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zoom RSS 藤桜 ― 秋 ― 第八話

<<   作成日時 : 2008/12/29 00:00   >>

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技量は、相手の方が遙かに上だった。

閉鎖された場所で対峙した時、それが理解出来なかったわけではない。可能であれば脱出がベストだっただろう。
が、易々それを許す相手でもなく、更に一対一の状況で退路のみを求めるには、彼女は少々生真面目過ぎた。
事件の手掛かりを得る貴重な機会でもあったし、捜査官としての職責を全うする気概もあった。
何より、技量の差だけが障害なのであれば、雑念は無用と思われたからだ。
どんな相手でも、どんな状況でも。狙うは唯一撃のみ。
だからこそ。
雑念を一欠片たりと残さず、彼女は一歩前に進んだ。

飛び道具主体で戦う相手に対し、一撃離脱を試みる。
そう簡単に通用しないとしても、それしか選択の余地は無かったのだ。
相手が放つ投擲用ナイフは、付与された力により自由自在に爆発し、その衝撃が彼女を何度も弾き飛ばした。
纏われた外套は鉄壁で、こちらの打撃をほぼ全て無効化する。
戦力の差は絶望的だ。

それでも、客観的に見れば善戦していたと思う。
少なくとも足止めは出来ていたし、最後の一撃に賭けるだけの体力は残せていた。
あのまま続けた場合、勝敗が明白だったとは言い難い。
だが。
先に到着した増援は、残念ながら――相手側だったのである。
近距離戦に特化した者と、遠距離戦を得意とする者が各々一人。
即ち、三対一。
彼女に何が出来ただろう?

為す術も無く四肢を砕かれ、壁に叩き付けられるまでは意識があった気がする。
血の海に沈みながら、尚も抗おうとした彼女の利き腕は、人形の様に呆気なく引き千切られた。
その吐き気を催すような激痛は覚えているから、やはり、そこまでは意識を保っていたのだと思う。

ただ、一つの結末として。
彼女は一度、ここで凄惨な死を迎えた。




次に目覚めた時。

与えられた命令を遂行する為、彼女は激しい戦闘の只中にあった。
目的は、研究に必要な素材として、ある実験体を確保すること。
記憶に欠けた部分は無いから、対象を思い出す事に苦労は無い。自分と似たような特性を持つ近接特化型。
容姿も行動パターンも充分過ぎる程に把握している。油断出来ない相手とはいえ、技量に於いては自分に劣るだろう。
魔力の根源たるリンカーコア。そこに埋め込まれたエネルギー結晶体も、自身の全能力を底上げしている。
捜査官として犯罪者を追い詰める際の、厳正かつ客観的な視点が結論付けた。
彼我の戦力差は決定的。

その分析に些か誤りがあると気付いたのは、戦闘が佳境に入ってからだ。
捕獲対象の無力化に成功する寸前。
如何なる心意的要因が働いたのか、相手は保有していたデータ以上の能力を発揮し、彼女は想定を覆される可能性を危惧した。
例え破損率が高くとも、逃がしてしまうよりは問題が少ない。
そう判断した彼女は、殺意にも似た積極性をもって、相手の完全無力化を試みる。
互いの先天系魔法を駆使し、死力の限りを尽くした最後の攻防。
勝敗を分けたのは、総合的な能力差ではない。
自分の教え通り、相手が唯一撃のみに賭けた結果であった。

その『相手』とは最愛の妹であり、彼女が何があっても守ろうとしていた家族の一人。
――そう理解したのは、リンカーコアごとレリックを打ち砕かれ、無力化された後の事である。

瀕死の自分が、己を拉致した犯罪者によって治療を施され、研究対象とされたのは仕方が無い。
レリックと呼ばれるエネルギー結晶体を埋め込まれたのも、実験体としての活用が意図されたからだろう。
使い捨てとしての戦力か、あるいは不測の事態をも観察の対象とするつもりだったのか。
だとしたら、彼女は応分の結果を残したと言えた。

ただし、問題は別にある。

記憶の欠落は無かった。人格も、完全に改変されていたとは言い難い。
戦闘時の思考も正常であり、判断力も平常時と変わらなかった。ただの人形は駒に成り得ないという事なのか。
つまり、人としての根幹は残されていたのだ。
それなのに、彼女は家族を認識出来なかったのである。

犯罪者が不世出の狂的科学者であったことは事実だが、彼女の生真面目な性格は、そこに全てを押し付けはしなかった。
自身の未熟を痛感し、行動を戒める。
更には、第三者によって左右された『認識』が楔となった。本当に大切なものに対して、守るどころか拳を向けたという事実。
心のリハビリは目に見えない。
その事が、治療を続ける彼女に疑念を抱かせる結果となる。

自身の心と身体、記憶と認識。そして、実際の行動と思考。
本当に、自分は整合性を保てているのだろうか?




――――そして。

ある場所で重傷を負った彼女は、それ以来、現実感の乏しい日々を送っている。
逮捕された狂的科学者の研究資料と、残されていた彼女自身のサンプルから、怪我自体は完治した。
しかし。
治療した者の技術の差か。あるいは度重なる過度な負担が、深刻な障害を引き起こしたのか。
残ったのは、激しい違和感。
思考通りに動けたとしても、それが自分の身体とは到底思えなかった。
整合性を保たぬ心と身体。実感を持てない日常は、記憶と認識を徐々に切り離していく。

家族と、家族同然の者に拳を向けたのも、一度や二度ではない。

取り留めのない思考が、常に疑問を投げかける。
それなりの変化に富んだ日々を送っていて。楽しいことも、たくさん有るのに。
何故、違和感だけが大きくなるのだろう、と。
春から夏、夏から秋。故郷とは異なる季節の中で。
穏やかな時間を過ごした彼女が、どういった経緯で『真実』を看破したのか。

それは、本人にしか分からない。


      ◆   ◆   ◆


(さすがに、これは)
聖は苦い唾を飲み込んだ。
じわりと浮かんだ冷や汗を、さり気ない仕草で拭う。

確かに、抽象的な表現に終始した話は具体性に欠け、分かり難かったのは事実だ。
幾度かの大怪我についても、話の大半は隠されていたから、生々しい痛みは伝わってこなかった。
第一、目の前の彼女は健康そのもの。
コーヒーカップを持つ仕草も可愛らしく、細く綺麗な指先は、以前に見た勇ましい姿とも結び付かない。
この左手が大怪我をしたと、一体誰が信じるのだろう。
今の話だけを聞いたのなら、映画の話か、夢物語の類だと聞き流せたと思う。
(でも、私は聞いちゃってるし)
僅かながらでも知っているから、想像出来てしまうのだ。

だが。
彼女は、話の内容そのものに驚いたわけではなかった。

境遇の違い、立場の違い、そして根本的な違い。
それは、最初に会った日から分かっていた事だ。今更驚くにはあたらない。
おそらく、自分には想像も出来ない生活をしているのだろうが、それだって敢えて想像する必要は無かった。
愚痴の聞き手に、状況把握が必須ってこともないから。

それなら――本当に必要な事は何だろう?



「時折、ああ、これは夢なんだなって思うこともあるんです」
「夢?」
「ええ」
ギンガは楽しそうに微笑んだ。
「だって私、こんなにゆっくりと過ごしたのって、最近だけなんですよ」
母親が亡くなって、同じ道を進むと決めた時から。家族をこれ以上失わない為に、絶対に守ると誓った時から。
父親の元で捜査官として現場に立った時から、彼女はずっと走り続けてきたのだ。
「一度でいいから、こんな生活をしてみたかった。――そんな願望があったのかもしれません」
「願望、ね」
形だけ、頷く気配。

「そうすると、私も夢の住人なんだ?」
聖は、無造作に相手の左手を掴んだ。
化粧っ気すら全く無い、華奢で白い指先。
「夢は触れないと思うけどな。ついでに、こんな綺麗な手に嫉妬したりもしないよ?」
「でも、この腕だって、本当は違うんです」
「違うって……」
虚ろな笑いの前で、彼女は戸惑ったように口を噤んだ。

もちろん、彼女は知らない。
ギンガの左腕は一度失われ、後に元の姿を留めぬ程に手を加えられたことを。
例え見掛け上は戻されたとしても、現在、そこには現実感が伴っていないことも。

「こんなに楽しいのに、何か嘘みたいで」
「だけどさ。夢だとしたら――夢で見る為には、一度は見なきゃいけないでしょ?」
自分自身の経験でなくてもいい。
例え伝聞でも、あるいは創作物の舞台としてでも、知る機会が必要となる。全く知らなければ、夢の構成に寄与しないのだ。
遠来の客であるギンガには、自ら経験する以外の可能性は無いはず。
「それは……もしかしたらテレビで」
「それこそ嘘だね」
きっぱりと否定する聖。
「ナカジマさんは、リリアンを見たことも聞いたことも無かったはずだよ」
「でも、結構有名な学校だって」
「そうだね」
そりゃ否定は出来ないな、と一度は納得したように肩を竦めながらも、
「だけど貴女は知らない。それどころか、この街自体も知らなかった」
今度は、明確に断言した。



