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zoom RSS 藤桜 ― 冬 ― 第五話

<<   作成日時 : 2009/02/14 23:55   >>

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「ただいまー」
カラン、とガラス扉のベルが鳴り、帰還した者の声が遅れて届く。


「お帰りなさい。早かったわね」
洗い物をしながら、蓉子は訝しげに振り返った。
声音に、何故か疲れたような――と言うよりも、何かを引き摺るような重みを感じたからだ。
珍しい事もあるものだと思ったが、実際に両手が塞がっているのを見ると、気のせいと思わないでもない。
「何を買ってきたの?」
派手な包装紙で包まれた箱状の物と、コンビニエンスストアの大きな袋。
「お昼ごはん。そろそろお腹空かない?」
「あら」
時計を見上げると、既に午後一時を回っていた。
「そういえば、もうそんな時間なのね」
「何か作ろうかとも思ったんだけど、たまにはこういうのもいいかなって」
「……冬ですものね」
漂ってきた匂いに気付いて、同意する。
準備を終えていたティーサーバーを横に置き、電気ポットの再沸騰ボタンを押した。
ここに到着するなり呼び出されたので、聖は何も飲んでいないはず。
まあ、打ち合わせで喫茶店には寄ったかもしれないが。
「前に言ってた、お医者さん?」
「そ。特に何も無かったんだけどね」
「それは仕方ないんじゃない? 誰だって気になるし、心配するものよ」
「そうだね」
ちら、と聖はいつも通りにベッドを確認した。お姫様は相も変わらず御就寝中。食事に付き合っては下さらない。
軽く頭を掻いた彼女は、ダイニングテーブルに買ってきた物を並べた。
それからソファに座り込むと、ぱったりと横に倒れる。
「何だか疲れた。蓉子、お茶ちょーだい」
「食事前なのに、いいの?」
「うん」
声だけで頷く彼女。

「ちょっと待って。お湯が沸くまで、もう少しかかるから」
応じながら、テーブルに積まれた物を確認する。
四角い方は、予想した通りの真っ赤な箱――昨日で役割を終えたクリスマスケーキ。つまり、今は単なるケーキである。
箱の頂上には、『ご奉仕価格』と銘打たれたシールが貼ってあった。
(七割引とは、思い切った値段ね)
つい苦笑しそうになったが、生クリーム中心ならこんなものだろう。
賞味期限は、本日中というより夕方前後。昼頃には売り切らないと、処分せざるを得なくなる。
聖が買った理由も、単純に勿体ないと思ったからか。
万が一、他に意味があったとしたら、遠慮無く小突き回す事としよう。

しかし。
この量を二人でとなると、少々厳しくはないだろうか。ケーキだけでもそうなのに、これは本来食後用。
本命は別にあるのだ。
「いったい、何人前買ってきたわけ?」
「んー? 別に何人前って事はないんだけど」
一番大きいサイズの入れ物が四つ。
冬の定番、おでん。確かに美味しそうだが、この量は洒落にならない。
「食べたい物を選んでいったら、何故か全種類一個ずつって感じに」
「……私、半分も食べられないわよ」
ついでに、おでんの食後がケーキというのも、微妙だと思う。

「大丈夫。冷えても美味しいし、冬って意外と食べたくなるから」
それは自爆コースでしょう、という視線を無視しながら、聖はソファに置かれた物を拾い上げた。
出掛ける前、待つ間の暇潰し用として提供したパズル雑誌。これも同じ店で買ったものである。
「ずっとやってた?」
「ええ。特にする事もないから」
「ふうん……?」
寝転がったままパラパラと紙面をめくっていた彼女は、不意に抗議の叫び声を上げた。
「蓉子、酷いよ!」
「な、何?」
「全部終わっちゃってる! せっかく、少しずつ進めてたのに!」
指し示されたのは、数独の上級編。蓉子特有の丁寧な字が、全てのマスを数字で埋めている。
過程を示す細々とした書き込みは、几帳面な性格の証だ。
「こんな短時間で終わらせるなんて、大人げないじゃんか」
「それは、こちらの台詞だと思うのだけれど?」
膨れっ面で睨んでくる相手に、蓉子は呆れたように肩を竦めた。
時間潰しにと渡されたのだから、進める許可を与えられたと考えるのが当たり前。
それを今更抗議とは。元々子供っぽい所が多いけど、今日はまた随分と――――?

