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zoom RSS 藤桜 ― 春 ― 第五話

<<   作成日時 : 2008/04/20 21:39   >>

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二人を乗せた車は、山道に差し掛かっていた。
都心から少々離れると、今までいた場所が平野だった事実を実感する。
区外は驚くほど高低差がある。落ちかけた陽差しで染まり始めた山々は、人家もほとんど無く道も細かった。
生い繁った常緑樹のおかげで、山間部は既に夜の気配である。

「暗いなあ。これじゃ見えないかも知れないや」
「街灯とかも無いんですか?」
ナビが出来るわけでもないので、助手席で手持ち無沙汰なギンガは窓を少し開けてみた。
胸ポケットの白薔薇に風が当たらぬよう、慎重に。
(まだ空はあんなに明るいのに)
風鳴りに混ざる黄昏前特有の匂い。遠くから響く様々な澄んだ音が、複雑な色合いを添えていた。
――そろそろ大気が冷えてきている。

「何にもない所なんだよね。私も偶然見付けた場所だから。夜に一人で来るのは怖い場所かも」
「そんな所に偶然って事は……聖さま?」
「当たり」
確信を込めた疑問符に、運転中の聖は苦笑する。
この辺りはゴルフ場や開発中の区域もあるから、標識が分かり難いのだ。
「迷った時は泣きそうになっちゃったよ。ガス欠も近くてさ、携帯も繋がらなくて」
エリア内のはずだが、変な干渉でも生じているのかアンテナがほとんど立たなかった。

笑っちゃうよねー、と言いながらも聖の顔は真剣そのもの。
ガス欠は洒落にならない。

隣席との会話に集中していたからか、さっきまで気付かなかった。
いつの間にか、ガソリンメーターが危険域を示している。
(この辺ってスタンドあったかなー)
あったような気もしたが、全く自信が無かった。来る途中には見当たらなかったから、前方に希望を託したい。
しかし。
万が一、ここから歩いて帰る事になったら――どうしよう?
「また迷子になりそうな予感がする」
「どういう意味なのか、聞いたら後悔しそうな口調で言わないで下さい」
ギンガはこっそりペンダントを耳に当てた。
自分にしか聞こえない小さな声が、警告を伝えてくる。


事の発端としては、食後のドライブ中、聖の提案で変わった桜を見に行く事になったのである。
何でも彼女が今まで見た物の中では、最大級らしい。

それならば、と遠慮無く付き従ってきた訳だが。
ペンダント型のデバイス――ブリッツキャリバーの分析によると、かなり問題のある事態が迫っている。
「道は全く知りませんけど、それでも相当な距離を走った事は分かります。歩いて戻るには少々厳しいかと」
「素晴らしい洞察力ですな」
おざなりに舗装された山道を登りながら、彼女は実にシニカルな笑いを浮かべた。
「私も、そうならないと良いなあと本気で思うよ。この歳で迷子なんて笑われちゃうもんね」
「……そうですね」

言うまでもなく。
現時点で迷子なギンガは、もちろん笑わなかった。


      ◆   ◆   ◆


細い指がフォークを閃かせ、それを丁寧に切り分ける。
鮮やかな彩りも、美味しそうな形も崩さないように。
そして――実に幸せそうにイチゴのタルトを頬張る彼女。



見ていてもう、こちらまで嬉しくなりそうな笑顔。
しかし。
何故かそれとは対照的に、聖は無言のままフォークをくわえた。
じっと目の前を見下ろしてみる。
トニャーナのプレート上に、食べかけのミルフィーユがぽつりと残されていた。
ミニサイズと言っても、一口では少々無理。
味は悪くない。こういった場所としては充分過ぎる程で、普段ならもっと食べたくなると思うのだが。
(今日はここまで)
少々長い逡巡に決断を下し、諦めてフォークを置いた。
ティーカップを取ると、やや香りの飛んだお茶を、舌の上で転がす様に味わう。

残すのは良くない。
良くないが、困った事に既に満腹なのだ。
(シフォンとティラミスと……これ、かあ)
数え直しても三つしか食べていないはずなのに。

まあ原因は分かり過ぎる位なので、心の中で幾ら言い訳しても始まるまい。
「あの、ナカジマさん?」
「はい?」
聖は、目の前で幸福を謳歌している健啖家に声を掛けた。
出来る限り自然な感じで喋る事に、全力を注ぐ。
「結構美味しいよね、ここのケーキ」
「ええ、本当に。これも甘さと酸味のバランスが程良くって」
言いながらも、彼女は次に取り掛かっている。
が、思い直したようにティーカップに手を伸ばした。舌に残る後味をリセットする為だろう。

