空色硯 sorairo-suzuri

アクセスカウンタ

zoom RSS 藤桜 ― 冬 ― 第六話

<<   作成日時 : 2009/02/14 23:57   >>

トラックバック 0 / コメント 0

(まさか)
唾を飲み込むと、もう一度目の前の物を確認する。

洗い立ての『二つ』のティーカップ。

一人で二つ使うような無駄を、生真面目な親友は好まない。
だとしたら、この部屋で紅茶を飲んだ人物は、彼女以外にもう一人居た事になる。
「……蓉子?」
恐る恐る振り向くと、相手は澄ました顔で雑誌を眺めていた。こちらに視線を向けようともしない。
だからこそ、それが推測を肯定していた。
驚きと確信が、胸に差し込むような痛みを与えてくる。

慌てて振り向いた先には、姫君の豪奢な寝所があった。
今朝と変わらぬ様子と思えたが、改めて見れば微かな違和感。
「――っと」
反射的にそちらへ駆け出そうとした彼女は、思い直したように方向を変える。
教科書と辞書で埋まったライティングデスク。
その引き出しから、以前より準備しておいた物を取り出した。
幾つかの文房具と、金属製の簡素な装身具。そんなに派手ではないが、質だけはしっかりした物を選んである。
以前と違い、今度は二つ。
(この方が、あの子には似合うよね)
表現に困るような微笑みを浮かべた彼女は、やがて窓際へと足を向けた。




会話は全て聞こえていた。
何度、途中で口を挟もうと思ったことか。

しかし、結局は何も言えなかった。
脳裏に浮かんだ様々な光景が、ギンガの身体をベッドに縫い止めたのである。
(言えないんじゃなくて、言いたくないのかも)
彼女はこっそりと自嘲する。
迷惑を掛けた相手が、一人ではないと気付いたから。
それを考え始めると、もう動くことは出来なかった。心の中で、ぐるぐると色々な言葉が渦を巻いている。
誰に、何を、どうやって謝ったらいいのか。謝ってもいいのか。
感謝の気持ちだけを積み重ねても、多分、言葉では言い表せない。

(……あ)
悩んでいる内に、気配が歩み寄ってきた。

少しばかりの逡巡の後、ひんやりとした掌が頬を撫でる。
以前の傍若無人な遠慮無さは微塵もなく――壊れ物を扱うような、優しい触れ方。
それから、髪留めらしき物を、そっと左右に一つずつ。
未だ眼を閉じていたギンガにも、それが何かは手に取るように分かった。
夏の夜。
あの海辺で頂いた、小さな花の髪飾り。
(どうしようかな)
つい微笑んでしまったから、もう相手だって分かっているはずだ。
ただ、切っ掛けが掴めない。意図せずに盗み聞きしてしまったという、微妙な罪悪感も理由の一つ。
どんな表情を選んでいいのかも、意外と難しい気がする。
(でも、もういいよね)
益体もない取り繕いは諦めて、素直に再会の挨拶を告げようとした彼女の耳に、

