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zoom RSS 藤桜 ― 春 ― 第四話

<<   作成日時 : 2008/04/14 01:17   >>

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ベッドから身を起こせる様になった後の方が、大変だった。
歩く事は出来るし、日常生活にもそれほど支障は無い。簡単な料理だって出来る。
でも、それだけ。
見かけ上は何の後遺症も無い健全な身体。しかし、何一つ言う事を聞かない――借り物の器。



そもそも、全ては僥倖に過ぎない事を、ギンガ自身が理解していた。
(悪運って言いたくはないけど)
三度も続けば、それは単なる幸運ではない。
周囲の者に迷惑を掛け続ける『悪運』という名の必然だ。
自分の不運を周りの親切な人々に押し付け、その結果として必然を得ている。借りを返す事無く。

一度目は、犯罪者によって四肢を砕かれ、腕をもがれて血の海に沈んだ時。
研究材料として興味を持たれただけなら、人の形を残してもらえたかどうか分からない。
その後、拉致された挙げ句に『治療』を施され、精神と身体を弄られたのは利用価値があったからだ。
自分が所属していた、極めて強力な部署に対処させるための『駒』として。

二度目は、そうして精神を制御され、スバルと相撃つ形になった時。
結果、予想外に成長した妹に打ち倒される事で解放を得る。
生き残れたのは、相手の助けようとする強靱な意志あってこそ。

そして三度目は――――



彼女はそっと右腕に触れる。
傷一つ無いそれは、瓦礫に押し潰された時の痛みを――欠片も残していない。

フェイト執務官の手により押収されたJS事件の残滓。
その中には、自分が研究材料として綿密に調査された資料も含まれていた。
そしてあらゆる体細胞のサンプルも。
最終的に事件首謀者の手により使い捨ての兵器とされたのは、失っても惜しくない対象と成り果てたからだ。
自分すら知らない、ギンガ・ナカジマという人間の詳細。
全て数値化され、単なる物として登録されただけの存在。実験動物と何一つ変わらない。
身体を弄り回された過程すら克明に記されている。
女である身として、そういった物が第三者の目に触れている事実は苦痛である。
しかし事件の証拠である以上、抹消が有り得ない事も理解していた。
彼女に出来る事は……なるべく考えないようにするだけ。
多分、自嘲する権利も無いから。

しかも皮肉な事に。
それこそが再び自分を救い、こうして生存という結果を残している。

例えそれが――――空虚な器だけだったとしても。


      ◆   ◆   ◆


叱られた経験は少ないが、それでもすぐに思い出せる。
身近な人の怒鳴る顔。

自分に対して怒る人は、基本的に理不尽な怒り方をしない人だ。
父然り、恩人の執務官然り。
筋道の通った考え方と性格を持ち、普段は柔和で有事に於いても冷静な人達だと思う。
――つまり。
そういった滅多に怒らない人を、空回りでそうさせてしまうのが自分の悪い癖で。

例えば。




「もしかして、飲んだ事ない物ばっかり?」
「いえ、その」
自販機の前で、聖は慌てる相手を眺めていた。
先程から、点灯したボタンを押そうとしては引っ込められる指が、ふらふらと彷徨っている。
最初は優柔不断かと思ったのだが……どうもこれは。
むう、と彼女は思案するように腕を組んだ。


公園で桜とケヤキの新緑を味わい、ちょっとしたウインドウショッピングを楽しんだ後。
何気なく自販機に立寄った彼女は、唐突に小銭を放り込んだ。
「ほい、任せた」
「え?」
「ナカジマさんが選んでみて。飲んだ事の無い物にチャレンジするのも面白そうだから」
「ちょ、ちょっと待ってください、そんな無茶な」
「――ことをするのも道楽でしょ。さ、早く早く」
問答無用とばかりに、聖は相手の肩を掴んで自販機の前に押し出したのだ。

