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zoom RSS 藤桜 ― 夏 ― 第一話

<<   作成日時 : 2008/07/15 21:59   >>

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雲の一つも恋しくなりそうな、強い陽差しの降る昼下がり。



「明日?」
訝しげに応じた聖は、口元の携帯に手を添えた。

リリアンに程近い、瀟洒な外見の喫茶店。
通話を禁じられた場所ではないが、声は出来るだけ小さい方が無難だろう。
この程度の声量なら、店内のBGMに溶け込むはず。――飲みかけのグラスも、テーブルに置いて。
それから。
(カトーさん、ごめん)
反対側からの視線に気付いた彼女は、ちょっと待っててという仕草で手を振った。


(黄薔薇様からね)
肩を竦めた景は、自分のホットコーヒーにミルクを注いだ。
電話相手は、鳥居江利子こと元ロサ・フェティダ。彼女の親友の一人で、自分も僅かばかりの面識がある。
(何かのお誘いみたいだけど)
中身が半分ほど残った容器は、丁寧に除けておく。
基本的にブラックを好む聖だが、アイスコーヒーの場合は舌触りを求めて使うかもしれない。
電話が長引くと、氷が溶けてしまうから微妙だけど。

外は、過剰極まる炎天下。
さほど広くない道の、反対側の大気すら揺らいで見える。まるで蜃気楼でも浮かびそうだ。
真下に影を落とした道沿いの木立も、緑が鮮やかすぎて目に痛い。

――この状況で温かい飲み物なんて、考えるだけで暑くなる。

しかし。
(半袖だと、少し困るわね)
彼女は眉を顰めた。
水色のブラウスから覗く腕が、少し粟立っている。
昨今のご時世に、些か配慮が足りないと思うのだ。エアコンをフル回転にした店内は、正直言って寒いくらい。
メニューは深く考えずに選んだはずだが、
(真っ先に、目についたものね)
案外、そうではなかったのかもしれない。
一口啜ったホットが、やたら美味しかったりするのだから――この選択は正しかったのかな、と。




「暇は暇だけど……江利子が日曜日に誘ってくるなんて、珍しいね」
『そうね。最近は、ずっと忙しかったもの』
「と言うかさ」
聖は呆れたように笑った。
そもそも、だ。例え親友相手でも、他に振り分ける余力は無かっただろうに。

現在絶賛恋愛中の江利子は、毎週末お相手の元に押し掛けている。
外出する場合もほとんど行動を共にしているので、暇になる事など滅多に無かった。
「それなのに誘うってことは……今回は遠出?」
『ええ。学会の年次総会でね』
「そっか」
さもありなん、と納得する。

鳥居家は家庭内ルールが厳しい。
門限を設定されているから、彼女が同行出来る場所は日帰りに限られる。泊まりがけが許されるのは、大学を卒業してからだろう。
いや。
(卒業してからだって、許してくれそうにないよねえ)
彼女の父親と兄たちの末っ子に対する保護意欲は、微笑ましいを通り越して度が過ぎている。
異性との付き合い自体が気に食わないのに、旅行など許すはずがない。
もっとも。
江利子を本気で怒らせたくはないだろうから、最後に敗北する事だけは決定事項である。


ただ、それ以外の事では家内円満。
妹が可愛くて仕方がない兄たちは、久々の『週末』に過度な期待をしているはず。
「要するに、家にいたくないってことか」
『察しが良くて助かるわね』
うんざりした口調に、実感が籠もっている。
やたら高いホテルディナーに誘われたり、深夜のドライブに引っ張っていかれたり、モノポリーに付き合わされたり。
想像するだけで気疲れするのだろう。
こうなると、脱出方法を速やかに模索すべきである。
『うちの兄貴たちも、聖に誘われたって事なら納得するでしょうし』
「なるほど」
苦笑しながら、聖は頷いた。
「いつの間にか、私が誘ってたんだ」
『ええ。いつだったか覚えてないんだけど、明日の昼前に迎えに来るって言われたのよ』
「車で?」
『車っぽいジェットコースターで』
「言ってくれるじゃない。――了解、何か希望ある?」

『特には無いんだけど』
少しばかりの逡巡の後――彼女は蓉子との会話を思い出した。先日電話で聞いた、興味を惹きそうな内容が一つ。

ここ最近、聖が月二回ほど週末に通っている店があるらしい。
バイキング方式の割には美味しいらしく、その後のケーキもなかなかだそうだ。
『どうかしら?』
「そっか、江利子と一緒に行ったことはなかったっけ。いいよ、お昼はそこにしようか」
『蓉子は、カロリー計算が必要かもって言ってたけど』
「大丈夫じゃないかな。今風のメニューだから抑えめだし」
聖は、くすっと笑った。
「そこまで食べる人なんて、私も一人しか知らないよ」
『誰? 私の知ってる人?』
「いや。あのね――?」

