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zoom RSS 藤桜 ― 冬 ― 第三話

<<   作成日時 : 2009/01/10 19:59   >>

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それを眠り姫と称してしまっては、些か表現が足りないだろう。
確かに、彼女の眼は閉じられたままだ。
相手を真っ直ぐに見つめる印象的な瞳は、もう何日もの間、外界を捉えていない。

それでも――周囲の気配を、微細に感じ取っている事は分かるのである。

妹を含めた元同僚、かつての上司や医務官等。一定以上の力を持つ者たちには、頑なに気配を沈めた。
以前は、少なくとも脅威に感じた者への能動的な反応があった。それは身内すら例外ではなかったはずだ。
今は何一つ無い。
ただひたすらに『拒否』を示す理由は、誰にも拳を向けたくないという事なのか。
泣きながら妹がそう呟いたのを、居合わせた幾人かの者が聞いた。

親や主治医の先生、更には所属部隊の同僚数名。力の無い者、または力の劣る者に対しては、関心を示さなかった。
無関心とは異なる、穏やかで自然な沈黙。
脅威と成り得ぬ存在には、注意を払う必要がないからだろうか。
あるいは、安心しているのか。
心許せる存在は、彼女の平穏を揺るがさない。
それは納得の出来る理由ではあったが、寂しい結果であるとも言えた。

彼女は、眠る。
外界に対する認識を切り捨て、閉じた世界に意識を置いたまま、昏々と眠っている。
何も出来ない苛立ちを抱え、それでいて現状を十二分に理解していたからこそ。
半ば諦めながらも会わせてみた者に、『その話』を聞かされた時。某医務官は、表現しがたい笑顔で立ち尽くしたのだろう。
呆けたのでも、途方に暮れたわけでもなく。

まあ、要するに。
納得いかないなあという表情で。





確かに、欺瞞だった。
客観的な視点を求めたとしても、自分はスバルではないのだから。

恐れていた痛みは訪れなかった。
何かで殴られたような衝撃は感じたが、どちらかと言えば――放り出された感覚に近かった気がする。
必死にしがみついていた場所から、蹴落とされたような。
と言うよりも、まさしく蹴っ飛ばされたのだろう。淡々と放たれた言葉には、それだけの威力があった。
その本人が意図した以上の優しさは、感じ取れたと思うのだけど。
「でも、やっぱり痛い」
鈍く痛む頭を押さえながら、彼女はじたばたと起き上がった。
膝を抱えるように座り込むと、恐る恐る眼を開ける。
白い部屋。
壁も床も無いのに、何故か白いのだと分かった。何度も訪れた、おなじみの場所だ。
「え……と」
何も考えられずに見回すと、それに誰かが気付いたらしい。

『さて、どうなったかな?』

「聖さま?」
慌てて振り向いたが、やはり誰もいない。
「気のせい?」
『お、いつもと違う感じがする』
小首を傾げた途端、何故だかやたら嬉しそうな声が聞こえた。何も無い虚空から飄々と。
いつも通りの気楽な口調に、何故か理不尽さを感じる。
「どこにいるんですか? 私はいったい」
『そりゃこっちの台詞なんだけどね。……どうやら、今回は話が通じそうだ』
何を納得したのか。のんびりとした口調は、急に真面目なものへと様変わりした。

『私は、貴女の目の前にいるよ』
「え? でも、だって」
『いいから聞きなさい。そして、ベッドで横になった貴女は、私を見てる。こうやって会話もしている。だけど』
「だけど?」
『やっぱりナカジマさんは、ここには居ないみたいだね』
先程とは異なり、聖は諭すような口調で語り掛けた。



『おまたせ。葉が開き切っちゃうと苦いから』
しばらく沈黙が続いたと思ったら、どうやらお茶のお代わりを持ってきたらしい。
今自分のいる部屋は、かなり広いマンションの一室だそうだ。
お姫様が使うような豪華なベッドに寝ているとの事だが、無論実感は無かった。外界を全く認識出来ないから。
その割には、聖の声だけ聞き取れるのは何故なのか。
(考えたって、きっと無駄よね)
理屈ではなく感覚で悟ると、ギンガは腹を据えた。
どうせ、聞きたい事は山程あるのだから。

『あのお店で、食事したのは覚えてる?』
「あ、はい。覚えています」
『あの後、夏に花火をした時みたいに倒れちゃってね。しばらく待ってみても、全然起きないし』
周囲に、酒に酔ったと取り繕うにも限度があった。
まさか閉店まで待つわけにもいかない上に、医者も呼べない。
それに、このままでは自分が呼ばなくても呼ばれそうだ。
困った聖は、ギンガのポケットから携帯を引っ張り出すと、先程の通話相手に連絡を取ってみたのである。
『そしたら、アリサさんって人がもの凄い勢いで迎えに来てさ』
「あー……」
『で、連れて行っちゃった。その後の事は聞いてないんだけど』

