空色硯 sorairo-suzuri

アクセスカウンタ

zoom RSS 藤桜 ― 春 ― 第六話

<<   作成日時 : 2008/04/20 21:41   >>

トラックバック 0 / コメント 0

誰かが、見ている。


もう何度繰り返したか覚えていない。
テーブル上に撒かれたパズルのピース。溜息を吐いて座り込むと、その内一つを無造作に手に取った。
盤面となるフレームを眺める。一般的な長方形とは異なる複雑な形。
そこには、既に数個のピースが置かれていた。――はて、あれを置いたのは自分だっただろうか。

不思議と嫌な気分になり、全てどかしたくなった。
一つ、二つ。
それは積まれた数多くのピースに混ざり、直ぐにどれだったか分からなくなる。
最後の一つ。
かり、と爪を立ててみるが動かない。無理せずに手を離し、ほんの僅かな思索を試みて。
ああそうか、と頷いた。
(フレームにこれが固定されているんじゃない。これに合わせてフレームを作ったんだわ)
普通は逆だと思うけど、この場合は仕方がない。
動かせないピースがあるなら、それを意識しないと始められない気がする。
端に直線の無いパズル。困った事に完成形の図面すら無い。

諦めて、いつも通りの地道な作業に没頭した。
同じような色の固まりに分け、その中で組めそうな物を探し当てる。
作業は慎重に。間違って組むと後が大変だけど、正解なら二度と離れなくなるのは有り難い。
と。
「これは、確か」
淡いのに、鮮やかな色が目に付いた。
その数個を手に取って考え込む。確か、前はこの向きで組んで正解だと思ったのだが――離れているという事は。
じっとそれを眺めている内に思い出した。
「そうだわ。あの時、私は聞かなかったんだ」
だから、あの時点ではこれの名前を知らない。知っていたはずがない。
見た事はあっても、あの人に教えて貰ったのが最初だから。

その証拠に。
二つのピースを組み合わせると、その境目は溶ける様に消え去った。
これなら、二度と分かれる事は――





ギンガが眼を開けた時、聖の困ったような顔が覗き込んでいた。
「やっと起きたんだ。ちょっと心配しちゃったよ」
「……え、と」
「よく寝てたよ。たまに気になる事を言ってたけどね」
「ね、寝言なんて喋ってたんですか!?」
慌てて身を起こすと、既に辺りは真っ暗になっていた。
「何て言ってました?」
「支離滅裂だった。模擬戦にアイス、工事現場に救助隊とか。夢で映画でも見てたんじゃない?」
「多分そうです。覚えてないんですけど」
乾いた笑いを浮かべるギンガ。
下手に整合性の取れた事を言っていたら、変な疑いを持たれたかも知れない。
こうやって眠るように倒れた事は幾度かあるが、まさか寝言を口にしているとは思わなかった。
(父さんもスバルも、教えてくれないんだもん)

拗ねる様に口を尖らせた彼女は、窓の外に目を向け――――息を飲んだ。

陽が落ちて暫く経ったのだろう。
僅かな残光が漂う山の稜線で、生い茂った木々が波の様に揺れている。
上空より被さり、ゆったりと流れる春の薄雲。微かに橙色を含んだそれは、じわじわと夜空に溶けていく。

僅かに届く街の光と、星明かりの中。
巨木は周りで傅く桜達を睥睨し、剪定される事無く雄大に広げた枝は、豪勢な花の衣を纏っている。
数枚の花弁が舞い始めた。
春の終わりを誰かに告げて――訪れる次の季節を、待ち侘びる様に。

陽差しの下では決して見る事の叶わない、柔らかくも厳粛な世界。

幻想的、としか言えない。
言葉にすると、それすら消えてしまいそうな――




ちら、と聖は隣を窺った。
泣くのを我慢しているのか。唇を固く結んだギンガの様子に、彼女は優しく微笑んだ。
無言のまま、再び前を向く。

息遣いすら聞こえない、穏やかで静謐な時間。

静寂は、さほど長くはなかったのだろう。
それでも。
その貴重な時間は二人の心に――郷愁にも似た淡い想いを、後々まで残したのである。


      ◆   ◆   ◆


「お。カトーさんかな」
振動を感じた聖は、携帯を取り出した。
たまたま電波が通じたのだろう。メールが三件ほど届いている。
予想通り、発信元は加東景。
「何だろうね。まだ会う時間じゃないんだけど」
「そう言えばお約束があったんですよね。予定通りに帰らないとまずいのでは?」
「まあ、そこはそれ。何とかするよ」
何ともなりそうにない口調で応じると、聖はメールを開いた。

