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zoom RSS 藤桜 ― 冬 ― 第八話

<<   作成日時 : 2009/02/14 23:59   >>

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その日、その周辺では多くの者が空を見上げた。

冬休みを迎えた学園で、部活に励んでいた長身の女生徒。
買い物の途中、残務処理の為に薔薇の館へ立ち寄った白薔薇姉妹。
年上の恋人と待ち合わせ中の喫茶店で、気怠げに紅茶を啜っていたお嬢様。
大学構内で何となく就活資料を眺め、眼鏡の曇り具合を気にしている女子大生。

久し振りの空模様に、彼女たちはある女性を思い浮かべた。
連想の元は、日付だったり鉢植えだったり。果ては――栄養ドリンクだったりもしたのだが。
最終的なイメージは、都心ではあまり見られない色。
今年はこれが初めてだから、今頃はあちこち遊び歩いているかもしれない。
季節外れ、ではなく季節通りのサンタさんは。



「聖さま、ほら」
「こりゃあ、積もりそうだねえ」
のんびりと見上げる先には、降り始めた真っ白な雪。
未だ粉雪といった風情だが、湿度のせいか重みがある。風に流れないところを見ると、積もり始めたらあっという間だろう。
「夜も止まなかったら、明日は一面の銀世界か」
聖はガーデンチェアに背を預けた。
バルコニーの一角は、外側に面した窓を閉めれば温室になる。出入り口は、リビングとの境目となる内側の窓。
夜空を眺めながらの酒宴や、大雨が窓を叩く様子で、物思いに耽ったりするのに向いている。

もちろん。しんしんと降る初雪の中で、お茶会と洒落込むのにも。

「これだけ広いと、ガーデニングにも良さそうね」
ビストロテーブルにティーセットを並べた蓉子は、バルコニーを見渡した。
海外だと、こういった造りは珍しくないらしい。占有となっているから、多少土を入れても問題無いそうだ。
「ここがそうとは限らないけれど」
「高級マンションっぽいから大丈夫じゃないかな。あの大家さんだと、あっさり許してくれそうな気もする」
「アリサさんですか? それは許してくれると思いますけど、ここでは遠慮します」
心外そうに笑うギンガ。
寝間着姿で座っている所を見ると、庭仕事は少々無理がありそうだ。
「でも、入院中って雰囲気でもないな。何か、いい表現方法があったような」
「……サナトリウムで静養中の、良家のお嬢様かしら」
「それだ」
彼女は、蓉子の法学部らしからぬ表現に同意した。言われてみれば、リリアンが出来た頃には定番の話だ。
現時点で二ヶ月に満たないから、長期というには大袈裟だと思うが――転地療養という意味では合っている。
長い間眠っていた割には、ぎこちなくも歩けているし、食欲に至っては既に人並み以上。
お昼も六割程度を引き受けていた。
(普通に考えたら、一ヶ月以上何も食べなかった人が、あんなに食べられるわけないけどさ)
点滴や流動食ではなく、体質に合わせた特殊な薬剤を与えられていたとなると、尚更である。
美味しそうに食べてくれたから、細かいことは気にしないけど。

「ところで、蓉子さまはご自宅で育てられないんですか?」
「今は学業が忙しくて、手一杯なの。お花って手間暇掛かるから」
「それに、薔薇って見た目以上に難しいんだよ。温室でならいいけど、外では油断大敵でさ」
温度や肥料といった問題よりも、病気と虫が怖い。
学園内は特に木々や草花が豊かだから、自然を謳歌している者たちが多いのだ。
古い温室の方は、手入れを怠った時にハバチの侵入を受けた事もあり、その被害は甚大だったそうな。
「そうなんですよね。……うちの庭は大丈夫かなあ。父さんもスバルも、仕事が忙しいし」
人のことは言えないけど、とギンガは苦笑した。
「何か、難しいお花に挑戦してたのかしら?」
「いえ、そんなに凝った事はしてないんです。でも、もしも傷んでたら残念かなって」

