空色硯 sorairo-suzuri

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zoom RSS 藤桜 ― 春 ― 第三話

<<   作成日時 : 2008/04/06 22:10   >>

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「じゃあね。祐巳ちゃんによろしくー」
「付き合わせちゃってごめんなさい。写真撮ってくれてありがとう」
そう言って微笑んだ二人は、軽く手を振って去っていく。

この辺りを少し歩いてみるそうだ。

暖かい陽差しに、爽やかな風。絶好の散歩日和なのは間違いない。
昼を過ぎたばかりだから、気持ちの良い午後を楽しめると思う。
(ありがとうはこちらの方ですよ)
フィルムの残枚数を確認しながら、蔦子は小さくなりつつある人影を見送った。

常に自然体を保ち、それでいて懐に乱反射する鏡を忍ばせた元白薔薇さま――佐藤聖。
人の目を真っ直ぐに見て話す、とても素直な印象だけど不思議な女性――ナカジマさん。

被写体として得難い二人を、今日は存分に撮る事が出来たわけで。
「実に満足。……満足だけど困ったな」
蔦子は自分の頭を軽く小突いた。
何だか深々と考え込みそうになったからだ。
――これは多分、意味がない。
答えは出そうにない上に、正解かどうか確かめる手段も無いだろう。

「さて、どうしようか」
残りは後五枚ほど。
使い切らないと現像出来ないから、他の被写体を探さねばならないが――残念ながら、休日の学舎は過疎地である。
部活動に熱中する人たちは既に撮り終えた後だし、出来ればこの桜をフレームに収めたかった。
(たまにはいいか)
と、周囲を見回してポジションを選ぼうとした時。
「蔦子さまー」
写真部の後輩が一人、小走りで駆け寄ってくる。
ふわりとした巻き毛に、整った顔立ちの可愛らしい子だ。
内藤笙子。
幼少の頃にモデルをやっていただけあって、今でも素晴らしい被写体である。
が、難易度の高さも折り紙付き。
「捜しましたよ、もう。いつの間にこんな所へ移動してたんですか?」
「ごめん。だって、ほら」
涼しげな風が、枝を揺らす。
「桜吹雪ですか。相変わらず綺麗ですけど、ここじゃ誰も――!?」
見上げた直後、笙子はそのままくるりと身体を回した。
微かな音が、耳に入ってしまったからだ。
「……相変わらず、手強い」
「すみません。つい条件反射で」
背中を向けたままの笙子は、やや困った声で笑う。
被写体になる事は未だに苦手。
――撮る方に回れば、普通の人と同じなのだが。

「大丈夫、寸前で止められたから」
危うく一枚無駄にしそうだった蔦子は、苦笑しながらファインダーから目を離した。
撮影される事に関しては、筋金入りの回避技能を所持している相手だ。如何な凄腕カメラマンとて無理は禁物。
ただ、絶好の機会を逃したのは少々残念。
「仕方ないか。やっぱり考え事をしながらじゃ腕も鈍るよね」
「考え事ですか? 蔦子さまが撮影中に?」
有り得ない事を聞いて、笙子がぽかんと口を開ける。
「うん」
彼女は正直に頷いた。
ちなみに、相手の被写体は隙だらけに見えるが、正面から撮影出来た事はほとんど無いので期待しない。
「ちょっと頭から抜けなくなっちゃってね。――そうだ。笙子ちゃんってさ、何分ぐらい瞬きを我慢出来る?」
「まばたき、ですか」
うーん、と頬に手を当てて考えた後、おもむろに桜の枝を睨み付けて――

「……三十秒も無理でした」
「だよね。私もだよ」
あっさり音を上げた彼女に、蔦子も微笑みながら同意する。
薄目で見てもそうなのだ。この陽気と陽差しで、はっきりと目を見開いたまま我慢出来るはずがない。
そうは思うのだが。
「でも、それがどうかしたんですか?」
「ちょっとね」
説明に困る事を自覚していた彼女は、珍しく口を濁した。
(私が二人を見掛けてから別れるまで、三十分以上はあったんだけど)
思い返しても記憶に残っていない。

多分、本当に見ていないからだ。
あのナカジマさんという方は――さほど短くもないあの時間の中で、一度でも瞬きをしただろうか?


      ◆   ◆   ◆


視界一杯に広がる、綺麗な花を咲かせた木々。
空間シミュレータ内に再現されたそれは、監修した高町一尉が所属する世界の物だそうだ。
その美しさを楽しむ余裕は――まあ残念ながら次の機会に。
今は、元隊長陣と激しい模擬戦を繰り広げる、妹とその友人達を見守る事で精一杯だから。

「おー……、何であれで止まれるんやろなー」
「カウンター機動は得意ですからね。ちょっと前まで苦手にしてたのに、いつの間にか上手くなってたんです」
「そっか。そらティアナが訓練校時代から、口うるさく言うとったからかなあ」
ヴィータのハンマーを躱した直後、想像も出来ない角度で転進したスバルが、横合いからフェイトに一撃を加えたのだ。
無論、キャロが付与したブーストの効果も高い。
それでも、あれだけの動きが出来るようになったなんて、端から見ていても信じられなかった。

妙に可愛らしい悲鳴と共に吹き飛ばされるフェイトに、他の隊長陣から驚きの声が上がる。

(何だか、本当に追い抜かれちゃったかもしれないな)
スバルの成長は本当に嬉しい。泣きたいくらい誇りに思う。
だから――不甲斐無いのは。
ちり、と胸が疼くのを感じる。

一枚の花弁が、風に吹かれて流れていく。
ふと、誰かに名前を教えて貰ったような気もしたが、多分気のせいだろう。

「私も精進が足りませんね。明日からもっと頑張らないと」
「少しはゆっくりしい。リハビリはこれからや」
ギンガの呟きを拾ったはやては、思わず苦笑した。
どうしてこの姉妹は、前しか見ないで突き進むのか。
(つうても、しゃあないか)
突き進んだ結果として、スバルの成長が目の前にある。

――もちろん、模擬戦相手を心配して気もそぞろな執務官の方にも、大いに問題が有るのだが。




ギンガは再び、爆風の背後で咲き誇る木々を見上げていた。
(フェイトさんが過ごした世界かあ)
ナカジマ家のルーツも辿れるかも知れない。いつかみんなで遊びに行けたら楽しいと思う。
『この人』にも会わせてみたいから。
みんなであのお店に寄って、あの公園で散歩を楽しんで。
もしかしたら、またあの光景を見られるかも知れない。再現された物ではなく、本物の。

(本物って?)
不可解な思考に疑問を唱えるのは、心のどの部分だろう。

そうだ……この花の名前は、確か。


      ◆   ◆   ◆


彼女は少々困っていた。
知り合いになった隣の女性を、まだ一度も名前で呼んでいないのである。



「聖さま、今日は蓉子さまたちと御一緒ではないんですか?」
「蓉子は何か忙しいんだってさ。また今度、一緒に遊びに来るよ」
後輩らしき生徒に手を振る聖さま。

「ロサ・ギガンティア。本日もご機嫌麗しゅう」
「どうもー。良いお天気だよね」
同年代の女子大生に、何故か敬語を使われる――ろさ・ぎがんてぃあ?

そして。
「サトーさん! 何でいつもいつも、待ち合わせ場所から勝手に動くわけ?」
「ごめん、カトーさん」
眼鏡を掛けた知的美人に、拝むように詫びるサトーさん。



そのカトーさんこと加東女史は、手にしていた書類を突きつけた。
長い黒髪をフロントで無造作に分けた表情の薄い顔が、僅かに怒りを滲ませている。
「元々、聖さんが今日を指定したんでしょう?」
「お叱りごもっとも。だけど事情があるんだってば」
「事情ね。ま、貴女の事だから嘘とは思わないけど――申し開きは後で聞きましょうか」
「お代官様はお心が広い」
佐藤聖と加東景。
響きの良く似た二人が学友として話をするようになったのは、それほど昔の事ではない。
昨年のある出来事が切っ掛けだった。
以降、聖から見れば面倒見の良い友人、景から見れば――良く言って腐れ縁な関係が続いている。
「それで景さん。首尾は?」
「出したけど、貴女の分不備があったのよ。修正しておいたから後で確認しておいて」
「感謝しまっす」
大仰な程に頭を下げる聖。
景は無表情なまま溜息を吐いた。
最近は名前で呼ぶようになったが、知己となる以前の名字で呼んでいた癖は抜けない。
と言うよりも、大学からリリアンに所属した自分が異邦人なのだ。
学生の大半を占める高等部出身者は、今でもファーストネームで呼び合っている。学園内の常識的マナーだ。
だから佐藤聖が景をカトーさんと呼び、自身をサトーさんと呼ばせるのは少数派で。
多分、その伝統と異なる語感に聖が新鮮味を見出している限り、しばしば用いられる事になるのだろう。

それはそれとして。
「で、あちらの方は?」
「実はね――」



聖が同じ女子大生と話している間、手持ち無沙汰になったギンガは頭痛を誤魔化そうと頭を振った。

桜。
この世界に来てから初めて見た物のはずなのに、説明されてからは――そうではない気がしている。
(綺麗さに圧倒されてたけど、懐かしさを感じるのは別の事からなのね)
ぐっと胸元を掴んだ。

未だに自分自身の整合性が取れていないのだ。
壊れかけた心も……傷一つ無いこの身体も。

念話を無意識のうちに試みようとしたが、それは何の手応えもなく失敗する。
魔力結合が成されない。
魔導師としての力は、マリエルの手により念入りに封印されている。
もう一つのモードへ切り替える事は尚更。
可能なのは、胸元で光る藤色のペンダント――ブリッツキャリバーの起動と、バリアジャケットの生成くらいである。
それ以外に何も出来ない無力さを、彼女自身は不安に思えない。
思わないのではなく『思えない』のだ。
意識を上手く制御出来ないならと、自身で決めた無茶な抑制。

身体自体には何の問題も無いのに、それが薄い膜のようにギンガの心を覆っている。

(やっぱり原因はこれなのかしら)
干渉の要因かもしれない複雑な封印と、集中力を著しく欠いた結果がこの状況だと思う。
この歳になって迷子になる事が、恥ずかしいというわけではないけど。
……いや、やっぱり少し恥ずかしいけれども。

ついでに、今日中に何とかしないと、派手に心配掛けそうな気もしているけど!
「また、怒られちゃうんだろうなあ」
とにかく情けない気分になった彼女は、冷や汗を浮かべて頭を抱え込んだ。



「どうしたの?」
「い、いいえっ、何でもありませんっ!」
少しばかり心配そうな声で我に返る。
引き攣った笑顔を繕って顔を上げると、そこには眉を顰めた聖と――いや、聖のみが立っている。
「先程のご友人は?」
「カトーさんは帰ったよ。急ぎの用があるって言ってたからさ」
「そうですか」
さらっと言われて、ギンガは呆れた。
漏れ聞いた話から察すると、その忙しい人に用事を頼んだ挙げ句、終えた相手に待ち惚けさせていた事になる。
もちろん、その原因は多分自分だろうから、非常に申し訳ないのだが。
「せめてご紹介頂ければ、ご挨拶くらいはさせて頂いたのですが」
「また後で会えるよ。夜になったら合流する予定なんだ」
再び近くの学生に声を掛けられ、手を振り返しながら笑う聖。

また、耳に残る変わった呼称――ろさ・ぎがんてぃあ。

さすがにそろそろ我慢出来なくなってきた。
「あの、今の『ろさ・ぎがんてぃあ』っていうのは何ですか?」
「ああ、あれはね、『白薔薇さま』って意味なんだ」
「白薔薇?」
「そう、白薔薇。さっき私が生徒会長をしてたって言ったじゃない。それのせいだよ」
聖は、にやっと笑った。

リリアン女学園高等部の生徒会長は三人制だ。
正確に言うと、その三人で生徒会長・副会長・書記・会計等の役職全てを、分配して受け持っている。
それぞれ得手不得手があるから、誰が上という訳でもない形で応分の負担。
その三人が、紅白黄それぞれの薔薇様と呼ばれているのである。
紅薔薇さま、ロサ・キネンシス。
黄薔薇さま、ロサ・フェティダ。

そして白薔薇さま、ロサ・ギガンティア。

元だけどね、と彼女は高等部の方を見遣った。視線の先には、長い時間を過ごした学舎がある。
「今風じゃないけど――この学園の伝統だからさ。卒業してからも、そう呼ぶ人は結構いるんだよね」
「そうだったんですか。でも、不思議と新鮮な感じがします」
「そう?」
「ええ。それに、皆さんの憧れが伝わってきましたから」
ギンガは、ようやく納得した。
後輩に限らず、同年代の学生からも敬意と憧憬の視線が注がれている理由。
「憧れって言われると、何か照れるよ?」
「でも、それだけ一生懸命に頑張ってたんじゃないですか?」
人柄としては気さくに見えるけど、憧れの的になる位には仕事を真剣にこなしていたのだろう。


――と、思ったのだが。
「いやあ、私なんて仕事さぼりまくりでさ。よく首根っこ掴まれて連れ戻されたりしたんだ」
「……はい?」
「授業も結構さぼったなー。成績落ちた時とか、生活指導室に二回も呼び出されたり」
「は、はあ」
あっはっは、と実に軽薄な笑い声を上げる元白薔薇さま。

「えええっと――」
先程とは別の意味で、ギンガは痛む頭を抱えた。
ただでさえ記憶や認識がパズルの様にバラバラなのに、これ以上引っ掻き回されると破綻しそうだ。
いやもう冗談抜きで。

思考からそれを完全隔離する事を決意し、彼女は強引に話題を変える。
「そ、それはともかく、これからどうします? ロサ……ギガンティア」
「元だってば。サトーさんでいいよ」
「了解です」
楽しそうに笑う相手に、何となく同意したくなくって。
「それでは――聖さま、これからどうなさいます?」
「……おぬしもやるのお」
不敵な笑みを浮かべた聖は、勢い良く門外を指さした。

「取り敢えず歩こう! これだけ良い天気なんだから、歩いてるだけで良い事にぶつかるよ」
「わあ、何て無計画な前向き! いいですね、お供します」


勝負、とばかりに一瞬睨み合った二人は。
足取りも軽く、暖かい陽差しの中を颯爽と歩いていった。










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