(律儀そうな人だしさ)
奢りを気軽に受け取ってくれないと思う。
彼女が財布を持っていない事を知っているからこそ、聖は奢ると言わずに選択を迫ったのである。
何を選んだとしても、味見を理由に二人で分けて飲めばいい。
――単純にそう考えての所作だったのだが。
(別にコーラでもいいと思うんだけど)
世間で最も知られているはずの飲み物もあるのだが、それすらナカジマさんには未知の物らしい。
それに限らず、コーヒーだって英語でcoffeeと書いてある。が、これもダメ。
(どこの国の人なんだろう)
聖は首を捻った。
彼女は自動販売機という文明の利器は知っている――または理解している。
しかし、そこで売っている物が全く分からない?
異国の文字が読めないとしても、ある程度は想像出来るはずなのに。
世間知らずという感じでもない。
素朴で真っ直ぐな印象が先立つけど、間違い無くそれなりの人生経験を積んだ深みも見えるのだから。

こうなるともう、さっぱり。


「わからん」
「や、やっぱりこれじゃダメですか!?」
ギンガは飛び上がるようにして両手を上げた。
ようやく決断して押そうとした瞬間、聖の途方に暮れたような声を拾ってしまったからだ。
「ち、違うよ」
しかし、驚いたのは聖も同じである。
自分の耳にすら届かないような、本当に小さな呟きだったはず。
「別に今のでも良かったんだけど。……耳いいんだね」
「そうですね。いい方だと思います」
胸を撫で下ろしながら、ギンガは聞こえてしまった事を後悔した。これでまた気分的に振り出しである。
変な物を選択してしまったらどうしよう、と悩んでしまうが、それを顔に出したくないし。
――などと考えたからか。不本意ながら態度に現れてしまったらしい。

別に意地悪をしたかったわけではないから、
「いいよ。これにしてみよっか」
聖は横合いからあっさりと紅茶を選んだ。無難な選択である。
「ミルクティーだから、少し甘いかもね。味見に付き合ってくれる?」
「はい」
「じゃ、半分こって事で」
そう言うと、彼女は道路脇のベンチに目を付けた。
表通りから少し離れた住宅街。その道沿いにぽつんとある理由は、バス停の時間待ち用だろう。
時刻表を覗き込んで、しばらく来ない事を確認する。
まだ三時前、最も暖かい時間帯。
「ここでいいよね。――うーん、風が気持ちいいねー」
「本当に」
二人して大きく伸びをする。
午睡にも良さそうな気分。

「む」
一口二口飲んだ聖は、僅かに眉を顰めてみせる。
「こりゃ私にはちょっと厳しいかな。ナカジマさんは甘いの平気?」
「はい。と言うより甘党に近いかも」
「スタイルいいから、あんまり食べないかと思ったよ」
「最初はそうでもなかったんですけど」
含まれた褒め言葉をさらりと流し、ギンガは苦笑した。
「お世話になってる方が甘い物好きで、お付き合いしている間に染まっちゃったんです」
甘味王リンディ・ハラオウン総務統括官の嗜好は、本局内で知れ渡っている。
無論、完全に付き合える猛者は数える程しかいない。

「じゃあ、残りは全部お任せしようかな」
「そう言う事でしたら、遠慮無く」
ギンガは両手で受け取ると、ほんのり温かいそれに口を付けた。
前日から食事をしていない身体に、甘さが染み込むように広がっていく。
(おいしい)
青空の下、閑静な住宅街で行うお茶会としては簡素だけど――何故か凄く嬉しい。
彼女はつい、口元を綻ばせた。

(良かった、気に入ってくれたみたい)
その様子を見て、聖がつられて微笑んだのは内緒である。




「さて、と」
にこにこと微笑みながら紅茶を味わうギンガに、聖は何気無い振りで問い掛ける。
「ちょっと物足りない気もするね。折角だからどこかでお茶にしようよ」
「そうですね……」
お腹空いてない? という意味も含ませたその言葉に、やや上の空だった彼女はうっかり口を滑らしたのか。
「私はこれで充分です。もう二、三日は食べなくても平気ですから」
「――――――!」
予想外の言葉に、聖は思わず息を飲んだ。

