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みんなの「藤桜」ブログ


藤桜

2015/01/01 11:00
はじめに

― 春 ―
第一話  第二話  第三話  第四話  第五話  第六話  第七話  第八話  第九話  第十話

― 夏 ―
第一話  第二話  第三話  第四話  第五話  第六話  第七話  第八話  第九話

― 秋 ―
第一話  第二話  第三話  第四話  第五話  第六話  第七話  第八話  第九話

― 冬 ―
第一話  第二話  第三話  第四話  第五話  第六話  第七話  第八話  








藤桜=安曇野を掛け合わせた品種で、ミニバラの一種。
<リリカルなのはStrikerS×マリア様がみてる>
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藤桜 ― 冬 ― 第八話

2009/02/14 23:59
その日、その周辺では多くの者が空を見上げた。

冬休みを迎えた学園で、部活に励んでいた長身の女生徒。
買い物の途中、残務処理の為に薔薇の館へ立ち寄った白薔薇姉妹。
年上の恋人と待ち合わせ中の喫茶店で、気怠げに紅茶を啜っていたお嬢様。
大学構内で何となく就活資料を眺め、眼鏡の曇り具合を気にしている女子大生。

久し振りの空模様に、彼女たちはある女性を思い浮かべた。
連想の元は、日付だったり鉢植えだったり。果ては――栄養ドリンクだったりもしたのだが。
最終的なイメージは、都心ではあまり見られない色。
今年はこれが初めてだから、今頃はあちこち遊び歩いているかもしれない。
季節外れ、ではなく季節通りのサンタさんは。



「聖さま、ほら」
「こりゃあ、積もりそうだねえ」
のんびりと見上げる先には、降り始めた真っ白な雪。
未だ粉雪といった風情だが、湿度のせいか重みがある。風に流れないところを見ると、積もり始めたらあっという間だろう。
「夜も止まなかったら、明日は一面の銀世界か」
聖はガーデンチェアに背を預けた。
バルコニーの一角は、外側に面した窓を閉めれば温室になる。出入り口は、リビングとの境目となる内側の窓。
夜空を眺めながらの酒宴や、大雨が窓を叩く様子で、物思いに耽ったりするのに向いている。

もちろん。しんしんと降る初雪の中で、お茶会と洒落込むのにも。

「これだけ広いと、ガーデニングにも良さそうね」
ビストロテーブルにティーセットを並べた蓉子は、バルコニーを見渡した。
海外だと、こういった造りは珍しくないらしい。占有となっているから、多少土を入れても問題無いそうだ。
「ここがそうとは限らないけれど」
「高級マンションっぽいから大丈夫じゃないかな。あの大家さんだと、あっさり許してくれそうな気もする」
「アリサさんですか? それは許してくれると思いますけど、ここでは遠慮します」
心外そうに笑うギンガ。
寝間着姿で座っている所を見ると、庭仕事は少々無理がありそうだ。
「でも、入院中って雰囲気でもないな。何か、いい表現方法があったような」
「……サナトリウムで静養中の、良家のお嬢様かしら」
「それだ」
彼女は、蓉子の法学部らしからぬ表現に同意した。言われてみれば、リリアンが出来た頃には定番の話だ。
現時点で二ヶ月に満たないから、長期というには大袈裟だと思うが――転地療養という意味では合っている。
長い間眠っていた割には、ぎこちなくも歩けているし、食欲に至っては既に人並み以上。
お昼も六割程度を引き受けていた。
(普通に考えたら、一ヶ月以上何も食べなかった人が、あんなに食べられるわけないけどさ)
点滴や流動食ではなく、体質に合わせた特殊な薬剤を与えられていたとなると、尚更である。
美味しそうに食べてくれたから、細かいことは気にしないけど。

「ところで、蓉子さまはご自宅で育てられないんですか?」
「今は学業が忙しくて、手一杯なの。お花って手間暇掛かるから」
「それに、薔薇って見た目以上に難しいんだよ。温室でならいいけど、外では油断大敵でさ」
温度や肥料といった問題よりも、病気と虫が怖い。
学園内は特に木々や草花が豊かだから、自然を謳歌している者たちが多いのだ。
古い温室の方は、手入れを怠った時にハバチの侵入を受けた事もあり、その被害は甚大だったそうな。
「そうなんですよね。……うちの庭は大丈夫かなあ。父さんもスバルも、仕事が忙しいし」
人のことは言えないけど、とギンガは苦笑した。
「何か、難しいお花に挑戦してたのかしら?」
「いえ、そんなに凝った事はしてないんです。でも、もしも傷んでたら残念かなって」

「大丈夫みたいだよ。たまに、誰かが見に行ってるってさ」
先日、医務官から聞いた話を披露する。
「あの先生の家族の人とか、この前の先輩さんとか。あとは、スバルちゃんのお友達かな」
ナカジマ家の長女が戻ってくるまではと、暇を見つけては立ち寄っているらしい。
ただ、現在の住人は家長のみ。
友人の為とはいえ、休日に仕事上の大先輩宅に押し掛けるという事は。
「ギンガさんのお父さんって、仕事場で人気がありそうね」
「は? えーっと、どうでしょう? 無愛想な時も多いですから、特に目立つような事もありませんよ」
「怒ると怖いし?」
「ええ、まあ」
言い淀む相手の表情に気付いて、聖と蓉子は視線を合わせた。
譲り合った結果、口を開いたのは紅薔薇さま。

「それでもギンガさんにとっては、自慢のお父さんなのね?」
「はい」
彼女の問い掛けに、ギンガは嬉しそうに頷いた。


      ◆   ◆   ◆


何となく考える。
彼氏はいないし欲しくもない。女子大に通っていると接点も無いから、実際の所はよく分からない。
最近会話した男性となると、自分の家族と教授方くらいだろうか。
柏木を含めてもいいけど、アレは微妙な意味で参考にならない。
だから、あくまで一般論としての話。

例えば。

江利子がかなり年上の、それも娘のいる男性と付き合っている事を、父親はどう思っているのだろう。
否定的な感情を持つのは当たり前だが、娘の本気も頑固さも知っているわけで。
大学を卒業してしまった後は、引き留めようの無い事も気付いていると思う。
相手の方も、一児の父として覚悟を決めたそうだから、世間的には良縁に進むかもしれない。
後妻に入った後の江利子が、娘さんとどう付き合っていくのか。実子が出来た時に、子供同士は上手くいくのか。
そういった懸念を誰かが抱いたとしても。この手の問題に関しては、外部の者には意味が無い。
いざ現場で悩むのも、父親の仕事だそうだから。

志摩子の父親は、血縁的には孫である娘に対して、何の気負いもなく接している。
あまりにもお気楽過ぎて、逆に娘の方が自重を求める位の自然体。
それが寺の住職としてからか、あるいは生来の気質からなのか。志摩子に聞いても、困った顔で首を傾げるだけだった。
ただし、のんびりしている様に見えて、根の部分に一本筋が通っている。そこが藤堂の血筋ということだろう。
その辺は、志摩子も実に良く似ていた。
どちらにせよ。
本人たちが気にしていない以上、傍目には極普通の家族である。

可南子の父が、娘と二つしか違わない高校生と結婚したのは、出産後の事だそうだ。
前妻との正式な離婚を待たずして、彼が覚悟を決めていたのは――まあ、選択の余地が無かったからだろう。
全日本に所属した事もある元コーチと、妊娠して中退した元高校生。世間的には、あまり体裁の良い話ではないから。
自分が大好きだった先輩を身籠もらせた上に、本当の母と離婚して実家に戻った父。
可南子がどれほど悩み、苦しんだのかは想像も出来ない。
そこから今のように良好な関係を築けたのは、正直言って親の功績とは言い難いけど。
娘と、娘の姉のような妻に慕われているという事は、ある意味で良い父親だと言えるのかもしれない。



「要するにさ。お父さんって言っても、色々あるわけだ」
ついでに、男性と父親の間にも広い境界があるそうだから、一括りにしようがない。
女と母親が同義ではないのと同じか。
「はい? 何か言いました?」
「んにゃ、なーんにも」
戻ってきたギンガに、聖はひらひらと手を振った。
蓉子の洗い物の手伝いをしていたのだが、いつの間にか終えた様だ。
キッチンに視線を向けると、もう一人の姿は見えない。
「蓉子さまは、ちょっと買い物に行ってくるとのことです。雪が本格的になる前にって」
どうせ夜までいるのだからと、晩御飯用の食材を買いに出たらしい。
「ありゃ。だったら車で一緒に行ったのにな」
「お店が近くて、車を出す程の距離ではないとか?」
「一応、すぐ近所に幾つかあるけどさ」
大小の店が揃っているから、買い出しには事欠かないが――この天気で徒歩は少々厳しくないか。
(こういう所は、昔っから変わらないな)
おそらく、三人で行けないからという事だろう。
医者から外出禁止令が出ているギンガを、一人で留守番させるのも気が引ける。
それに、二人きりでないと話せない事もありそうだ。少しくらいは席を外すのが礼儀かもしれない。
――などと考えそうなのが、蓉子だと思う。

昨日から、誕生日を迎えた自分に付き合ってくれているのだって、お互い男に縁が無いからではなく。
いや、共学に通っている蓉子は縁があるかもしれないが、それはそれとして。
ここ数年、この時期に予定を空けてくれる理由は、そういう事なのだろう。
お節介で苦労性だなと思わないでもないが、素直に嬉しいのも本音。

「ま、あれだけ食べたから、少しは歩かなきゃと思ったのかね」
「ご一緒出来たら、荷物持ち程度のお役には立てたんですけど」
「いやー、それじゃ意味無いっしょ。第一、ナカジマさんって一応病み上がりじゃなかった?」
「客観的に見れば、そうですね」
主観的には、もう既に全快という気分らしい。
実際、眠りにつく前と比べて、表情は遙かに明るかった。やつれた身体の色を塗り替えるくらいに。
ちょっとした仕草にも、弾むような勢いを感じさせる。
「確かに、一番最初に会った時よりも元気そうに見えるかな」


