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zoom RSS 夏色四片 第34.3話

<<   作成日時 : 2007/10/03 00:41   >>

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「さ、どうぞ」
「おお、すまんな」
グラスに注がれた酒を、モットは舌の上で転がした。
いつもより甘みの深い味わい。
(大した値ではないはずだが……酌をする相手によって、こうも違うものか)
広い書斎で満足そうに頷きながら、彼は傍らに座る女性に目をやった。

ソファの横で、細い指先がデキャンタを片付けている。

何気なく触れようと手を伸ばすと――寸前に立ち上がった彼女から、悪戯っぽい笑みが降りてきた。
「お仕事はもう少しでございましょう? まだ酔うには早うございます」
「む、そうか」
一瞬、宙に残された手を所在なげに彷徨わせたが、思い直すようにグラスを一気に呷った。
新入りのメイドに焦っているように見られては、伯爵としての名が廃る。

それに、今宵の相手は年下の方と決めたばかりだ。
「暗くなってきたな。灯を増やしてくれ」
「かしこまりました」
会釈をした影が、並んだ燭台の側を軽やかに通り過ぎる。次々と灯される新たな光。

それを受けた緑の美しい髪が、新しい服と違和感なく流れた。
この屋敷専用のメイド服。
トリステイン魔法学院の物とは異なり、袖とスカートは短めで、胸元を広く開けた少々大胆な物。
色も黒ではなく赤主体。活動的な印象を意図した物と言えなくもない。
もっとも、年配のメイド長はもう少し落ち着いた仕立てとなっているから、意図が異なるのは明白だが。


ペンを走らせる音が響く。
「どうだ、もう仕事には慣れたかな?」
「はい」
退出しようとしていたそのメイドは、盆を抱えたまま振り返った。
「お掃除が大変かと思いましたが、人数もいらっしゃるので」
「ここは新規雇いが多いのでな」
その代わり、短期で辞める者も少なくない。
見目良い平民を集めてはいるが、それらは必ずしも長期雇用を意味しないからだ。
広いとは言っても、屋敷の物理的許容量には限度がある。
もちろん、財政的にもだが。

ほとんどの者は、彼に幾度か伽を申し付けられた後、一定の手当を与えられて職を辞すのである。
長期残っている者は、彼に余程気に入られたか――自ら望んで居着いた者に限られた。

「とは言え、お前のように機転が利きそうな者は少ないからな」
モットは深々と頷く。
「読み書きをもう少し覚えてくれれば、いずれはメイド長として、屋敷内を取り仕切って貰う事になるだろう」
「それは光栄です」
微笑んだ彼女は、書斎の壁に並んだ物を眺めた。
中身がぎっしり詰まった立派な本棚。

「読みたいのか?」
その視線に気付き、彼は自慢げな笑みを浮かべた。
「本は良い。私は書物のコレクションをしておる。これらは知恵の象徴、高尚な貴族しか持ち得ぬ趣味だ」
腰を上げ、側の本棚に歩み寄る。
「魔法学院の図書館とは比べようもないが――それでも我が蔵書は、それなりに知られておるのだよ」
「全て、お読みになられたのですか?」
「無論だ」
彼は間髪を入れず頷いた。
「ただ買い漁って並べるだけでは、真のコレクターとは言えんではないか」
「失礼致しました」
彼女は感嘆したように頭を下げると、それでは、と部屋を退出した。




「……ええっと」
扉を閉めたリンディは、お盆を抱き締めるように腕を組んだ後――難しい顔で首を傾げた。
左右を眺める。
埃の落ちていない通路は、多過ぎる程のメイドによって、毎日掃除されている証拠。
窓の外には数人の衛兵と、名前も知らない獣。
警備に怠けた様子は見えないから、この屋敷の規律はそこそこ行き届いている事が分かる。
つまり。

(普通の人だわ)
呆然と天井を見上げた。

ジュール・ド・モット伯爵。
上級貴族にして、王宮勅使を担う男。
水系統のトライアングルメイジ。才能だけでは身に付かないだろうから、学ぶ努力は出来るという事。
もちろん、貴族としての傲慢さは持っているが、別に平民蔑視を積極的に表す人間でもない。
見事な噴水のある広大な敷地の屋敷には、目立っておかしな点は見受けられず。
家人や使用人にも、大きな揉め事を抱えている様子は無い。
趣味は書物の収集。
コレクターとして名を知られるからには、見栄や体面の為だけとも思えない。

大きな欠点は――女遊び。

(それだけなのよね。もう少し困った人かと思ったら、そうでも無さそうだし)
考えてみれば、当たり前かもしれない。
領主としての評判は知らないが、目立つような素行の悪さが有れば、王宮で噂になる。
その場合、アンリエッタはともかく、あのマザリーニ枢機卿が勅使に据えておくはずがない。
王室の権威に関わるからだ。

「どちらにしても、そろそろ夕食時ね」
その後、シエスタには湯浴みが申し付けられている。あまり時間は無い。
厨房に向かって歩きながら、リンディは唸った。
「女の敵、って言うには少し弱いし……この国の規準で考えたら、彼に落ち度は無いもの」
下層階級である平民の女に手を出すなど、後ろ指を指される様な事でもないのだろう。
精々、女好きと言われる程度か。
(領主様に話しても、無駄だろうしね)
シエスタの出身地であるタルブの領主――アストン伯――に話を通したとしても、この程度の事では動いてくれないはず。
領民を『強奪』されたわけではないのだから。

確かに、平民には貴族に逆らう権利が実質存在しない。
つまりシエスタには選択権が無いという事だ。意に添わぬ事を押し付けられる事実は変わらない。
だが、それはこの国の身分制度から生じた弊害であって、モット個人に帰する問題ではないのである。

そして管理局魔導師は、現地の社会制度には不介入が原則。
彼が悪逆非道な領主か、人を玩具のように扱う非道、或いは人格的な破綻者であれば保護の名目で介入出来る。
が、そうでない以上、本来はシエスタを見捨てなければならないのだが――そんなつもりも毛頭無い。

(やっぱり、初期プランで行くしかないかしら)
リンディは、思考を纏める為に足を止めた。

最初は、結界を使って彼を孤立させ、魔法の遠隔操作で起こした数々の怪しげな現象の中に、問答無用で放り込むつもりだったのだ。
完全な静寂が漂う屋敷に、徐々に女性の啜り泣きや呻き声が響き、見えない影が一挙手一投足を阻害する。
逃げ出そうにも、見えない壁が取り囲んでいて脱出出来ない。
そんな中で、彼は自分が如何に女性の恨みを買っていたかを知る。――激しい後悔と絶望に包まれて。

と、まあ要するに、ホラー映画の真似事である。
女性恐怖症になるまで徹底的に、などと思っていたのだが。
そこまでするのは、ちょっと。

「……ほどほどにしておかないと、可哀想だものね」
彼女は、多少の罪悪感を込めて呟いた。


      ◆   ◆   ◆


屋敷までの街道は、綺麗に整備されている。
夜とはいえ、月明かりは充分だ。これならほぼ全速で飛ばせるだろう。
(だけどねえ)
先頭に立って馬を駆りながら、ロングビルは釈然としない気分を持て余していた。
何だって、自分がこんな事を付き合わされているのか。

「あのさあ、向こうに行って何をするつもりなわけ?」
「え?」
「あいつが何を考えてるか分からないけど、手伝うつもりじゃないんだろ?」
「当たり前じゃない」
馬に鞭を入れ、ルイズは彼女の横に並んだ。
「手伝うどころか、助けるつもりも無いわよ。どうせ必要ないんだから」
「だったら別にいいじゃないさ」
彼女は、駄目元で聞いてみた。
「学院でのんびり待ってるって手は無いのかい?」

「――たまに、あんた達は全員、忘れてるんじゃないかと思うんだけど」
ルイズは座った眼で睨み付けた。
「あれはね、わたしの使い魔なの! なのに主人の知らない所で、勝手な事していいわけないでしょ!」
「そりゃごもっとも」
ほらやっぱり駄目だったと諦めると、ロングビルは僅かに顔を引き締めた。

この剣幕だと、モット伯の屋敷でどんなトラブルに巻き込まれるか分からない。
(分別の有る子だから、大した問題は起きないと思うけど)
しかしリスクはリスクだ。付き合う義理は無い。

それでも、何故か帰る気にはなれなかった。

色々な意味で、ルイズという存在から目を離せないのだ。
併走する少女の気迫と熱意は実に面白い。無鉄砲で気性も激しいが、気高さと冷静な判断力も持ち合わせている。
それに、最近は凛々しさも伴う様になってきて――先行きが極めて楽しみだと言えた。

(何だか、もう一人妹分が出来た気分だよ)
馬を更に加速させながら、彼女はつい苦笑した。




「あー、如何にもって感じだわ」
木に手綱を縛り付けてたロングビルが、夜陰に浮かぶ光景をそう評した。
モット伯の屋敷は、さすが伯爵家と言える広大な敷地を誇っており、正門からは大きな噴水が見て取れる。
「でも、あんたの家の方が凄いんだろ?」
「そうね」
ルイズはあっさりと頷いた。
王家に連なるヴァリエール公爵家と比べるのは、幾ら何でも無理がある。

