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zoom RSS 藤桜 ― 春 ― 第九話

<<   作成日時 : 2008/05/09 00:15   >>

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既に、時刻は九時を回っていた。


「ここがそうなんですか?」
「そう、だよ」
息を切らした聖は、壁に手を付いて息を整える。
さすがに都心で目立つ事は出来ないからと、駅から自前の足で走ってきたのである。
タクシーを使っても良かったが、大した距離ではない上に――この時間のタクシー待ちは、かなり混んでいた。
まあ走ってる最中で少しばかり後悔したのだが。
「だけど、け、健康にはいいよね」
「そうですね」
この程度の全力疾走など走った内に入らないギンガは、後ろめたそうに頷いた。


閑静な住宅街に佇む、立派な造りの一軒家。
塀と見紛うばかりの門扉に作られた通用門を開ける。古風な平屋まで続く摩耗した敷石が、その年季を伝えていた。
加東景の住む離れは、当然まだ暗いままだ。
そして。
「良かった、明かりが点いてる」
居間の辺りから、煌々と光が漏れている。
「取り越し苦労だったかな。ちゃんと帰ってきてるなら、案外居眠りでも」
「聖さま」
胸を撫で下ろした聖を、ギンガの固い声が呼び止めた。
「なに?」
「あちらの建物に、その方が?」
「そうだけど、何か変な事でもあった?」
「変と言うより」
ギンガの視覚は先程から切り替わっている。通常時から探索用に。
故に、人の生体反応があれば確実に捉えられるのだが。

「どなたも、いらっしゃらないんです」
彼女の視界には、生体反応など何一つ存在しなかった。
デバイスによる分析結果がそれを補完する。少なくとも、生命に繋がる物は発見出来なかったのだ。
生者も――生者でなくなった者すらも。


「そんなはずは無いんだけど……本当に、外から分かるの?」
同じような固い声で、聖は慎重に問い掛けた。
この時間に明かりを点けっぱなしで近所の散歩? ――万が一にも有り得ない話だ。
しかし。
無言で頷くギンガを一瞥すると、彼女はそのまま早足で門に向かった。
外に出て周囲を見回す。
住宅街の静寂はいつも通り。特に変わった様子は感じられない。
「どうします?」
「まずは加東さんに連絡。それから、場合によっては警察に電話するから、ナカジマさんは隠れた方がいいね」
「はい。――すみません」
「いいって」
さらりと流し、聖は携帯をコールする。
「……繋がらないか。この時間だとちょうど電車の中かもしれないな」
一応、留守電に伝言を吹き込んだ。
口元に手を当てて、少し考える。
大家である池上弓子さんは、高齢ではあるものの心身共に比較的健康で、まして徘徊癖など一切無い。
有り得るとすれば、外出先で体調を崩したり事故に遭って、病院に担ぎ込まれた可能性。
意図的に電気を点けていったとなると――例えば夕方頃に、暗くなってから戻る事を前提に外出したという事か。
だとしたら近場。陽が落ちてから遠出はしないはずだし。
後は――考えたくは無いが、
「犯罪とかに巻き込まれたってのは、無いと思いたいな」
「この家で問題が生じたって事は無いはずです。痕跡が見当たりませんから」
「……詳しくは聞きたくないけど、それなら少しは安心だね」
ふっ、と軽く息を吐き出した彼女は、通用門を閉めた。
「買い物に出た先で何かあったのなら、多分向こうの方だと思う。念の為、行ってみよう」
「了解です」

二人が足早に歩き出した時。



「あーっ! 聖さま、見付けましたっ!」
と、何故か抗議を含んだ聞き覚えのある声が、暗い夜道に響き渡った。


      ◆   ◆   ◆


「弓子さんは?」
母屋に大家さんを送ってきた祐巳に、景はお茶を入れながら聞いた。
「先にお休みになるそうですよ。これを頂いて参りました」
「お茶請けには良さそうだけど、凄く甘そうね?」
「ですね」
小粒の和菓子セットを卓袱台に並べていく。
お茶は景と祐巳の分、それと――
「あの、カトーさん、私のは?」
「何の事か分からないわね。お客様は二人しか見えないし」
「会話してるのに!?」
があん、と衝撃を顔に出した聖が、悄々と項垂れる。
「……あの、私もお構いなく」
「いいのよ。聖さんに振り回された同士でしょう? 遠慮する必要なんて全く無いわ」
「はあ」
にっこりと微笑むと、その新しいお客様――ナカジマさんが、ぎこちない笑みを返してくる。

そう。
言いたい事は山ほどあるが、聖に罪が無い事も分かるから何も言えない。
そんな感じの同士が三人、と。




切迫した内容の留守電を聞いて、景が真っ青な顔で家に駆け込んだ時。
彼女を迎えたのは、穏やかな談笑と、時折響く聖の笑い声だった。

「話を聞いたら、原因は聖さんじゃないの」
「え、全部私のせい? それはさすがに濡れ衣な」
「――気はしませんよ。聖さまが、いい加減なお願いをしたのが悪いんです」
いつもと違い、全くフォローに回ってくれない後輩。

福沢祐巳。
愛嬌のある顔立ちで、表情がくるくる変わる明るい感じの子である。
両サイドをリボンで纏めた髪は、活発な雰囲気よりも年相応の可愛さを演出している。
聖の二年後輩。彼女とは卒業後も色々と縁が深い。
お互いに世話を焼いたり焼かれたりで、聖にとっては大事な後輩であると同時に、恩人でもあった。
「はい、これ。蔦子さんに頼まれたんですよね」
「あ、もう出来たんだ」
写真の入った封筒を受け取――ろうとした彼女の手は空を切った。
「……あれ?」
「ナカジマさま、どうぞ」
「私ですか? ありがとうございます」
両手で丁寧に受け取ったギンガは、中身を卓袱台の上に並べてみた。全部で二十枚ほど、何枚かはセピア調に仕上げてある。
それは桜の舞い散る中に佇む、二人の女性。
時には活動的に、そして時には幻想的に。
透明感を重視して桜を浮き立たせたり、逆に人物の存在感を生かして桜を舞台背景としてみたり。
まるでモデルを使った何かのカタログの様な、静と動を併せ持った光景の数々。
「うわ……これ、本当に私なんですか?」
「凄いですよね。さすがは蔦子さん。あ、もちろんナカジマさまもお綺麗ですよ」
「いや、その、そんな真顔で言われると、恥ずかしいじゃないですか」
にこやかに談笑する祐巳とギンガ。
横から景がさりげなく菓子を勧め、お互いに会釈し合う。

そんな光景の脇で、所在なげに手を彷徨わせた聖は。
おもむろに正座すると、
「お許しくだせえ、お代官様方」
実に情けない声と共に、深々と土下座した。



まあ要するに。
昼間、写真を撮ってもらった聖は、蔦子に焼き増しを頼んだわけである。
ギンガが旅行者であり、何らかの特殊な事情がありそうだと感じた彼女は急ぎ現像し、早々に渡す事を試みた。
言外の催促を読み取ったとも言える。
しかし、佐藤聖に接触し易く、それでいて蔦子が直接連絡の取れる相手は二人しかいない。
「志摩子さんは聖さまと頻繁に会う人じゃないしって事で、私に白羽の矢が立ったわけです」
「しかもカトーさんとも知り合いである、と」
聖は、うーむと腕を組んだ。
思い起こせば。
蔦子と別れる際に、祐巳経由で頼んだとも取れる発言はしている。そんなつもりは無かったのだが。
「だけど、祐巳ちゃんがカトーさんに連絡取れるなんて思ってなかったよ」
「直接じゃないんですけどね」
写真を渡すことを頼まれたはいいが、その対象が出歩いている事も分かっていた。
つまり。
祐巳が訪ねたのは、加東景の下宿先だったのである。
大家の弓子とも顔見知りだった彼女は、今日学内で二人が会っていた事を知り、写真を持って訪ねたのだ。
不在と知って言付けを頼もうとしたのだが、弓子に引き留められて話し相手になっていたらしい。
「加東さんが普段お戻りになる時間をお聞きしましたので、お待ちする事にしたんです」
ところが、いつもの時間になっても帰宅しない。
まあ学生の付き合いもあるから、遅くなる事もあるだろう。
弓子から番号は聞いたものの、電話で帰宅を催促するのも無粋である。

どうしようかと考えている内に、あっさりと陽は落ちた。
そこで、帰りが遅くなると自宅に連絡を入れた祐巳を、弓子が外食に誘ったらしい。
最初は固辞したのだが、寂しそうな相手の姿に根負けしたそうな。

居間の明かりを点けて行ったのは――単なる泥棒除けである。

「それで不在だったのかあ」
「帰ってきてタクシーから降りたら、聖さまとナカジマさまが見えたんです」
「なるほど。でもさ」
首を傾げる。
「何で私が昼間、カトーさんと会ってたって知ってるの? カメラちゃんにも見られてなかったのに」
「……あのですね」
祐巳はこめかみを押さえた。
「聖さま、ご自分がリリアンでどれだけ目立つかってご存知ですか?」

噂好きの学生にとって格好の話題なのだ。
学内にいた桂さん――テニス部で祐巳の元同級生――から二人が会っていた事を聞いた蔦子は、当然それを祐巳にも伝えた。
加東景と直接面識は無いが、話を聞いてすぐに思い当たったからである。
実際、二人は学内で時折一緒にいるから、蔦子も遠目でならば見た事があった。

「と、言う事で」
ぱん、と景が手を打ち鳴らした。
「意図せず祐巳ちゃん経由で頼んだ聖さんに罪は無し。でも祐巳ちゃんを振り回した原因はやっぱり誰かさん」
「いや、だけどそんなつもりは」
「次に、祐巳ちゃんと弓子さんが外出したのは問題無し。でも、すぐに確認出来る場所にいなかったのは誰かさん」
「え、それも私!?」
「そして、遠来のお客様であるナカジマさんを連れ回した挙げ句、無理矢理ここに引っ張ってきた原因も誰かさん、ね」
「ちょっと、それはないんじゃない」
聖は口を尖らせた。
その言い方では、ナカジマさんにも罪悪感を持たせてしまうではないか。
「色々と悪かったとは思うけど、そんな言い方は」

「あら、聖さんが悪かったの?」
不思議そうな顔で言う加東景。

「…………へ?」
「誰も、貴女が全部悪かったなんて言ってないじゃない。ねえ?」
「そうですね。私も加東さんに連絡を入れておけばよかったんですよね」
と、明後日の方を見る福沢祐巳。
「ご迷惑を掛けたというなら、私の方が遙かに多いですしね」
そう苦笑するギンガ・ナカジマ。

景に、弓子の安否が不明だと伝えて途轍もない不安を抱かせたのも。
ギンガを、何だか色々と振り回したのも。
祐巳に、こんな時間まで外出させているのも。

「全部、貴女が好意でした結果だと思ってたのに。――そう、違ったの」
悪戯っぽい笑みを浮かべるカトーさん。

「……ちょっと待って」
聖は呆然とした表情で他の二人を眺めたが、さりげなく視線を外された。
いや待て。
カトーさん、あんたそんなに茶目っ気のある人だったっけ、とか。
いつの間に結託したんだ祐巳ちゃんとナカジマさん、とか。
そんな事より。

「つまりイジメだね? イジメっ子だね君たち!?」
まさかあ、と指差された三人の素知らぬ顔が、聖の弾劾を迎撃して。


誰からともなく始まった笑い声は、それなりに長く続いたらしい。










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