景の視線に気付いて、手元のアイスコーヒーに目を向けた。
氷が溶けて、上部分の色合いが随分と寂しくなっている。……これは切ない。

「私も、一度しか会ったことが無いんだけど」
少しばかり迷った後。
渡されたミルクを注ぎ、ストローで強引に掻き回した。
「面白い人だったよ。可愛かったし、ちょっと変わってて江利子が興味持ちそうな感じの」
『大学生? リリアンじゃないんでしょう?』
「うん。仕事をしてる人で――――」
藤色の髪を思い出しながら、聖は優しげに微笑むと、


「今もどこかで、『正義の味方』をやってるんじゃないかな」
と、悪戯っぽく呟いた。


      ◆   ◆   ◆


「あれ?」
早朝から草取りをしていた手を、ふっと止めた。一瞬、聞き間違いかと思ったが――そうではなさそうだ。
玄関先に人の気配。それも複数。
(誰かな? スバルはまだ宿舎の方だと思うけど)
立ち上がったギンガは、思いっきり腰を伸ばした。庭の整備はほぼ終了。
手早く手袋を脱ぐと、エプロンで指先の汗を拭う。
庭先から出て行ってもいいが、父の客だった場合は失礼になるだろう。

ゲンヤは、昨日から管理局地上本部に詰めている。
JS事件以降の上層部再編は、現在も進行中だ。運用部や人事部との多種多様な調整は、末端の部隊長にも負荷を振り分けていた。
その中でも108部隊長の立場は難しい。隔離施設関連の業務もあるから、多忙を極めている。
元六課や三提督のフォローで負担が減りつつあると言っても、今は過渡期。この状況がいつまで続くかは分からない。
が、それでも着実に進んでいる事だけは確かである。

(だから、父さんがもの凄く忙しいのは分かるんだけど……無理、してないかな)
大きな溜息を吐いた。
待つ立場にならないと、分からない事がある。それがこんなに苦しいものだとは思わなかった。
自分も現場にいるならまだいい。余計なことを考える暇が無くなるから。
でも、こうやって自宅で家事をしているだけでは、どうしても無力感が上回ってしまう。

これは家族への信頼とは別なのだと、彼女は最近気付いている。

「――なんて、考え事は後でいいわよね」
こつん、と自分の頭を小突く。
アップにしていた髪を解いたギンガは、部屋に急ぎ足で駆け込んだ。



「こいつで最後か」
玄関先に荷物を積み上げた彼は、頭を掻きながら振り返った。
「すまねえな、お嬢」
「そんな! 私こそ申し訳なく思ってるのに、ナカジマ三佐に言われてしまうと、その」
「そうかい? それじゃ、遠慮無くこき使った方がいいのか?」
「その方が助かります」
山程の書類を抱えたフェイトは、それらを同じ様に積み上げた。

外地に出向いている提督方の到着が遅れ、本日の会議は延期になった。
次元航行部隊の外的要因に因る予定変更は珍しくない。それは致し方ないが、スケジュールが詰まっている者には少々困る。
調整しようにも――次の予定も前倒しが効かない物ばかりでは、どうにもならない。
丸一日時間が空いてしまったので、ゲンヤは溜まっていた書類仕事を自宅で進める事にしたのである。
「別に、有給扱いにしなくても良かったと思いますが」
「最近、その辺りの事に関してレティ提督に言われちまってな。……人に言えねえってよ」
長たる者が休みを取るのも、組織としては必要な事である。
そうでなければ、部下も休みにくいからだ。
「確かに。でも、結局仕事を持ち帰ってたら意味無いですよ」
「心配しなさんな。だらだらと気楽に進めるさ」
「信用しておきます」
壮年らしからぬ子供の様な笑みに、フェイトも微笑んだ。

「局の方で出来りゃ良かったんだが、例の件絡みじゃなあ」
「公には、存在しない仕事ですからね」
ゲンヤが扉を開けたのと、ギンガが玄関前の廊下に姿を現したのはほぼ同時だった。
「父さん? ――それに、フェイトさ……執務官も」
「おう」
「おはよう、ギンガ」
あっさりした挨拶と共に、荷物を玄関に並べていく。
「な、何かあったんですか?」
慌てて敬礼しながら、ギンガは戸惑ったように二人を眺めた。
父の帰宅予定は明日だったし、執務官が同行してるとなると――何かしらの緊急事態としか思えない。

ついでに、自分が未だエプロンを付けていた事に気付く。

「気にすんな。大した理由はねえよ」
あたふたと脱ごうとする彼女を、ゲンヤの軽い口調が制した。
「え?」
「今日はお休みになったんだよ。で、この後に出掛ける場所を聞いて、三佐に同行させてもらったんだ」
「先に、ちょいと連中の様子を見てこようと思ってな」
連中とは、海上隔離施設に収容された者たちの事だろう。
順調に更正プログラムを消化しているから、特に懸念する様な事は無い。単に話し相手になりに行くだけである。
「あ、じゃあ私も……ってわけには」
「いかないよね。もう少ししたら、スバルが迎えに来るはずだから」
「そうでした。それじゃ父さん、お昼は用意しなくてもいいの?」
「構わねえよ。俺もすぐ出ちまうからな」
「先に言ってくれれば、夜用のおつまみか何か作っておいたのに」
取り敢えず上着だけを、と奥に入っていく彼をギンガが追い掛けていく。

その様子を眺めながら、フェイトはそっと扉を閉じた。


      ◆   ◆   ◆


「待たせたな」
「いえ。思ったよりも早かったですね」
ゲンヤが助手席に座ると同時に、車は走り出した。
真っ黒なボディのスポーツタイプ。停めていた場所は住宅街の真ん中だ。彼女の愛車は相当目立っていたに違いない。
最初に見た母親が、何か言うべきだろうかと散々悩んで――結局何も言えなかった逸話もある。
もちろん。
本人が気にしたことは、一度も無いのだが。



車内に、やや重い沈黙が漂う。
やがて。
「あの、三佐――」
「随分な話じゃねえか、なんて思わんでもねえのさ」
口を開きかけたフェイトを遮るように、ゲンヤは深々と溜息を吐いた。
「ああして普通の娘やってるギンガを見ると、つい安心しちまうんだよ。……情けねえ話さ」
「私も、そうですよ」
彼女は淡々と呟いた。
自分だって、離れた場所にいる子供たちを、常に心配する癖がついている。
いくら危険の少ない職場と言っても、それが皆無というわけではない。
何かあれば最前線に立たねばならぬ身だ。無論、それだけの能力は持っている。自慢しても良いくらいに。
それでも――同じ年齢だった頃の自分を思い出すと、思考がいつも同じ所を回ってしまう。

あの子たちの為に、もう少し何か出来る事はないだろうか?

「心配しないで、って言ってくれるんですけどね」
つい寂しそうな口調になる。
信頼はしているのだ。決して自分を悲しませたりしない、そう言い切った強い意志を。
だけど。
どれだけ信頼を寄せていようと、不安を捨て去る事なんて出来ない。
自分にとっては、二人とも――まだ子供なのだから。

「……まあ、親も子も勝手だからよ」
ゲンヤは苦笑した。
「あいつの事を色々と考えちまうのは、俺の勝手って事だな」
「そうですね。無理に割り切る必要は無いと思います。それに」
友人としても、ギンガの事は気に掛かる。
「明日、明後日と向こうで汗を流せば、少しは気が晴れるでしょう」
「スバルも上手い具合に休みを取れたしな。――に、してもよ」
彼は怪訝そうに眉を顰めた。
「明日に拘ったのは、何か理由があるのかい?」
日程的に、手配は相当難しかったと聞いている。もう数日ずらせば、彼女自身も同行出来ただろうに。



「少し前の事なんですけど」
フェイトは、くすっと微笑んだ。
「帰省した時、友達と食事に行ったんです」
アリサに付き合って都心で丸一日ショッピングを楽しんだのだが、昼食の場所を提案したのはフェイトだった。
ギンガから聞いたホテル一階のレストラン。
探すのに少々苦労したが、名前と特徴を聞いていたのが幸いした。
見付けてみれば、アリサも雑誌で見た事があったらしい。

早速、と言う事で入ろうとしたのだが――――

「結局、入れなかったんですよ」
「満席だったのか?」
「いいえ。……ちょっとした顔見知りがいたんです」
同じ休日だったとはいえ、まさかにも程がある。
入ったばかりの店を慌てて飛び出したから、顔は見られなかったとは思うが――当然ながらアリサに追求される事となる。
詳しい事は語らなかったので、同僚の恩人と理解したようだ。
その後、同じ曜日に来店しているのを見たと連絡があった。彼女自身も幾度か食事したらしく、その時に見掛けたそうだ。

もしかしたら、あのお店を御贔屓にしてるのかも。

「確率は低いんですけどね」
どうせスケジュールを組むのだったら、考慮してみたらどうだろう?
もしも、ちょっとした再会を演出できたら。

――そう考えると、つい顔が綻んでしまう。
「楽しそうだな、お嬢」
「そうですか?」
首を傾げる。
が、自分でも意外なほど声が弾んでいることに気付いた。

そう、かもしれない。
事の顛末を想像するだけでも、仕事に埋もれる現実から解放されそうだ。

「逃避だと思うんだがなあ」
「いいじゃないですか。これから数日間は、私だけ書類と睨めっこなんですよ」
「……いや、俺に言われてもよ」


膨れっ面の執務官の様子に、つい笑ってしまいながら。
「ま、しゃあねえか」
ゲンヤは、呆れた様に肩を竦めていた。










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