空色硯 sorairo-suzuri

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zoom RSS 藤桜 ― 冬 ― 第四話

<<   作成日時 : 2009/01/15 22:55   >>

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――――目を覚ましたのは、それから暫く経った後の事になる。


と言っても、僅か数時間だった気もするし、数年は過ぎたような感覚もあった。
(もしも数十年だったら、みんな居なくなってるかも)
などと暗い考えに浸りそうになったので、慌てて眼を閉じ、深呼吸をする。
気楽、気楽。
誰かさんみたいな、お気楽な感じ。
もう一度上を眺めると、何かの毛皮が編み込まれた、豪勢な天蓋が広がっていた。なるほど、お姫様用のベッドらしい。
高そうな絹の寝間着に、清潔さしか感じられないシーツの肌触り。
身体が沈みそうな柔らかさと、背中に負担の掛からない適度な弾力。何だか、高級感が凄すぎて落ち着かない。

困ったように視線を動かした彼女は、ふと、その気配に気付いた。
場にそぐわぬ、巨大なベッドが置かれたリビングルームの、反対側。
これも高そうなソファに腰掛けた女性が、カラフルな表紙の雑誌を眺めていた。
時折、鉛筆で何かを書き込んでいる。

(……誰?)
全く見覚えの無い、絵に描いたような美人だった。
すらりとした印象の細面な顔立ちと、濡れ羽色の艶やかな黒髪。
スーツ風のタイトスカートに、ループタイを絞めた真っ白なブラウス。上品な着こなしは、江利子とは異なる自然なもの。
意志が強そうで、それでいて柔らかさの感じられる眼差し。
それが、何気ない様子でこちらを眺めている。
(あれ? いつの間に)
予想外のタイミングで視線が合ってしまった事に、少し慌てた。
ただ、相手の観察するような気配には、何故か覚えがある。

「まさかとは思うけど……起きたの?」
不可解といった口調で問い掛けられ、ギンガはこくりと頷いた。
しばし無言で、互いの視線を吟味。
やがて――最初に目を逸らしたのは、相手の方だった。テーブルに置いてあった紅茶を一口飲むと、ソファに深々と背を預ける。
「聖に恨まれるわね。一ヶ月以上通ったのに、昨日初めて来た私に抜け駆けされたんだもの」
「昨日?」
「あ、ごめんなさいね。ちょっと驚いちゃったのよ」
居住まいを正したその人は、胸の前で指を組み合わせた。
「初めまして、ギンガさん。私は――聖が紹介してくれたのだけど、覚えてる?」
「え? いつですか?」
「昨日。貴女は眠っていたけど、それでも分かるはずだって」
「!」
一瞬、耳の奥に、誰かさんが自慢げに紹介する声が聞こえた。
ついでに、ちゃんと世界を認識出来ていることを理解する。四肢の感覚は未だに違和感があるけど、間違いなく嘘じゃない。
この人に会ったのは、確かに昨日だ。

「蓉子さま……ロサ・キネンシス」

「元、ね」
頷いた蓉子は、満足そうに微笑んだ。


      ◆   ◆   ◆


「今度こそ、降るかな?」
聖は低い空を見上げた。
先日、可南子と会った日も似たような空模様だったが、今日の冷え込みはあそこまで厳しくない。
その代わり湿度は高めで、西の方では降り始めた所があるそうだ。

