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zoom RSS 藤桜 ― 秋 ― 第六話

<<   作成日時 : 2008/12/06 00:00   >>

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――何処かが痛んだような気がした。

指先か、肩か。
あるいは足のどちらかだろうか。
まだ苦痛を感じられる事に、踊り出したいほど嬉しくなる。それは逃げようのない現実と繋がるから。
だけど。
(もう少し、かな?)
彼女は『それ』をゆっくりと見上げた。無機質な音をひたすらに刻む、見えない時計。
耳障りにはならず、さりとて風音に溶け込みもしない独特の響きが、安堵と僅かな焦りを感じさせる。
自分の左手が、何かを求めて彷徨った。
迷うように胸元に触れても、あまり意味は無い。無いのだから頼れない。
分かっているけど。

それでも、感謝だけは伝えたかったのだ。





ホテルのロビーから直結となっている入口は、昼間と異なりクラシックな様相に様変わりしていた。
照明も、光量を抑えた柔らかな色合いを振りまいている。

店の扉を、スーツ姿の男性が丁重な仕草で開けてくれた時――携帯電話の音が響いた。
(間が悪いなあ)
と思ったが、入る前で良かったかもしれない。
このお店も、食事中の通話は厳禁だったはず。
(ディナータイムは、みんなそうかな)
ポケットから取り出そうとした聖は、その寸前で動きを止めた。
聞き覚えのない着信音は、初期設定のままな流行歌。
「あっ……と? 私じゃないよ?」
「すみません、私の方です」
ギンガは男性に視線で詫びると、邪魔にならないよう数歩下がった。
どうやら、いつの間にか携帯を持つことにしたらしい。
(前までは持ってなかったよね)
聞く気は無かったが、会話が多少漏れ聞こえてくる。

『はい。今日は少し遅くなります。……でもアリサさん、明日は早いって言ってませんでした?』

(そういや、こっちに来る時は知り合いが泊めてくれるんだっけ)
例の黒い人の親友だそうで、以前一度だけ見たことがあった。
やたら高そうな運転手付きの車が迎えに来た事があり、その後部座席から会釈をしてきたのは金髪の女性。
お互い名乗らなかったが、あの人がアリサさんだろう。

少し気になったのは、どこかしら見覚えがあると感じた事だ。
間違いなく初見の相手なのに、容姿が記憶の片隅に引っ掛かっている。
何となく、人が集まる場所で見たような。
(どこだったかな? まあ、何かの印象と混ざってるのかもしんないけど)
第一、この界隈では海外の人など珍しくない。
高級車での送迎も、リリアンに通っていればよく見掛ける光景だし。

「聖さま」
「ん? ああ、じゃあ入りますか」
いつの間にか通話を終えた相手に声を掛けられ、聖は思索を中断した。
「携帯、買ったんだね。アドレスとか聞いてもいい?」
「それが、その……これは借り物なんです」
ギンガは、申し訳なさそうに断った。
「借り物? 自分用のは持たないの?」
「ええ。持っても向こうでは使えないので。毎回こちら側から中継処理して頂くのも――あれ?」
「今日は本当に駄目だねえ」
これはまた、随分と彼女らしくない失態である。
言葉の端々に挟んだ『情報』には、色々と納得出来る内容が含まれていた。
やっぱりなあ、という感想は飲み込んでおいて。

「それじゃ、スバルちゃんと同じだよ」
慌てて口を塞ぐギンガに、聖は楽しそうに微笑んだ。



店内はそれほど混んでいない。
陽が落ちてから間も無いので、カップルよりも学生風の女性客が多かった。客層の切り替わりはこれからだろう。
先程と同様、扉を開けてくれた男性に会釈した聖は、ギンガの方へと振り向いた。
彼女の、ポケットに入れられたままの右腕に手を伸ばす。
「折角だから」
「はい?」
「この手のお店じゃ、エスコートはお約束でしょ?」
「あ」
反応が遅れたのをいい事に、やや強引に腕を絡めた。
一瞬、強張った震えが伝わってきたが、拒絶ではないと判断してそのままにする。
もちろん、拒絶でも離す気は無かったけど。

一番奥のボックス席をお願いすると、幸い予約は入ってなかった。
人気があるのは窓際のテーブル席らしく、そちらは既に予約の札で埋まっている。
「外が見えるってのが、ここの売りだからね」
「あの噴水をライトアップするんですか?」
「他にも、クリスマスツリーや、近くの河川敷の花火とか。幾らでも楽しめそうな物はあるよ」
だけど今日はこれで良し、と聖は肩を竦めた。
今回の目的には、この方が都合がいい。
「ナカジマさんは左利きだから、そっちの方がいいかな」
「そうですね」
左手が通路側にくる席に誘い、問答無用でハーフコートを脱がした。右腕はポケットから抜かずに、そのままそれで包み込む。
何故隠したいのかは知らないが、この席なら左手のみで食事をしても目立たないだろう。
簡単には解けないよう、しっかりと巻き付けた。ほとんどギプスの如き有様である。
些か不格好になったが、まあ気にする者もいない。
こっちが何も言わないせいか、彼女だって何も言わないし。

さて。

席はやや暗め、隅っこなので人通り無し。おまけに時間の心配も不要。
「それでは」
「はい」
椅子に深々と腰掛けた二人は、じっとお互いの瞳を覗き込んで沈黙した。
張り詰めた糸、と言うには些か頼りない空気が周囲を漂う。
彼女は左手を、そして聖は右手を目標に向けた。僅かな距離とはいえ、利き腕と反対側にあるから取りにくい。
華美な装丁の物を、それぞれ眼前に広げると。
「まずは食事。空腹だと、変な方向に話が行きそう」
「同感です」
淡々とした提案と同意の後は、メニューに並ぶ長い名称との睨めっこが続いた。


無論。
「――あの、聖さま」
「? 決まった?」
「どのコースの料理も、何が何だか分からないんですけど」
「……お任せコースにしよっか」

静かな店内で、そんな会話が聞こえたかどうかは定かではない。


      ◆   ◆   ◆


空気が重い。
頭上からの圧迫感は既に尋常ではなく。捜査官としての経験よりも、本能的な勘が足を竦ませる。

「こうなってるとは、思わなかったわよね」
口の中だけで呟いた彼女は、慎重に視線を走らせた。
地下への階段。
三階ほど降りた時点で、急激に危機感が増した。
免震構造の要である基盤部分が、明らかに歪んでいると感じられたからだ。
途中で機械室を覗くと、中には立入禁止を示すテープが張ってあった。となると、既に調査は終わっているはず。
放棄が確定したのであれば、建物全体を封鎖すべきだろう。
(その割には、表の入口は開いてた……やっぱり、誰か入ったのね)
それが、先程の食器の持ち主かは分からないが。

現在、首都クラナガン周辺には、こういった場所が幾つか存在する。
JS事件の激しい戦闘の結果、被害を受けた都市の一部は放棄され、廃棄区画として指定された。
もちろん、廃棄と言っても暫定的な物で、大規模な再開発の布石である。
だが、歴史の浅い都市部は土地への愛着心が乏しく、一度新しい生活に定着した住民が戻るには時間が必要だ。
別の場所に新規で構築した方が、安価かつ効率も良いとなれば、復興費用も優先的にそちらに回される。

以前からの場所を含め、廃棄区画が新たに活用されるようになるのは――遠い先の話かもしれない。

(でも、廃棄したからって監視体制は維持しないと)
人目の触れない場所では、何が起きるか分からない。
監視網の再配置が追い付いていないから、一歩間違うと犯罪の温床となる危険性もあった。
もっとも魔法使用については、あれ以来厳重な監視体制が首都全域に構築されている。該当者は近寄るまい。
(だいたい、犯罪者になるような魔導師なら、知ってるはずだし)
地上本部と本局の行き来が盛んになったおかげで、とんでもない人の出入りも増えた。
旧六課に限らず、それ以上の人達も。
ミッドチルダには、怒らせると怖い人が多いのである。



弾け飛んだ扉を眺めながら、地下駐車場に足を踏み入れた。
ただし、『元』だ。
「これは」
ギンガは眉を顰めた。
ここは地下三階のはずなのに、遙か上空の最上階が見えている。
エレベーターホールを境にして、内部が綺麗に崩壊していた。外見からは想像も出来ないほどの傷み様だ。
上層階の崩れが激しいと見えたのは、要するに内側に落ち込んでいたという事か。
そして、その崩れた部分が地下駐車場の天井を押し潰し、この空間を作り出してしまったのだろう。