時計を見ると、残り十五分程。
既に客の大部分は、ラストラウンドかティータイムに入っている。店員も後片付けモード直前で暇そうだ。
そのせいか――各所からやたらと痛い視線が飛んで来る。
無論、気にしたら負けだから気にしない。

目の端に映る雪のような白さ。
そう言えばケーキの種類は十種類だったけど……今食べようとしている物は確か。
「それは何個目だっけ? 他のよりも気に入ったの?」
「六個目、ですね。何だかこれが一番素直な味って感じで、そこが良いかなと」
「なるほどねえ」
同意するように頷いた。
確かにそれは美味しい。正に『ケーキ』を代表する存在で、お子様から年配の方まで大人気なのは間違い無い。
だけど、当分自分には食べられない気がする。
思い出してしまいそうだし。
「それでさ、ちょっと聞いてみたいんだけど」
「何でしょうか」
小首を傾げる相手に対して、聖は口元が引き攣る事を自覚した。聞いたら失礼だとは思うのだけど。
……仕方ないではないか。
目の前で全種類制覇を果たされてからは、数える事を放棄してしまったのだから。
「――――全部で、何個くらい食べたの?」

一瞬、思い出すように天井を見た後。
「えっと、四周位はしましたから――おそらく五十個目くらいかも」
ギンガは幸せそうな笑顔を浮かべると、三段重ねショートを手元に引き寄せた。




それから十数分後。


(ま、こうなるよね)
きょとんとした表情の彼女に対し、聖は周囲に合わせて小さく手を叩いていた。
時計が四時を回り、ギンガがフォークを皿に置いた瞬間。周囲から盛大な拍手が上がったのである。
その歓声については、とにかく同感。
幾ら空腹だったとしても、まさかテレビ番組の様な光景を見られるとは思っていなかった。
実際、女性客の数人はカメラを探していたらしい。
(本っ当に不思議な人だよねえ。一体どういう生活をしてるんだろ?)
謎は深まるばかりである。
状況をさっぱり理解出来ずに慌てる仕草は、子供みたいで微笑ましいのだけど。

会計の際、店主らしき初老の男性が一輪の薔薇を進呈した。
しかも白。
何故拍手されたのか分からず途方に暮れていた彼女は――相手から花の名前を告げられ、嬉しそうな表情で受け取った。
「これが聖さまの由来なんですか?」
「えっと、まあ、そういう事にしておこうかな」
正確には違うのだが、まあ薔薇は薔薇だ。
(ナイスチョイスと言っていいのやら)
聖は店主と視線で会話しながら店を出た。後ろでは、花を胸に留めたギンガが首を捻っている。
「それにしても、なぜ私にこれを?」
「きっと気に入ってくれたんだよ。いい食べっぷりだったからってさ」
「まさか」
冗談だと判断したのか、苦笑する彼女。

「あながち冗談でもないんだけどね」
車に乗り込みながら呟く。
白薔薇の花言葉。求愛や返事に使われる『私は貴女に相応しい』と、もう一つ。
(あなたを尊敬します、か)
なるほど、薔薇を店の看板にしているのは伊達じゃない。

本音は悲鳴が混じっていたのかもしれないが。
食を饗する側が健啖家に贈る物としては――実に相応しい言葉ではないだろうか。


      ◆   ◆   ◆


そういった経緯の後、ドライブを兼ねて山を登ったわけだが。

「……確かに、凄いですね」
「でしょう? ここまで大きいのは滅多に無いと思うよ」
佇む二人の前には、一際目立つ桜が翼の様に枝を張っていた。野趣溢れる豪快な雰囲気を持った巨木。
それを取り囲むように並んだ木々は、未だ咲き始めといった風情である。

聖が車を停めたのは、中腹に近い唐突に開けた場所だった。表の登り道から少しばかり入り込んだ場所。
この付近だけ、ばっさり断ち切られた様な空間が広がっている。
元々は旧家の庭だったのだろう。
その後、何れかの業者が買い上げて開発を進めたが、結局断念したという事ではないだろうか。
あちこちで放置され、錆び付いた建材が時を感じさせる。地価暴落の残照かもしれない。