「ごめんなさい」
と、深い悔恨を込めた謝罪が届いた。


      ◆   ◆   ◆


「――時間の問題、だったんですよ」

静寂は、そう長くは続かなかった。
穏やかな寝顔の姫君が、そう囁いた時。ベッド脇の彼女は、僅かに肩を震わせた。
遠慮がちな視線が、声の主に怖々と注がれる。

「例えこちらに来なかったとしても、いつかは似たような事になっていたと思います。色々と問題を抱えていましたから」
ギンガは、気にせずに話を続けた。
「大怪我をした後、心と身体が離れ始めていたんです。あのままだったら、いつかは壊れていたでしょうね」
壊れ方だって、一体どんな過程と結果を歩むはずだったのか。
いつ誰に牙を剥くか分からぬ有様では、仕事に戻る事など有り得ない。
やがては外に出ることを、人に接する事すらも許されなくなり、隔離施設で余生を過ごしたかもしれないのだ。
それは、中途半端に強がっていた、自分自身が原因だったのだろう。
間抜けな事に、当事者である本人すら気付いていなかった。
だけど。
「こんな時は落ち込んでいいと――泣いたっていいんだと気付かせてくれたのは、聖さまです」
「……!」
「それだけじゃありません」
異議を挟もうとした気配を制して、ギンガは楽しそうに口元を綻ばせた。
確かに、危険もあったと思う。
閉じた世界の中で、誰の言葉にも耳を貸さず、全ての干渉を拒んで生涯を終える可能性もあった。
大切な家族であればこそ、身勝手な思い込みが距離を置くことを望んだから。拒否も遠慮も、ある意味で同義なのだ。
だとしても、どんな事にだって例外がある。
「聖さまみたいな方がいらっしゃったから、現実に繋がりを残せたと思うんです。……本当ですよ」

褒められてる気がしないよ、と情けなさそうに嘆く声。
何となく、いつもの調子が含まれている気がするから、少しは気を楽にしてくれたのだろうか?
「それと、聖さまが言ってたじゃないですか。学生をやってるのは、やり直しをしているんだって」
「うん」
「それと同じですよ」
自分も、やり直しをしたのだろう。
怪我以来あやふやだった記憶の大部分は、繰り返す事で全て取り戻せた。何度もパズルを組み上げたのは伊達じゃない。
あの夜、あの場所に向かった切っ掛けは何だったのか。
絶対に忘れてはならない頬の痛みを、自分は綺麗さっぱり忘れていたのだ。
「おかげで、父さんに謝ることも出来ます。ですから」
敢えて目を閉じたままで、彼女はささやかな謝意を伝える。

「助けて頂いて、本当に感謝しています。――ありがとうございました」

息を飲む音。
何かを言おうとしても、言葉にならない。
そんな気配に、僅かな嗚咽が混ざったような気もしたが。

それはきっと、気のせいだろう。




お互いにもう一度だけ詫びると、それぞれの声から湿っぽさは抜けた。

「それでは……この件については以後、感謝も謝罪も禁止と致します」
「姫様がそう仰せであれば、何も申し上げる事はございません」
申し合わせたように笑う二人。
些か芝居がかった宣言は、半ば照れ隠しのようなものだ。
「まあ、あれです。聖さまが言っていた事に同意かも」
「景気良く落ち込んだら、あとはナカジマさんみたいに前に進もうって? 後先考えず?」
「ええ。すっきりと気持ちよく」
中途半端は良くない。自分みたいな一直線に走るタイプは、切り替えが大事だから。
落ち込むのも頑張るのも紙一重。
「これはまた、随分と開き直りましたな」
「これだけ周りに迷惑を掛けてしまったら、開き直るしかないですよ」
「だよねえ」
「第一、これからがですね……?」
口を尖らせながらも、起きるタイミングを計っていた彼女は。
(何かしら?)
ふと、それに気付いて耳を澄ませた。

キッチンから音が聞こえる。

原因はすぐに判明した。
いつの間にかソファから腰を上げていた蓉子が、食事の準備を進めているらしい。
小皿を用意する音も混ざっていた。

同じように気付いた聖が、ぽんと手を打ち鳴らす。
「お腹、空かない? 空いたよね?」
「はい?」
場にそぐわぬ口調と断定は、いつものように唐突である。
「買い過ぎって位に買ってきたから安心して。ナカジマさんの分も、ちゃんと有るからさ」
「いえその……そう言われても」
つい先程までとは全く異なる声音に、思わず反応が遅れてしまう。
「ホッとしたら、急に空いちゃってさ。ほら、お昼どころか、朝御飯も食べてないし」
「はあ」
水の流れる音を聞きながら、ギンガは大きく溜息を吐いた。
風情が無いというか、反応に困るというか。これこそが佐藤聖と納得したらいいのか。
(だけど、そのおかげでって事なんだもん。ここは感謝すべきなのよね)
薄目を開けると、聖は既にキッチンへ向かっていた。