「聖?」

蓉子は微かに眉を顰めると、反対側のソファに腰を下ろした。
怒った表情を維持して視線を逸らす相手に、改めてもう一度。
「ロサ・ギガンティア?」
「!」
今度は古い呼称を使って、昔と同じように語り掛ける。
「志摩子の時にも、言ったでしょう? 茶番とまでは言わないけど、貴女の演出には無理が多いのよ」
うっかり買い過ぎてしまったり、ちょっとした事で怒ってみたり。確かに、普段も似たような事はするかもしれない。
だけど。大雑把に見えて繊細な聖は、同じ事をしてもすぐに違和感が表れてしまう。
昔からそうだ。
心の奥底は見せないくせに、本音を隠すのは意外と苦手。
「だから無駄なの。――言ってしまいなさいな」


「……うん」
暫く黙っていた聖は、やがて泣きそうな顔で頷いた。


      ◆   ◆   ◆


悩みを抱えている事を、知らなかった訳じゃない。
春に打ち明けられた時は、少なくとも本人だって自覚していたのだから。
不甲斐ない己を責め、周りの人たちに報いようと頑張っている姿は、見ていて応援したくなる。
誰だって悩むけど、それでも進もうとする姿勢は格好良い。
前だけを見て走る彼女は眩しく、新鮮でもあった。
理解しきれない事情と、触れることの出来ない世界の中で生きている人である。興味が尽きるはずもない。
今までに得た大事な人たちとは、全く異なる位置を占めた不思議な存在。
様々な意味で、彼女は遠来の客であったのだ。

それが――夏を過ぎた頃から、違和感を感じさせる様になった。
いつも通りの笑顔なのに、そこには心を伴っていない。仮面に貼り付けたというより、他を置き去りにしているような。
何か、深刻な悩みがある。今までとは違う、常に心を押し潰そうとする大きな問題。
ところが、彼女自身が自覚していないのだ。
明らかに苦しんでいるのに、その苦しさを理解していない。頼ることを知らない彼女は、頼らねばならない事自体を知らなかった。
その姿を見て、いったい何度指摘しようと思ったことか。

だけど、本人は笑っている。

本心から、その時々を楽しんでいた。
そんな相手に、言える事なんて何も無い。考える必要もないから、一緒になって楽しめばいい。
ずっと、そう思っていた。



「凄く、後悔したんだ」
彼女は、淡々と呟いた。
「ナカジマさんは、自分がどれほど苦しいのか気付いてなかった。今まで、誰にも頼らなかったんだと思う」
仕事上の悩みだったら、遠慮無く他人を頼ったかもしれない。
だが、自分自身の事については、頼るどころか弱音すら吐かなかった。頼り方を知らなかった。
血を流している事に気付かず、ひたすら走り続ける『正義の味方』。
「強くて、格好良くて。……痛々しくて。見てる方が苦しかったよ」
「だから、打ち明けて欲しかったのね」
「力になれない事は分かってた。それでも、聞き役くらいにはなりたかった」
身近な人に言えないのなら、私生活とは関わりの薄い――旅先の知り合いには言えるのではないか。
何しろ、関わりたくても関わりようのない、距離の遠い関係だ。
思う存分弱音を吐いたって、誰に伝わるものでもなく、借りにも貸しにもならない。
それでも、多少なりと楽になってくれたら。
「――なんて考えは、自己満足でしかなかったような気がする。きっと、私は」

(見ているだけの寂しさに、我慢出来なくなった?)
飲み込まれた言葉を、蓉子は心の中で呟いた。
相手を思う気持ちは本物だったはずだ。苦しむ姿を見たくなかったというのも、その気持ちと矛盾していない。
一瞬、ある方向を眺めて確認してから、やんわりと指摘する。
「必ずしもそうは言えないんじゃない? 言いたかった事は、ちゃんと伝わったかもしれないわ」
「そう、かな」
悩みを自覚させる事は出来たし、弱音を吐くことが澱を取り除く契機にもなった。それは明白な事実である。
「確かに、久し振りにいい笑顔を見せてくれて、全部片付けるって言ってくれたけど」
事実だとしたら、何故こんな事態を招いたのか。
聖は、唇を噛み締めて俯いた。


語られた、想像も出来ない世界。
映画などではなく、彼女は本当に命懸けの世界に身を置いていた。
何度も傷付いて、命を落としそうになり。――己が死んだと思いこむ程、生死の境を彷徨って。
自分が悪いわけではないのに、誰のせいにもしない。どれほど酷い目に遭っても、歪むことなく真っ直ぐに前を見据えている。
痛くて苦しい思い出ばかりでも、彼女はずっと笑っていた。

そんな凄くて眩しい人が、狭い世界で眠り続けている。

切っ掛けは、どう考えても自分しか有り得ない。
「眠っている時、何度か起きそうになったんだ。話が通じる時もあってさ」
お父さんに怒られて、悩んでいる時とか。
どこか分からない部屋で、パズルを組み上げている時とか。
――秋頃の、一緒に食事をした時と思われる場面、とか。
そこが一番重要だと理解していたから、何度か呼び止めようと声を掛けた。諭してみようと言葉を並べた。
必死になって謝りもした。
何も知らないくせに、頼って貰おうとした身の程知らずの自分。
責めてくれた方が楽だったが、そんな事が出来るはずもない生真面目な彼女は、いつも話を聞いてくれなかった。

