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zoom RSS 藤桜 ― 春 ― 第八話

<<   作成日時 : 2008/05/09 00:15   >>

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遙か遠い空で、恩人の執務官が似たような一言を呟いた頃。
とある郊外の道沿いには、楽しそうな笑い声が響いていた。


「そ、そんなに笑うことないじゃないですか!」
「ごめんごめん。……でも」
「もう、また!」
くっくっくと堪え切れずに笑い続ける相手に、ギンガは頬を膨らませた。
対向車のライトに照らされた二人の姿が、一瞬白々と浮かび上がる。

ゴルフ場脇の道を抜けると、ぽつぽつ車と擦れ違う事が増えてきていた。
歩道を走っているので目立つ事はさほど無いが、それでも多少は奇異の目を向けられる。
まあ時期が時期だ。酔っぱらった友人を背負って歩く姿は珍しくない。
だが、見目麗しい女性という事で人目を引くのだろう。
加えて、自走するインラインスケート。
対向車線からは分からなくとも、追い抜く方には速度と異様さが気付かれる可能性がある。
近付かれる度に減速していたが――注目され過ぎると、如何に無関心な都会民とて記憶に残すかもしれなかった。

「だから、少し遠回りでも河沿いに進んだ方がいいかも」
ようやく笑いを収めた聖は、交差点で指示を出す。
先程見付けたバス停で止まっても良かったのだが、時刻表を見ると上りの本数は少なかった。
それに周回路線だから、駅まで若干遠回りになる。
「あっちに橋があるんだ。それを渡って少し戻ると、ちょうど駅の裏通りに出るから。その方が早いよ」
「了解です」
擦れ違った二人連れの驚いた顔に愛想笑いを返しながら、ギンガは細い脇道に入り込んだ。
表通りに並ぶ店舗の裏側は、河川敷まで街灯もまばらとなっている。護岸沿いの道は、昼ならば散歩コースだろうか。
説明された橋も遠方に確認出来る。


「それにしてもさ」
聖は、再び笑いながら言う。
「ナカジマさんって、やっぱり正義の味方なんだよね?」
細かい説明はされなかったが、どうやら警察みたいな仕事をしているらしい。
それなら、少し安心。
(いくら秘密な人でも、その方がいいもんね)
もちろん、詳しい事情に興味を持つと迷惑だろうから、これ以上聞くつもりは全く無い。

「正義の味方、って言われちゃうと少し語弊があるんですけどね」
ギンガは曖昧な笑みを浮かべた。
陸上警備隊、第108部隊所属の捜査官。
断じて悪の手先ではないが、率直に言って正義を大っぴらに振りかざす類ではない気もする。
派手な能動的任務よりも、受動的役割が大きいからだ。
主体は防犯だし、自分自身は捜査官として個別事案に関わる事の方が多かった。
密輸関連の捜査には特化している部隊だが、それも華々しさからは縁遠い地道な作業。

それに第一。
「――私、今は休職中なんです」
「何で? って聞いてもいいの?」
「別に構いませんよ。秘密ってわけでもありませんから」
話してまずいのは、自分が別の次元世界の住人だという事ぐらいだろう。
万が一知られたとしても、次元間移動技術を所持してない世界では、御伽話として市井の噂に埋もれるだけである。
無論、聖が言い触らすような人間でない事は承知していた。
「以前、ちょっと大怪我しちゃって。それ以降は自宅で退屈してるんですよ」
「大怪我って、大丈夫なの?」
「はい」
慌てた聖に、ギンガは薄く微笑んだ。
「どうせ、身体にはもう傷跡一つ残ってませんから」

「……そっか」
じゃあ何で、という問いを聖は飲み込んだ。
何があったかなんて想像も出来ないけど――もしかしたら、心に深い傷を負ったのかもしれない。
目に見える形には残らないのに、心と身体を染める色がある。洗う事も染め直す事も難しい。
それは、自分にも経験のある事だから良く分かる。



あの時。
一つ歯車が違っていたら、聖はおそらくこの世に居ない。

結局、彼女とは行けなかった。
だけど、もしあのままだったら、何れどこかで同じ様な結末を迎えていたかもしれない。
自分の場合は、『お姉さま』と親友が居てくれたからこそ、踏み止まる事が出来た。
分身とも言える『妹』を迎えた事が、傷を癒す切っ掛けになった。
そして。
人を写す鏡の様な真っ直ぐな後輩のおかげで、過去と未来の双方と向き合いながら歩き出す事が出来たのだ。
壊れかけた自分を、幾つもの曲がり角で助けてくれた人達。
それがどれほど恵まれた事かは自覚しているし、深く感謝もしている。

「あの、本当に大丈夫なんですよ。早く職場に戻れるようにって、頑張ってますから」
こちらの沈黙を気にしたのか、ギンガが取り繕うように言う。
あまりフォローにはなってないが。
「別に無理しなくてもいいんじゃない?」
聖は微笑んだ。
「無理に頑張っちゃうと、身近な人が凄く心配するよ。ナカジマさん、家族は?」
「父と、妹が一人です」
「じゃあ、二人がいいよって言ってくれるまでは、のんびりしなさい。――ね?」
「そ、そうですね」
あまりにも柔らかいその口調に、ギンガは思わず顔を赤らめた。
今まではスバルの姉という立場しか経験が無かったが、もし自分に姉が居たらこんな感じなのかもしれない。

誤魔化すように前方に集中した彼女は、僅かに目を細めた。
まだ遙か先にある、渡る予定の橋。その対岸辺りに赤色灯が見えたのだ。
「路上に赤いランプが幾つか見えるんですが、あれは?」
「ありゃ。今日はお休みだから……飲酒運転チェックかな」
花見が盛んなこの時期、警察の検問は各地に敷かれている。
繁華街から駅方面、そしてその後に続く住宅街に向かう橋であれば、さぞかしチェックのし甲斐もあるだろう。
「軽車両の二人乗りになるかは分からないけど、見付かると捕まっちゃうかも」
少なくとも職務質問は免れない。
そうなると、不審者そのものである人間にとっては、
「まずいですね」
ギンガは思案気に周囲を見回した。
他にも橋は見えるが少々遠い。河の幅もそこそこ有るので、飛び越えるには無理がある。
以前ならば、所持している先天系魔法でこの程度の距離は苦もなく踏破出来たが、封印された現状では不可能だ。
それに魔力光が派手なので、夜間の使用はかえって目立ち過ぎる。

と、すると。

「いいよ、近くまで行ったら歩こうよ。もうあんまり距離も無いからさ」
「でも、万が一現地の官憲に捕まったりしたら、凄く困るんです」
普通の魔導師なら、まだ臨機応変な対応が可能かもしれない。転移魔法でさっさと逃げ出すのも手だ。
だが、自分の場合は穏便に逃げる方法が無い。綿密な身体検査も致命的だ。

反対側の河川敷は無人。街灯の光も僅かしか届いていない。
前方に見える、護岸上部に登る為の階段には手摺り。――頑丈そうで、角度は申し分無し。
「絶対に何とかします。少し派手になりますから、しっかり掴まっていて下さいね!」
「いや、だから――」
普通に歩いてる人は滅多に職質なんてされないんだよ、と言おうと思ったが。
急激な加速に舌を噛みそうになって、聖は慌てて口を噤んだ。
(――――人の話は聞いてってば!)
どうやら本気で『前』しか見ない人らしい。
そのまま前方の階段に向かっている。大きな弧を描くように……つまり河に向かって飛び込むように?

ああ、やっぱり。
聖は胸中で色々な事を諦めると、天を振り仰いだ。
(本気でジェットコースターなんだもんなー。悲鳴だけは上げないようにしとこ)
ついでに、パンツの替えも用意しておけばよかったかなぁ、などと臆面無く考える。
でも。
自分を背負ったギンガの、張り詰めた凛々しい横顔を覗き込んだ聖は、
(やっぱ目を閉じるのは勿体ないか。滅多に無い経験だしさ)
そう考え直して覚悟を決めた。



距離はさほど無いが、角度が浅い。
滞空時間を取れない以上、速度を上げて低い弾道を描く事になる。走り幅跳びよりも遙かに低い軌道。
着地地点を再度確認。付近に人影は見えるが幸い死角になっていた。そういう意味でも高度を取らないのは正解か。
しかし減速に要する距離も伸びそうだ。ブリッツキャリバーの逆制動のみでは少々苦しい。
(仕方ないか)
ギンガは左拳を握りしめた。
――文字通りの『奥の手』が残っている。
猛然と加速したギンガは、階段直前で跳ねて手摺りを踏み台にすると、
「はっ!」
「――――!」
微かな気合いと抑え込まれた悲鳴を残した二人は、弾丸の様に夜空へと舞い上がった。


      ◆   ◆   ◆


「ここ?」
『そうだねえ、だいたいそこら辺じゃないかい』
「でも、誰も見当たらないよ」
座標を再確認したフェイトは、周囲を観察した。
小高い山中にある空き地。
戦闘の気配は無く、魔法行使の反応も痕跡も無し。静かで平和な光景が広がっている。
周囲に並ぶ桜は、親友が手配するお花見会場には見劣りするものの、これはこれで豪壮な自然を感じさせた。

(この状況なら、多分大きな問題は無いと思うけど)
全く心配していないと言えば嘘になる。
しかし、最近のギンガは充分落ち着いたし、今は穏やかな日々を過ごしている。
スバルとのトレーニングでも、トラブルは生じていない。
それに。
もしも何かあった場合は、彼女のデバイスが全力でフォローするだろう。

「――あれは?」
隅の方に、ぽつりと黄色い小型車が残されていた。
中を覗いてみると、
「白薔薇? 造花、じゃないよね。それほど時間が経ってないって事かな」
花はまだ萎れていない。
これだけが残されているのを見ると、何らかの謎掛けだろうか。
「でも、ギンガってこっちの世界は初めてのはずなのに、そんな回りくどい事って――」
出来ない、とは言えなかった。
先程自分で確認した通り、ナカジマ家のルーツはこの世界にある。ゲンヤから何かしら聞いているのかもしれない。
つまり。
(何年も生活してた私より、実は詳しかったりする?)
少し青くなった。
困った事だが、自分はこの世界の難しい言い回しとか謎掛けは、未だに得意ではないのである。
と言うより、国語全般が今一つ苦手。

「アルフ、花言葉とかって詳しい?」
『はなことば? 花が喋る言葉の事かい?』
「……ごめん、何でもない」
腕を組んで沈思黙考。
愛用の戦斧にも問い掛けたが、残念ながら広辞苑程度の内容しか応えてくれなかった。
(求愛とは違うよね)
そうなるとさっぱり分からない。
有名な小説や映画から引用したとか? もしそうだとしたら厳しい。ここ数年はこの世界の世情に疎いのだ。
実家はこちらにあるから、問い合わせ先には困らないのだが。

溜息を吐いた彼女は、恐る恐る空間モニターを開いた。
「エイミィ、あの」
『何かなー?』
満面の笑顔を浮かべる義姉の姿に、フェイトは背筋を震わせると、
「……女の子が白い薔薇を残していく意味とか、調べては頂けないでしょうか」
縮こまる様に頭を下げた。


      ◆   ◆   ◆


時間にしてほんの数秒。
短い滞空時間の中で、聖はやや呆然となってギンガを見詰めていた。
いや。
正確には――彼女の振り上げられた左腕を。
リボルバーナックル。
呟いたギンガの声が微かに聞こえたから、おそらくはそれの名前。
いつの間にか現れたシリンダーの様な物が、彼女の左腕を中心に高速で回転している。拳も金属製の籠手で覆われて。
(――って、それもどこから出したの!?)
無駄だと分かっているのに、つい心の中で叫んでしまう。
驚愕のせいで恐怖を感じなかったのは、まあ幸いだったかもしれないが。


カートリッジは必要ない。自分の魔力を注ぎ込む事に専念する。
魔法として構成せずとも、デバイスは得られた魔力を転換し、術式を所有者の代わりに具現化する。
現状は一定の制約を課せられているから、破壊的な使用は不可。
ならば。
(狙うのは……!)
ギンガは左掌を大きく開いた。凄まじい速度で目的地が迫る。
亡き母より受け継いだシューティングアーツは、何も撃ち抜く事のみに特化しているわけではない。
相対するモノを一撃で倒す。一言で言えばそれだけだ。
右腕で背負った人の腰を支えると、無理な体勢ながらも左腕を弓の如く引き絞る。
魔力放出は集中させるのが原則だが、それ以外にも――
(こういう使い方だってあるんです!)
無言のまま、彼女は全力で腕を突き出した。

ドン、と大気が震える。

穿つのではない。放出された魔力が大気を『弾く』。
魔法を限定使用する職務執行に於いて、非殺傷設定以外の対人鎮圧法の一つ。拡散された物理衝撃。
反動による減速効果を得る為には、少々大袈裟だろうが――それでも今のギンガに出来る唯一の方法だった。
着地寸前で大きく減速した状況の中、彼女は空中で身体を反転させる。同時にブリッツキャリバーの最大稼働。
首に回された腕を手早く振り解いて、相手を抱きかかえた。
負担を考えるとこれ以上の急減速は避けたい。
その上で制動に必要な距離は――?

「慌てないで、丁寧にね!」
進行方向に背を向け小声で叫んだ彼女は。
デバイスに注意を促すと同時に、腕の中の彼女を宝物の様に抱き締めた。




「――――ちょいと、ナカジマさんや」
『mode release』
腕の中から、困惑しきった声が上がった。
と同時に、足元のデバイスが待機モードへ移行する。
「はい?」
何故か、一瞬呆けてしまっていたらしい。
ギンガは慌てて胸元を見下ろした。すぐ間近にある彫りの深い顔が、何とも言い様の無い表情で笑っている。
「えっと」
「あのさ、お姫様だっこは嬉しいんだけど……これ、結構目立つよ」
「あ」
先程の震動音が気になったのだろう。
愛犬を連れた主婦らしき影が護岸から覗き込んできたが、二人の視線を受けるとそそくさと頭を引っ込めた。
顔が赤いように見えたのは、多分。
「ラブシーンに遭遇しちゃったら、逃げるよねえ」
街灯の届かぬ河川敷の二人連れ、しかも女同士。
「ら、らぶしーんって何ですか!?」
「そのままの意味だけど? ――よいしょっと」
真っ赤になって硬直するギンガの腕から、聖はひょいと降り立った。
「よし、腰は抜けてないや。我ながら度胸あるなー」
対岸に視線を向けた。あそこからここまで跳んだなんて、とても信じられない。
その割には、しっかり現実として受け止めている自分に少し驚く。

「あの、聖さま。大丈夫なんですか?」
あまりにも平然としている聖を見て、逆にギンガの方が戸惑った。
自分が言うのも何だが、完全な一般人の彼女が全く動じてない事の方が信じられない。
「正直に言いますけど、ちょっとやり過ぎちゃったかなって」
「だろうねえ。止める暇も無かったしさ。――とにかく歩こうよ」
聖は駅に向かって歩きながら、ちらりと横目で確認する。
橋側の赤色灯は動いてない。
先程の無茶が目撃されていたとしても、通報した者はいないか、まだ連絡が届いていないという事。
今の内にさっさと電車に乗り込んでしまえば、大丈夫だろう。

ついでにナカジマさんの姿を確認すると、いつの間にかインラインスケートを履いていなかった。
あのごつい籠手も無い。一体どこに消えたのやら。
(ま、考えない考えない)
世の中には色々と不思議な事があるのだから、余程不条理で無い限りは気にしない。

「申し訳有りません。私、こうしなきゃって思ったら」
「突っ走っちゃう性格なんでしょ? 気にしなくていいんじゃない?」
何にせよ、前向きなのは良い事だと思う。
「それにね。夢でも見たんだろって言うには、あっという間だったし」
怖がる暇も無かったしね、と聖は気楽に笑った。
実のところは。
彼女の凛々しい表情に見惚れていて、余計な事を考える暇が無かったというのが真相である。
惚れ惚れする程、実に格好良い姿だった。
――こういう所は、我ながら筋金入りかも。
「まあとにかく」
今更肩を落としている姿に苦笑して、聖は見え始めた駅の灯りを指差す。
「本番はこれからでしょ? 急ごうよ」

「は、はい!」
何と言うか、自分などより遙かに逞しい人だなあ、と思うしかなく。
小走りになった相手に返事をして、ギンガは慌てて後を追った。






一方、その頃の某執務官。

当然ながら、他意も無く置かれた一輪の薔薇に、深い意味など見出せるはずもない。
義姉、母、使い魔のアルフと共に、延々と家族討論会が行われていたようである。
で。
結果的に、直後に発生したリボルバーナックルの起動反応を追い掛けて行ったわけだから。

全ては徒労だったそうな。










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