最初の一通は夜の会合の確認だった。
予定より多少遅くなるから、明日でも構わないとの事。
まあ、景の下宿先が待ち合わせ場所なので、多少遅くなっても問題ない。大家さんの許可は必要だが。

二通目は、つい先程書かれた物らしい。
出先から打ったのだろう。用件のみが記されている。
「どうしたんですか?」
無言で眉を顰めた聖の様子に、ギンガは首を傾げた。
「ん、ちょっと」
呟いて三通目を開く。これは数分前、まさに受信直前に送信された物。

「もう、八時近いんだけどな」
食い入るように画面を見詰める姿には、少なからぬ緊張感が漂っている。
「あの、何かあったんでしょうか」
「かもしれない。多分、心配はいらないと思うけどね」

加東景が下宿しているのは、ある家の離れである。
大家さんは母屋に一人で住む年配の女性。かなりの高年齢だから、基本的に夜は出歩かない。
「それで、夜は遅くなりそうだからって、カトーさんが連絡入れたんだけど」
「出ないんですか」
「うん。少し前から何回も電話してるらしいんだけど」
正直な話、この時間に外出は考えにくい。
心配になった景は、付近に居るであろう聖に様子見を頼んだのである。

「眠るには早い上に、出掛けるには遅過ぎる……少し心配かな」
しばらく沈黙していた聖は、携帯を見詰め直した。
ロードサービスに掛けてみたが、通話が始まる前にアンテナが消えたりするから繋がらない。

「こういうのって、慌てて駆け付けたりすると、大概は平気な顔をしてたりするよね」
物語に限らず、現実にも良くある笑い話だ。
取り越し苦労の見本にされる事も多い。
「だけどさ」
彼女は口元に手を当てた。
「千回に一回位は、本当に大変な事が起きてたりもする」
「そうです、ね」
ギンガは静かに頷いた。
捜査官として任務に携わってきた経験上、否定出来ない現実である。

「必死になってから、笑い話にする方がいいよね」
聖はハンドルを握った。
「急いで帰ろう。近くの駅まで辿り着ければ何とかなるから」
「距離は?」
「結構あるかな。この時間になるとバスも少ないし、ガソリンスタンドも駅の側なんだよね」
そこからの道も混んでいる。電車移動とどちらが早いかは、微妙なところか。
同じように考え込むギンガに、聖は不意に頭を下げた。
「ごめんね」
「え?」
「私が無理矢理引っ張って来ちゃったせいで、ナカジマさんにも迷惑を掛けそうだけど」
「そんな、私は」
「途中から走る羽目になるかも知れない。体調悪いのに――」
「いいえ!」
ギンガは強引に遮った。
「お願いですから、そんな事は言わないで下さい。私なんて、今日はお世話になりっぱなしなんですよ」
「……そっか、そうだったね」
何気ない謝罪が、相手に罪悪感を与えてしまう事もある。

「少しばかり、慌てちゃったのかもしれない。別に何か起きたってわけじゃないもんね」
気楽に行こう、と聖は思い直した。
「運が良ければ、電波が届く場所まで走れるかも」
「ダメです。このまま車で行っても、僅かしか進めません」
「なんで?」
「もう燃料が残っていないんです」
ギンガはドアを開いた。
胸の白薔薇を抜いて、ダッシュボードの上に置く。
最初からデバイスに状況把握をさせていたら、こんな事にはならなかっただろう。
事態に対する緊張感が無さ過ぎる。単純だけど致命的なミス。
原因は関係ない。
少なくとも、好意でここに連れて来てくれた彼女の行動に、非が有ってはならないのだ。

何よりも重要なのは。
自分が体調を崩さなければ、今頃は帰途に就いていたかも知れないという事。
「四度目、かな」
ぽつりと呟く。
杞憂に過ぎないだろうとは思う。
だが、自分の今までを考えると、完全に否定する事は不可能だった。

「私って、いつも誰かに助けられてます」
妹のスバルにとっては頼れる姉で、格闘技の師匠。
捜査官として数多くの事件を手掛け、隔離施設に収監中の者達からは相談役の様に頼られていた。
家内ではナカジマ家の長女として、一家を支えていたはずなのに。
いつの間にか、自分が一番重荷になってしまっている。
「そうやって助けられて……でも何も返せなくって」
「それが悩み?」
同じように車の外に出た聖が、俯いた彼女の肩にそっと触れる。
「貴女が何に苦しんでるかは分からない。だけどさ、もう少し肩の力を抜いたら?」
「力を、抜く?」
「友達は見返りなんて求めないよ。大好きな貴女の為に頑張ったんじゃないかな」
「でも」
打算で成り立つような関係ではないけど、借りてばかりの不甲斐ない自分に悔しくなる。

だから、もし間に合うならば。



不意に厳しい表情を浮かべた相手に、聖は戸惑った。
「どうしたの?」
「ここに連れてきて頂いた事は本当に感謝してます。でも、だからこそ――これを理由にする訳にはいかないんです」
ギンガは、胸元のペンダントを握りしめる。
意図を察した彼女の相棒が警告を発したが、意には介さなかった。

終わった後、笑い話になるならそれでいい。
結果的に処罰の対象となっても構わない。
だけど、何もしないで『四度目』を招いたら、自分は一生後悔する。
「ブリッツキャリバー、お願い」
「――――Yes sir.」
僅かな沈黙を挟んで、彼女が応える。
そう。
自分も、この子も分かっている。あの時の行動だって後悔なんかしていない。
亡き母より受け継いだ事。
いざ事に臨む時、余計な事は考えず目標だけを見据える。狙うはただ一撃のみ。
それは戦闘に限らない。

デバイスの起動する声に併せて、ギンガは精神を切り替えた。
日常から――非日常へと。

「……ナカジマさん?」
輝いた光に一瞬目を閉じた聖は、彼女の姿に大きく目を見開いた。
服装は変わっていない。
だが、雰囲気が根本的に違う。強い意志を含んだ眼差しは、先程までの淑やかな印象と完全に異なっている。
この眼の光には見覚えがあった。
剣道部に所属している後輩――支倉令が試合の時に見せる物。
戦いに臨む者の眼だ。
そして。
「それは……そんな物どこから」
足元を覆う無骨なインラインスケートに気付く。
スキーブーツよりも分厚い金属で覆われ、自走用の駆動機構まで内蔵していそうな大仰な代物。
ウィルは四つ。オフロード用には見えないが、何故か柔らかい地面に食い込んでいない。
まるでSF映画に出てくる様なそれの中央には、藤色のクリスタルが光っていた。

「私の相棒です。それよりも、時間が無いんでしょう?」
ギンガは相手の腕を取ると、自身を反転させた。
いきなり背中を見せられた聖は、混乱したまま動けない。
「な、なに?」
「背負います。しっかり掴まってて下さい」
言い放つと、彼女は前方の闇を見据えた。
人影は無し。所々に申し訳程度の街灯はあるが、遠方の都市光にも劣る。
おそらく、山を下りて町中に出るまでは大丈夫。こちらは夜目が効くから無灯火でも問題ない。
それにこの暗さなら、万が一見られたとしても誤魔化せるだろう。
ルート次第では、公共交通機関までノンストップで辿り着ける。

念の為、目立つバリアジャケットは生成しなかった。
例え不慮の事態が生じても、彼女さえ守れればいい。
「聖さま、道案内はお願いしますね」
「で、でも……わ!?」
半ば強引に彼女を背負ったギンガは、軽く息を吸うと――

「行きます!」
透き通った声が暗闇に響く。



走り出した人影は、瞬く間に闇に染まり。
月明かりすら無い夜路を、まるで嵐の様に――猛然と貫いていった。










テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

藤桜 ― 春 ― 第六話 空色硯 sorairo-suzuri/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる