空色硯 sorairo-suzuri

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zoom RSS 藤桜 ― 秋 ― 第一話

<<   作成日時 : 2008/10/29 22:34   >>

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秋も半ばを過ぎた。
イチョウの葉が、ぼちぼち散り始めてはいるものの――『収穫』にはまだ早い。


(けど、風は冷たくなってきたなー)
乃梨子はコートの襟元を掻き合わせた。
一瞬、鞄にも手を触れたが、目的地は暖房も効いてるはずと思い直す。
それに、どうせ大した距離でもない。マフラーを取り出すのは、向こうに着いてからで大丈夫。
「どっちにしろ、帰りは寒そうだしさ」
頭上は秋晴れ。雲一つ無い、澄み切った空。
こういう時は夜気の訪れも早い。おそらく、明日の朝は本格的に冷えるだろう。
(菫子さんに、もう一枚布団を出してもらおうかな)
下宿先の家主こと大叔母を思い浮かべる。ごろごろと居間で寝転ぶお気楽さん。
――ダメだ。あの人が定期的に干していたとは思えない。埃も凄そう。

「……ベランダで叩いてみるか」
帰宅時は夜のはずだから、出来るだけ静かに。

第一、寒さだけではない。
冬の気配とまでは言えないが、空気が乾燥してきているのも良く分かる。
喉に僅かばかりの負担。減りの早いリップクリーム。
この時期に風邪をひくと、溜まっている仕事が滞ってしまう。やることは本当に多いのだ。
だから。
(志摩子さん、もう先に行ってるよね)
掃除で出遅れた彼女は、落ち葉に埋まり始めた並木道を、足早に通り抜けていった。




薔薇の館は、基本的に独特の雰囲気を維持している。
建物の古さはもちろん、年季を経た和洋折衷の外観も、赤煉瓦並の落ち着きを感じさせた。
もっとも、他の学校では単に『生徒会室』と呼称される場所でもある。

「中止」
「……はあ」
見事なほど素っ気ない言い方に、乃梨子は呆気に取られた。
部屋に入るなりこれだ。

立ちっぱなしも何だから、取り敢えず席に着く。
会合が無くなった事は了解したが、胡乱な眼差しで見上げてくる姿は予想外。
現ロサ・フェティダであらせられる島津由乃さまは、何故か機嫌が悪いらしい。
――まあ、何となく想像が付く。
彼女の眼前に積まれた書類は、先日全員で分けたものだ。二学期末となるとイベントも多い。処理すべき事も多岐に渡る。
仕事の分け方としては、基本平等、部活で忙しいメンバーの分を多少減らすくらい。
その上で、自分の分は自分のペースで、確実に処理しようということになった。
無論、提案者は由乃であり、一番遅れているのも本人である。
性格上、今更第三者の助力は仰ぐまい。

紅薔薇さまが、家の用事で早々に帰宅したのは瞳子から聞いている。その瞳子自身も部活で不在。
出席率がやや悪い上に、黄薔薇さまとしては、自分の仕事を一人で片付けたかったのだと思う。
下手に揃うと、絶対に手伝われてしまうから。
かと言って、口に出して断るのも嫌だから――こういう事になった、と。

それはそれとして。

部屋の中には、彼女と由乃、それとあと一人しかいなかった。他の一年生も来ていない。
「お姉さまを知りませんか?」
「乃梨子ちゃんが来るまで、ちょっと外を歩いてくるって。銀杏並木の方」
「ああ、なるほど。こういう日は落ち葉が綺麗ですしね」
乃梨子は窓の外を眺めた。秋風に舞う特徴的な葉っぱ。
今の白薔薇さまはイチョウが好きである。もちろん桜も。
「いや、そうなんだろうけど、いつもの巡回コースじゃないかなって思うのよね」
「いつもの?」
「そ。だとしたら、下見って気がしない?」
「あー……まあ、はい」
明後日の方を向くことで、乃梨子は苦笑を堪えた。下見――言い得て妙かも。
ついでに。
由乃の隣に座っている人が、今の発言に微妙な反応をしたのも、気付かぬ振りをしておく。
「そういう事でしたら、迎えに行ってきます。行き違いになった時は待ってもらって下さい」
「了解」
気のない態度で手を振る由乃。