「前に、スバル達と入り込んだ場所に似てるわね」
思い返してみると、姉妹揃って犯罪に対処したのは、あれが初めてだった。
実戦に参加して間もない妹と組んだのは、こんな感じの寂れた地下。
あの時『犯罪者』だった者との近接戦は膠着状態に陥り、ヴィータ副隊長の乱入と、相手側の魔法行使で地下は完全に崩壊した。
その状態から脱出できたのは、時間的余裕と横に抜ける空間があったからだ。
もし、そうでなければ――と考えると少々困る。

(今、ここが崩れたら……どうしよう)
薄ら寒い不安で、つい見上げてしまう。
崩れそうには見えないが、暗闇の中では説得力が違う。頭を抑え付けられるような圧迫感。
そこまで考えて、彼女はふと首を傾げた。

自分は、ここまで勘が鋭かっただろうか?
周囲には静寂のみが漂っている。変化の兆しなど全く無いのだが、何故不安に思うのだろう。
不思議な事に。建物全体が崩れてくる様子も、まるで見た事が有るかの様に想像出来た。
自分が瓦礫に押し潰される凄惨な光景と、その時の苦痛すら感じられる。
既視感どころではない、生々しい程の痛み。
が。
そこまでいくと、我ながら悪趣味だ。また随分と悲観的な想像ではないか。

とにかく、早く出た方がいいのは間違いないはず。

「誰かが入り込んだとしても、もう居ないわよね」
こんな所に、好んで居着く者がいるはずもない。
例え犯罪者の類だとしても、潜伏場所にするには無理がある。既に他の場所に移動したと考える方が妥当だ。
しかし。

「…………」
踵を返そうとしたギンガは、暗闇の中で眼を細めた。
視線の先では、真新しい瓦礫が石碑のように突っ立っている。その下部の空気に、小動物と思われる熱源の移動痕。
その複数のラインは、瓦礫の後ろの方に回り込んでいた。

――瓦礫で塞がれた、壊れかけの扉。その僅かな隙間の奥に。


      ◆   ◆   ◆


「それは多分、祥子じゃないかな。祐巳ちゃんの元お姉さま」
「とすると、あの人が前の紅薔薇さまですか」
なるほど道理で。
先程、大学で見掛けた黒髪の女性は、立ち居振る舞いに文句の付けようのないお嬢様だった。
もし間近で見ていたら、気圧されたかもしれない。志摩子とは異なる、凜とした美しさ。
ただ、彼女はイチョウも桜も大嫌いだそうだ。

(同じ薔薇さまと言っても、人それぞれね)
冷製スープを味わいながら、ギンガは感慨深げに頷いた。
同じ場所で同じ時を過ごしても、好みや性格が同じになることはない。至極当たり前の話だ。
得られるものが人によって違うのだから。

逆に、一人が同じ体験をしても、その時々で違うらしい。

学園で聖と待ち合わせて、幾人かの学生とお話をして――少し散歩して。
それから、以前と同じお店で食事をしている。
既視感を覚えても良さそうなのに、それが全く感じられないのは不思議なくらい。
「そうは思いませんか?」
「前はお昼だったし、銀杏並木の代わりに桜吹雪だったっけ。けど、この程度じゃ既視感がどうのって話にはならないよ」
「この程度?」
「だって、私は学生じゃん」
当然という顔で、聖はスプーンを置いた。
「毎日同じ道を通って学校に行き、同じ人達と会って、同じ授業を受けているんだよ?」

更には、同じようなスケジュールで一日を過ごし、ほぼ同じ時間に寝て、また同じ時間に起きている。
言葉にしてしまうと、実に単純な生活パターン。
では学生生活は変化が乏しいかと言えば、間違ってもそんな事はない。下手をすると、笑ってしまう程の激動があるのだ。
少なくとも、ここ数年はそうだった。

「――だから、私としては今日も新しい一日だったかな。ナカジマさんの、新たな一面も見れたしね」
「それについては、素直には頷きたくないような」
「こりゃ失礼」
聖は軽く舌を出した。
滅多に無い可愛らしい仕草だが、悪戯半分では少々困る。
「さっきのはやっぱり、どう考えても文句を言う権利があると思います」
「あ、そっちの話じゃないよ」
睨まれた事を心外そうに首を振る彼女。
もしかしたら、あれは無かった事になってるのかも。
「志摩子と話してた件。ほら、家族の」
「ああ、母さんの話ですか。すみません。別に、隠してたつもりは」
「そりゃそうでしょ。自分から言う話でもないし」
あっさり肩を竦めた聖は、再びスプーンを取り上げた。

(本当かなあ)
ギンガは内心で疑問符を浮かべる。
いつも通りのドライな対応だけど、何となく怒ってるような風情。
まあ、気のせいかもしれない。
この人は無頓着なようで鋭いから、基本的に一歩退いたスタンスを維持するはず。
過ぎた事に、いつまでも拘る人ではないと思う。

それに、今の会話で何よりも心に残ったのは、『新しい一日』という言葉だった。

何気なく言われたそれは、とても彼女らしかった。
似たような一日を過ごすなら、そのつもりでいた方が楽しいに決まっている。
家事と訓練に明け暮れ、検査漬けで過ごす毎日でも変化は得られたはずだ。例え――――――だとしても。
要は気持ちの問題なのだと、理解はしている。
だけど。
焦がれるような羨望を感じたのも確かだった。

「聖さまは凄いですね」
「また唐突に。何? 今日はどんな愚痴でも聞くよ」
「愚痴……なんでしょうか?」
スープを些か行儀悪く掻き混ぜる。
何というか、言葉で上手く表現出来ない。
自ら抑制を課しているとしても。外に出せない事が、それほど苦しくないのは何故だろう。
たまには弱音を吐いたり、悩んで無気力に陥ったり。いっそ泣きじゃくってもいいのかもしれない。
でも、自分はそういった事が出来るのか?
思い起こせば、捜査の最前線にいた時は? 六課出向時の、死に瀕した際は?
苦悩や悲しみに沈み、絶望に喘ぐ。――そんな記憶は無かった。

前だけを見て歩み続けるのは、亡き母から受け継いだ事だ。
既に自分の血肉となっているから、今更変えられるはずもない。
しかし。後ろを振り向かない事と、後ろを振り向けない事は、決して同一ではないと思う。
「ご指摘の通りだと思います。私、落ち込み方を知らないんですね」
「……お姉さんだから、仕方がないって所もあるんじゃない? スバルちゃんの母親代わりもやってたんでしょ?」
「それとこれとは」
「同じだよ」
遠慮無く、言い捨てるように断定される。
「誰かに寄り掛からないんじゃなくて、寄り掛かること自体を知らないってこと」
「寄り掛かる、ですか」
「そこで、素朴な疑問って顔をしない」


「いつでも頑張るってのは、とても良い事なんだけど……」
聖は、不愉快そうに頭を掻いた。
伝えたい事の表現に困っていたのは、こちらも同じだったのだ。それに、このままではどうせ伝わらない。
天井を見上げて、軽く眼を閉じる。
数秒――いや、数分か。やがて、彼女は深い溜息を吐いた。
何かを押し流すように長く、髪のように細く。
かつて。
祐巳と由乃の前で、薄手のカーディガンを一枚脱いでみせた時よりも?
ある意味、それも当然なのだろう。
重いコートを、久し振りに脱ぎ捨てたのだから。


(え?)
ギンガは、生じた違和感に戸惑った。
ゆっくりと顔を上げた相手の印象が、気怠げで、半ば拒絶を示していたからだ。
人懐っこい雰囲気は、跡形も無く消え失せ。感じられるのは、斜に構えたように厭世的な冷たさ。
(聖さま、なのに)
別人。
そう言い換えてもおかしくない。機嫌を悪くしたとか、そういう事ではなく。
姿形は変わらないのに、そこにいるのは明らかに違う人だった。

「あの、お怒りになられたんですか?」
「何で?」
「だって、その。私がお話を」
「ああ、気にしないで」
素っ気なく切り捨てた彼女は、興味なさそうに食事を再開する。
「元々、人の話を親身になって聞くタイプじゃないんだ」
「だけど、聖さまは」
戸惑いを隠せず、相手の言葉を否定しようとしたギンガは――再び向けられた顔の前で、口を噤んだ。

「昔の私はね」
寂しい言葉を裏付ける、空虚な眼差し。

「――本当に大切なもの以外は、心底どうでもいいって思っていたのさ」










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