「そうでしょうか?」
ギンガは首を傾げた。
さっき鏡を見た時は未だ顔色は良くなかったし、手足の動きも今一つぎこちない。
見た目で言えば、病人であることは否定出来ないだろう。
気分はともかく、元気と言うには程遠いと思う。
「あのさ。別に、元気付ける為のお世辞ってわけじゃないよ」
表情で気付いたのか、聖は苦笑しながら否定した。
「私がそういう方便を使ったって、全然似合わないでしょ?」
「敢えて、否定はしないでおきます」
「この正直者。……要するに、全部片付いたんじゃないかな」
「全部?」
「そ、全部。そんな顔してるよ」

「うーん」
元々、貴女が言ったんだよと言われて、彼女はあれこれと思い描いた。
左手を眺めてから、それをぐっと握ってみる。多少萎えたとしても、指先の感覚は以前と同じ。
こっそりと視覚を切り替え、窓から見える学園を点景として切り取り目を閉じる。
得られた光景を思考内に並べると、実感としてよく分かる。現実の色合いが、より深く感じられるということ。
添え物は、紅茶の芳香と僅かな風鳴り。
(うん。今までと変わらないけど、ちょっと嬉しくなってる)
体調は変わらずとも、感じ方が変わった――そういう事かもしれない。
いつもの光景に、色が一つ加わった様な。

腰を上げると、ひんやりとした窓に背中を預けた。

外は、雪が降っている。
雨とは異なり、さらさらと撫でるような音が窓を叩いていた。見下ろせば、街路樹の根本は既に真っ白。

「雲も、厚くなってきましたね」
「あ、やっぱり。夜は冷えそうだね」
聖は、机に並んだ菓子を摘んだ。
それから、窓際に立つギンガを見上げる。
雪と淡い光で白く染まる風景。そこに自然と溶け込んだ相手が、柔らかく微笑んでいる。
それを確認した彼女は、自分でも気付かぬ程度に頷いた。
「さっき、お父さんに謝るって言ってたけど、それは怒られたから?」
「いえ。私が忘れていた事についてです。後は、色んな方にご迷惑をお掛けした事も」
苦笑すると、ギンガは窓を指で撫でた。
二重窓になっていても、僅かな結露が生じている。
「下手に頭を下げると、別の意味で怒られそうですからね」
「でも、そんなに偏屈で頑固ってわけじゃないでしょ? 二人が危険な仕事に就くのを、黙認したくらいだし」
「……ご説明、しましたっけ?」
「いーや。どこぞの眠り姫に聞いた」
「そうですか」
彼女の指が、すうっと薄い模様を描く。
知人の姿か、それとも。


「――――お仕事に、戻るの?」
「はい」
少しばかりの沈黙の後、さり気ない風を装った質問に応じる。
休職扱いになっているが、戻る為の手間がさほど必要とは思えない。今はどこも人手不足のはずだから。
何れにせよ。
復帰後は、自由な時間を取り難くなるだろう。
こちらを訪れる機会も減ると思う。年に一度か、それとも数年に一度くらいか。
それは別世界だからという事ではなく、どこかを卒業する事にも似ていた。
最も適当な表現は、長い旅からの……いや、やはり転地療養先からの『帰宅』が正しいような。
サナトリウム文学の様だと評された事を、今更ながら実感したり。
「私は、もう大丈夫ですから」
「そっか」
「明日には帰ろうと思います。多少反対されるでしょうけど、今までの分を取り返さなくっちゃ」
「スバルちゃんも仕事熱心らしいし、そこがナカジマさんの家系って事かな?」
「ええ」

凄く嬉しそうで――とても晴れやかな表情。

それを見た聖は、思わず笑っていた。
忙しくなることを、そんな満面の笑顔で語られると困ってしまう。夏休み明けの子供じゃあるまいに。
遠来の客のお見送りに、空港で手を振るお別れの感覚。
いわゆる定番の寂しさだが、今となってはそれも無い。
この短い期間に何度も会ったから、実感が湧かないのだ。第一、今生の別れというわけでもない。
しかも、今回は安堵感さえ伴っているとなると。
「明日か」
「明日です。多分、夜には」
「よし。今日の夜は蓉子にお任せするとして、明日はどこに食べに行こうか。リクエストは受け付けるよ」
「……あの、前から思ってたんですけど。私と話す時って、食事の話題が多くないですか?」
「そりゃそうでしょ。ナカジマさんと言えば、美人でスタイルが良くて正義の味方で――でも御飯」
「えー……」
韻を踏んだ変な表現に、眉を顰める健啖家。
甚だ不本意そうな様子を眺め、笑いを堪えながら指を立てる。

「あとは、それかな」

「これ? これは、どちらかと言うと薔薇さま方のイメージじゃないですか?」
指し示されて、ギンガは軽く手を触れた。
藤色の長い髪を、ささやかに飾る数輪の花々。
色自体はそれなりの主張をしているが、髪と組み合わせると幾分淡く感じられる。
黒髪とは異なる、独特の対比。
「この花も、薔薇の一種ですよね」
「蓉子から聞いたの?」
「いいえ。何となくそう思ったんです。前に、共通点があるって言ってましたから」
「その意味合いもあるけど、それも原種に近い品種でね。知らない人が見ると、薔薇とは思わない」
「それでも本当は、ってことですね?」
見掛けも色も、生まれた経緯も違うけど。
隠喩とは言えない程の――そういった直截な意味があったのだろうか。

「そんな大した意味は無いよ。ただ、人に贈る薔薇って色々あってさ」
気品と無邪気があり、情熱と純潔がある。不貞と貞節、賞賛と非難を各種織り交ぜた数々の言葉すら。
一言で花と言っても、これほど様々なものを秘めた種は滅多にない。
そして、小さく慎ましい薔薇であれば。
(自分がどれだけ綺麗なのか、それを一切意識しない者の麗しさ、か)

「色々あって?」
「とにかく、色々あるわけですよ」
言葉の続きを待つ相手に、聖は空になったバスケットを振ってみせる。
「さて。と言うことで、お菓子が無くなりました」
「そんなこと言われても」
「冷蔵庫に、蓉子の買ったチョコレートが冷やしてあるんだ」
「……分かりました」
軽く睨み付けたギンガは、呆れたように肩を落とした。
「また宿題ですか。名前くらい教えて下さっても、良いと思うんですけどね」



「あれ? それも聞いてないんだ?」
膨れっ面でキッチンに向かう彼女に、意外そうな声が投げ掛けられる。
足を止めるよりも早く、続けて耳に届いた――――自分の髪の色と、あの花の名を含んだ繊細な言葉。

「それが、その花の名前だよ」

悪戯っぽい笑みを浮かべたその人は。
告げた事すら忘れた様に、再び外を眺めていた。










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藤桜 ― 冬 ― 第七話

2009/02/14 23:58
「じゃあ、戻られたらお伝えしておくね」
通信を切ったフェイトは、一度大きく頷くと、満面の笑顔で振り向いた。
「ティアナ、聞いた?」
「はい」
「凄く嬉しいけど、三佐とスバルに伝えられないのが、少し残念かな」
「そうですね」
作業を続けながら、ティアナも同意の笑みを浮かべる。

ギンガ・ナカジマが目を覚ましたという朗報は、民間協力者から連絡を受けた、医務官によってもたらされた。
念の為、それなりに高位ランク魔導師の彼女自身は接触せず、代わりにアリサが確認しに行くとのこと。
もちろん問答無用な立候補。多少の懸念は指摘するだけ無駄である。
大家には、店子の様子を見に行く権利があるのだそうだ。
「アリサさん、ずっと気にしてたんですよね」
「うん。凄く怖かった」
何度か聞かされていた事を確認すると、フェイトは困ったように苦笑した。
「怖い?」
「あまり気にしないでって言ったら、怒鳴られちゃったよ」
「なるほど」
これを気にせずにいられるか、などと胸を張る姿が目に浮かぶ。
(スバルやギンガさんだけじゃないのよね)
あの人も、違った意味で真っ直ぐだから。
花壇用の土を作っていたティアナは、外した手袋とざるを置いて背伸びをした。
ギンガが寝かせておいた分は、本人に確認した方が良さそうだ。長いこと天日に晒されて、色味が変わってきているから。
向こうはともかく、こちらは実に良い天気。
「確認だけでしたら、他に方法もありそうですけどね」
「携帯で撮った写真は送ってもらったみたい。でも、それじゃつまんないんだって」
「そういう事なら、今日にも飛んで行きそうですけど」
本日中は無理となると――相当イライラしてるかもしれない。


「仕方ないよ。旅行中なんだもの」
正確には学会で、今は遙か西の方。勝手に抜け出せる立場ではないから、戻れても明日の昼だろう。
フェイトの実家にも連絡が行っているのだが、魔導師はお呼びでないから意味が無い。
義姉のエイミィは、子供たちの世話で過労満載な状態だし。
「母さんもアルフも、結構忙しいんだよね。私だけ暇でいいのかなあ」
「次元航行部隊はそういうものだって、クロノ提督も言ってたじゃないですか」
多忙と休暇が交互に編み込まれるのは、どこの『船乗り』でも同じらしい。
もっとも、ここのところデスクワークも山積みだ。明日からは、また外部監査済の書類に埋もれることになる。
「フェイトさんは予定無かったんですか?」
「……無いってわけじゃなかったけど」
親友の教導官は、例によって娘と無限書庫訪問中である。
お弁当を作っていったらしいから、今頃は微笑ましい光景が繰り広げられているはず。
幾ら暇だからって、そこにお邪魔するなんてとんでもない。

色々と迷った挙げ句。
同じように暇していたティアナと連れ立って、ナカジマ家にお邪魔したわけだ。

本日、当主は不在。
鍵は預かっているし、好きに上がれと許可も得ているから、二人して掃除三昧と決め込んだ。
広い家なので、結構やり甲斐がある。それに、掃除は取り掛かるまでは億劫だが、いざ始めてしまうと意外に楽しい。
早々に室内を終わらせた後は、のんびりと庭掃除を進めている。
管理者のギンガが不在の間、自分たちを含め数人が訪れ、花壇の手入れは絶やさなかった。
「だけど、ティアナは遊びに行っても良かったんだよ」
「そうも思ったんですけどねー。スバルがああだと、どうにも遊びにくいというか」
微妙な表情で、肩を竦める彼女。

先程の朗報は、家族には伝えていない。手段が無いのである。

ティアナと休日の予定を合わせていたはずのスバルは、緊急任務で呼び出され、今は遙か沖合の海底で熱水湧出域と格闘中。
一部の機材が使えず、捜索には相当時間が掛かりそうだ。私的な連絡が取れるのは明日以降か。
「ギンガさんから預かっているブリッツキャリバーも、何だか張り切ってたみたいです」
「マッハキャリバーと同じで、真面目だね」
「そういう所はナカジマ家の一員って気がします。……三佐だって、過労気味ですから」
「そうだね」
ゲンヤは、いつもの如く偉い人たちと交戦中だ。
密室の中で行われる、武器を使わぬ激しい舌戦は、水入りも制限時間も無いから大変である。
以前と異なり建設的な方向には進むのだが、それでも各部署の長たちの意見は、そう簡単には纏まらない。
的を射た危機意識も、過ぎると業務の優先順位が些か見え難くなるようで。
当然ながら。その真っ直中にいる人には、緊急以外の連絡など通らない。

だけど。
「疲れて帰ってきたところに、良い知らせですからね」
「一番の薬かもしれないよね」

その時の様子を想像して、二人は楽しそうに微笑んだ。


      ◆   ◆   ◆


少々間が抜けたモノになったことは否めないが、だからと言って再会の嬉しさが減るものでもなく。
怪しげに迫る女子大生と、迎え撃つ寝間着の姫君。
二人の笑いながらの口喧嘩は、呆れた蓉子が口を挟むまで続いたらしい。


結果は別として、
(お医者さんと会ってた時には、もう起きてたって事だもんなあ。蓉子も人が悪いよ)
せめて携帯で知らせてくれれば、あの人と一緒に喜べたとも思うのだが――それは仕方ないか。
電話で伝えるより、直接対面させたいという気持ちも、分からなくはないから。
それに、報告自体は電話一本で事足りた。
相手からは、歓喜と同時に慌ただしさも感じたので、今頃は関係各所への連絡で忙しいはず。
後の指示については、当分様子見だそうだ。無論、外出も禁止。
(今までが今までだから、無難な選択かな)
当事者の様子からすると、直ぐにでも職場復帰を選びそうな感じだけど。

その彼女は、蓉子と何やら話をしている。

「……それ、本当に美味しいの?」
「美味しいですよ。もう一杯入れてくるつもりですけど、蓉子さまも如何ですか?」
「私は、食後のケーキと紅茶を楽しみにしてるから、今は遠慮しておくわね」
「分かりました。それでは、私と聖さまの分を用意してきます」
「へ?」
いきなり話を振られた聖は、慌てて少し前の記憶を呼び戻した。

食卓を埋めたおでんを、談笑しながら三人でつついていた時のことだ。
蓉子の用意した熱い緑茶に、ギンガは角砂糖とコーヒー用クリームを放り込んだのである。
唖然とする二人の様子に気付かず、やたら美味しそうに味わう彼女。

混乱しそうになったが――よく考えると、海外でそういう飲み方をする話は聞いたことがある。
他にも、苦かったり辛かったりする飲み物は、様々なアレンジをされるそうだ。
飲み物に限らず料理も同じ。微妙な現地化が馴染まれる秘訣だと、どこかの雑誌に書いてあった覚えもある。
ましてや、海外どころではない遠い世界の住人では。

(誰が文句言うわけでもないから、好きにしていいけどさ)
鰯つみれを頬張りながら、目の前に置かれた湯飲みを見下ろした。
何でも、職場の大先輩に教わった飲み方で、その先輩とは自分が知っている人の母親とのこと。
誰だろうなあと金髪の女性三人を思い浮かべてみる。が、予想出来る程には知らないから諦めた。
さて。
はっきり言って、どんな味なのか興味はある。
某アイスクリームブランドのグリーンティーみたいな感じを想像するが、クリームと角砂糖となれば話は異なるはずだ。
未知の味ではあっても、組み合わせ的には悪くない。当たり外れで言えば当たり寄り。
しかし、おでんと合わなそうな、味覚がずれそうな気もするわけで。
(こういった新しいものに挑戦するのって、蓉子も好きそうなのに)
見掛けに反してチャレンジ精神旺盛な元紅薔薇さまだが、今回は見送るようだ。
――先手を譲られたとなると、今更後にも引けまい。
甘い物が、如何に疲れを癒す良薬であるとしても。果たして、この後のケーキと紅茶にどう影響するのか。
あるいは即効性を発揮し、おでんを賞味中の舌に直撃するのか。


(これは悩みどころですな)
難しい飲み物を提供してくれた人と、どう判断するのかを観察する人の視線を感じながら。
聖は、重々しく腕を組んだ。


      ◆   ◆   ◆


(いつ頃、戻れるのかな。スバルはすぐにでも会いたいだろうけど)
整えた花壇に水を撒きながら、ティアナは以前の事を思い浮かべる。
自分は遠く離れた場所に居たので、あの事故当日の状況は伝聞でしか知らない。

瓦礫の中からギンガ・ナカジマが救出された時には、事故発生から四半日は過ぎていた。
フェイトが医療センターに運んだ時点で、既に絶望的な状態だったのである。
執務官から連絡を受けたシグナムにより、強引に連れ戻されたシャマル医務官。
現場から同行したユーノ司書長、地上本部から駆け付けたマリエル技官。その助手として、居合わせたフィニーノ補佐官。
単に治癒魔法に長けているだけではなく、ギンガの特異な体質に対応出来る者が本局から他にも数名。
その一人でも欠けていれば、生還は有り得なかっただろう。

その後、様々な事があった。

しかし、そこから回復したという結果が全てだと思う。
(細かいことはいいのよ)
スバルが信じているように、ティアナとて凛々しくも優しい先輩を信じている。無事に復帰する事は織り込み済み。
問題はその時期である。
「ギンガさんなら、明日戻るって言っても不思議じゃないですね」
「だけど、シャマルはしばらく様子を見るって言ってたから、戻ってくるのは当分先になる可能性もあるよ」
「その辺は、シャマル先生の意見よりもマリーさんでしょう」

「そうかもしれないね」
フェイトは、先日本局で会ったマリエル技官を思い浮かべた。
大体、患者と直接会えないとしても、モニター越しで話すくらいなら問題無さそうに思える。
シャマルとマリエルが殊更に慎重な対応を選ぶのは、絶対にミスは許されないと考えたからだろう。
本人に対してもそうだが、待ちわびる家族に、ぬか喜びをさせたくないのだ。

特にマリエルは、以前から自分の治療が原因ではないかと、深刻に悩んでいた。
――禁じ手とも言える提案をする程に。

「三佐に伝えてみたんだ。ギンガを彼に診させることも、考慮に入れるべきだって」
「……ジェイル・スカリエッティ」
「あっさり断られちゃったけどね」
眉を顰めるティアナに、フェイトは自嘲するように苦笑した。

JS事件の主犯、そして不世出の万能科学者。
収監後、管理局に協力する姿勢を一切見せない彼が、その膨大な知識と技術を披露する機会は無い。
だが、興味を引くような素材を提供したらどうだろうか。
例えば。
以前彼が手を加え、今は何らかの――管理局ですら解明出来ぬ問題を抱えた者では?
興に乗って腕を見せてくれるとしたら、以後も何らかの貢献を期待出来るかもしれない。

「そんな底意があるんじゃないかって、怒られそうになったよ」
「三佐が、マリーさんとフェイトさんを疑ったって事じゃ……ないですね。技術部門に対する危惧でしょうか」
「相手が犯罪者でも、才能と知識を惜しむ人はいるんだ。何かを追い求める心って、たまに止められなくなるから」
方向性が異なるとしても、自分の『生母』だって含まれる。
他にも幾人かの心当たりを思い出して、フェイトは溜息を吐いた。
「本気で疑ったというよりも、多分、釘を差したんじゃないかな」
「上の人たちにですか?」
「それもあるけど。きっと、マリーさんを含めた私たちに、だよ」
その言葉の裏側には、俺の娘はそんなに弱くないという信頼も透けて見えた。

ああいう所は、本当に『お父さん』だと思うのだ。

お父さん。
二人にとって、それは口に出したことのない言葉である。少なくとも、誰かをその意味で呼んだ記憶は残ってなかった。
ティアナは物心つく前に事故で失い、フェイトに至っては遺伝上の情報でしかない。
知識としての親とは異なる、言い表せない感覚と不思議な憧憬を伴う相手。
仕事上の大先輩であるゲンヤ・ナカジマは、彼女たちにとって、何故か見上げてみたくなる存在と言えた。

(歳が離れてるからかなあ)
一応、身近に兄という二児の父親はいるのだが、あの人はどっちかと言うと『お兄ちゃん』だから。
なのはやアリサの父親とも会っているのに、こういう感覚は感じなかった。
みんな、見た目が若いからかもしれない。
「……それ、三佐が老けてるからって意味に聞こえますよ。御本人が聞いても、怒らないでしょうけど」
「こ、声に出てた!?」
「ええ。ばっちり」
蒼くなるフェイトに、澄ました顔で頷くティアナ。
だが、彼女はふっと表情を和らげた。
「あたしの場合は、亡くなった兄が父親代わりでした。でも、やっぱり兄は兄で。そう考えると、フェイトさんと同じかも」
「そっか」
「思うんですよね。兄弟姉妹ほど身近じゃなくて、母親ほど側には居なくて」
「小さい時はともかく、大きくなったら家でもあまり喋らない」
「仕事が忙しくて、帰ってくるのが遅いことも多い。一日中顔を見ないこともあったりする」

「だけど、それでもお父さんはお父さんなんだろうね」
何となくギンガとスバルが羨ましくなって、彼女たちは陽光の中に佇む屋敷を見上げた。
一人で過ごすには広い家で、二人の娘の行く末を見届けるということ。
見届けてくれるということ。
「シャーリーに言われたからじゃないけど、お父さんって本当に……」
「本当に?」
問われたフェイトは、その後を続けなかった。




折角来たのだから、何か作り置きしておこうと相談し始めた頃。
唐突でお気楽な念話が飛び込んでくる。
『フェイトちゃん! 今日暇かー?』
「はやて!? 何で? どこにいるの?」
『今日はお休みでな、久し振りにクラナガンに来とるんよ。けど、ロッサもなのはちゃんも予定あるんやて』
ついでに、リイン以外の家族全員、仕事で出払っているらしい。
「それはそうだよ。自分だって、今週はお休み無いかもって言ってなかった?」
『ちゃっちゃと片付けたに決まっとるやん。っちゅうことで、遊んでー』

「うーん」
遊んでと言われても、今はそれなりに忙しい。
ティアナと視線を合わせると、何故か悪戯っぽい笑みが返ってくる。
指し示された先には、積まれた食材。そこそこ量は有るのだが、バリエーションと人手が足りない。
と、なると。

『ごめん、はやて。今はティアナと一緒にお料理してるから、手が離せないんだ』
『そか。……ん? 料理?』
『うん。今日はお煮しめを見て貰おうと思って。日持ちもするから、多少残っても大丈夫だしね』
『ちょお待ち!』
事前に与えられた情報の齟齬に気付き、相手は憤然と食って掛かった。
『どこで何しとるんか丸分かりや! ナカジマ三佐、会議から上がったんか!?』
「そんな直ぐに終わるわけないって言ったの、はやてだよ?」
などと露骨にとぼける執務官。

『……ほほう。私だけ、仲間外れにするつもりなんか。ほんなら、こっちにも考えがあるで?』
首洗って待っときやー、と捨て台詞を残して念話は切れた。


「策士だね、ティアナ」
「フェイトさんだって、見事な演技だったと思うんですけどね」
どちらが主犯かというと、微妙なところ。
食材を揃える為にショッピングモールへ急行中の人が聞いたら、どっちも主犯やと主張するだろう。
もちろん、本当は騙くらかす事が主題ではない。
休暇中の特別捜査官に、思わぬ朗報を伝えてあげたくなったのだ。あの様子だと、シャマルから聞いていないようだから。
こっちに来る途中で聞くかもしれないが、それならそれで。
「喜ぶ姿が見たいって気持ちは分かります」
「優秀な補佐官の御理解を頂けて感謝。二人揃って、元部隊長に怒られようか」
とにかく。
仲間内でトップクラスの料理人が加勢してくれるのは間違いない。
「料理はみんなでした方が楽しいし」
「それに、作り過ぎても大丈夫ですよ。スバルだったら、話を聞いて飛んで帰ってくるでしょう」
「場合によっては、ギンガも早く帰ってくるかもしれない」
「そしたら、みんな集まって大騒ぎですよね」
出来上がった料理だって、みんなで食べた方が何倍も美味しいのだ。


(でも、向こうでも何かお祝いしてるかもしれないな)
フェイトは、庭に植えた花を思い出した。
外来種だから、育てるのは制限付きだけど――上手く咲かせれば、あれほど見事な花もない。
その花の名を冠した女性と、初めて会ったのは月の無い夜。
ギンガが連れてきた民間協力者であり、彼女が向こうで初めて得た友人だった。
見掛けは印象的な美人。中身はそれ以上に風変わりな女性らしく、直接会った事のあるスバルとシャマルが、難しい顔で褒めていた。
普通の人っぽいのに、色々な意味で凄い人だそうだ。
根拠は無いのだが、だからこそギンガとの繋がりを保てたという気もする。
人の出逢いは、そういうものだから。

(昨日はクリスマスだったっけ)
もしかしたら。一日遅れた聖誕祭を口実に、宴会じみた事をしているかも。
やや気の早い平癒を祝う名目で、振り回されているギンガの姿が、何となく目に浮かんだ。

今回の回復が、恒常的な物となる保証は一切無い。
それでも――確信を込めた願いを呟くと、フェイトは窓の外を眺めた。
こちらは、突き抜けるような青い空。
向こうはきっと、雪でも降りそうな曇り空。
空模様が異なるのは、別に異世界に限ったことではないと思う。
執務官として様々な場所を飛び回っている彼女には、それが当たり前の事として実感出来た。
同じ世界の、ほんの少し離れた場所にも、全く違う光景が広がっている。会ったこともない人々がいる。
その中には、自分と親友たちの様な大きな力を持った者同士の、引き寄せられるような出逢いがある。

だけど、ささやかな縁は、その何倍も転がっているのだ。

(帰ってきたら聞いてみよう)
この二ヶ月程の間に、本当は何があったのか。唯一接点を残した彼女との縁は、どういうものだったのか。
待つ方にだって、それくらいの役得があっていい。
「今日明日で帰ってこなくても、お祝いの準備はしたいな」
「お見舞いに行けませんでしたからね。その分、盛大にやりたいって意欲が湧いてきます」
「同感」
無理矢理にでも盛大にしてくれる人も来ることだし。



この家の姉妹と父親が、再び全員揃って食卓を囲める日は近いだろう。
生真面目だが気さくな父と、真っ直ぐな二人の娘。
その場に居合わせる事が出来なくとも、そんな家庭が身近にあるというだけで、何故か嬉しくなる。
(クロノも、歳を取ったらああなるのかな)
二人の子供たちと義姉に囲まれた、如何にも父親然とした――初老の兄。
その姿が、どうしても想像出来ないから。

「同じお父さんでも、人それぞれってことだよね」
「はい?」
首を傾げたティアナの前で。
フェイトは、つい子供の様に笑っていた。










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藤桜 ― 冬 ― 第六話

2009/02/14 23:57
(まさか)
唾を飲み込むと、もう一度目の前の物を確認する。

洗い立ての『二つ』のティーカップ。

一人で二つ使うような無駄を、生真面目な親友は好まない。
だとしたら、この部屋で紅茶を飲んだ人物は、彼女以外にもう一人居た事になる。
「……蓉子?」
恐る恐る振り向くと、相手は澄ました顔で雑誌を眺めていた。こちらに視線を向けようともしない。
だからこそ、それが推測を肯定していた。
驚きと確信が、胸に差し込むような痛みを与えてくる。

慌てて振り向いた先には、姫君の豪奢な寝所があった。
今朝と変わらぬ様子と思えたが、改めて見れば微かな違和感。
「――っと」
反射的にそちらへ駆け出そうとした彼女は、思い直したように方向を変える。
教科書と辞書で埋まったライティングデスク。
その引き出しから、以前より準備しておいた物を取り出した。
幾つかの文房具と、金属製の簡素な装身具。そんなに派手ではないが、質だけはしっかりした物を選んである。
以前と違い、今度は二つ。
(この方が、あの子には似合うよね)
表現に困るような微笑みを浮かべた彼女は、やがて窓際へと足を向けた。




会話は全て聞こえていた。
何度、途中で口を挟もうと思ったことか。

しかし、結局は何も言えなかった。
脳裏に浮かんだ様々な光景が、ギンガの身体をベッドに縫い止めたのである。
(言えないんじゃなくて、言いたくないのかも)
彼女はこっそりと自嘲する。
迷惑を掛けた相手が、一人ではないと気付いたから。
それを考え始めると、もう動くことは出来なかった。心の中で、ぐるぐると色々な言葉が渦を巻いている。
誰に、何を、どうやって謝ったらいいのか。謝ってもいいのか。
感謝の気持ちだけを積み重ねても、多分、言葉では言い表せない。

(……あ)
悩んでいる内に、気配が歩み寄ってきた。

少しばかりの逡巡の後、ひんやりとした掌が頬を撫でる。
以前の傍若無人な遠慮無さは微塵もなく――壊れ物を扱うような、優しい触れ方。
それから、髪留めらしき物を、そっと左右に一つずつ。
未だ眼を閉じていたギンガにも、それが何かは手に取るように分かった。
夏の夜。
あの海辺で頂いた、小さな花の髪飾り。
(どうしようかな)
つい微笑んでしまったから、もう相手だって分かっているはずだ。
ただ、切っ掛けが掴めない。意図せずに盗み聞きしてしまったという、微妙な罪悪感も理由の一つ。
どんな表情を選んでいいのかも、意外と難しい気がする。
(でも、もういいよね)
益体もない取り繕いは諦めて、素直に再会の挨拶を告げようとした彼女の耳に、

「ごめんなさい」
と、深い悔恨を込めた謝罪が届いた。


      ◆   ◆   ◆


「――時間の問題、だったんですよ」

静寂は、そう長くは続かなかった。
穏やかな寝顔の姫君が、そう囁いた時。ベッド脇の彼女は、僅かに肩を震わせた。
遠慮がちな視線が、声の主に怖々と注がれる。

「例えこちらに来なかったとしても、いつかは似たような事になっていたと思います。色々と問題を抱えていましたから」
ギンガは、気にせずに話を続けた。
「大怪我をした後、心と身体が離れ始めていたんです。あのままだったら、いつかは壊れていたでしょうね」
壊れ方だって、一体どんな過程と結果を歩むはずだったのか。
いつ誰に牙を剥くか分からぬ有様では、仕事に戻る事など有り得ない。
やがては外に出ることを、人に接する事すらも許されなくなり、隔離施設で余生を過ごしたかもしれないのだ。
それは、中途半端に強がっていた、自分自身が原因だったのだろう。
間抜けな事に、当事者である本人すら気付いていなかった。
だけど。
「こんな時は落ち込んでいいと――泣いたっていいんだと気付かせてくれたのは、聖さまです」
「……!」
「それだけじゃありません」
異議を挟もうとした気配を制して、ギンガは楽しそうに口元を綻ばせた。
確かに、危険もあったと思う。
閉じた世界の中で、誰の言葉にも耳を貸さず、全ての干渉を拒んで生涯を終える可能性もあった。
大切な家族であればこそ、身勝手な思い込みが距離を置くことを望んだから。拒否も遠慮も、ある意味で同義なのだ。
だとしても、どんな事にだって例外がある。
「聖さまみたいな方がいらっしゃったから、現実に繋がりを残せたと思うんです。……本当ですよ」

褒められてる気がしないよ、と情けなさそうに嘆く声。
何となく、いつもの調子が含まれている気がするから、少しは気を楽にしてくれたのだろうか?
「それと、聖さまが言ってたじゃないですか。学生をやってるのは、やり直しをしているんだって」
「うん」
「それと同じですよ」
自分も、やり直しをしたのだろう。
怪我以来あやふやだった記憶の大部分は、繰り返す事で全て取り戻せた。何度もパズルを組み上げたのは伊達じゃない。
あの夜、あの場所に向かった切っ掛けは何だったのか。
絶対に忘れてはならない頬の痛みを、自分は綺麗さっぱり忘れていたのだ。
「おかげで、父さんに謝ることも出来ます。ですから」
敢えて目を閉じたままで、彼女はささやかな謝意を伝える。

