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zoom RSS 藤桜 ― 春 ― 第一話

<<   作成日時 : 2008/03/31 01:00   >>

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「困ったなあ……」
緊張感の無い声で呟いてみた。もちろん、あまり意味は無いけれど。

呆けっと見上げても、空はどこでも同じである。
雲一つ無い晴天。
自分の位置を掴む対象とするには――些か無理があるだろう。

見知らぬ場所で現在地不明。
地名も知らないし、そもそも現地の地図が読めないから対処不可。
公的機関に頼れない上に、連絡手段も皆無。念話すら『現時点では』使えないので為す術がない。

実に迷子らしい迷子である。

もっとも、彼女自身はさほど心配はしていなかった。
体質上、数日程度なら不眠不休飲まず食わずでも耐えられる。
(第一、お金も無いし)
白のブラウスに紺のキュロット。
いつも通りの普段着だが、生憎ポケットには何一つ入ってない。
近くの果物が並んだ店舗を眺めてから、振り切るように視線を外した。……厳しいのは空腹時のひもじさだけだ。

周囲を改めて見渡してみる。
(結構な街並ね。フェイトさんの家からは、かなり離れた場所なのかも)
確か、海鳴市は海と山に挟まれた中堅都市のはず。
ここも地形的には似たようなものかもしれないが、規模が根本的に異なる。
遠景としては、相当な高さの摩天楼が延々と続いている。殺風景と言えるだろう。
だが、周りは意外なほど緑が多い。

それに。
「凄く綺麗。これ、何ていう花だろう」
ギンガは眩しそうに見上げながら、のんびりと歩を進めていく。
都会だとは思うのに、何故かそこかしこに大きな枝を広げた木々が並んでいるのである。
それ等は全て、鮮やかな色に染まっている。
ふわりと落ちてきた一枚を、何気なく手に取った。

――と、
「!」
ざあ、と風が流れる。
舞い散る花弁が、まるで吹雪のように渦を巻いたり――粉雪のように静かに降り積もったり。
思わず息を飲んだ。
絶景、と叫びたくなったが、そんな一言ではとても表現しきれない気がする。
少しだけ迷った彼女は、止めていた息をゆっくりと吐いた。
背伸びをするように大きく手を広げる。大気に自らを溶け込ませるかの様に。

そして。

結局、一言も口にする事無く。
ギンガは踊るような歩調で、公園を抜けていった。


      ◆   ◆   ◆


「え?」
ベッドで目を覚ました時、彼女は周囲の状況にたじろいだ。
様々な感情を乗せた視線が数人分、矢の様に突き刺さってくる。
「父さん……それにスバルまで」
口をへの字に結んだゲンヤと、大粒の涙を溜めた私服姿のスバル。
慌てて身を起こそうとして――身体が医療器具に拘束されている事に気付く。
足下にシリンダー状の物が設置されているのが見えた。現在は解放されているが、つい先程まで自分を覆っていたのだろう。
とすると、ここは集中治療室に準じた設備――と言うよりも、定期検診用の物を改良した医療ポッドらしい。
ただし、極めて特殊な体質の者専用の。
混乱し掛けた頭の整理を後回しにして、もう一度努力してみる。

動かせるのは首から上だけ?

「あれ?」
「あれ、じゃないですよ!」
いきなり怒鳴られた。
振り仰ぐと、顔を怒りで真っ赤にしたマリエル技官の姿が眼に映る。
いや。
怒りだけではない。大粒の涙を流しながら、精一杯の気迫を込めて睨み付けてくる。
(えっと……)
それきり何も言ってくれないものだから、困ったように首を回した。
部屋の中にいるのは、家族の二人とマリエル、それに――
「フェイトさん?」
思いも掛けない人物を見つけて、目を丸くする。
「あの」
「――無茶はしないって約束、守らなかったんだ」
問い掛けは、彼女の強い口調で制された。
「まだ完調じゃないって分かってたはずだよ? 自分でもそう言ってたのに、何であんな事をしたの?」
「あんな……事?」
「ナカジマ三佐が気付いてくれたから良かったけど、もし間に合わなかったら、どうなってたと思う?」