「何故、そう思うんです?」
慎重に問い掛けるギンガに、やや冷めた視線が降り注ぐ。
「言わせたいの? 貴女の故郷で、この街が知られてない理由」
「……いえ」
「じゃあ変なこと言わないの。あの日、ナカジマさんは私に会った。だったら、そこから先も本当って事でしょ?」

黙って俯いた彼女は、再びコーヒーカップを手に取った。

静寂、と言う程でもない沈黙を感じて、ふと上を見上げる。
柱上部に埋め込まれたインテリアに、幾重にも絡み付いた壮麗な白薔薇数輪。
春に頂いた物か、それに近い品種だと思う。
あの頃は、薔薇がどれほど多様かなんて知らなかった。だからこそ、あの美しさが由来かと思っていたのに。
現役の白薔薇さまが、温室で教えてくれたこと。
本物のロサ・ギガンティアは、遙かに雄々しく――力強い花だったのだ。

「悩むって、たまには良いですね」
「また微妙な言い方をする」
思わず出た本音に、困ったような呻きが応じる。
「本当は、ちょっと強引だったかなって反省してるんだ」
「何故ですか? 嬉しかったですよ。聖さまの違った面も見れましたし」
「……そう言われると、何か変な気が」
皮肉? と視線を向けられたギンガは、苦笑しながら首を振った。
「これで、全部片付けちゃおうって気になりました」
「片付け?」
「いつまでも、同じ所をぐるぐる回っていても駄目ですよね。往生際が悪いなあって、自覚はしてるんです」
「? 良く分からないけど、吹っ切れたならいいか」
すっきりした表情に満足したのか、聖は嬉しそうに頷いた。
ついでに、何気ない仕草で腰を上げる。
「もう出るんですか?」
「いーや。コーヒー飲み過ぎちゃったから」

(ここまでかあ)
目標を探す彼女を見上げる内に、耳の側で鳴る音が大きくなっている事に気付いた。
時計。
正確には、相棒が力尽きようとしている音。
劇的な場面でもあれば、また別の感慨が残ったのだろうが、これはこれで『らしい』かもしれない。
何か気の利いたことが言えないか――などと考えてから、一つ思い付いた。
スバルだったら、きっと聞いてたと思うから。

「あ、そうだ。聖さま、ちょっと聞いてみたかったんですけど」
「なに?」
「さっきの『両刀』って、どういう意味ですか?」
「……道理で、さらっと流してくれたと思った」
子供に答えにくいことを聞かれたような表情を浮かべると、聖はひらひらと手を振った。
「それは宿題。紳士淑女は知らなくて良いことだよん」
「え」
「そんじゃ、ちょいと失礼」



「もう。そんな言い方をされると、気になっちゃうじゃない」
まあ、多分下世話な話なのだろうけど。
軽やかな足取りで去っていく姿を見送ったギンガは、もう一度周りを見渡してみる。
それから、軽く眼を閉じて溜息を吐くと、先程巻いてもらったコートを解き、隣の席に置いた。
(さて、と)
右腕はテーブルの上に。
(ずっと前から、分かってた事なのに。いざとなると少し怖いのかな)
数週間前から顕著になった、右腕の異常。
何一つ言うことを聞かない、借り物の器。いや、自分の思う通りに動く空虚な器。
だけど、そうではなかった。身体にも記憶にも問題が無いとしたら、残る結論は一つしかない。
理解はしていても、認めるのには躊躇いがあった。
きっと、寂しいからだと思う。

告げられた言葉。
あの日、初めてあの人と会ったというなら、それ以前に会っている記憶はどうなるのだろう。
時折聞こえてくるあの声は?
桜。再現された桜と、あの桜吹雪。ケヤキの緑と、山間部の夜。
海。夏の砂浜と、線香花火。
そして、聖の通う学園。
どれも本当のことだと思えたのに。

眼を開けると、やっぱり――そこには何も無かった。

肩から先は、霞むように欠落している。
当たり前だ。
右腕は瓦礫の下になっている。見えるどころか、既に身体と繋がってもいない。
左腕はどうだろう? 過負荷で半壊した相棒を握ったのは確かだから、耳元にあるはず。
腰から下については考えたくない。どうせ酷い有様だ。最初から起動させておけば良かったけど、もう今更。

徐々に白く染まる視界の中で、ギンガは目の前の盤面を眺めていた。
埋まってないのは、あと一つだけ。
最後のピースを拾い上げる。これが『最後』ではなく、最初だったら本当に良かったと思う。
あの出逢いと、夜に別れた時のこと。
楽しい夏と、次の季節への移り変わりを過ごした、この半年。

だけど。



「もういいよ、ブリッツキャリバー。――ありがとう」
それを静かに置いてから、彼女は心からの感謝をこめて囁いた。










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