(出来れば、雨以外を期待したいね)
喫茶店の奥に進むと、いつもの人が本を読んでいた。
中盤に差し掛かっているから、結構待たせたのかもしれない。大して遅れなかったとは思うのだけど。
レジでブレンドを購入した後。
「こんにちは。寒いですね」
待ち合わせ相手に会釈して、正面に腰掛けた。
「待ちました?」
「いいえ。少し早めに出て来たんです。ちょうどお買い物の予定もありましたから」
「今日もお一人で? 後でお迎えが来たりします?」
「一人です。帰りは電車」
「そうですか」
微妙な笑顔で頷く聖。
お相手のシャマル先生は、以前のような目立つ服装ではなく、品の良い緑色系のスーツ姿である。
横に置いてあるコートとマフラー、それに毛皮の帽子も似合いそうだから、電車で揺られて帰るのが不思議とは思わない。
しかし、第一印象が強烈だったせいか、あのイメージが抜けてくれないのだ。
「……それで、今日は何でしょうか」
「何がってわけじゃないの。何となく、近況を聞けたらと思って」
微笑んだシャマルは、現在、近隣のホテルに泊まっている。
万が一の事態に備えているからだ。
あの場所はアリサが用意したもので、看護や部屋の手入れの為の人員も、彼女が専門の者を手配した。
完全な一般人、しかも面識の無い者は、眠り姫に影響を与えない上に安全なはずである。

だが、何かしらの予想外が起こる可能性は捨て切れない。
そういった場合に対応するには、シャマルの様なタイプの魔導師が一番適任だったのだ。
もちろん一人だけでは限度があるので、ハラオウン家が交代要員を引き受けている。


「本当は、もっと近くに居た方がいいと思うのよ」
でも、と彼女は溜息を吐いた。
「あの子って、凄く鋭いんだもの。どこまで近付いていいか分からないし、覗いても気付かれちゃう」
「映画に出てくるような、監視カメラは駄目なんですか?」
「ダメなの。貴女と話してる時は、周囲を観察してる可能性が高いもの。万が一気付かれたら、どうなるか分からないでしょ?」
「悪化するかもしれない?」
「ええ」
シャマルとしても、これが精一杯という現状に不安はある。
事態の推移を見守り、一定の結論が出るまでは、魔導師や身近な知り合いは近付けない。
かと言って、今更ギンガの感覚を封じるわけにもいかず。
完全に一般人な聖に、大部分を頼ってしまっている。
「それで、つい」
「お気持ちは分かりますが、あれから何も無いですよ」
聖はコーヒーを啜ると、苦笑いを浮かべた。
あの会話から暫く経つが、変化の兆しは未だ見えず。
だとしても、焦るにはまだ早いと思う。初めて会った時からの時間を考えれば、あと一年はこのままかもしれない。
いや。
あの桜を見たいと思っているのなら、春には意地でも起きてくるか。
「冬眠だと思って、気長に待ってみたらどうですか」
「熊じゃないんですから」
「ですね。そしたら、秋に蒔いた種ってことで」

「……春には、芽を出してくれるといいわね」
あと数ヶ月。あまり長引くと、向こうから持ってきたデスクワークが品切れになる。
安定はしているようだから、そろそろ戻っても良さそうな気はしているのだが――どうせ戻った後も気になるのだ。
「スバルも、貴女に任せれば大丈夫って言ってたし。後はのんびり待つしかないのかしら」
「私だって、何もしていませんよ」
どちらにせよ、選択肢は一つだけ。

あまり――深刻に考えない方がいい。それが待つ者共通の心得だと、双方共に理解していたのである。

もっとも。
この時点で、全て杞憂に終わっていたのだが。


      ◆   ◆   ◆


外を見ると、寒そうな空が広がっていた。
聞いた話によれば、今は初冬。あれから一ヶ月以上が過ぎている。
(足が動かしにくいのは、仕方ないかも)
いくら普通の人より頑丈だとしても、いきなり自由自在に歩き回れるというわけではない。
ベッドに腰掛けたまま、言われた通り大人しく待つことにする。

「長いこと眠っていたんでしょう? 本当にいいの?」
「はい。お腹は丈夫な方なんです」
差し出された紅茶を、ギンガは両手で受け取った。
僅かな量を口に含み、舌で転がしてみる。頼んだ通り甘めだが、それでも渋みが引っ掛かるのは、本調子ではないからだろう。
飲み込んでみると、首元に微かな痛みを感じた。
久し振りに体温以上の物を通した喉には、少々熱かったらしい。
「冷ましてからの方が良さそうね」
顰められた眉に気付いて、蓉子はティーカップに手を伸ばした。
「平気です。もうちょっとで飲み頃ですから」
「そう?」
手を引っ込めると、彼女はサイドテーブルを見遣った。ティーポットの残りはまだ充分。
葉の様子を確認してから、キッチンスペースに足を運んだ。