「大丈夫みたいだよ。たまに、誰かが見に行ってるってさ」
先日、医務官から聞いた話を披露する。
「あの先生の家族の人とか、この前の先輩さんとか。あとは、スバルちゃんのお友達かな」
ナカジマ家の長女が戻ってくるまではと、暇を見つけては立ち寄っているらしい。
ただ、現在の住人は家長のみ。
友人の為とはいえ、休日に仕事上の大先輩宅に押し掛けるという事は。
「ギンガさんのお父さんって、仕事場で人気がありそうね」
「は? えーっと、どうでしょう? 無愛想な時も多いですから、特に目立つような事もありませんよ」
「怒ると怖いし?」
「ええ、まあ」
言い淀む相手の表情に気付いて、聖と蓉子は視線を合わせた。
譲り合った結果、口を開いたのは紅薔薇さま。

「それでもギンガさんにとっては、自慢のお父さんなのね?」
「はい」
彼女の問い掛けに、ギンガは嬉しそうに頷いた。


      ◆   ◆   ◆


何となく考える。
彼氏はいないし欲しくもない。女子大に通っていると接点も無いから、実際の所はよく分からない。
最近会話した男性となると、自分の家族と教授方くらいだろうか。
柏木を含めてもいいけど、アレは微妙な意味で参考にならない。
だから、あくまで一般論としての話。

例えば。

江利子がかなり年上の、それも娘のいる男性と付き合っている事を、父親はどう思っているのだろう。
否定的な感情を持つのは当たり前だが、娘の本気も頑固さも知っているわけで。
大学を卒業してしまった後は、引き留めようの無い事も気付いていると思う。
相手の方も、一児の父として覚悟を決めたそうだから、世間的には良縁に進むかもしれない。
後妻に入った後の江利子が、娘さんとどう付き合っていくのか。実子が出来た時に、子供同士は上手くいくのか。
そういった懸念を誰かが抱いたとしても。この手の問題に関しては、外部の者には意味が無い。
いざ現場で悩むのも、父親の仕事だそうだから。

志摩子の父親は、血縁的には孫である娘に対して、何の気負いもなく接している。
あまりにもお気楽過ぎて、逆に娘の方が自重を求める位の自然体。
それが寺の住職としてからか、あるいは生来の気質からなのか。志摩子に聞いても、困った顔で首を傾げるだけだった。
ただし、のんびりしている様に見えて、根の部分に一本筋が通っている。そこが藤堂の血筋ということだろう。
その辺は、志摩子も実に良く似ていた。
どちらにせよ。
本人たちが気にしていない以上、傍目には極普通の家族である。

可南子の父が、娘と二つしか違わない高校生と結婚したのは、出産後の事だそうだ。
前妻との正式な離婚を待たずして、彼が覚悟を決めていたのは――まあ、選択の余地が無かったからだろう。
全日本に所属した事もある元コーチと、妊娠して中退した元高校生。世間的には、あまり体裁の良い話ではないから。
自分が大好きだった先輩を身籠もらせた上に、本当の母と離婚して実家に戻った父。
可南子がどれほど悩み、苦しんだのかは想像も出来ない。
そこから今のように良好な関係を築けたのは、正直言って親の功績とは言い難いけど。
娘と、娘の姉のような妻に慕われているという事は、ある意味で良い父親だと言えるのかもしれない。



「要するにさ。お父さんって言っても、色々あるわけだ」
ついでに、男性と父親の間にも広い境界があるそうだから、一括りにしようがない。
女と母親が同義ではないのと同じか。
「はい? 何か言いました?」
「んにゃ、なーんにも」
戻ってきたギンガに、聖はひらひらと手を振った。
蓉子の洗い物の手伝いをしていたのだが、いつの間にか終えた様だ。
キッチンに視線を向けると、もう一人の姿は見えない。
「蓉子さまは、ちょっと買い物に行ってくるとのことです。雪が本格的になる前にって」
どうせ夜までいるのだからと、晩御飯用の食材を買いに出たらしい。
「ありゃ。だったら車で一緒に行ったのにな」
「お店が近くて、車を出す程の距離ではないとか?」
「一応、すぐ近所に幾つかあるけどさ」
大小の店が揃っているから、買い出しには事欠かないが――この天気で徒歩は少々厳しくないか。
(こういう所は、昔っから変わらないな)
おそらく、三人で行けないからという事だろう。
医者から外出禁止令が出ているギンガを、一人で留守番させるのも気が引ける。
それに、二人きりでないと話せない事もありそうだ。少しくらいは席を外すのが礼儀かもしれない。
――などと考えそうなのが、蓉子だと思う。

昨日から、誕生日を迎えた自分に付き合ってくれているのだって、お互い男に縁が無いからではなく。
いや、共学に通っている蓉子は縁があるかもしれないが、それはそれとして。
ここ数年、この時期に予定を空けてくれる理由は、そういう事なのだろう。
お節介で苦労性だなと思わないでもないが、素直に嬉しいのも本音。

「ま、あれだけ食べたから、少しは歩かなきゃと思ったのかね」
「ご一緒出来たら、荷物持ち程度のお役には立てたんですけど」
「いやー、それじゃ意味無いっしょ。第一、ナカジマさんって一応病み上がりじゃなかった?」
「客観的に見れば、そうですね」
主観的には、もう既に全快という気分らしい。
実際、眠りにつく前と比べて、表情は遙かに明るかった。やつれた身体の色を塗り替えるくらいに。
ちょっとした仕草にも、弾むような勢いを感じさせる。
「確かに、一番最初に会った時よりも元気そうに見えるかな」


「そうでしょうか?」
ギンガは首を傾げた。
さっき鏡を見た時は未だ顔色は良くなかったし、手足の動きも今一つぎこちない。
見た目で言えば、病人であることは否定出来ないだろう。
気分はともかく、元気と言うには程遠いと思う。
「あのさ。別に、元気付ける為のお世辞ってわけじゃないよ」
表情で気付いたのか、聖は苦笑しながら否定した。
「私がそういう方便を使ったって、全然似合わないでしょ?」
「敢えて、否定はしないでおきます」
「この正直者。……要するに、全部片付いたんじゃないかな」
「全部?」
「そ、全部。そんな顔してるよ」

「うーん」
元々、貴女が言ったんだよと言われて、彼女はあれこれと思い描いた。
左手を眺めてから、それをぐっと握ってみる。多少萎えたとしても、指先の感覚は以前と同じ。
こっそりと視覚を切り替え、窓から見える学園を点景として切り取り目を閉じる。
得られた光景を思考内に並べると、実感としてよく分かる。現実の色合いが、より深く感じられるということ。
添え物は、紅茶の芳香と僅かな風鳴り。
(うん。今までと変わらないけど、ちょっと嬉しくなってる)
体調は変わらずとも、感じ方が変わった――そういう事かもしれない。
いつもの光景に、色が一つ加わった様な。

腰を上げると、ひんやりとした窓に背中を預けた。

外は、雪が降っている。
雨とは異なり、さらさらと撫でるような音が窓を叩いていた。見下ろせば、街路樹の根本は既に真っ白。

「雲も、厚くなってきましたね」
「あ、やっぱり。夜は冷えそうだね」
聖は、机に並んだ菓子を摘んだ。
それから、窓際に立つギンガを見上げる。
雪と淡い光で白く染まる風景。そこに自然と溶け込んだ相手が、柔らかく微笑んでいる。
それを確認した彼女は、自分でも気付かぬ程度に頷いた。
「さっき、お父さんに謝るって言ってたけど、それは怒られたから?」
「いえ。私が忘れていた事についてです。後は、色んな方にご迷惑をお掛けした事も」
苦笑すると、ギンガは窓を指で撫でた。
二重窓になっていても、僅かな結露が生じている。
「下手に頭を下げると、別の意味で怒られそうですからね」
「でも、そんなに偏屈で頑固ってわけじゃないでしょ? 二人が危険な仕事に就くのを、黙認したくらいだし」
「……ご説明、しましたっけ?」
「いーや。どこぞの眠り姫に聞いた」
「そうですか」
彼女の指が、すうっと薄い模様を描く。
知人の姿か、それとも。


「――――お仕事に、戻るの?」
「はい」
少しばかりの沈黙の後、さり気ない風を装った質問に応じる。
休職扱いになっているが、戻る為の手間がさほど必要とは思えない。今はどこも人手不足のはずだから。
何れにせよ。
復帰後は、自由な時間を取り難くなるだろう。
こちらを訪れる機会も減ると思う。年に一度か、それとも数年に一度くらいか。
それは別世界だからという事ではなく、どこかを卒業する事にも似ていた。
最も適当な表現は、長い旅からの……いや、やはり転地療養先からの『帰宅』が正しいような。
サナトリウム文学の様だと評された事を、今更ながら実感したり。
「私は、もう大丈夫ですから」
「そっか」
「明日には帰ろうと思います。多少反対されるでしょうけど、今までの分を取り返さなくっちゃ」
「スバルちゃんも仕事熱心らしいし、そこがナカジマさんの家系って事かな?」
「ええ」

凄く嬉しそうで――とても晴れやかな表情。

それを見た聖は、思わず笑っていた。
忙しくなることを、そんな満面の笑顔で語られると困ってしまう。夏休み明けの子供じゃあるまいに。
遠来の客のお見送りに、空港で手を振るお別れの感覚。
いわゆる定番の寂しさだが、今となってはそれも無い。
この短い期間に何度も会ったから、実感が湧かないのだ。第一、今生の別れというわけでもない。
しかも、今回は安堵感さえ伴っているとなると。
「明日か」
「明日です。多分、夜には」
「よし。今日の夜は蓉子にお任せするとして、明日はどこに食べに行こうか。リクエストは受け付けるよ」
「……あの、前から思ってたんですけど。私と話す時って、食事の話題が多くないですか?」
「そりゃそうでしょ。ナカジマさんと言えば、美人でスタイルが良くて正義の味方で――でも御飯」
「えー……」
韻を踏んだ変な表現に、眉を顰める健啖家。
甚だ不本意そうな様子を眺め、笑いを堪えながら指を立てる。

「あとは、それかな」

「これ? これは、どちらかと言うと薔薇さま方のイメージじゃないですか?」
指し示されて、ギンガは軽く手を触れた。
藤色の長い髪を、ささやかに飾る数輪の花々。
色自体はそれなりの主張をしているが、髪と組み合わせると幾分淡く感じられる。
黒髪とは異なる、独特の対比。
「この花も、薔薇の一種ですよね」
「蓉子から聞いたの?」
「いいえ。何となくそう思ったんです。前に、共通点があるって言ってましたから」
「その意味合いもあるけど、それも原種に近い品種でね。知らない人が見ると、薔薇とは思わない」
「それでも本当は、ってことですね?」
見掛けも色も、生まれた経緯も違うけど。
隠喩とは言えない程の――そういった直截な意味があったのだろうか。

「そんな大した意味は無いよ。ただ、人に贈る薔薇って色々あってさ」
気品と無邪気があり、情熱と純潔がある。不貞と貞節、賞賛と非難を各種織り交ぜた数々の言葉すら。
一言で花と言っても、これほど様々なものを秘めた種は滅多にない。
そして、小さく慎ましい薔薇であれば。
(自分がどれだけ綺麗なのか、それを一切意識しない者の麗しさ、か)

「色々あって?」
「とにかく、色々あるわけですよ」
言葉の続きを待つ相手に、聖は空になったバスケットを振ってみせる。
「さて。と言うことで、お菓子が無くなりました」
「そんなこと言われても」
「冷蔵庫に、蓉子の買ったチョコレートが冷やしてあるんだ」
「……分かりました」
軽く睨み付けたギンガは、呆れたように肩を落とした。
「また宿題ですか。名前くらい教えて下さっても、良いと思うんですけどね」



「あれ? それも聞いてないんだ?」
膨れっ面でキッチンに向かう彼女に、意外そうな声が投げ掛けられる。
足を止めるよりも早く、続けて耳に届いた――――自分の髪の色と、あの花の名を含んだ繊細な言葉。

「それが、その花の名前だよ」

悪戯っぽい笑みを浮かべたその人は。
告げた事すら忘れた様に、再び外を眺めていた。










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