「助けて頂いて、本当に感謝しています。――ありがとうございました」

息を飲む音。
何かを言おうとしても、言葉にならない。
そんな気配に、僅かな嗚咽が混ざったような気もしたが。

それはきっと、気のせいだろう。




お互いにもう一度だけ詫びると、それぞれの声から湿っぽさは抜けた。

「それでは……この件については以後、感謝も謝罪も禁止と致します」
「姫様がそう仰せであれば、何も申し上げる事はございません」
申し合わせたように笑う二人。
些か芝居がかった宣言は、半ば照れ隠しのようなものだ。
「まあ、あれです。聖さまが言っていた事に同意かも」
「景気良く落ち込んだら、あとはナカジマさんみたいに前に進もうって? 後先考えず?」
「ええ。すっきりと気持ちよく」
中途半端は良くない。自分みたいな一直線に走るタイプは、切り替えが大事だから。
落ち込むのも頑張るのも紙一重。
「これはまた、随分と開き直りましたな」
「これだけ周りに迷惑を掛けてしまったら、開き直るしかないですよ」
「だよねえ」
「第一、これからがですね……?」
口を尖らせながらも、起きるタイミングを計っていた彼女は。
(何かしら?)
ふと、それに気付いて耳を澄ませた。

キッチンから音が聞こえる。

原因はすぐに判明した。
いつの間にかソファから腰を上げていた蓉子が、食事の準備を進めているらしい。
小皿を用意する音も混ざっていた。

同じように気付いた聖が、ぽんと手を打ち鳴らす。
「お腹、空かない? 空いたよね?」
「はい?」
場にそぐわぬ口調と断定は、いつものように唐突である。
「買い過ぎって位に買ってきたから安心して。ナカジマさんの分も、ちゃんと有るからさ」
「いえその……そう言われても」
つい先程までとは全く異なる声音に、思わず反応が遅れてしまう。
「ホッとしたら、急に空いちゃってさ。ほら、お昼どころか、朝御飯も食べてないし」
「はあ」
水の流れる音を聞きながら、ギンガは大きく溜息を吐いた。
風情が無いというか、反応に困るというか。これこそが佐藤聖と納得したらいいのか。
(だけど、そのおかげでって事なんだもん。ここは感謝すべきなのよね)
薄目を開けると、聖は既にキッチンへ向かっていた。

「蓉子、お茶まだ? さっき、お湯は沸いてたよね」
「飲みたければ別に止めないけど、紅茶でおでんを食べるつもり?」
「……斬新かな?」
「私はお断りしておくわね」
「えー? 何事にも挑戦は必要なんだよ。そうは思わない?」
「思いません。ギンガさんを道連れにするのも不許可ですからね。お一人でどうぞ」
これ以上ないという程の、冷ややかな口調。
「つ、冷たい。今は冬だけに、これぞまさしく」
「――雪女とか言ったら、表に叩き出すわよ」

(相変わらずだなあ)
眺めている内に視界がじんわりと霞んできて、ギンガは慌てて上を向いた。
湿っぽいのは先程終わったのだから、今から泣いても仕方がない。笑っていた方が、ずっと楽しい。
改めて思う。
(本当に帰ってきたのね)
何となく胸元に触れた。
相棒のブリッツキャリバーは、あの日自宅に置いてきてしまったけど、今はどうしているのだろう。
室内に無いという事は、不確定要素として持ち込み禁止にされたのかも。
心配性なシャマル先生らしいが、スバルが持ち歩いているような気もする。
いったい、どんな気持ちで――などと考えると、大変な事になるから止めておいた。
(会ってからでも、いいんだから)
教えてくれた人のことを、出来れば笑顔で話してみたい。途中で泣いてしまっても、構わないはずだ。
それはきっと、素敵なことだと思うから。




と、幸せな余韻に浸っていた彼女は、続いて聞こえてきた内容に頬を引き攣らせた。

「それにしても、寝たふりってのは酷いよ」
「そうかしら?」

いつの間にか、何やら話が危険な方向に向かっている気がする。と言うより、災害の方が迫ってくるような。
冷や汗が浮かぶのを自覚したが、これはもう、どうしよーもない。
逃げようにも退路が無いし。
「また臆面もなく、他人事の様に。……その辺はどうなの、共犯者さんは?」
「不可抗力よ」
嫌味に動じることなく、一言で切り捨てる蓉子さま。
随分と遠慮の無いバッサリである。罪悪感の欠片も無し。

ひしひしと嫌な予感が膨れあがる。

「まあ、主犯はどこぞで御就寝中のお姫様なわけですが」
「どちらかって言うと、主犯は貴女で、あの子は被害者ではないのかしら」
「て、的確な表現をどうも。っていうか、厳しすぎやしませんか、蓉子さん?」
「雪女ですから」
「叩き出すとか言ってたのに、それを自分で言いますか」
「そもそも、売れ残りのクリスマスケーキを買ってくる人の方が、よっぽど冷血じゃないの?」
「あ、あれはそういう意味じゃ」
「どうだか」

「…………」
下手なことを言うと藪蛇になりそうなので、目を閉じたまま沈黙を保つギンガ。

「うーむ」
歯が立たないと悟ったのか、聖は矛先を変えた。
「だいたいさあ。姫がお目覚めになられる場面は、もう少し感動的にすべきだと思わない?」
「そうねえ……例えば?」
「ええとね、花に囲まれた儚げな雰囲気の中で、麗しくも厳かに目を覚ますとか」
「悪くはないわね」
理不尽にも、あっさりと敵に回る元紅薔薇さま。
「でも、残念ながら花はそれしかないのよ。可愛いとは思うのだけれど」
「こういう場合は、ちょっと向かない感じだね」
第一、鉢植え一つでは全然足りない。

お姫様は、やっぱり物語みたいに幻想的な方がいいよ――などと無茶な事をのたまう、文学部所属の女子大生。
それに全面的に同意する法学部の学生も、どうかと思う。
やがて。
注がれる怪しげな視線の主が、ぼそりと一言。

「いっそ、脱がすか」



「なぜっ!?」
飛び起きたギンガは、慌てて寝間着の前を掻き合わせた。










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藤桜 ― 冬 ― 第五話

2009/02/14 23:55
「ただいまー」
カラン、とガラス扉のベルが鳴り、帰還した者の声が遅れて届く。


「お帰りなさい。早かったわね」
洗い物をしながら、蓉子は訝しげに振り返った。
声音に、何故か疲れたような――と言うよりも、何かを引き摺るような重みを感じたからだ。
珍しい事もあるものだと思ったが、実際に両手が塞がっているのを見ると、気のせいと思わないでもない。
「何を買ってきたの?」
派手な包装紙で包まれた箱状の物と、コンビニエンスストアの大きな袋。
「お昼ごはん。そろそろお腹空かない?」
「あら」
時計を見上げると、既に午後一時を回っていた。
「そういえば、もうそんな時間なのね」
「何か作ろうかとも思ったんだけど、たまにはこういうのもいいかなって」
「……冬ですものね」
漂ってきた匂いに気付いて、同意する。
準備を終えていたティーサーバーを横に置き、電気ポットの再沸騰ボタンを押した。
ここに到着するなり呼び出されたので、聖は何も飲んでいないはず。
まあ、打ち合わせで喫茶店には寄ったかもしれないが。
「前に言ってた、お医者さん?」
「そ。特に何も無かったんだけどね」
「それは仕方ないんじゃない? 誰だって気になるし、心配するものよ」
「そうだね」
ちら、と聖はいつも通りにベッドを確認した。お姫様は相も変わらず御就寝中。食事に付き合っては下さらない。
軽く頭を掻いた彼女は、ダイニングテーブルに買ってきた物を並べた。
それからソファに座り込むと、ぱったりと横に倒れる。
「何だか疲れた。蓉子、お茶ちょーだい」
「食事前なのに、いいの?」
「うん」
声だけで頷く彼女。

「ちょっと待って。お湯が沸くまで、もう少しかかるから」
応じながら、テーブルに積まれた物を確認する。
四角い方は、予想した通りの真っ赤な箱――昨日で役割を終えたクリスマスケーキ。つまり、今は単なるケーキである。
箱の頂上には、『ご奉仕価格』と銘打たれたシールが貼ってあった。
(七割引とは、思い切った値段ね)
つい苦笑しそうになったが、生クリーム中心ならこんなものだろう。
賞味期限は、本日中というより夕方前後。昼頃には売り切らないと、処分せざるを得なくなる。
聖が買った理由も、単純に勿体ないと思ったからか。
万が一、他に意味があったとしたら、遠慮無く小突き回す事としよう。

しかし。
この量を二人でとなると、少々厳しくはないだろうか。ケーキだけでもそうなのに、これは本来食後用。
本命は別にあるのだ。
「いったい、何人前買ってきたわけ?」
「んー? 別に何人前って事はないんだけど」
一番大きいサイズの入れ物が四つ。
冬の定番、おでん。確かに美味しそうだが、この量は洒落にならない。
「食べたい物を選んでいったら、何故か全種類一個ずつって感じに」
「……私、半分も食べられないわよ」
ついでに、おでんの食後がケーキというのも、微妙だと思う。

「大丈夫。冷えても美味しいし、冬って意外と食べたくなるから」
それは自爆コースでしょう、という視線を無視しながら、聖はソファに置かれた物を拾い上げた。
出掛ける前、待つ間の暇潰し用として提供したパズル雑誌。これも同じ店で買ったものである。
「ずっとやってた?」
「ええ。特にする事もないから」
「ふうん……?」
寝転がったままパラパラと紙面をめくっていた彼女は、不意に抗議の叫び声を上げた。
「蓉子、酷いよ!」
「な、何?」
「全部終わっちゃってる! せっかく、少しずつ進めてたのに!」
指し示されたのは、数独の上級編。蓉子特有の丁寧な字が、全てのマスを数字で埋めている。
過程を示す細々とした書き込みは、几帳面な性格の証だ。
「こんな短時間で終わらせるなんて、大人げないじゃんか」
「それは、こちらの台詞だと思うのだけれど?」
膨れっ面で睨んでくる相手に、蓉子は呆れたように肩を竦めた。
時間潰しにと渡されたのだから、進める許可を与えられたと考えるのが当たり前。
それを今更抗議とは。元々子供っぽい所が多いけど、今日はまた随分と――――?