「蓉子、お茶まだ? さっき、お湯は沸いてたよね」
「飲みたければ別に止めないけど、紅茶でおでんを食べるつもり?」
「……斬新かな?」
「私はお断りしておくわね」
「えー? 何事にも挑戦は必要なんだよ。そうは思わない?」
「思いません。ギンガさんを道連れにするのも不許可ですからね。お一人でどうぞ」
これ以上ないという程の、冷ややかな口調。
「つ、冷たい。今は冬だけに、これぞまさしく」
「――雪女とか言ったら、表に叩き出すわよ」

(相変わらずだなあ)
眺めている内に視界がじんわりと霞んできて、ギンガは慌てて上を向いた。
湿っぽいのは先程終わったのだから、今から泣いても仕方がない。笑っていた方が、ずっと楽しい。
改めて思う。
(本当に帰ってきたのね)
何となく胸元に触れた。
相棒のブリッツキャリバーは、あの日自宅に置いてきてしまったけど、今はどうしているのだろう。
室内に無いという事は、不確定要素として持ち込み禁止にされたのかも。
心配性なシャマル先生らしいが、スバルが持ち歩いているような気もする。
いったい、どんな気持ちで――などと考えると、大変な事になるから止めておいた。
(会ってからでも、いいんだから)
教えてくれた人のことを、出来れば笑顔で話してみたい。途中で泣いてしまっても、構わないはずだ。
それはきっと、素敵なことだと思うから。




と、幸せな余韻に浸っていた彼女は、続いて聞こえてきた内容に頬を引き攣らせた。

「それにしても、寝たふりってのは酷いよ」
「そうかしら?」

いつの間にか、何やら話が危険な方向に向かっている気がする。と言うより、災害の方が迫ってくるような。
冷や汗が浮かぶのを自覚したが、これはもう、どうしよーもない。
逃げようにも退路が無いし。
「また臆面もなく、他人事の様に。……その辺はどうなの、共犯者さんは?」
「不可抗力よ」
嫌味に動じることなく、一言で切り捨てる蓉子さま。
随分と遠慮の無いバッサリである。罪悪感の欠片も無し。

ひしひしと嫌な予感が膨れあがる。

「まあ、主犯はどこぞで御就寝中のお姫様なわけですが」
「どちらかって言うと、主犯は貴女で、あの子は被害者ではないのかしら」
「て、的確な表現をどうも。っていうか、厳しすぎやしませんか、蓉子さん?」
「雪女ですから」
「叩き出すとか言ってたのに、それを自分で言いますか」
「そもそも、売れ残りのクリスマスケーキを買ってくる人の方が、よっぽど冷血じゃないの?」
「あ、あれはそういう意味じゃ」
「どうだか」

「…………」
下手なことを言うと藪蛇になりそうなので、目を閉じたまま沈黙を保つギンガ。

「うーむ」
歯が立たないと悟ったのか、聖は矛先を変えた。
「だいたいさあ。姫がお目覚めになられる場面は、もう少し感動的にすべきだと思わない?」
「そうねえ……例えば?」
「ええとね、花に囲まれた儚げな雰囲気の中で、麗しくも厳かに目を覚ますとか」
「悪くはないわね」
理不尽にも、あっさりと敵に回る元紅薔薇さま。
「でも、残念ながら花はそれしかないのよ。可愛いとは思うのだけれど」
「こういう場合は、ちょっと向かない感じだね」
第一、鉢植え一つでは全然足りない。

お姫様は、やっぱり物語みたいに幻想的な方がいいよ――などと無茶な事をのたまう、文学部所属の女子大生。
それに全面的に同意する法学部の学生も、どうかと思う。
やがて。
注がれる怪しげな視線の主が、ぼそりと一言。

「いっそ、脱がすか」



「なぜっ!?」
飛び起きたギンガは、慌てて寝間着の前を掻き合わせた。










テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

藤桜 ― 冬 ― 第六話 空色硯 sorairo-suzuri/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる