空色硯 sorairo-suzuri

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zoom RSS FIXATIVE 第04話

<<   作成日時 : 2008/07/01 21:51   >>

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翌日の昼。
染谷ゆかりは、足早に渡り廊下を歩いていた。
目的地は高等部の寮。

美術部の先輩から、部長の槙が授業を休んでいると聞いたのである。

確かに、昨日は普段より疲れていたらしいが、そこまで体調を崩しているようにも見えなかった。
まあ、いつも余裕――と言うより、のんびりしてる風に見えるから、実は結構無理していたのかもしれない。
(まさか熱があったとか、そういう事なの?)
だとしたら。
気付かなかった自分は、間抜けもいいところだ。



寮のエントランスに着くと、当然ながら閑散とした空気が漂っていた。
昼時の今は、ほとんどの者が食堂に集まっている。
食後も、すぐに教室に戻る者は少ない。
併設のカフェは常に盛況で、剣待生・一般学生を問わず憩いの場として人気があった。
(そう言えば、食事はしたのかしら)
手ぶらだという事を、不意に意識する。
(……先輩のことだから)
多分、してない。
何かしら差し入れを用意すべきだったかも。
風邪だとしたら、消化が良く栄養価の高い物を取るべきなのだが――どうせ、手配も誰かに頼ることも忘れているはず。
何でもそつなくこなすのに、うっかりな所があるから。

「様子を見て、希望を聞いてみようかな」

今から食堂で手配しても間に合うかどうか。
場合によっては午後の授業を休んで、家庭科室を借りてもいいかもしれない。
ただ。
過労で体調を崩してるのだったら、睡眠こそが最高の良薬である。
(眠ってたら、放課後にした方がいいわね)

――――などと考えながら。
いつの間にか目的の部屋に到着していたことに気付き、ゆかりは微かに苦笑した。
これでは、先輩の事を心配出来ない。




(他に誰かいる?)
扉をノックしようとした彼女は、眉を顰めた。
部屋の中から話し声が聞こえる。自分のよく知る声が誰かと会話しているらしい。
ただ、余程小さい声で喋っているのか相手は不明。
(お見舞いに来た人かな)
同じ部員の可能性もあった。人望のある人だから、後輩の相談事にも良く付き合っている。

どちらにせよ、起きている事は間違いない。
数回ノックすると、話し声はぴたりと止んだ。
「はい?」
「私です」
「……ゆかり? どうぞ」
口調の中に躊躇いに似た響きを感じて、彼女は戸惑った。
「いいんですか? どなたか、いらっしゃるみたいですけど」
「だ、誰もいないわよ」
「はあ」
取り繕う様な台詞も、明らかに不自然。
しかし――このままここに立っていても埒が明かない。
少しばかり迷った後。
「では、失礼します」
と、遠慮がちに扉を開けた。

「……どうしたんですか、先輩?」
目に入ったのは、ベッドの端に寝間着で腰掛けている槙の姿だった。
少し驚きを含んだ困ったような笑顔が、こちらを見上げている。
見た目には健康そうだ。よく眠れたのか、昨日感じられた疲労感は綺麗に消え去っていた。
もちろん、小康状態なだけの可能性もあるから油断はできないが。
それよりも。
「確かに、話し声が聞こえた気がしたんですけど」
携帯は部屋の端の机上にあるから、電話をしていたわけでもなさそうだ。
「えっと、その、ね」
槙の視線が、ゆかりから白々しく逸れた。
それが何もない壁に向かっているのを見て、彼女は溜息を吐く。幾ら何でも、ごまかし方が下手すぎる。
何を隠したいのかは知らないが、自分だってそこまで野暮じゃない。
「追求はしませんけど、独り言はくせになりますよ」
「そ、そう? それじゃ気を付けないと」
もじもじと指を組み合わせる様子は、いつもよりも幼く見えた。
全く。
(たまに子供っぽいんだから)



妙に慌てる自分の素振りに、腹を立てたのだろうか。
「――先輩」
「はい!」
目を細めた彼女の視線を受けて、槙はぴんと姿勢を正した。
「体調を崩していると伺いましたが、思ってたより元気そうで何よりです」
「ありがと」
「何か必要な物はありますか? それと、副部長に言付けがあるなら伝えます」
「うーん……特には無いわね。二日もお休みして、ごめんなさいってくらいかな」
「分かりました」
あっさり頷くと、彼女はドアに手を掛け――見慣れぬ物に気付いて動きを止めた。

「それは?」
「え? ――ああ、これ?」
机の上に置きっぱなしだった紙袋から、昨日買った物が覗いていた。
「先輩、メディウムって使いませんよね?」
「そうね。でも、せっかく買ったんだから使ってみようかなって」
「見せて貰ってもいいですか?」
「あ、はい」
一つ手に取ったゆかりが、ラベルに書かれた説明に読み耽る。

――眉一つ動かさずに。

その沈黙が怖くて、槙は精一杯の笑顔を浮かべてみせた。
「ほ、ほら。私も最近、煮詰まっちゃってるから。たまには新しい物に挑戦してみるのも」
チャレンジ精神って言うじゃない、などとぎこちなく主張してみたのだが、
「ラメ入りを、何に活用するんですか?」
「う」
自分などよりも遙かに爽やかな、満面の笑顔の前ではどうにもならない。
「えっと……よ、夜空を描く時とか、パーティードレスを描く時とか」
「苦しいですね」
「あう」
こちらの意見をばっさり断ち切ると、彼女は紙袋から書籍類を取り出した。
「確かに、上手く使える人はいるんでしょうけど」
中の画材を一つ一つ確かめ――少しだけ悩んだ後、定着液だけを取り出して袋を閉じた。
そしてそれを胸元に抱える。

「あの、ゆかり?」
「先輩の絵には、これっぽっちも合いませんね」
彼女は、にっこりと微笑んだ。
知らない人が見たら誰でも惚れてしまいそうな、魅力的な笑顔なのだが。
槙は引き攣った笑いしか返せない。
「どうせ、強引に売り付けられたんですよね。だからって無理に使おうとするなんて、本末転倒にも程があります」
「でも、勿体ないもの。ね?」
「ね? じゃありません。不許可です。これは私がお預かりしておきますね」
「…………はい」
しょぼん、と肩を落として項垂れた槙に、ゆかりは背を向けた。
「それに」
ノブに手を掛けながら、最後に一つ付け加える。
「――私は、いつも通りの先輩の絵が好きですから」
「あ……」

何かを言おうとして口を開いたが、既に遅く。
扉は、目の前で静かに閉じた。





「いい後輩だね、槙ちゃん」
先程から、ずっと机の上に座っていた相手から優しい声が上がる。
「怒ってたけど、本気で心配してるように見えたもん」
言われるまでもなく分かってる事だから、槙はただ黙って頷いた。
心配してくれるのは、本当に嬉しい。
昨日は色々あって、体調が悪いのは事実である。いつもだったら気鬱になりそうなものだけど。
ゆかりと、もう一人のおかげで助かっている。
(色々、ね)
こう言ってはなんだが。
昼間だと余計な事を考えないで済むのはありがたい。
そういった雰囲気も全く無いし。

「それにしても」
意外そうに首を傾げる彼女。
「ゆかりちゃんかあ。アパートに住んでる人と同じ名前だね」
「そう」
槙は微妙な苦笑いを浮かべると、もそもそとベッドに潜り込んだ。
「槙ちゃん?」
「もう少し横になります。風邪を引きかけてるのは本当だもの」
「そっか」
「だから――――」
ちら、と視線を向けて。

「昨日みたいに、と、取り憑いたりしないでね?」

「しないってば」
にへっと笑った彼女――彩子は長い髪を掻き上げて、光溢れる窓の外に目を向けた。


      ◆   ◆   ◆


昨晩の事は、悪い夢だったのか。
それとも――単に自分が現実逃避してるだけなのか?
まあ結論としては、現実から目を背けているだけとは思う。
が、その辺りは今一つ実感が無い。

槙が目覚めたのは、一時間ほど前の事である。





「じゃ、あたしゃ帰るよ。午後から本業だとか言ってたからさ」
「意外と忙しいもんじゃの、拝み屋稼業は」
「縁が電話番やってるからね。客受けがいいんだよ」

(縁――ゆかり?)
意識の一部が起きたものの、頭が回るまではまだ時間が掛かる。
窓の方から聞こえる話し声も、それがどんな意味を持つのか――考える事すら難しい。

「わしも帰るとするかの」
「あれ? 源さんも帰っちゃうんだ」
「女の子の部屋に長居するのは、少々まずかろ」
「そだね。槙ちゃんもびっくりするだろうし」

槙ちゃん?
(え?)
それは自分の名前だったりしない?
殴られた様な衝撃に、完全に意識が覚めた。
反射的に眼を開けそうになったが、それは何とかぎりぎりで堪えた。開けられる訳がない。

いつの間にかベッドに寝ている。
昨晩の記憶が嘘でないとすると、どう考えてもおかしいのだが。
今は何時だろうか。
肌に感じる陽差しがきつい。とすると、寝坊どころか昼前。
つまりは午前の授業をすっぽかした事に?
(テスト前なのに……)
何故か、ルームメイトは起こしてくれなかったらしい。
それは些細な事かもしれない。
しかし、掛け布団の中の震える手を必死に抑え付けている彼女にとっては――極めて重大事である。

「ボクはもうちょっと残ろうかな。帰りは、来た道を戻ればいいんだよね?」
「そうさな。寄り道はせんようにな」
「しないよー。結構気持ち悪かったから」
「確かにの」

そう言うと、もう一つの気配も去っていく。
先程の三人が一人に――それも女の子のみが残ったようだ。

静かに息を吸った。
ベッドの位置から考えて、全力で逃げ出せば何とかなるかもしれない。
例え幻聴だったとしても、誰かに会えば落ち着けるかも。
(と、とにかく。どこに居るのかさえ分かれば)
身体の震えを精一杯我慢しながら、眼を薄く開けてみる。





部屋に降り注ぐ柔らかい陽差し。

それが、机の上に腰掛けた人影を照らしている。色合いは、空と同じ薄い青。水色と言うには些か明るめ。
夏服なのだろう。最近は見掛けない古風なセーラー服。
そして。
腰まである、長い――不思議な透明感のある髪が、陽の光で輝いている。

(これって)
見えたモノが信じられなくて、大きく眼を見開いた。

幽霊には違いない。
涼しげな服も、艶やかな髪も透き通っている。だけど、昼の光を含んだそれは、まるで映画で見た精霊のよう。
何よりも、窓の外を見詰める眼差しに目を奪われる。
「綺麗……」
槙は、思わず呟いていた。

穏やかな表情は、とても楽しそうに見えるのに。
感じられるのは――――複雑だけど、鮮やかな色合いの『何か』だったから。

その声に気付き、彼女はゆっくりと振り返る。
「おはよ。良く寝てたね」
そう言った遠慮がちな笑顔が、何故かとても優しく思えて。




天地学園美術部部長、上条槙。
彼女の絵筆を執る『理由』が、また一つ増えたのかもしれない。










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