「それで、どうすんのさ」
「正面から堂々と――って思ったんだけど」
さほど高くない塀を見上げて、ルイズは腕を組んだ。
正門を含む各門には煌々と篝火が焚かれ、警備の者が常駐している。
「取り次ぎをお願いしても、時間が掛かりそうなのよね。それに」
「それに?」
「どう説明したらいいのか分かんない」
「あー……」
苦笑すると、ロングビルは頭を掻いた。
「そりゃ、わたしにも無理だわ。そう言う事なら仕方ないか」
と、ルイズの腕を取った。
「? なによ?」
「本業だよ。地面の下から行くのと、空から行くの、どっちがいい? お薦めは地下からだけど」
土のトライアングルである盗賊フーケ、十八番の侵入方法。
が、
「それも時間が掛かりそうね」
ついでに泥だらけになりそうだ。
ルイズは自分の学生服を見回した。あまり狭い場所向きの服装でもない。

「空からにしましょ」
「だろうね」
答えが予想通りだったせいか、あっさり肩を竦めるロングビル。
ルイズを背負った彼女は、浮遊魔法を唱えた。とにかく高度を取らねばならない。
夜空をゆっくりと進みながら、背後に囁く。
「何かが飛び回ってるって様子は無いけど、こういう屋敷は何が出てくるか分からないからね」

竜だのガーゴイルだの雇われメイジだの。
他にも――

「例えば?」
「……あんな番犬とかね」
舌打ちすると、彼女は杖を振り上げた。
翼を生やした犬らしき影が数頭、舞い上がってくるのが見えたのだ。


      ◆   ◆   ◆


夕食は豪華だった。
貴族と同等とはいかないが――それでも充分な質で、女性の健康に留意した献立。
何故か、と言うか当然と言うべきか。
大勢のメイドの中でもリンディは平然としていたので、シエスタも落ち着いて食事する事が出来た。


「いいのかなあ」
ぽつりと呟く。
今はメイド長に言われて、湯浴みを堪能している。
肩まで深々と湯に浸かった。サウナと異なり、贅沢に使用された湯に全身を浸すなど、まず味わえない経験だ。
当主が水系統のメイジだからか、表の噴水と同様、豊富な湯量である。

「リンディさん、どうするつもりなんだろう」
ややのぼせ気味になった頭で、シエスタは考える。
彼女がリンディに寄せる信頼は絶大だ。それ故、自分自身に対する不安は一切無いのだが、予想出来ないのは困る。
「何かわたしに出来る事、ないかなあ」
両手で湯をすくった。
水面に映る困り果てた顔。
自分を助けようとしてくれる事は、素直に嬉しい。
楽しそうだったから、遠慮しない方が良いのも分かっている。頼った方が喜んでくれるという事も。
だけど、それでも。
「恩返し、したいな」
言っても詮無き事と分かっている言葉を、口に出さずにはいられなかった。



と――
「シエスタさん」
「は、はい!」
いつの間に来ていたのか、浴場の階段からメイド長の声が掛かる。
いよいよ時間という事か。

「伯爵が寝室でお待ち――――」
唐突に、台詞がぶつりと断ち切られた。

「あの?」
不審に思いながら視線を向けると、そこには誰もいなかった。
急いで歩き去ったとは思えない。しかし階段は無音。耳に聞こえるのは湯の流れる音だけ。
「これは」
異常な事態に、一瞬背筋が寒くなったが――すぐに思い返した。
何が起きているかなんて理解は出来ない。しかし、何が起きつつあるのかという事は分かる。
湯から上がると、手早く体を拭いて更衣場に駆け込んだ。
指示されていた夜着も置いてあったが、少し迷った後に先程の服を手に取った。動きやすい方が良さそうだ。
「と、とにかく捜した方がいいのかな」
それとも、ここでじっとしていた方が良いのか。
幾度か躊躇ったものの。

結局、シエスタは階段を駆け上がっていった。


      ◆   ◆   ◆


(計画、変更ー)
がっくりと肩を落としたリンディは、激しく痛む頭を抱えようとして――
「どうかしたのか?」
「いえ」
不審そうな視線を向けられ、慌てて顔を上げた。
今は、寝室に向かうモットに付き従っている最中である。

「そういえば、伯爵様はタルブの村の話を、ご存じなかった様ですね」
部屋に入り、彼女はベッドシーツの最終確認を行う。
「いや、聞いてはいたぞ。何でも先の戦争中、妙な先住種族が現れて大変だったという事だが」
「大変……ですか?」
「そうだ。詳しい事は知らぬがな」
部屋の端のソファに座ると、彼は動き回るリンディの姿を目で追った。
今夜もそれなりだろうが、明日は更に楽しめるだろう。

「大変、どころでは済まなかったんですよ」
壁際の灯火を確認。短くなっていた蝋燭を取り替える。

使用中の探査魔法からは。
中庭に降り立ったルイズたちが、獣相手に魔法で反撃している様子が伝わってくる。
警備の者が徐々に集まり始めているものの、ほとんどが平民なので大した脅威にはならず。
ついでに、ルイズの背中ではデルフが怒鳴っているので、相手にメイジがいたとしても防御は堅い。

風呂場のシエスタは問題無し。

「たった一人で、アルビオンの軍隊を滅ぼしちゃったんですから」
「そんな馬鹿な話があるか。どうせ噂の元は捕虜共だ。負けた理由を他に転嫁したいだけではないか?」
苦笑いを浮かべると、モットは手元のグラスに手をやった。
「本当の事です」
気付いたリンディが素早く近寄る。
「そして、タルブの住人に手を出すと、怒ったその人が相手を滅ぼしに来るとか」
「手を出すとは?」
酌をされながら、彼はにやりと笑った。視線でベッドを指し示す。
「こういう事は、それには含まれないのかね」

「そうですねえ」
彼女は、にっこりと微笑んだ。
些か意味合いは違うのだろうが、最近聞いた言葉を引用する。
「お子さんが欲しいという事であれば、宜しいのですが。産めよ増やせよ大地に満ちよとも言いますし」
「道楽は許されぬと?」
「はい。第一、貴族と平民の結婚は許されないのでしょう?」
「少なくとも、我が国ではそうあるべきだな」
ゲルマニアではどうかは知らんが、と顔を歪める。



ふと、彼は我慢出来なくなっている事を自覚した。

酌をしていた女の腕を取る。
「伯爵様?」
「やはり今宵はお前にしよう。シエスタには、明日と伝えてもらおうか」
「それは――」
相手の意志はともかく、女性にとって実に失礼な言い様である。
リンディは眼を細めた。
「その様な申されようは、あまり体裁が良いとは思えません」
右手首を掴む相手の腕に、そっと左手を重ねた。

探査魔法に映る光景が、潮時を告げている。
ルイズたちは屋敷の壁を背に、杖を振り上げていた。そして、注進の為にこの部屋に駆けてくる衛兵の姿も。

「気に障ったのか? ならば追々詫びるとしよう」
相手を引き寄せようと力を込めた瞬間。



『――離せ』

「な……!?」
凍て付いた声に、彼は大きく眼を見開いた。
更には激痛で顔を歪める。
女に触れていた腕が、いつの間にか解かれた上に――握り潰されそうになっているのだ。
「き、貴様!」
必死に振り解くと、慌てて相手から距離を置いた。
杖を掴んで身構える。

『女』の様子が、明らかにおかしい。
先程とは全く異なる冷たい表情。刃物のような眼差しが、こちらを蔑む様に眺めている。
(まるで別人ではないか)
嫌な予感に苛まれながらも、彼は怒鳴るように問い掛けた。
「どういうつもりだ。貴族に平民が逆らうとでも言うのか」
『平民?』
相手――リンディは、にたりと笑った。

『我が民に貴族も平民もない。我が地で等しく生を営む者であればな』

彼女の身体が淡く光った。
足下には、見た事もない魔法陣が煌々と輝いている。
『人の体を借りては大した事も出来ぬが、礼儀を弁えぬ者が相手とあれば、それも充分よの』
「人の……体だと」
モットは乾いた唾を飲み込んだ。
杖を持ったまま、じりじりと扉の側に下がる。
彼とて優秀なメイジである。目の前の存在が放つ、膨大な魔力が充分に理解出来た。

あれは、寸前まで自分と話していた平民の女とは、断じて違う。
――そして脳裏に浮かぶのは、女自身から聞いた話。
「まさか……まさか貴様は」
自分の声の震えに合わせるかの様に、女――いや、先住種族の憑代はクスクス笑うと。

『我は忠告したぞ、愚か者!』
発せられた膨大な光と共に。
部屋一杯に広がった輝く羽を、モットは呆然と見上げていた。










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