親友のフェイトから事情を聞かされていたアリサは、一晩様子を見ることにした。
だが。聞いていたのとは異なり、朝になっても起きる気配が全くない。
動揺したアリサは、慌ててフェイトの実家であるハラオウン家に連絡を取り、その結果として母のリンディが対応する事になる。
主治医であるマリエル技官を迎えに行ったのも彼女だった。
強力な魔導師である自分が近付くのは問題がありそうだと、直接連れて帰るのを躊躇ったのだ。

『何日か経ってから、例の――えーと……コスプレお姉さんに呼ばれたんだ』
「もしかして、シャマル先生ですか?」
『そう、その人』
「……名前、覚えましょうよ」
『いや、まあ。とにかく、近くのホテルにナカジマさんが寝かされててさ。会ってみたら、前と同じっていうか』
それが、単なる寝言じゃない事は知っていた。
自らの体験を観察するような、不可解な視点と――理不尽な思い込み。
必ずというわけではないのだが、どちらかと言うと、以前よりも話が聞き取りやすかった。
その結果判明したのが、ギンガの認識が一定の時間を繰り返しているという事実。

何故、聖に彼女が応じたのか。それは誰にも分からなかった。
唯一答えを出せそうなのは本人だけで、残念ながら彼女以外には何の反応も見せてくれない。
家族、友人、同僚。それら全て。
選択の余地が無いことは、誰の目にも明らかだった。
同じ事を何度か試した結果、決断を下したのはスバルである。
ちなみに。
リリアンの近くに部屋の手配を行ったのは、微妙な自責の念に駆られたアリサだったそうだ。
親友から頼まれた結果がこの有様では、どうにも夢見が悪いとのこと。
如何にも彼女らしい責任感と言えた。

『それで、私が帰りに寄ってみるって事になったわけ』
「はあ」
『毎日ってわけじゃないけどね。それでも、一通りの話は聞けたかな』
主観、客観、その他様々な視点で語られる話は取り留めなく、特に向こう側の話はほとんど理解出来なかった。
それでも、会ってからの事については、ほぼ全てを把握している。
分かる部分で話し掛けている内に、何となく会話が成立する機会が増えていった。
『向こう側については、お父さんの話くらいは分かったんだけどね。それ以外はさっぱり』
「あの、シャマル先生やスバルが説明したりとか」
『私の方が聞かなかった。詳しく聞いちゃいけないと思ったし、何よりもナカジマさんが言わなかったじゃない』
だったら聞く必要なんか無いじゃん、と聖は笑った。

ギンガは、何も言えなかった。
興味はあるはずだし、異なる世界に関わっているという不安があってもおかしくない。
しかし、そんな感情は全く感じられなかった。
極自然に、必要な事だけを割り切って。自分の為に行動してくれている彼女。

思わず唇を噛み締める。
素直に泣いてもいいと思ったが、そんな暇はない。
何故なら。
『さて。いつも通りだと時間が無いはずだけど……もう少しお話をしようか』
「はい」
優しげな――でも怒りを押し殺したような声に、彼女は深々と頷いた。




あの時、彼女は同じ所を回っていると言った。結論だけ捉えれば、それは真実だ。
夢かもしれないと弱音も吐いた。無論、それも真実である。
だからこそ不安を抱え、結末を決め付け、与えられる証拠に縋り付いたのだろう。

春から幾度となく感じた聖の気配は、会う前の思い出にすら、影の如く付きまとった。
過去の自分に触れる、初対面の風変わりな女性。
そこから得られたのは、漠然とした疑問。
だが、想像で造り出した人格にしては、意外性があり過ぎた。いっそ理想の王子様の方がありそうに思えるくらい。
引っ掛かりはしたが、まだ眼を瞑れる程の些細な事だった。

むしろ気になったのは、何故あんな場所で迷子になったのかという事だ。
次元間移動で、全く情報の無い場所に転移することは有り得ない。自ら望むか、大きなトラブルでもない限り。
思い起こせば、明確な理由はあったのだろう。
問題を抱えた自分を、同僚や先輩たちはあれこれと面倒を見てくれた。
恩人の執務官が誘ってくれたのも、純粋な好意だったはずだ。
しかしながら、それは彼女に負い目を感じさせた。迷惑を掛け続けることの、深い自責と言い表せない悔恨。
誰にも迷惑を掛けることのない、そこじゃないどこかへ。
自身の気付かぬ内に、そう考えたとしても――仕方がなかったかもしれない。

あの暑い夏。
妹から聞いた事が、以前からの不安に明確な理由を与えた。
初めて訪れたはずの世界で、何故あの場所を選ぶことが出来たのか。
会った事もない人が、何故昔からの知り合いなのか。そもそも本当に存在している人なのか。
いや――自分が見ている光景は、果たして現実なのか。
その答えの、前提が成り立ったのだ。
自分と愛機のデバイスは、この世界に来たことがない。その事実がある故に、未知の体験に真実の重みがあった。
だが、情報という名の『経験』は、既に手元にあったのである。その情報に基づいて、現実に似せた虚構を築く手段もある。
それが過度な思い込みに過ぎなかったとしても。
少なくとも、彼女はそう思ってしまったのだ。