改めて相手を観察する。
清潔そうな服と肌が健康を演出する身綺麗さ。輝く髪は朝方シャワーを浴びて身支度を整えたという風情。
どこかに泊まっているのは確実で、それもそこそこ整った場所だろう。
知識の無さは気に掛かるけど、無教養ではなく――何か根本的に異なる教育を受けている人という気もする。
とにかく。
決して不法滞在者という感じでは無い。
(それなりの生活をしているのに、御飯を碌に食べていない?)
ダイエット中?
いや、そういう反応では無かったし。
もしかすると、食事を切り詰めたフリープランを組んで旅行している人かも知れない。
(でも『もう二、三日』って事は、既に何日か抜いてるってこと? まさか、いくら何でも)
万が一本当だとしたら、こんな華奢な子には酷ではないのか。



微妙に張り詰めた静寂。
呆っと空を見上げているギンガは、横の食い入るような視線に気付かない。

「……朝御飯も食べてないの?」
「ええ。ちょっと時間が無くて」
朝起きて早々、本日休みを取っているリンディ提督宅に呼ばれたから。
夜には娘のフェイト執務官も、久々に帰宅する予定だそうだ。
「…………昨日の夜は?」
「疲れてたから、帰ってすぐ寝ちゃったんですよね」
二ヶ月ぶりに会ったスバルに付き合って、結構な距離を歩いたから。
これ以上心配掛けるわけにはいかないからと、少しばかり張り切り過ぎてしまった気もする。
(そっか、昨日の昼から何も食べてなかったな)
本音としては結構空腹なのだが、言っても詮無い事である。
取り敢えず少々我慢すれば済む話。

しかし。

「ふーん」
「!?」
ギンガは、びくっと肩を震わせた。
唐突に走った背筋の寒気に違和感を覚えながら、恐々と横を見ると――
「あの、聖さま?」
何とも形容し難い表情の聖が、にんまりと笑っている。
笑って、いる?
(お、怒ってるように見えるわよね?)
間違い無く笑顔だと思えるのに、抑えきれない怒りが滲み出ているのは気のせいだろうか。



戸惑う相手の前で、聖は腕時計を睨んだ。
二時ちょい過ぎ。
ここから大学まで戻って――急げば間に合う店が、まだ幾つかある。
「私はお腹が空いちゃったんだよね。行ってみたいお店もあるんだ」
某高級ホテル一階レストランのランチタイム。確か少し遅めまでやっていたはず。
この時間だとケーキバイキングに化けているかも知れないが、その時はその時。
「えっと」
「と言う事で付き合って。バイキング方式の場所で一人ってのも寂しいし」
「でも私、持ち合わせが」
「倍返しで!」
聖は強引に相手の腕を掴むと、紅茶の缶を引ったくる。
残りを一気に飲み干し、数メートル先のゴミ箱に投擲した。――狙い違わず、見事なカップイン。
「ナイスショット。……いつか私がナカジマさんの故郷に行ったら、その時は倍返しね」
「わ」
ぐい、と引き上げられ、ギンガは慌てて立ち上がった。
引き摺られるように歩きながら、彼女は聖の様子を窺った。何故かその横顔は怒っているように見えて。
(私、何か変な事言ったかな)
思い返してみても、さっぱり分からない。
分からないが。

ほら、やっぱり。
――また自分は、何やら仕出かしてしまったらしい。


      ◆   ◆   ◆


二人の乗った黄色い軽自動車が、ホテルの敷地に猛然と滑り込んだのは、それから間もなくの事である。
大学構内の駐車場から飛ばしてギリギリセーフ。
道が少しでも混んでいたら無理だっただろうし、それ以前に。
「もの凄く、危なかったような気がしたんですけど!」
「そうだったっけ?」
「そうです!」
転がるように降りたギンガは、青い顔で抗議したのだが――全く気にして貰えない。
聖の運転は怖かった。
スピード出し過ぎとか、運転手が前だけしか見てないとかそういう怖さではなく。
左折の時に助手席が電柱にぶつかりそうになったとか、歩行者を気にし過ぎて中央分離帯に乗り上げそうになったりとか。
何と言うか、とにかく大雑把だったのだ。
普段からこうなら命が幾つあっても足りないが、急いだ今回が特別だったのだろう。多分。