が。
乃梨子が席を立つのに合わせて、残りの『二人』も腰を上げた。
部屋を後にする彼女の後ろを、その子が影のように付き従う。



「待てこら」
由乃は、前方の襟首を無造作に掴んだ。
掴まれた方といえば、指が首筋に触れる寸前に足を止めていた。さすがは年季の入った少女剣士、見事な反応である。
「…………」
しばらく無言で待つと、その子はゆっくりと振り向いた。
「何故ですか?」
「何故と聞くかね、菜々。そりゃこっちの台詞じゃない?」
「仰ってる意味が分かりません」
菜々――有馬菜々は、相手の視線に動じず、ぼそりと呟く。
「先程、中止と伺いましたので。私も帰ろうと思うのですが……何か問題でも?」
「嘘だね。あんた、乃梨子ちゃんについて行くつもりだったでしょ」
「はい」
『姉』の追求に、彼女はあっさりと白状した。

「やっぱり」
溜息を吐くと、由乃は窓の外を見下ろした。
一階に下りた乃梨子が、ちょうど外に出た様子が映る。こちらに一切構わずというところが彼女らしい。
本質は世話焼きのくせに、基本は結構ドライだったり。
「あのね、菜々。白薔薇さんとこにお邪魔してる余裕は無いでしょ?」
「そうでしょうか」
小首を傾げる菜々。
その表情に含まれたものに気付いて、彼女は眉を顰めた。
「何でそんなに不満そうなのよ。少しは気を遣いなさいって」
確かに、思わせぶりな会話をしてしまったのはまずかった。
アンテナの張り具合が常人と異なる者にとって、興味の対象とするには充分だったらしい。
「こっちはこっちで忙しいんだから」
「私の担当分は終わりましたよ?」
ほら、と視線で指し示した相手を、じろりと睨む。
「……私の分が終わってないんだけど」

返答無し。
言った方も、暫し無言。

微妙な沈黙が漂う中、由乃は自分の席に戻った。
視線を避けるように天井を眺め、それから外を眺める。走っていった乃梨子の姿は既に無いが、他に見覚えのある人影を発見。
(志摩子さん、あんなところにいたんだ。――あれ?)
一人という予想に反して、隣を見慣れぬ女性が歩いていた。
私服なので大学生かもしれない。陽差しのせいか、長い髪が不思議な輝きを見せている。
それほど人付き合いが広いとは言えない親友に、女子大生の知り合いがいたとは思わなかった。

正確には幾人か知っているが、あの人達は知人というレベルじゃないし。
(けど、話を聞いたこと無いから、もしかしたら聖さまの知り合いかもね)
などと考え込みそうになってから。
背筋が寒くなった気がして、彼女は恐々と振り返った。
無感情な瞳が、自分を冷ややかに眺めている。
――まずい。極めてまずい。

「と、言うことで!」
ばん、と机に両手を付くと。

「お願い菜々。手伝ってよー」
「最初から、そう仰ればいいんです」
久々に、情けない声と態度を見せてもらったからだろうか。
深々と下げられた後頭部を眺めながら、菜々は笑って席に着いた。


      ◆   ◆   ◆


「相変わらずと言えば、相変わらずでしょう?」
「そう言ってしまうと、身も蓋もないような」
呆れた表情の加東景に、ギンガは微妙な表情で頷いた。
リリアン女子大学、定番な憩いの場。――学生ホールの片隅である。
平日だからそれなりの混み具合だが、大方の講義は終わっている。そろそろ人が減り始めるはずだ。
(寒くはなさそうだけど、外は結構風が強いみたい)
窓際に座った二人の前で、紙コップが僅かに湯気を上げていた。
ギンガは一つ手に取ると、まだ温かいカフェオレに口を付ける。

そう、授業。

「今日は、前もってお伝えしてたんですけどね」
「そこがサトーさんらしいってこと。まあ、必修は仕方ないかな」
「ですね」
ここのところ幾度か押し掛けているのだが、こういう事は初めてである。
大抵は都合を付けてくれる佐藤聖も、今回ばかりはどうにもならなかったらしい。
出なければならない授業があるなら、ちゃんと言ってくれればと思う。こちらだって考えるのに。
いや。
(聞いた時は、空いてるって自信満々に言ってたから……きっと忘れてたのね)
大雑把に見えて繊細で、でもやっぱり大雑把なところが彼女っぽい。

「そういえば、最近は月一位で来てるのよね?」
景は、丸テーブルに頬杖を付いた。
素っ気ない程シンプルなカジュアルジャケット。ギンガのハーフコートよりも薄手で、少し寒そうに見える。
もっとも、今日はまだ暖かい方だ。
「はい。先月は日帰りだったので、お会い出来ませんでしたが」
「今回は、何日ぐらいこっちに?」
「明日までです。今晩、知り合いの方に泊めてもらって、明日の昼にもう一度お邪魔しようかな、と」
「お昼か……ご一緒したいけど、ちょっと微妙かも」
「タイミングもありますし」
学生の身な上に、平日となれば色々と忙しいはずだ。こればかりは仕方がない。
「サトーさんに合わせるのよね? 間に合えば一緒に来れると思う」
「了解です。楽しみにしてますね」
微笑んだギンガは、左手のコップをテーブルに戻した。
右手をポケットに入れたままなので、動きが少し不自然になる。先程から何度か景の視線を感じたが、特に問われることもなかった。
こういった距離感は、凄く嬉しい。

「ところで、宜しかったんですか?」
「ん? ええ、もう少しなら大丈夫。大した用じゃないから」
景は腕時計を眺めた。
帰ろうとしたところを、誰かさんに無理矢理引き留められたのが三十分前。
何事かと思えば、待ち合わせ相手に伝言を頼むというものだった。直に授業が始まるとのこと。
あまりの無計画さに怒鳴り付けたが、平謝りの聖に毒気を抜かれるのはいつもの通り。

で、お相手が誰かと聞いてみれば。
「ナカジマさんだから良かったけど、もしも初見の相手なら、どうするつもりだったのかしら」
顔すら分からない可能性が高いとなると、多分、面倒なことになったはずだ。
「写真を持ち歩いてるわけじゃないでしょうに」
「さすがに、その場合は頼まなかったと思いますよ。多分、きっと」
「うわ、説得力ない。……言うようになったわね」
「鍛えられましたから」
しれっとした口調が、怪しげな肯定をする。
さて、誰が誰を鍛えたのやら。

視線を合わせた二人は、お互い澄ました顔で頷くと――申し合わせたように紙コップの中身を飲み干した。



「ごめんなさい。それじゃここで」
「いえ。こちらこそ、ありがとうございました」
会釈を残して去っていく景を、満面の笑みで見送ってから。
ギンガは、改めて周囲を見回した。
傾き始めたとはいえ、陽差しはまだ暖かい。学舎が朱に染まるのは当分先だ。
――先なので。

(これからどうしよう)
と、ちょっと悩んでみる。
正門の前は人通りも多い。自分が目立つことは自覚しているから、そそくさと位置を変えた。
ちなみに、目立つ理由は外見のせいではない。
「聖さまと一緒にいると、視線をたくさん感じるのよね」
加東女史に聞いた話では、有名人の知り合いとして顔を覚えた人が、結構いるらしい。
その辺りも相変わらずだなあと思う。
ロサ・ギガンティアという昔日の威光もあるだろうが、注目を浴びる容姿と言動は、今でも変わらないのだ。
おそらく、卒業まで。

その聖の授業が終わるまでには、もう少し時間が掛かる。
かと言って、今更学生ホールに戻るのも味気ない。

高等部の校舎へと振り返った。
最初に見た時とは、随分印象が異なっている。常緑樹の緑は少数派となり、所々が寒色系で彩られた木々と草花。
この辺りから続く並木道も、独特な形の落ち葉で飾られていた。
ただ、山道ではないから人通りも少なくない。
授業を終えた学生が数人、上品な歩調で歩いている。枯れ葉を踏む音が聞こえないくらい。
先程、大学構内で見た黒髪の女性ほどではないが、それでもお嬢様学校という事を実感させた。
(私には無理だなあ。どっちかって言うと、蹴散らしながら走り抜ける方だったもの)
ふと。
もしも、自分がこの学校に通ってたら――などという想像が、浮かんでしまいそうになる。

「……詮無い事ね」
暫く校舎を眺めていた彼女は、深々と溜息を吐いた。



「あら」
並木道をのんびり散策してる途中、懐かしい影を見付けて微笑んだ。
少し離れた場所で、見覚えのある猫がこちらを窺っている。
警戒している様子もなく、ただ何となく視界に入れているような、気のない視線。
とすると、これはチャンスかもしれない。
(この前よりは、ちょっと遠いかな)
彼女は慎重に距離を測った。
前回は、あと数歩の位置で一目散に逃げてしまったはず。
足を止めてから、素知らぬ振りで視線を逸らした。足を踏み換えるついでに――ほんの少しだけ距離を詰める。
じり、と更に足の指一本分。
相手の気配は変わらない。

いや。本当に変わってないのだろうか?

ギンガは、不意に気付いた。
『彼女』はこちらを見ていながら、同時にこちらを見ていない。あくまで、背景の一部として視野に納めている。
舞い落ちる葉と、たった今目の前を飛び去ったトンボと。それら全て。
であれば、彼我の距離は無限に等しい?

――そう気付いてしまった時点で、勝負はおしまい。
動揺を読み取られては負けである。

あっという間に走り去ってしまった相手に、彼女はがっくりと肩を落とした。




(あーあ。一度撫でてみたかったな)
食事を与えていた聖の様子を思い出して、羨ましそうな溜息を吐いた時。

「えっ!?」
ほぼ真横で上がった似たような声に、慌てて視線を向けた。
一体、いつから居たのだろうか。学生が一人、並木の影で所在なげに佇んでいる。
だが、驚いたのは向こうも同じだったらしい。
柔らかそうな髪に、色白で整った顔立ち。どこか現実離れした美しさを持った少女が、自分と同様に目を丸くしていた。
他の生徒と同じ服装とは思えない、まるで人形のように清楚な透明感。
紅を差さずとも綺麗な口元が、おずおずと言葉を紡ぐ。
「あの……?」

「えーっと」
ギンガは、困惑を隠せず口籠もった。
いったい、何と言えばいいのだろう。
待ち惚けで暇潰ししてたとか。あるいは――猫を撫でようと悪戦苦闘してた、とか?
そもそも、何の説明を求められたのかすら分からなかった。不思議そうな表情からすると、単に誰何されたとも思えない。
(ど、どうしよう。聖さまはいないし)
非の打ち所のない美人に気圧されて、あたふたと手を振った。傍目で見たら不審者そのもの。
――などと自覚しても、後の祭りだ。
怒られるか、詰問されるか。それとも逃げたり泣かれたりするのか。
そんな覚悟をしたところに。

「ナカジマさま、ですね? 初めまして。藤堂志摩子と申します」

丁寧な挨拶と、映画にでも出て来そうな程、淑やかな仕草と雰囲気。
思わず見惚れてしまってから気付く。今の言葉に含まれた単語は――自分の名前だったような?
以前もどこかで、同じ反応をした記憶もあるのだが。

結局。
「…………はい?」
『ような』ではないと理解した彼女は、以前と似た表情で首を傾げていた。










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