「すみません」
ティーサーバーの準備を進めているのを見て、ギンガはポットを占有してしまった事を詫びた。
「違うのよ。私もそのくらいの方が良いのだけど、もう一人には濃いめを入れてあげようと思って」
「もう一人?」
「今、呼ばれて外に出ているの。もう少ししたら、戻ってくると思うわよ」
それが誰なのかは、今更聞くまでもない。
戻ってきた時の様子を思い浮かべてから、ようやく『そのこと』に思い至った。
一ヶ月以上足繁く通い、自分の目覚めを待っていてくれたのだ。
近くの机には大学で使用しそうな書籍が並んでいるから、勉強やレポート作成もここで行ったのだろう。
お見舞いの気遣いを微塵も見せず、別荘扱いで気楽に過ごしている様子が目に浮かぶ。
だけど、本当は色々と考えてくれていたに違いない。心配もしてくれたと思う。
それなのに。
ちょっと外出したら、いつの間にか目覚めていて、自分の友人と仲良く会話している。

考える内に、すうっと血の気が引くのを感じた。

――怖い。
怒られそうで怖いというより、何をされるか分からないのが怖い。
「ど、どうしましょう?」
「そうね。……どうにもならないわね」
一瞬だけ悩む素振りを見せた蓉子は、あっさりと肩を竦めた。
さすが同期三薔薇の一人として、理解度の違いが伝わってくる。が、今はそれどころではない。
「いっそのこと、寝たふりをしてみるとか」
「それが聖に通用するならね。隠しておきたい事に関しては、異様に鋭いわよ」
鈍いことも多いけど、と忠告とは言えない事を呟く元紅薔薇さま。

(どうしよう)
話している間に、極めて重大な事にも気付いてしまったが、それは全力で封印しておく。

理不尽な恐怖に怯えながら、ギンガは視線を彷徨わせた。
室内には、このベッドとダイニングテーブル。それとは別のライティングデスクに、接客用ソファと雑多な物を放り込んだ棚。
生活する為に必要な物を、まとめて並べたという感じである。些細な変化を見逃さないようにという配慮だろうか。
冬空を映す窓は広く、曇天の弱めな陽光を余さずに取り込んでいる。
そして、窓際にぽつんと置かれた、慎ましくも鮮やかな色彩。
感じた既視感を疑って、少しばかり悩んだのだが――やはり、見覚えのある花だった。
「蓉子さま、あれは」
「聖がお見舞いに持ってきて、育てているのよ。どうかなという気もするけど、あれがいいんですって」
「何か問題でも?」
「……そういえば、貴女は海外の方だったわね」
蓉子は、可愛らしい花が並ぶ、大きめの鉢植えを指し示した。
「こちらでは、お見舞いに鉢植えは厳禁ってことになっているの」

説明によると。
お見舞い用の物は、本来切り花を選ぶのだという。
根の付いた花は根付く、即ち『寝付く』に繋がり、更には病気療養が長引くことに繋がるらしい。
つまりは縁起が悪いという事で、鉢植えを避けるのは一般常識とされている。