「この前、久し振りに話が出来た時は、いつもと同じナカジマさんだった」
自分の何気ない一言に、思いも掛けない反応をしてくれた彼女。
凄く嬉しくて、何を言っていいのか分からなくなった。
いつもと同じ会話をして、いつもと同じようにお別れをした。深刻さなんて欠片もない、気楽な逢瀬。
それが、果たして正しい対応だったのか、現時点で答えは出ていない。
あれ以来、自分にも応えてくれないから。
「今日だって、心配してるお医者さんに気長に待とうって言ったけど。あれも、自分がそう思いたかっただけなんだ」
本当は。
人に説教が出来るほど、気楽で前向きな性格はしていないのだから。



「あのね、聖」
久し振りはこちらもだわ、と蓉子は心の中で呟いた。
佐藤聖が他人にこういった姿を見せた事は、過去に数える程しかない。見た者も、多分片手の指で余る。
最近は本人が思う以上にさっぱりとした性格を身に付けているから、ここまで落ち込むことは滅多にないと思う。
今回は、その滅多にない事の範疇だったのだろう。
(分からなくはないけど)
後悔の念が強くとも、頼まれたからには逃げるわけにはいかない。
友人の為に通い、病床の身を眺めて負い目を感じながら、表に出すわけにもいかなかった。
それが長期に渡ってしまえば、誰だってこうなるかもしれない。
(……困ったな)
口元に浮かんだ微笑みを、無理矢理に我慢する。
彼女が頼ってくれたのは純粋に嬉しい。悩んでいるのなら、幾らでも力になりたいと思っている。

しかし。
もう一人の聞き耳を立てている人が、そろそろ限界なのも分かるわけで。

「お茶を入れてくれない?」
「はい?」
唐突な要求に、聖は面食らったような視線を向けてくる。
「辛気くさい顔で悩んでいたら、底無しに落ち込むわよ」
「……言ってしまえと仰せられたのは、ロサ・キネンシスだったような気がするのですが」
「そうだったかしらね? とにかく、少しは気晴らしになるから」
ほら、と指し示されて、ポットがいつの間にか保温モードに移行していた事に気付いたらしい。
合図の音が鳴らなかったのは、うるさいからと聖が消音設定にしたせいである。
「急がないと、電気が勿体ないわ」
「ちょいと蓉子さん?」
「さっき使ったカップを洗っておいたから、それを使って」
問答無用とばかりに、彼女はにっこりと微笑んだ。



「普通、傷心してる親友の為に、さりげなく入れてくれるってのが筋じゃない?」
泣きそうだった顔を苦笑いに変えて、聖は不承不承腰を上げた。
まあ、変に慰めたりしない所が蓉子らしいから、こんな風に扱われる方が逆にほっとする。
相変わらず、容赦ないけど。
それでも、昔は一度だけ甘えさせてくれた事もあったから、
(今回は大丈夫って思ってくれたんだな)
自分では落ち込んでる気がしても、外からは元気そうに見えるのだろう。

キッチンスペースに立つと、シンクの横に洗い終わったティーカップが、二つ並んでいた。
組み込みの食器洗浄機もあるのだが、この量だと手で洗った方が早いし経済的だ。
もっとも、洗ったばかりの物を使ってしまうとなると、話は別な気もする。
準備されていた物を眺めて、少し迷った。ティーポットもあったはずだが見当たらない。
「蓉子ー、ティーサーバーは今使っちゃう?」
「ケーキもあるから、食後にしなさい」
茶葉の詰まった缶を示すと、何故か急かすような声が応じる。
「了解。じゃあ、今はこっちでいいよね」
棚に並んだ紙箱から、ティーバッグを二つ取り出した。今朝方、ここに到着した時に飲もうとした物だ。
(着いた直後に電話が掛かってきたもんなあ。飲む暇も無かったよ)
それぞれにバッグを放り込んでから、砂糖を探す。こういう時は、ストレートより何かを足した物が飲みたい。
冷蔵庫にはレモンもあったが、あれはスライスして砂糖漬けにしてしまった。
ついでに、冷蔵庫と言えば。
「牛乳はあったっけ?」
記憶を探ってみたが、これも昨日使い切ってしまった気がする。
まさかコーヒー用のクリームを使うわけにはいかないから、今回は諦めた方が良さそうだ。
(ま、欲しい時に無いなんて、よくある事か)
電気ポットに表示されたお湯の温度を確認して、いざ注ごうとした時。

「――――!?」
ある事に気付いた聖は、人形の様に動きを止めた。










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