自らの不安を、自ら積極的に強化する。融通の利かない生真面目さが、一つの方向に走った結果。
秋を迎える頃には、既に後戻り出来ない状態になっていた。
非現実感が己の四肢に対する信頼を削り、周囲の優しさと穏やかな時間が、虚構に説得力を与えたのである。

そして、彼女の世界は閉じた。



問題は、それがいつからだったのかという事になる。

「白い薔薇を見ました」
『咲いてたね、確か。その後、ぐるぐる回ってるって言ったのも本当』
「お手洗いに行ったのは」
『それも本当だけどさ……変なこと覚えてるなあ』
「それから、右手を――」
そう口にしたギンガは、慌てて右腕を掴んだ。
今は、ちゃんとある。
触れた感覚もしっかりあるのに、何故だろう? 追い詰められる様な不安が、徐々に大きくなっている事を感じた。
多分、ここからだったはず。最後で、全ての始まり。
分かっているのだ。
自分の何処かが未だに疑ってるのは、我ながら度し難いと思う。
この状況だって、これまでと何ら変わらない嘘かもしれない。第一、聖とだけ話が出来るなんて、絶対におかしい。
理屈が成り立たないし、理由だって説明出来ないと思う。

だけど、今は理由が必要だろうか?

『そろそろじゃない?』
「分かってます」
ギンガは、ゆっくりと顔を上げた。
目の前にあるのは、組み上がったままの真っ白な板。
これから何かを描く為の物に見えて、実はそれこそが結末である白いパズル。継ぎ目なんて全くない。
以前のように引っ繰り返しても、やり直しが出来る保証はなかった。出来たとしても、同じ結果を導くかもしれない。
もしかしたら、未来永劫?
「でも」
そっと手を伸ばして、触れてみる。
どこまでも続く平らな面。
しかし、やっぱり『そこ』だけに抵抗を感じた。指先への僅かな手応え。
どうやっても動かせなかった、始まりの一欠片。
(……これが)
自分が最後を迎えたのだという、結末の証。
虚構の根幹。

『一応、最後に言っておこうか』
遠くなりつつある声が、悪戯っぽい口調で囁く。
『貴女と遊んだのは全部本当。だけど、それは一周目だけ。それ以降については知らないよ』
「え?」
『だって、私の体験は一度きりだもん』
「それはそうでしょうけど」
『知らないって事は、やっぱり嘘かもしれないね。と言うことは、これも嘘かもしれないなあ』
「ちょ、ちょっと待って下さい。今更そんな」
『そうすると、今の私は、もう二度と会えない人ってわけか。何せ夢の住人だし』
「あの!」
『それじゃ、こっちは気楽に待ってるから。ナカジマさんも、気長に頑張ってねー』

「気楽にって、聖さま!?」
いっそ無責任と言っていい程の声は、実に軽薄な調子で消え去った。



「…………」
彼女は、ふらふらと立ち上がった。
呆然と辺りを見回してから、今の誰かさんとの大切な思い出を呼び起こす。
桜。
あの街の道々を飾った桜並木。
学園の見事な桜。
山腹で見上げた幻想的な夜桜。
それから、妹たちが模擬戦を行った場所で、盛大に咲き乱れていた名も知らぬ花。

名も知らぬ――つまり初めて見た桜と、そこで何故か感じられた聖の気配。
それが、嘘?

「えーっと」
それこそが切っ掛けだったような気もしたが、あんな風に言われてしまっては、考えること自体が間抜けな気がする。
長いこと視線を彷徨わせてから、もう一度それを見下ろした。
起きた出来事は本当。でも、思い出は嘘。
だとしたら。

『あの時』から、自分は閉じた世界の中で過ごしていたことになる。

(いったい、何周目からだったんだろう)
無性におかしくなって、彼女は笑った。
聖との出逢いを大事にするあまり、自分で虚構を織り交ぜてしまったのだ。
順番がバラバラなのも、整合性が保てないのも当たり前だ。その虚構にしがみついて、結末だけを決めてしまった。
自分で出口を閉じたくせに。
その狭さが嫌で、色々な思い出を並び替えて、継ぎ足して。
何と言うか、もう馬鹿馬鹿しくて涙も出ない。

第一、ある意味で嘘ではないのだ。
自分が同じ所を回っている間、聖はずっとそばに――この部屋にいたのだから。
気配を感じるのは、当たり前ではないか。
「えい」
笑いながら、それを適当に蹴り上げる。
あっさりと宙に舞う無数の欠片。

その一つを、ギンガは無造作に掴み取った。
「要するに。これを最後にしようとして、必死に理由を探していた訳よね」
確かに、あの怪我で自分は死んだと思った。そんな動かせない結末の為に、周りを並べていたのなら。
今度は、これを始まりにしてみよう。
「いいじゃない。何回死にかけたって」
運が良い方とは思わないから、これからも似たような目に遭うかも知れないけど。
(たまには、こんな出逢いがあるんだから)


緊張感のない笑顔を浮かべた彼女は、その一欠片を気楽に置いた。
今度こそ、自分の意志で。










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