「聖が言うにはね。ギンガさんはこの国の人じゃないし、育てるのは自分だから問題無いそうよ」
その時の様子を思い出して、蓉子はくすっと笑った。
生きの良い花を渡すのだと、強硬に主張していたのは何故なのか。
「咲いたのは、つい最近みたい」
「こんな時期に咲くんですか?」
「そういう種類もあるけど、これは違うわね。春頃に咲く花なの」
「え? でも」
「直接は知らないのだけど」
疑問符を浮かべる相手に、種明かしをする。
「今年の夏、聖たちと一緒に海沿いへ遊びに行ったでしょう? その近くに、植物園があったのを覚えていたのね」
直接訪れなかったギンガにも、それなりの縁を残した場所。
そこから、咲く前の鉢を買ってきたらしい。
思い立った日は、車が使えなくて持ち帰りに苦労したそうだが、それでも取り止めない所が聖の聖たる由縁。
「こだわった理由は、貴女にあるのかしら?」
「この花は、以前頂いたものなんです。名前は教えてもらえませんでしたが」
「ああ、それは――」
何気なく声に出しそうになった蓉子は、慌てて口を噤んだ。
ギンガも似たような表情を浮かべて、両耳を塞いでいる。

それはさておき、と心の中で強引に話題を変えて。
「二人から話を聞いていたから、初顔合わせって感じがしないわね」
「私もです。聖さまから、蓉子さまの事は何度か」
「祐巳ちゃんにも会ったそうね。志摩子と由乃ちゃんにも」
「はい」
「そうすると、私が最後かあ」
蓉子は、大袈裟に溜息を吐いた。
もちろん、一つ下の祥子と令も縁が無いのだが、何となく出遅れた感じがするのは否めない。
いつぞやの江利子の気持ちがよく分かる。夕子ちゃんの話とか。
「聖は自慢そうに話をするし、江利子も抽選に当たったような話し方をするし。私だけ、仲間外れにされたのかしら」
「そんな事はないと思いますけど」
「ダメよ、聖を庇ったって」
慌てる相手に、寂しそうな視線を向ける。
「みんな冷たいわよね。私なんて、薔薇の館では、いつもお説教係だったもの」
疎まれてるのよ、と露骨に肩を落とす彼女。


「蓉子さま、それは」
いきなり落ち込む姿に慌てそうになったが、ティーカップの存在がそれを押し止める。
毛足の長い絨毯は、汚したら後が大変だから。
しかし。
止めたはいいけど、次にしたい事も続かない。思い付く事もないので、冷め始めた紅茶に口を付けた。
注意が他に向いた結果は、ずずっと啜る行儀の悪い音。
それは、思わぬ大きさで静かな部屋に響き渡り、ギンガは恥ずかしさで顔を赤らめた。
カップで顔を隠すようにしながら、上目遣いの視線を相手に向ける。

俯いて、肩を震わせている元紅薔薇さま。

「…………?」
以前だったら、泣いていると勘違いしたかもしれないが。
聖と江利子という二人の薔薇さま相手に培った経験が、あやふやながらも別の結論を導き出す。
「あの、まさか」
恐る恐る声を掛けるが、相手はまだ顔を上げない。
ギンガは、しばらく観察を試みた後、表情を消してそっぽを向いた。
ついでに一言。
「薔薇さま方って、絶対に意地悪ですよね」

予想通り、返答無し。
紅茶の残りを飲み終えてから、サイドテーブルを引き寄せる。ポットの中身は思っていたよりも多い。
二杯目を注いで、今度は一息に飲み干した。
ヤケ酒ならぬ、ヤケ紅茶。
「聖さまも江利子さまも。言いたくはないですけど、私、ある意味で病み上がりなんですよ」
口を尖らせて様子を窺うと、やがて――忍び笑いが漏れ聞こえてくる。
ほら、やっぱり。

「ご、ごめんなさい。聞いていた通りの反応だったものだから」
必死に笑いを堪える様子を見ると、変な脱力感を感じてしまう。
御三方とも、真面目な顔と雰囲気を保っていれば、気後れする程の威厳を感じるのに。
何と言うか、勿体ない。
「……そういう所、皆様って本当に良く似てます」
と、呆れたように溜息を吐いた時。玄関の方から、鍵を開ける音が微かに響いた。
――――誰かさんのご帰宅である。


予想はしていても、いざとなると判断は鈍るもので。
引き攣った笑みを浮かべた二人は、無言のまま顔を見合わせていた。










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