「…………」
ギンガは口籠もった。
暫く上を眺める。衛生的で汚れ一つ無い白い天井。窓は無いが、自然光に模した柔らかい光が満ちた室内。
(うーん)
無性に頭を掻きたくなったが、残念ながら不可能だ。
さて。
恐る恐る視線を向け直すが、フェイトは厳しい姿勢を崩していない。
それなりに長い付き合いだから分かる。彼女の怒りは相当なものだ。
理不尽な怒り方など一切しない人だから、まず間違いなく自分が悪い。
とにかく謝るべきだとは思う。
が。
「あのう」
「なに?」
細められた視線に曝されながら、ギンガは縮こまるようにして白状する。

「私、こうなってる原因、全く覚えていないんですけど」

「――――――」
応じた沈黙は、ひたすら長く。

我慢出来なくなったスバルに抱き付かれて、彼女が盛大な悲鳴を上げた時に。
ようやくフェイトは、大きな溜息を吐いて肩を落とした。


      ◆   ◆   ◆


住宅街を抜けた直後。

「わぁ」
ギンガは子供のように微笑んだ。
今までとは比べ物にならない程、その木が並んでいたからである。

広大な敷地に沿って、華やかな光景が続く。
内部は白亜の建物を中心に、大小様々な施設が見える。研究設備らしき棟に講堂、それから――
「あっちは学生さんかな?」
厳めしい文字が彫られた門柱の影から、敷地内を覗き込んだ。
少し離れた場所で、古風な制服を着た女子が数名、スポーツ用具を持って歩いている。

おそらく、上級教育機関と、それに付随した併設校なのだろう。
一般人らしき影も見受けられるので、思い切って入ってみる。
門には数字らしき表示もあったから、昼の間は近隣住民の通路として利用されているのかもしれない。

大きく息を吸ってみて、
「うん」
彼女は、満足そうに頷いた。
思った通り、空気が違う。
風が運ぶ木立のざわめきと、淡い香りの積み重ね。

(確かフェイトさん達も、こんな感じの学校に通ってたって言ってたっけ)
実際に見た事は無いが、話は何度も聞いている。
私立聖祥大学。
付属校として小学校から高等学校まで有り、エスカレーター式に進学して学業を行える所だそうだ。
受験は無いから気楽そうに思える。が、カリキュラムがシビアなので油断は出来ず、レベルはかなり高いとの事。
在籍し続けるには、それなりの財力と学力が必要らしい。

まあ、それはともかく。

「……どうしようかな」
ギンガはそれを見上げながら呟いた。
この周辺も見事なのだが――どちらかと言うと、併設校の方が荘厳なのである。
門から校舎まで、隙間無く続く木々のアーチ。
くぐり抜けてみたい欲求に駆られてしまう。
しかし。
敷地に明確な境界は無いのだが、果たして入って良いものかどうか。不審者に間違われるのは困るし。
うーん、と小首を傾げた瞬間。

誰かが、隣を無造作に通り過ぎた。

「え?」
一瞬、呆気に取られた。
その人は、堂々と敷地の中に入って行く。
ベージュのジャケットに黒系統のスラックス。あまり切り揃えていない髪に化粧気も無い、ラフな雰囲気に統一された女性。
ただ、一瞬見えた横顔は印象深いものだった。
彫りの深い、整った顔立ち。柔らかめだが、どことなく鋭角的な物を含んだ眼差し。
拒絶と歓迎を混ぜ合わせたような、言い表せない不思議な距離感。
だけど歩く姿は、本当に楽しそうで。

ギンガは迷う事無く、彼女の後を追っていった。

まあ、後から考えても。
何故そうしたくなったのか――本人にすら、説明は出来なかったのだが。


      ◆   ◆   ◆


やや黒毛の多い虎猫が、一心不乱にドライフードを食んでいる。
前日までの長雨で餌を獲りにくかったのだろう。予想通りだった事に微笑むと、彼女はポケットに指を突っ込んだ。
予備の分も引っ張り出し、横から古びた器に追加する。
しばらく晴れるそうだから、残っても水に浸かる事はないはず。

「それにしてもさ」
動じもせず食べ続ける姿に、少し呆れる。
「こーら、ゴロンタ。そんなにがっつかなくたっていいでしょ。誰も取ったりはしないんだよ?」
彼女は覗き込むようにして声を掛ける。
相手は名前を呼ばれた時だけ、ちらと視線を向けたが、
「ありゃ」
すぐ食事に戻る姿は逞しい。

「ふうむ」
何となく頭を掻いた。
数枚の花弁が落ちる。いつの間にか髪に貼り付いていたらしい。
横を見上げると、樹齢数十年の桜が雄々しく枝を張っている。ここに通うようになってから、ずっと変わらずに。
風が吹くごとに、淡い色の雪が舞う。
「や、相変わらず見事なもんだ」
腰を上げて大きく伸びをする。

そして、
「貴女も、そうは思わない?」
楽しそうな声と共に、彼女は何気なく振り返った。



「……あ、その」
不意を突かれて、ギンガは少し慌てた。
木陰に隠れていたので見付からないかと思っていたのだが、良く考えれば最初に擦れ違っているのだ。
気付かれていてもおかしくない。
「――そうですね。とても綺麗です」
と、僅かに躊躇った後、諦めたように姿を見せた。

「大学構内も良いんだけど、こっちの方が整ってるんだよね」
「そうなんですか?」
「うん。まあ、思い入れがあるから、余計綺麗に見えるかもしれないんだけど」
腕組みをして小首を傾げる。
その様子に安心して、ギンガはほんの少し歩を進めた。

「あらら」
同時に、彼女が残念そうな声を上げた。
黙々と餌に集中していた猫が、一目散に逃げてしまったからだ。
「どうしたのかな。人見知りする子じゃないんだけど」
「ご、ごめんなさい。私のせいです」
ギンガは慌てて謝った。
「え?なんで?」
「ちょっと事情があって、動物に警戒される事が多いんです」
全ての次元世界でという事ではないが、体質上、野生動物に嫌われてしまう事があるのだ。

申し訳なさそうな相手の様子に、彼女は苦笑した。
「別に謝る事じゃないよ。気にしない気にしない」
「でも」
「そんな事より、ほら」
上を指さした。
「凄いでしょ」
「ええ、本当に」
空が見えない程に、花が天蓋を形作っている。

眩暈がするような感覚に、ギンガは思わず問い掛ける。
「綺麗ですねえ。――――これ、何て言う花なんですか?」



「……え?」
唖然、とした表情で、彼女は相手の横顔を見つめ直した。
大きなリボンで纏められた藤色の髪。染めているのかとも思ったが、そうではなさそうだ。
細面の顔立ちは、柔和な中に凛々しさを感じさせる。
そして何より――不思議な目の輝き。
作り物のように澄み切った色の中に、強い意志を湛えた瞳。

「あの、私、何か変な事を言いました?」
見詰められている事に気付いて、相手は顔を赤らめた。
「いいや。――これは桜って言うんだよ。今の季節に、一斉に咲くんだ」
彼女は素知らぬ振りで説明する。
「さくら……ですか」
「そ。それでこの色を」
落ちてきた花弁を一枚、ふわりと掌に着地させる。
「桜色って呼ぶんだね。もちろん、他にも薄紅色とか、もっと単純にピンクって言う人もいるけど」
「でも、やっぱり『桜色』が一番合ってると思うんですね」
「うん」
顔を見合わせた二人は、くすくすと微笑んだ。



「さて、と」
笑いを納めた彼女は、改めて向き直った。
「そうだ、お名前聞いていい? 最初はここの卒業生かと思ったんだけど、見覚えなくって」
元関係者としても、これだけの美人を記憶に残していないはずがない。
見たところ、歳は自分と同じか一つ下くらいだろう。
「あ、すみません。私はギンガ・ナカジマと申します」
相手は深々と頭を下げた。
ファーストネームから先に名乗ったのを聞いて、彼女は確信を込めて頷いた。
「やっぱりね。もしかして留学生? それとも旅行者かな?」
「りょ、旅行者です。――あの、やっぱり部外者が入ってはいけなかったんでしょうか?」
「そうだね。基本的には立ち入り禁止かな」
不安そうな顔に、つい意地悪を言いたくなる。

どうしよう、と青ざめた様子に、
「だけど、私が許可しよう!」
彼女は芝居っ気たっぷりに胸を張った。
「はい?」
「一緒にいれば問題ないよ」
いきなり変わった雰囲気に、相手は戸惑ったようだった。
「えっと、それは一体……」
「何しろ、私はこの学校の生徒会長をしてた人だから、信用度ばっちりなんだ」
と、聞いたら誰かさんが思いっ切り異議を唱えそうな事を口にして。

「申し遅れました。私は前の生徒会長の一人、佐藤聖と申します」
彼女――聖こと元『白薔薇さま』は、まるでお姫様に傅く騎士のように、恭しくお辞儀した。










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