「一番大きいのは、違う種類なんですか?」
「うん」
少し混ざっているかもしれないが、彼岸桜の一種だったはず。
本来、開花時期は染井吉野より少々早め。この辺りは都心より涼しい為、ぎりぎりで間に合ったらしい。
「桜にも、色々あるんですね」
「そうだね。華やかだったり、威勢が良かったり様々かな」
説明しながら、聖は停めた車を眺めていた。
結局、燃料補給に失敗したのである。以前見掛けたスタンドが潰れていたのは予想外だった。
(あそこが頼みの綱だったんだけど、参ったなこりゃ)
何とか到着出来たが、帰りは無理っぽい。
携帯を確認して溜息を吐いた。
「……まあ、いいや。いざとなったらロードサービスを頼もう。アンテナも立ってるからさ」
一本だけ、それも点いたり消えたりだが。

それよりも、今は折角来たのだから。
「余計な事は考えずに、じっくり楽しもうよ」
「でも、その前に一つだけ」
夕焼けが広がり始めた空の下で、ギンガは静かに尋ねた。
「なに?」
「――何故、会ったばかりの私に、こんなにも色々として下さるんですか?」
幾ら人懐っこい性格だとしても限度がある。ここまで親身になって行動してくれる理由が知りたい。



「もう会えないかも知れないから、かな」
聖は頭を掻くと、薄く微笑む。
「何となく分かるよ。ナカジマさんがただの旅行者じゃないって事は。だから明日にはもう会えない。――違う?」
「それは」
「後悔したくないんだ。二度と会えないなら、一緒にいる間は出来る限り何かしたいなって思う」
楽しい時間なんて、過ぎ去った後は巻き戻せない。
だから。
彼女は、ふっと遠方に視線を向けた。

その先にあるモノを感じて、ギンガは黙り込んだ。
ほんの一瞬だが、飄々とした彼女からガラス細工の様な物が透けて見えたのだ。
繊細だけど鋭角的で――迂闊に触れると双方を傷付けてしまうような。
(悲しい別れ……ううん、もっと違う何か)
だけど、『そこ』は多分踏み込めない場所。
考えるべきではない事と理解して、彼女は再び桜を見上げた。

こうして二人で並んでいると、いつかの光景が思い出される。
確かあの時は、スバル達と――――



「あ……」
「どうしたの?」
額を抑えて顔を顰めるギンガに、聖は慌てて近寄った。
「ちょっと眩暈がしただけです。最近、寝不足だったんですよね」
「そういう事は先に言って。どうする? もう帰った方が」
「平気です」
彼女は強い口調で断った。
万が一、自分の身体がこの世界の公的機関や医療関係者の目に留まったら、大変な事になるからだ。
(いつもの事だもの。すぐに戻れるはずだから)
白くなりつつある視界の中で、相手と桜の花弁だけが見えている。
「もう少し、ここに居ましょう。勿体ないですよ」
「でもさ」
「少し横になれば大丈夫です。ですから」
「分かった。想像してた通り、強情なんだね」
肩を借りながら、ギンガは助手席に転がり込んだ。シートを倒して身体を楽にする。
聖はそれを確認してから運転席に座った。
酷い場合は病院に連絡した方がいいのかも知れない。が、彼女の事情が分からない以上、迂闊には呼べない。
「ねえ、ナカジマさん。貴女が泊まってるホテルの――?」
緊急連絡先を聞こうとした彼女は、それに気付いて苦笑した。

「……よっぽど疲れてたんだね」
穏やかな寝顔を見せる姿に微笑むと、聖はハンドルを抱えるように外を眺めた。
木々のざわめきが微かに響いている。直に夕闇に沈むであろう山々の稜線。帰り路を急ぐ鳥達の声。
とても都心に近い光景だとは思えない。

こんな人気の無い場所で女性二人は物騒だとも思うが、いざとなればまだ多少は走れるはず。
「それに、こんな所じゃ滅多に人も来ないだろうしさ」
轍の跡も自分たちの物しか残っていない。
ここ数ヶ月は、誰も踏み入っていないのだろう。



「ま、これはこれでいいか」
そう呟いた彼女は、穏やかな表情で夕陽を待つ事にした。










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