「ま、それはそれとして」
聖は瀟洒なホテルを見上げた。
都心にありながら広い敷地を抱え、隣接した大ホールは結婚式場として賑わっている。
以前、服を買う為に付き合ってくれた蓉子と寄ろうとして断念した場所だ。
ちなみに、断念した理由は推して知るべし。
(満腹状態でブティックには入れないよねえ)
今日はそんな予定は無いから、食に専念。
「ほら急ごう。確か三時までに入れば大丈夫だから」
「……はい」
さっさと歩いて行く聖を追い掛けながら。
ギンガは、色々と諦める為の溜息を吐いた。



ホテル一階の片隅にあるレストランは、薔薇の名前を冠したフランス料理のお店である。
店内は明るめで、そこかしこに薔薇が生けてあった。上手く鉢の部分を隠し、上部のインテリアに巻き付かせている。
客層は若い女性中心。
もちろん、夜は二人連れで賑わう事になるのだろう。

ランチタイムはと言うと――残念ながら一時半で終了していた。
以後の時間はケーキバイキングのみになっている。リミットは四時までの食べ放題。
一つ一つはミニサイズだが、こういった形式の割に種類が豊富なのが人気の理由だろう。

(うわー、食べてみたいのが結構あるなあ。けど)
当面の目標は食事だったわけで。
空腹時にケーキだけというのはどうだろう。終盤戦は紅茶で流し込む事になりはしないか。
聖は少し悩んでから、連れの方に振り返る。
「甘党って言ってたけど、さすがにケーキだけじゃ――――うわぅ!?」
彼女は大きく仰け反った。

真ん前で、瞳を輝かせたギンガが店内を見回していたからである。

「せ、聖さま、あれって全部ケーキなんですよね?」
「う、うん」
「あれは? あの黒っぽいの」
「ザッハトルテ……じゃないかな。けどチョコが随分厚めだね」
「じゃあ、あれは?」
「モンブラン。だけど栗じゃなくて紅芋ベースみたい。面白いね」
「じゃあ――――」
「ストップ」
聖は両手を挙げて相手を制した。
こうも真っ直ぐ見詰められるだけで気圧されるのに、暴走機関車の前に立つのは得策ではない。
「とにかく入ってみようよ。百聞は一見に如かずってね」
「はい!」
彼女は満面の笑顔で頷いた。



「ここでどう?」
「いい席ですね。ちょうど桜も見えますし」
二人は一番奥の見晴らしの良い席に陣取った。
ここからだと、手入れされた木々と結婚式場正門の噴水が見える。ちょっとだけ優雅な気分が味わえそうだ。
「まだ結構時間があるから、焦らずにゆっくりしよう」
「了解です。……別に焦ってたわけじゃないですよ?」
「はいはい」
照れ笑いを浮かべるギンガに、聖は同じく笑いながら頷いた。

正直な話、元を取れるほど食欲があったわけでは無いのだが、まあ何と言うか。
全身で喜びを現している彼女を見ると、こちらも食欲が湧いてくる気がするのだ。
「私は飲み物を用意してくるから、その間に好きな物を取ってきてね」
「分かりました!」
ほら、気持ちの良い返事も返ってくる。

(お、トニャーナだ)
ホテルのレストランらしく、食器も他とは異なる物が並んでいた。
大衆向けだが、それなりに高価な物も含まれている。
アールグレイの方がいいかな、とティーカップを用意しながら、聖はこっそり横目で眺めた。
藤色の髪と大きなリボンが、彼女が歩くのに併せて揺れている。
元々の気質は明るい人だと思う。
礼儀正しい姿勢よりも、先程みたいな可愛い仕草が本来の姿だと思うのだ。
どんな事情を抱えているのかは分からない。それに、表情に何やら暗い陰があるのは気になる。

でも、今は。
本当に楽しそうに、ケーキをトレイに並べていく彼女の様子に。

聖は、子供を眺める様な微笑みを浮かべた。
あの子からは、危なっかしいくらい裏表の無い人柄の良さが伝わってくるから。
(何だか一緒にいてあげたくなる人だよね)
それと。
ついでに深々と頷いた。先程のきらきらとした目の輝き。

――――なるほど。
前を見たら突き進むタイプなんだなあ、と思い知ったわけで。










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