗な顔立ちに流れるような髪。服の上からでも分かるスタイルの良さ。柔和な印象から、平民には珍しい気品が感じられる。
歳はやや上――学院長の秘書と同じ位か。

自分が王宮勤めである事、そして栄誉有る勅使として各地に出向いている事を説明すると、女は驚いた表情を浮かべた。
不思議そうな、何故かどことなく妙な反応が気になったが、些細な事だろう。
どちらにせよ、こちらの権威と家柄は充分に伝わったようだ。

「リンディとやら、身寄りはあるのかね?」
「はい? えっと、そうですね。故郷に子供がおりますが、それが何か?」
戸惑いながらも、リンディは柔らかく応える。
先程から、こっそり袖を引いてくるシエスタの様子は気になるが。
(とにかく、穏便にいかないとね)


「結婚しているのか。……ううむ」
苦悩するように腕を組むモット。
「それは、一体どういう意味でしょう?」
「ん? ああ、シエスタの実家は大家族と聞いてな。ならば私の屋敷で働いた方が良かろうと、勧めておったのだ」
稼ぎが少なくて困っているようだしな、と彼は労るように言う。
「いえ、わたしは別に――」
慌てて異議を唱えようとしたシエスタは、護衛の強い視線を受けて口を噤んだ。
「私の所で働けば、稼ぎは比べ物にならんぞ。それに、単なる下働きとして雇うわけでもないしな」
「はあ」
リンディは、ほんの微かに眉を顰めた。
「それは、つまり」
「言うまでもなかろう。一平民には想像も出来ぬ程の贅沢もさせてやるつもりだ。良い話だとは思わんか?」

つまり――妾にならないかと言っているわけだ。

(シエスタさんは可愛いものね)
一瞬、途方に暮れたように空を見上げた後、リンディはゆっくりと振り向いた。
何とも言えない表情のシエスタと、視線を合わせる。
(ど、どうしましょう?)
(困ったわね。……王女様か、マザリーニさんに連絡した方が良いのかしら)
あまり大事にしたくはないのだが。

堂々と断る選択肢は無さそうだ。
この手の男は、女に断られるとかなりしつこいのだ。シエスタの実家に手を回す事すらやりかねない。
そこで気付く。
(そっか、実家があったわね)
大きなマイナス点を一つ思い出した。縁起の悪そうな話があるではないか。



「あの、大変申し上げにくいのですが――この子とわたしの実家は、先頃噂になったタルブです」
「――――!」
聞いた途端、護衛の者たちがざわついた。
未知の先住種族が棲まう村。住民は全てその庇護の元にあると言う。
それは噂でも何でもなく、明白な事実として国内全域に伝わっている。――主に恐怖として。

の、はずだったのだが。

「それがどうかしたのかね?」
「……あれ?」
全く意に介した様子も無く、彼は続ける。
「多少の噂は耳にしたが、なに、戦場の話など大袈裟に伝わるものだ。そんなもの、私は気にせんよ」
「でも、王宮で噂になっていると」
「知らんな」
モットはあっさりと首を振った。
今回の戦に参加しなかった彼は、城内で多忙を極める他の貴族と、会話する機会がほとんど無かったのだ。
ついでに言うと、家柄の割には貴婦人方との会話も少ない。――普段の所行のせいで。

と言う事で、モットは最近の噂に極めて疎かった。
護衛の者が耳元で囁くと、彼は多少顔を顰めたものの、慈悲深い笑みを見せる。

「そうか、タルブ出身の者は苦労しているのだな。そういう事なら――リンディ、お前も来るがよい」
諦めかけた女を得る建前に気付き、彼は意気込んで提案する。
「ですが、わたしには子供が」
「夫と子供の生活は保障しよう。場合によっては離縁しても構わんだろう。その方が幸せになれるかも知れんぞ?」
完全に本気の眼差しだ。一歩も譲る気配無し。
意を汲んだ護衛の男たちが、手続き書類やらの準備を始めていて。

まあとにかく。



(――――うわぁ)
リンディの頭に浮かんだのは、その一言だけだった。










テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

夏色四片 第34.1話 空色硯 sorairo-suzuri/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる