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zoom RSS 藤桜 ― 春 ― 第十話

<<   作成日時 : 2008/05/09 00:16   >>

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「では聖さま、お休みなさい」
「はい、お休み。またそのうちね」
「ナカジマさま、今日は楽しかったです。またいつか、お会い出来ると嬉しいです」
「ええ、私も」
ギンガと軽く握手すると、祐巳は少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
海外に留学した先輩と同じく、彼女ともそうそう会えそうにない。
とは言え、こればかりは仕方の無い事である。
「それでは失礼します」
迎えに来た父親の車を背後に、祐巳は深々と頭を下げた。

「祐巳ちゃんのお父さんと、何を話してたの?」
「前の時の御礼を言われたのよ」
「ああ、あの時の」
景が以前、失意の底に陥った祐巳を世話した件だろう。
聖と景が友人となる切っ掛けになった事件でもあった。
「じゃあ、私たちも帰るね。大家さんに宜しく」
「ええ。帰り道は気を付けて。ナカジマさんも、またどこかでお会いしましょう」
「はい」
会釈すると、景は門内へと去っていく。

不意に住宅街の静けさが染み込んできて、ギンガは思わず掌を組み合わせた。
寒いわけではない。単純明快な別離の寂しさ。
数刻後には、隣の聖ともお別れである。これ以上一緒にいて、迷惑が生じてはならない。
いつまでこの世界にいるか不明な上、官憲の捕捉も避けねばならないからだ。



「さて、困ったぞ」
聖はポケットの中に突っ込んだ手を引き出した。
ちゃり、と鳴ったのは車のキー。
「車の鍵、掛けるの忘れちゃったんだ。今から取りに行くのも大変だけど、盗られちゃったら困るし」
あれだけ閑散としている場所だから、確率は極めて低いが。
「それならすぐに戻りましょう。是非付き合わせて下さい」
「いいの?」
「当然じゃないですか。元はと言えば、私が強引だったせいなんですから」
それに先程の駅から飛ばせば、そんなに掛かる距離でもない。
「じゃあ駅前でガソリンを買って行こっかな」
携行缶は所持していないが、スタンドが保証金預かりで貸してくれる。3リットルもあれば充分。
第一、それ以上は重くて持てっこない。
「それに関してはお任せ下さい。私、力持ちなんですよ」
説明すると、ギンガは楽しそうに笑った。


      ◆   ◆   ◆


電車から降りた二人は、駅前のガソリンスタンドに立ち寄った。
選んだ携行缶は20リットル入りの一番大きなサイズだったが、ギンガは片手で軽々と持ち上げて見せる。
「どうです?」
「さすがだねえ」
普段と全く変わらぬ歩調で歩く彼女の後を、苦笑した聖が続く。
ちなみに、アルバイトのやたらと驚いた表情が印象に残った。



ある程度人通りの無くなった場所で、再びデバイスを起動する。
聖を背負いながら、左脇に携行缶をしっかりと抱えた。どちらも落としたら洒落にならない。
「あ」
「どうしたの?」
「それが」
走り始めた彼女は、何気ない振りで空を見上げた。
上空に出始めた薄雲を都会の光が照らし出して、やや明るめの夜空が広がっている。
無論、闇には違いない。
だが。
(今の起動が、探査魔法に引っ掛かったのかな)
ギンガの並外れた視覚は、上空に飛来する魔導師の姿を捉えていた。
金色に輝く髪と、僅かに放出される同色の魔力光。
「……どうやら、迎えが来たみたいです」
「そっか」
聖は押し黙った。
何となくだが、お別れはあの桜の前になるのかなという予感はあった。迎えが空から来るとは思ってなかったが。
(やっぱり、正義の味方だったのかな)
現れる時はどこからともなく颯爽と、去る時は跡を残さず潔く。
だけど、今すぐとなると――
「あの場所までは付き合いますから、気にしないで下さい」
口を開きかけた彼女を制するように、ギンガは微笑んだ。
「私、そんな無責任じゃないですよ」
「ごめん」
苦笑した聖は、柔らかい笑みを浮かべると――そっと相手の背中に身体を預けた。



「……そう。もう少ししたら連れて帰れると思うから、母さんは準備を進めておいて」
念話を終えたフェイトは、安堵の溜息を吐いた。
眼下に見えるのは捜していた相手の健康な姿。何らかの事情を抱えたらしく、女性を背負っている。
怪我人という感じでもないから、単なる運搬だろう。
(少し目立ちそうだけど、夜だし心配いらないかな)
それなりにこの世界で過ごしたので、都市周辺の無関心さは知っていた。
少々奇異に映ろうとも、対象が若い場合はあまり関わろうとしない。それぞれ独自の価値観で行動しているからだ。
第一、ギンガも出来る限り人目の少ない道を選んでいるし、速度も抑えめだからさほど目立つ事も無いだろう。

「だけど」
先程の山に向かっている二人を、フェイトは驚きの表情で眺めていた。
一般人らしき人物の前でデバイスを稼働させている事に、ではない。
(あんなに積極的に人と関わってるギンガって、随分と久し振りな気がする)
明るく前向きだけど、同時に思慮深く穏やかな性格の彼女。――そういった本来の姿は、ここ最近は影を潜めていた。
どこか遠慮がちで、人との接触を怖がる兆しすら感じさせていたのだが。

遠目でも分かる、随分と素直な笑顔。

「見知らぬ場所に、いきなり放り出されたから?」
そう呟いて、つい苦笑する
悩む暇が無かったから素直になれた――そう言う事だとしても、災難には違いない。
結果さえ良ければいいという問題では無かった。

ただ。
これが彼女にとって本当に良かったのだとしたら。
それは――とても嬉しい事だと思うのだ。




携行缶から中身を移し終えたギンガは、それを助手席の下に押し込んだ。
「帰り際に返却するんですよね?」
「うん。保証金を預けてきたからね。明日でもいいって言ってくれたけど、そんなに遠回りじゃないしさ」
肩を竦めた聖は、ダッシュボードの白薔薇を手に取った。
茎の根本の銀紙を取り除くと、内部の保水材は既に乾いている。
「ぎりぎりだね。――ナカジマさん」
「はい?」
「ちょっと横を向いて」
湿り気の残る茎の下半分を捨て去り、彼女の長い髪にそっと添えた。
藤色に白い薔薇。
星明かりの中、その清浄な白さだけが涼しげに浮かび上がる。
それを感慨深げに眺めながら、彼女は名残惜しそうに髪を撫でた。
たった一日だけど、これほど思い出に残りそうな日は滅多に無い。多分、この人を忘れる事も無いだろう。
二度と会えないかもしれない、極めて希有なお客様。

――それなのに、正直に寂しいと言えないのは何故だろう?

「良く似合ってるよ」
「あ、ありがとうございます。……何だか口説かれてるみたいですね」
間近で囁かれたギンガは、少し頬を染めながら苦笑した。
「年下の子に、冗談でもこういう事をしたらダメですよ。本気にされたら大変です」
「本気って何かなー?」
「言わせようったって無駄です。聖さまのそういう所は、祐巳さんにしっかり教えて貰いましたからね」
「それは残念」
にやっと笑った聖が、そのまま数歩下がる。



「じゃあ――お別れ、かな?」
「はい」
ギンガは頷くと、上空に向かって手を振った。
相手から少しばかり躊躇いの気配を感じた彼女は、大丈夫とばかりに大きく頷く。
すると。

「うわ」
聖は目を見開いた。
空から、金色の髪を靡かせた女性が降りてきたからである。
玲瓏と冷厳を併せ持った美貌に、黒尽くめな衣装と白い外套。
左手は盾代わりの金属籠手に覆われ、右手に持つのは杖――じゃなくて斧?
何だか正義の味方と言うよりも、
「……死神さん?」
「ち、違います! 私の仕事上の先輩ですよ」
慌ててギンガがフォローを試みる。が、当然無理はあるわけで。
「いや、だってさ」
聖は難しそうに唸った。
ナカジマさんには申し訳ないのだが、彼女のイメージとはあまり結び付かない。
(むしろ逆方向じゃない?)
この人って真っ黒で冷たい感じだし。第一印象としては――悪の組織の、首領の側で冷ややかに笑う女幹部?

と、正直に口に出したら、その美人さんは僅かに眉を顰めた。
まあ、特に何も言わなかったのだが。

「と、とにかく」
妙な雰囲気に流されそうな状況を誤魔化すように、ギンガは咳払いをした。
「それでは改めまして」
「そうだね」
聖も笑みを収め、居住まいを正す。
「今日は本当にありがとうございました。ここでお別れです」
「こちらこそ。今日は本当に楽しかった」
先程とは異なる、軽い会釈。
握手すら無い、あっさりとした別れの儀式。



金髪の人に抱き抱えられて、彼女は天に上って行く。
(天女の羽衣かな)
有名な昔話の一節を思い出した。
各所で内容は異なるが、彼女の知っている話は。
「最後には帰っちゃうんだよね」
別に羽衣を隠したわけじゃないけど、連れ回したおかげで帰るのが遅くなったのかもしれない。
もっとも彼女の場合は、天女と言うには些か凛々し過ぎる人だった。
それに。
「忘れて貰っちゃ困るよ」
聖は大きく頷いた。
別れは構わない。二度と会えない出逢いなんて、世の中には幾らでもある。
だけど――再会を願う事が、禁じられているわけじゃない。

「ナカジマさん!」

「え?」
怒鳴るような呼び掛けに、ギンガは慌てて視線を下げた。
視界に映るのは、どことなく悪戯っぽい笑みを浮かべた佐藤聖。
両手でメガホンを作った彼女が、精一杯の声で伝えてくる。
「今度来た時は奢ってね! 倍返しの約束、忘れないでよ!」
「あ……!」
ギンガは息を飲んだ。
彼女と過ごした一日が、鮮明に浮かび上がる。

舞い散る桜と、青々と生い茂ったケヤキの新緑。
ささやかなお茶会と、ケーキに囲まれた昼下がりのティータイム。
徐々に遠くなる眼下の光景と、山を二人で駆け下りた道行き。
そして――最後に知り合った人たちと、自分が得た物。

指が自然と胸元に触れた。
ポケットに収まったのは、分け合った内の幾枚かの写真。

「必ず! 今度来た時は御馳走しますね!」
そう叫び返すと、彼女は嬉しそうに頷いた後、最後に大きく息を吸い込んで――

「じゃあ、またね!」
「はい!」



春の盛りに響き合ったその『約束』は。
ギンガ・ナカジマと呼ばれる女性の、最も長い一年の始まりを告げる物となったのだ。


      ◆   ◆   ◆


「色々と聞きたい事があるけど、今はいいかな」
「ごめんなさい」
「ううん。こっちこそごめんなさいだね」
高度を上げたフェイトは、ギンガの様子に苦笑した。
それから、落ち込むように呟く。
「それにしても……死神とか、悪の女幹部って。私ってそんな感じに見えるんだ……」
「そ、そんな事は無いと思うんですけど」
と言っても、黒をやたらと好むフェイトのセンスは、そう見られても仕方無いと言えた。
愛車も黒だし、私服のほとんども黒を含む寒色系。
果ては下着も黒ばかりである。

「でも」
フェイトはくすりと笑った。
「いい人だね。一目見てそう思った」
あんな人であれば、心配する必要も無い。
一般人の前で魔力行使。規定違反とも言えたが、執務官には現地の住民に協力を仰ぐ権限が与えられている。
捜索対象を保護して貰っていたと考えれば、何とか書類でどうにかなるレベルだろう。
母親曰く『気遣い』の範疇に収まるはず。
「そうですね。本当にいい人です」
頷いてから、ギンガはもう一度ポケットに手を触れた。
「フェイトさん。私、今日写真を撮って貰ったんです。――凄く、綺麗な写真です」
「そうなんだ」
「ですから――」
声が震える。

「写真が残ってるなら、今日あった事は、全部本当の事なんですよね」

「そうだよ」
フェイトは、静かに応えた。
「貴女はここにいるよ。この世界も。だから頂いた写真は、部屋の一番目立つ場所に貼ってみない?」
「…………はい」
胸に顔を埋めたギンガから漏れる、微かな嗚咽。
一瞬だけ唇を噛んだ彼女は、直ぐに微笑んだ。
「ギンガを抱いて飛ぶのって久し振りだね。あの時以来?」
「そう、ですね」
空港火災から助けて貰ったのは、もう随分と昔の事になる。

「ずっと飛んで行ってもいいけど、目立っちゃうから」
転移魔法を構築したフェイトは、ギンガの髪に留められた薔薇に目をやった。
「折角だから、萎れないうちに母さん達にも見せてあげて」
「はい」

徐々に強まる魔力光の中。
ギンガは遙か下で闇に沈む山々に目を向けて。

「……いつか、きっと」

消え去る寸前、囁きかける様に呟いた。








「夢だったって言われても、信じそうだけど」
聖は、車のドアを閉めた。
エンジンを掛けてから、思い直したようにブレーキを踏む。
窓から見える桜。
助手席で眠っていたあの子。もうちょっと起きていてくれれば、夕陽に照らされた派手な色彩を見せる事も出来たのに。
それが、少しばかり心残り。

「寒い」

言い知れぬ孤独感に襲われて、肩を震わせた。
携帯を取り出してみる。
さっきはアンテナが一本も立っていなかったが、今はどうだろう?
通じなければ、真っ直ぐ家に帰ってお風呂で暖まる。それからぱったりと寝てしまおう。
だけど。
もし誰かに通じたなら、朝までその人と飲み明かしたい。

二つ折りの携帯を、運試しする様な気分で開いた彼女は――にやりと笑った。
電話帳で選ぶまでもなく、指が番号を覚えている。

「あ、蓉子? うん、夜遅くにごめんね。で、ごめんついでなんだけど――――」



散々怒鳴られながらも、何とか承諾を得た主人を乗せたその車は。
やがて――踊るような轍を残しながら、悠々と走り去っていった。










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