「聖?」

蓉子は微かに眉を顰めると、反対側のソファに腰を下ろした。
怒った表情を維持して視線を逸らす相手に、改めてもう一度。
「ロサ・ギガンティア?」
「!」
今度は古い呼称を使って、昔と同じように語り掛ける。
「志摩子の時にも、言ったでしょう? 茶番とまでは言わないけど、貴女の演出には無理が多いのよ」
うっかり買い過ぎてしまったり、ちょっとした事で怒ってみたり。確かに、普段も似たような事はするかもしれない。
だけど。大雑把に見えて繊細な聖は、同じ事をしてもすぐに違和感が表れてしまう。
昔からそうだ。
心の奥底は見せないくせに、本音を隠すのは意外と苦手。
「だから無駄なの。――言ってしまいなさいな」


「……うん」
暫く黙っていた聖は、やがて泣きそうな顔で頷いた。


      ◆   ◆   ◆


悩みを抱えている事を、知らなかった訳じゃない。
春に打ち明けられた時は、少なくとも本人だって自覚していたのだから。
不甲斐ない己を責め、周りの人たちに報いようと頑張っている姿は、見ていて応援したくなる。
誰だって悩むけど、それでも進もうとする姿勢は格好良い。
前だけを見て走る彼女は眩しく、新鮮でもあった。
理解しきれない事情と、触れることの出来ない世界の中で生きている人である。興味が尽きるはずもない。
今までに得た大事な人たちとは、全く異なる位置を占めた不思議な存在。
様々な意味で、彼女は遠来の客であったのだ。

それが――夏を過ぎた頃から、違和感を感じさせる様になった。
いつも通りの笑顔なのに、そこには心を伴っていない。仮面に貼り付けたというより、他を置き去りにしているような。
何か、深刻な悩みがある。今までとは違う、常に心を押し潰そうとする大きな問題。
ところが、彼女自身が自覚していないのだ。
明らかに苦しんでいるのに、その苦しさを理解していない。頼ることを知らない彼女は、頼らねばならない事自体を知らなかった。
その姿を見て、いったい何度指摘しようと思ったことか。

だけど、本人は笑っている。

本心から、その時々を楽しんでいた。
そんな相手に、言える事なんて何も無い。考える必要もないから、一緒になって楽しめばいい。
ずっと、そう思っていた。



「凄く、後悔したんだ」
彼女は、淡々と呟いた。
「ナカジマさんは、自分がどれほど苦しいのか気付いてなかった。今まで、誰にも頼らなかったんだと思う」
仕事上の悩みだったら、遠慮無く他人を頼ったかもしれない。
だが、自分自身の事については、頼るどころか弱音すら吐かなかった。頼り方を知らなかった。
血を流している事に気付かず、ひたすら走り続ける『正義の味方』。
「強くて、格好良くて。……痛々しくて。見てる方が苦しかったよ」
「だから、打ち明けて欲しかったのね」
「力になれない事は分かってた。それでも、聞き役くらいにはなりたかった」
身近な人に言えないのなら、私生活とは関わりの薄い――旅先の知り合いには言えるのではないか。
何しろ、関わりたくても関わりようのない、距離の遠い関係だ。
思う存分弱音を吐いたって、誰に伝わるものでもなく、借りにも貸しにもならない。
それでも、多少なりと楽になってくれたら。
「――なんて考えは、自己満足でしかなかったような気がする。きっと、私は」

(見ているだけの寂しさに、我慢出来なくなった?)
飲み込まれた言葉を、蓉子は心の中で呟いた。
相手を思う気持ちは本物だったはずだ。苦しむ姿を見たくなかったというのも、その気持ちと矛盾していない。
一瞬、ある方向を眺めて確認してから、やんわりと指摘する。
「必ずしもそうは言えないんじゃない? 言いたかった事は、ちゃんと伝わったかもしれないわ」
「そう、かな」
悩みを自覚させる事は出来たし、弱音を吐くことが澱を取り除く契機にもなった。それは明白な事実である。
「確かに、久し振りにいい笑顔を見せてくれて、全部片付けるって言ってくれたけど」
事実だとしたら、何故こんな事態を招いたのか。
聖は、唇を噛み締めて俯いた。


語られた、想像も出来ない世界。
映画などではなく、彼女は本当に命懸けの世界に身を置いていた。
何度も傷付いて、命を落としそうになり。――己が死んだと思いこむ程、生死の境を彷徨って。
自分が悪いわけではないのに、誰のせいにもしない。どれほど酷い目に遭っても、歪むことなく真っ直ぐに前を見据えている。
痛くて苦しい思い出ばかりでも、彼女はずっと笑っていた。

そんな凄くて眩しい人が、狭い世界で眠り続けている。

切っ掛けは、どう考えても自分しか有り得ない。
「眠っている時、何度か起きそうになったんだ。話が通じる時もあってさ」
お父さんに怒られて、悩んでいる時とか。
どこか分からない部屋で、パズルを組み上げている時とか。
――秋頃の、一緒に食事をした時と思われる場面、とか。
そこが一番重要だと理解していたから、何度か呼び止めようと声を掛けた。諭してみようと言葉を並べた。
必死になって謝りもした。
何も知らないくせに、頼って貰おうとした身の程知らずの自分。
責めてくれた方が楽だったが、そんな事が出来るはずもない生真面目な彼女は、いつも話を聞いてくれなかった。

「この前、久し振りに話が出来た時は、いつもと同じナカジマさんだった」
自分の何気ない一言に、思いも掛けない反応をしてくれた彼女。
凄く嬉しくて、何を言っていいのか分からなくなった。
いつもと同じ会話をして、いつもと同じようにお別れをした。深刻さなんて欠片もない、気楽な逢瀬。
それが、果たして正しい対応だったのか、現時点で答えは出ていない。
あれ以来、自分にも応えてくれないから。
「今日だって、心配してるお医者さんに気長に待とうって言ったけど。あれも、自分がそう思いたかっただけなんだ」
本当は。
人に説教が出来るほど、気楽で前向きな性格はしていないのだから。



「あのね、聖」
久し振りはこちらもだわ、と蓉子は心の中で呟いた。
佐藤聖が他人にこういった姿を見せた事は、過去に数える程しかない。見た者も、多分片手の指で余る。
最近は本人が思う以上にさっぱりとした性格を身に付けているから、ここまで落ち込むことは滅多にないと思う。
今回は、その滅多にない事の範疇だったのだろう。
(分からなくはないけど)
後悔の念が強くとも、頼まれたからには逃げるわけにはいかない。
友人の為に通い、病床の身を眺めて負い目を感じながら、表に出すわけにもいかなかった。
それが長期に渡ってしまえば、誰だってこうなるかもしれない。
(……困ったな)
口元に浮かんだ微笑みを、無理矢理に我慢する。
彼女が頼ってくれたのは純粋に嬉しい。悩んでいるのなら、幾らでも力になりたいと思っている。

しかし。
もう一人の聞き耳を立てている人が、そろそろ限界なのも分かるわけで。

「お茶を入れてくれない?」
「はい?」
唐突な要求に、聖は面食らったような視線を向けてくる。
「辛気くさい顔で悩んでいたら、底無しに落ち込むわよ」
「……言ってしまえと仰せられたのは、ロサ・キネンシスだったような気がするのですが」
「そうだったかしらね? とにかく、少しは気晴らしになるから」
ほら、と指し示されて、ポットがいつの間にか保温モードに移行していた事に気付いたらしい。
合図の音が鳴らなかったのは、うるさいからと聖が消音設定にしたせいである。
「急がないと、電気が勿体ないわ」
「ちょいと蓉子さん?」
「さっき使ったカップを洗っておいたから、それを使って」
問答無用とばかりに、彼女はにっこりと微笑んだ。



「普通、傷心してる親友の為に、さりげなく入れてくれるってのが筋じゃない?」
泣きそうだった顔を苦笑いに変えて、聖は不承不承腰を上げた。
まあ、変に慰めたりしない所が蓉子らしいから、こんな風に扱われる方が逆にほっとする。
相変わらず、容赦ないけど。
それでも、昔は一度だけ甘えさせてくれた事もあったから、
(今回は大丈夫って思ってくれたんだな)
自分では落ち込んでる気がしても、外からは元気そうに見えるのだろう。

キッチンスペースに立つと、シンクの横に洗い終わったティーカップが、二つ並んでいた。
組み込みの食器洗浄機もあるのだが、この量だと手で洗った方が早いし経済的だ。
もっとも、洗ったばかりの物を使ってしまうとなると、話は別な気もする。
準備されていた物を眺めて、少し迷った。ティーポットもあったはずだが見当たらない。
「蓉子ー、ティーサーバーは今使っちゃう?」
「ケーキもあるから、食後にしなさい」
茶葉の詰まった缶を示すと、何故か急かすような声が応じる。
「了解。じゃあ、今はこっちでいいよね」
棚に並んだ紙箱から、ティーバッグを二つ取り出した。今朝方、ここに到着した時に飲もうとした物だ。
(着いた直後に電話が掛かってきたもんなあ。飲む暇も無かったよ)
それぞれにバッグを放り込んでから、砂糖を探す。こういう時は、ストレートより何かを足した物が飲みたい。
冷蔵庫にはレモンもあったが、あれはスライスして砂糖漬けにしてしまった。
ついでに、冷蔵庫と言えば。
「牛乳はあったっけ?」
記憶を探ってみたが、これも昨日使い切ってしまった気がする。
まさかコーヒー用のクリームを使うわけにはいかないから、今回は諦めた方が良さそうだ。
(ま、欲しい時に無いなんて、よくある事か)
電気ポットに表示されたお湯の温度を確認して、いざ注ごうとした時。

「――――!?」
ある事に気付いた聖は、人形の様に動きを止めた。










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藤桜 ― 冬 ― 第四話

2009/01/15 22:55
――――目を覚ましたのは、それから暫く経った後の事になる。


と言っても、僅か数時間だった気もするし、数年は過ぎたような感覚もあった。
(もしも数十年だったら、みんな居なくなってるかも)
などと暗い考えに浸りそうになったので、慌てて眼を閉じ、深呼吸をする。
気楽、気楽。
誰かさんみたいな、お気楽な感じ。
もう一度上を眺めると、何かの毛皮が編み込まれた、豪勢な天蓋が広がっていた。なるほど、お姫様用のベッドらしい。
高そうな絹の寝間着に、清潔さしか感じられないシーツの肌触り。
身体が沈みそうな柔らかさと、背中に負担の掛からない適度な弾力。何だか、高級感が凄すぎて落ち着かない。

困ったように視線を動かした彼女は、ふと、その気配に気付いた。
場にそぐわぬ、巨大なベッドが置かれたリビングルームの、反対側。
これも高そうなソファに腰掛けた女性が、カラフルな表紙の雑誌を眺めていた。
時折、鉛筆で何かを書き込んでいる。

(……誰?)
全く見覚えの無い、絵に描いたような美人だった。
すらりとした印象の細面な顔立ちと、濡れ羽色の艶やかな黒髪。
スーツ風のタイトスカートに、ループタイを絞めた真っ白なブラウス。上品な着こなしは、江利子とは異なる自然なもの。
意志が強そうで、それでいて柔らかさの感じられる眼差し。
それが、何気ない様子でこちらを眺めている。
(あれ? いつの間に)
予想外のタイミングで視線が合ってしまった事に、少し慌てた。
ただ、相手の観察するような気配には、何故か覚えがある。

「まさかとは思うけど……起きたの?」
不可解といった口調で問い掛けられ、ギンガはこくりと頷いた。
しばし無言で、互いの視線を吟味。
やがて――最初に目を逸らしたのは、相手の方だった。テーブルに置いてあった紅茶を一口飲むと、ソファに深々と背を預ける。
「聖に恨まれるわね。一ヶ月以上通ったのに、昨日初めて来た私に抜け駆けされたんだもの」
「昨日?」
「あ、ごめんなさいね。ちょっと驚いちゃったのよ」
居住まいを正したその人は、胸の前で指を組み合わせた。
「初めまして、ギンガさん。私は――聖が紹介してくれたのだけど、覚えてる?」
「え? いつですか?」
「昨日。貴女は眠っていたけど、それでも分かるはずだって」
「!」
一瞬、耳の奥に、誰かさんが自慢げに紹介する声が聞こえた。
ついでに、ちゃんと世界を認識出来ていることを理解する。四肢の感覚は未だに違和感があるけど、間違いなく嘘じゃない。
この人に会ったのは、確かに昨日だ。

「蓉子さま……ロサ・キネンシス」

「元、ね」
頷いた蓉子は、満足そうに微笑んだ。


      ◆   ◆   ◆


「今度こそ、降るかな?」
聖は低い空を見上げた。
先日、可南子と会った日も似たような空模様だったが、今日の冷え込みはあそこまで厳しくない。
その代わり湿度は高めで、西の方では降り始めた所があるそうだ。

(出来れば、雨以外を期待したいね)
喫茶店の奥に進むと、いつもの人が本を読んでいた。
中盤に差し掛かっているから、結構待たせたのかもしれない。大して遅れなかったとは思うのだけど。
レジでブレンドを購入した後。
「こんにちは。寒いですね」
待ち合わせ相手に会釈して、正面に腰掛けた。
「待ちました?」
「いいえ。少し早めに出て来たんです。ちょうどお買い物の予定もありましたから」
「今日もお一人で? 後でお迎えが来たりします?」
「一人です。帰りは電車」
「そうですか」
微妙な笑顔で頷く聖。
お相手のシャマル先生は、以前のような目立つ服装ではなく、品の良い緑色系のスーツ姿である。
横に置いてあるコートとマフラー、それに毛皮の帽子も似合いそうだから、電車で揺られて帰るのが不思議とは思わない。
しかし、第一印象が強烈だったせいか、あのイメージが抜けてくれないのだ。
「……それで、今日は何でしょうか」
「何がってわけじゃないの。何となく、近況を聞けたらと思って」
微笑んだシャマルは、現在、近隣のホテルに泊まっている。
万が一の事態に備えているからだ。
あの場所はアリサが用意したもので、看護や部屋の手入れの為の人員も、彼女が専門の者を手配した。
完全な一般人、しかも面識の無い者は、眠り姫に影響を与えない上に安全なはずである。

だが、何かしらの予想外が起こる可能性は捨て切れない。
そういった場合に対応するには、シャマルの様なタイプの魔導師が一番適任だったのだ。
もちろん一人だけでは限度があるので、ハラオウン家が交代要員を引き受けている。


「本当は、もっと近くに居た方がいいと思うのよ」
でも、と彼女は溜息を吐いた。
「あの子って、凄く鋭いんだもの。どこまで近付いていいか分からないし、覗いても気付かれちゃう」
「映画に出てくるような、監視カメラは駄目なんですか?」
「ダメなの。貴女と話してる時は、周囲を観察してる可能性が高いもの。万が一気付かれたら、どうなるか分からないでしょ?」
「悪化するかもしれない?」
「ええ」
シャマルとしても、これが精一杯という現状に不安はある。
事態の推移を見守り、一定の結論が出るまでは、魔導師や身近な知り合いは近付けない。
かと言って、今更ギンガの感覚を封じるわけにもいかず。
完全に一般人な聖に、大部分を頼ってしまっている。
「それで、つい」
「お気持ちは分かりますが、あれから何も無いですよ」
聖はコーヒーを啜ると、苦笑いを浮かべた。
あの会話から暫く経つが、変化の兆しは未だ見えず。
だとしても、焦るにはまだ早いと思う。初めて会った時からの時間を考えれば、あと一年はこのままかもしれない。
いや。
あの桜を見たいと思っているのなら、春には意地でも起きてくるか。
「冬眠だと思って、気長に待ってみたらどうですか」
「熊じゃないんですから」
「ですね。そしたら、秋に蒔いた種ってことで」

「……春には、芽を出してくれるといいわね」
あと数ヶ月。あまり長引くと、向こうから持ってきたデスクワークが品切れになる。
安定はしているようだから、そろそろ戻っても良さそうな気はしているのだが――どうせ戻った後も気になるのだ。
「スバルも、貴女に任せれば大丈夫って言ってたし。後はのんびり待つしかないのかしら」
「私だって、何もしていませんよ」
どちらにせよ、選択肢は一つだけ。

あまり――深刻に考えない方がいい。それが待つ者共通の心得だと、双方共に理解していたのである。

もっとも。
この時点で、全て杞憂に終わっていたのだが。


      ◆   ◆   ◆


外を見ると、寒そうな空が広がっていた。
聞いた話によれば、今は初冬。あれから一ヶ月以上が過ぎている。
(足が動かしにくいのは、仕方ないかも)
いくら普通の人より頑丈だとしても、いきなり自由自在に歩き回れるというわけではない。
ベッドに腰掛けたまま、言われた通り大人しく待つことにする。

「長いこと眠っていたんでしょう? 本当にいいの?」
「はい。お腹は丈夫な方なんです」
差し出された紅茶を、ギンガは両手で受け取った。
僅かな量を口に含み、舌で転がしてみる。頼んだ通り甘めだが、それでも渋みが引っ掛かるのは、本調子ではないからだろう。
飲み込んでみると、首元に微かな痛みを感じた。
久し振りに体温以上の物を通した喉には、少々熱かったらしい。
「冷ましてからの方が良さそうね」
顰められた眉に気付いて、蓉子はティーカップに手を伸ばした。
「平気です。もうちょっとで飲み頃ですから」
「そう?」
手を引っ込めると、彼女はサイドテーブルを見遣った。ティーポットの残りはまだ充分。
葉の様子を確認してから、キッチンスペースに足を運んだ。

「すみません」
ティーサーバーの準備を進めているのを見て、ギンガはポットを占有してしまった事を詫びた。
「違うのよ。私もそのくらいの方が良いのだけど、もう一人には濃いめを入れてあげようと思って」
「もう一人?」
「今、呼ばれて外に出ているの。もう少ししたら、戻ってくると思うわよ」
それが誰なのかは、今更聞くまでもない。
戻ってきた時の様子を思い浮かべてから、ようやく『そのこと』に思い至った。
一ヶ月以上足繁く通い、自分の目覚めを待っていてくれたのだ。
近くの机には大学で使用しそうな書籍が並んでいるから、勉強やレポート作成もここで行ったのだろう。
お見舞いの気遣いを微塵も見せず、別荘扱いで気楽に過ごしている様子が目に浮かぶ。
だけど、本当は色々と考えてくれていたに違いない。心配もしてくれたと思う。
それなのに。
ちょっと外出したら、いつの間にか目覚めていて、自分の友人と仲良く会話している。

考える内に、すうっと血の気が引くのを感じた。

――怖い。
怒られそうで怖いというより、何をされるか分からないのが怖い。
「ど、どうしましょう?」
「そうね。……どうにもならないわね」
一瞬だけ悩む素振りを見せた蓉子は、あっさりと肩を竦めた。
さすが同期三薔薇の一人として、理解度の違いが伝わってくる。が、今はそれどころではない。
「いっそのこと、寝たふりをしてみるとか」
「それが聖に通用するならね。隠しておきたい事に関しては、異様に鋭いわよ」
鈍いことも多いけど、と忠告とは言えない事を呟く元紅薔薇さま。

(どうしよう)
話している間に、極めて重大な事にも気付いてしまったが、それは全力で封印しておく。

理不尽な恐怖に怯えながら、ギンガは視線を彷徨わせた。
室内には、このベッドとダイニングテーブル。それとは別のライティングデスクに、接客用ソファと雑多な物を放り込んだ棚。
生活する為に必要な物を、まとめて並べたという感じである。些細な変化を見逃さないようにという配慮だろうか。
冬空を映す窓は広く、曇天の弱めな陽光を余さずに取り込んでいる。
そして、窓際にぽつんと置かれた、慎ましくも鮮やかな色彩。
感じた既視感を疑って、少しばかり悩んだのだが――やはり、見覚えのある花だった。
「蓉子さま、あれは」
「聖がお見舞いに持ってきて、育てているのよ。どうかなという気もするけど、あれがいいんですって」
「何か問題でも?」
「……そういえば、貴女は海外の方だったわね」
蓉子は、可愛らしい花が並ぶ、大きめの鉢植えを指し示した。
「こちらでは、お見舞いに鉢植えは厳禁ってことになっているの」

説明によると。
お見舞い用の物は、本来切り花を選ぶのだという。
根の付いた花は根付く、即ち『寝付く』に繋がり、更には病気療養が長引くことに繋がるらしい。
つまりは縁起が悪いという事で、鉢植えを避けるのは一般常識とされている。

「聖が言うにはね。ギンガさんはこの国の人じゃないし、育てるのは自分だから問題無いそうよ」
その時の様子を思い出して、蓉子はくすっと笑った。
生きの良い花を渡すのだと、強硬に主張していたのは何故なのか。
「咲いたのは、つい最近みたい」
「こんな時期に咲くんですか?」
「そういう種類もあるけど、これは違うわね。春頃に咲く花なの」
「え? でも」
「直接は知らないのだけど」
疑問符を浮かべる相手に、種明かしをする。
「今年の夏、聖たちと一緒に海沿いへ遊びに行ったでしょう? その近くに、植物園があったのを覚えていたのね」
直接訪れなかったギンガにも、それなりの縁を残した場所。
そこから、咲く前の鉢を買ってきたらしい。
思い立った日は、車が使えなくて持ち帰りに苦労したそうだが、それでも取り止めない所が聖の聖たる由縁。
「こだわった理由は、貴女にあるのかしら?」
「この花は、以前頂いたものなんです。名前は教えてもらえませんでしたが」
「ああ、それは――」
何気なく声に出しそうになった蓉子は、慌てて口を噤んだ。
ギンガも似たような表情を浮かべて、両耳を塞いでいる。

それはさておき、と心の中で強引に話題を変えて。
「二人から話を聞いていたから、初顔合わせって感じがしないわね」
「私もです。聖さまから、蓉子さまの事は何度か」
「祐巳ちゃんにも会ったそうね。志摩子と由乃ちゃんにも」
「はい」
「そうすると、私が最後かあ」
蓉子は、大袈裟に溜息を吐いた。
もちろん、一つ下の祥子と令も縁が無いのだが、何となく出遅れた感じがするのは否めない。
いつぞやの江利子の気持ちがよく分かる。夕子ちゃんの話とか。
「聖は自慢そうに話をするし、江利子も抽選に当たったような話し方をするし。私だけ、仲間外れにされたのかしら」
「そんな事はないと思いますけど」
「ダメよ、聖を庇ったって」
慌てる相手に、寂しそうな視線を向ける。
「みんな冷たいわよね。私なんて、薔薇の館では、いつもお説教係だったもの」
疎まれてるのよ、と露骨に肩を落とす彼女。


「蓉子さま、それは」
いきなり落ち込む姿に慌てそうになったが、ティーカップの存在がそれを押し止める。
毛足の長い絨毯は、汚したら後が大変だから。
しかし。
止めたはいいけど、次にしたい事も続かない。思い付く事もないので、冷め始めた紅茶に口を付けた。
注意が他に向いた結果は、ずずっと啜る行儀の悪い音。
それは、思わぬ大きさで静かな部屋に響き渡り、ギンガは恥ずかしさで顔を赤らめた。
カップで顔を隠すようにしながら、上目遣いの視線を相手に向ける。

俯いて、肩を震わせている元紅薔薇さま。

「…………?」
以前だったら、泣いていると勘違いしたかもしれないが。
聖と江利子という二人の薔薇さま相手に培った経験が、あやふやながらも別の結論を導き出す。
「あの、まさか」
恐る恐る声を掛けるが、相手はまだ顔を上げない。
ギンガは、しばらく観察を試みた後、表情を消してそっぽを向いた。
ついでに一言。
「薔薇さま方って、絶対に意地悪ですよね」

予想通り、返答無し。
紅茶の残りを飲み終えてから、サイドテーブルを引き寄せる。ポットの中身は思っていたよりも多い。
二杯目を注いで、今度は一息に飲み干した。
ヤケ酒ならぬ、ヤケ紅茶。
「聖さまも江利子さまも。言いたくはないですけど、私、ある意味で病み上がりなんですよ」
口を尖らせて様子を窺うと、やがて――忍び笑いが漏れ聞こえてくる。
ほら、やっぱり。

「ご、ごめんなさい。聞いていた通りの反応だったものだから」
必死に笑いを堪える様子を見ると、変な脱力感を感じてしまう。
御三方とも、真面目な顔と雰囲気を保っていれば、気後れする程の威厳を感じるのに。
何と言うか、勿体ない。
「……そういう所、皆様って本当に良く似てます」
と、呆れたように溜息を吐いた時。玄関の方から、鍵を開ける音が微かに響いた。
――――誰かさんのご帰宅である。


予想はしていても、いざとなると判断は鈍るもので。
引き攣った笑みを浮かべた二人は、無言のまま顔を見合わせていた。










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藤桜 ― 冬 ― 第三話

2009/01/10 19:59
それを眠り姫と称してしまっては、些か表現が足りないだろう。
確かに、彼女の眼は閉じられたままだ。
相手を真っ直ぐに見つめる印象的な瞳は、もう何日もの間、外界を捉えていない。

それでも――周囲の気配を、微細に感じ取っている事は分かるのである。

妹を含めた元同僚、かつての上司や医務官等。一定以上の力を持つ者たちには、頑なに気配を沈めた。
以前は、少なくとも脅威に感じた者への能動的な反応があった。それは身内すら例外ではなかったはずだ。
今は何一つ無い。
ただひたすらに『拒否』を示す理由は、誰にも拳を向けたくないという事なのか。
泣きながら妹がそう呟いたのを、居合わせた幾人かの者が聞いた。

親や主治医の先生、更には所属部隊の同僚数名。力の無い者、または力の劣る者に対しては、関心を示さなかった。
無関心とは異なる、穏やかで自然な沈黙。
脅威と成り得ぬ存在には、注意を払う必要がないからだろうか。
あるいは、安心しているのか。
心許せる存在は、彼女の平穏を揺るがさない。
それは納得の出来る理由ではあったが、寂しい結果であるとも言えた。

彼女は、眠る。
外界に対する認識を切り捨て、閉じた世界に意識を置いたまま、昏々と眠っている。
何も出来ない苛立ちを抱え、それでいて現状を十二分に理解していたからこそ。
半ば諦めながらも会わせてみた者に、『その話』を聞かされた時。某医務官は、表現しがたい笑顔で立ち尽くしたのだろう。
呆けたのでも、途方に暮れたわけでもなく。

まあ、要するに。
納得いかないなあという表情で。





確かに、欺瞞だった。
客観的な視点を求めたとしても、自分はスバルではないのだから。

恐れていた痛みは訪れなかった。
何かで殴られたような衝撃は感じたが、どちらかと言えば――放り出された感覚に近かった気がする。
必死にしがみついていた場所から、蹴落とされたような。
と言うよりも、まさしく蹴っ飛ばされたのだろう。淡々と放たれた言葉には、それだけの威力があった。
その本人が意図した以上の優しさは、感じ取れたと思うのだけど。
「でも、やっぱり痛い」
鈍く痛む頭を押さえながら、彼女はじたばたと起き上がった。
膝を抱えるように座り込むと、恐る恐る眼を開ける。
白い部屋。
壁も床も無いのに、何故か白いのだと分かった。何度も訪れた、おなじみの場所だ。
「え……と」
何も考えられずに見回すと、それに誰かが気付いたらしい。

『さて、どうなったかな?』

「聖さま?」
慌てて振り向いたが、やはり誰もいない。
「気のせい?」
『お、いつもと違う感じがする』
小首を傾げた途端、何故だかやたら嬉しそうな声が聞こえた。何も無い虚空から飄々と。
いつも通りの気楽な口調に、何故か理不尽さを感じる。
「どこにいるんですか? 私はいったい」
『そりゃこっちの台詞なんだけどね。……どうやら、今回は話が通じそうだ』
何を納得したのか。のんびりとした口調は、急に真面目なものへと様変わりした。

『私は、貴女の目の前にいるよ』
「え? でも、だって」
『いいから聞きなさい。そして、ベッドで横になった貴女は、私を見てる。こうやって会話もしている。だけど』
「だけど?」
『やっぱりナカジマさんは、ここには居ないみたいだね』
先程とは異なり、聖は諭すような口調で語り掛けた。



『おまたせ。葉が開き切っちゃうと苦いから』
しばらく沈黙が続いたと思ったら、どうやらお茶のお代わりを持ってきたらしい。
今自分のいる部屋は、かなり広いマンションの一室だそうだ。
お姫様が使うような豪華なベッドに寝ているとの事だが、無論実感は無かった。外界を全く認識出来ないから。
その割には、聖の声だけ聞き取れるのは何故なのか。
(考えたって、きっと無駄よね)
理屈ではなく感覚で悟ると、ギンガは腹を据えた。
どうせ、聞きたい事は山程あるのだから。

『あのお店で、食事したのは覚えてる?』
「あ、はい。覚えています」
『あの後、夏に花火をした時みたいに倒れちゃってね。しばらく待ってみても、全然起きないし』
周囲に、酒に酔ったと取り繕うにも限度があった。
まさか閉店まで待つわけにもいかない上に、医者も呼べない。
それに、このままでは自分が呼ばなくても呼ばれそうだ。
困った聖は、ギンガのポケットから携帯を引っ張り出すと、先程の通話相手に連絡を取ってみたのである。
『そしたら、アリサさんって人がもの凄い勢いで迎えに来てさ』
「あー……」
『で、連れて行っちゃった。その後の事は聞いてないんだけど』

親友のフェイトから事情を聞かされていたアリサは、一晩様子を見ることにした。
だが。聞いていたのとは異なり、朝になっても起きる気配が全くない。
動揺したアリサは、慌ててフェイトの実家であるハラオウン家に連絡を取り、その結果として母のリンディが対応する事になる。
主治医であるマリエル技官を迎えに行ったのも彼女だった。
強力な魔導師である自分が近付くのは問題がありそうだと、直接連れて帰るのを躊躇ったのだ。

『何日か経ってから、例の――えーと……コスプレお姉さんに呼ばれたんだ』
「もしかして、シャマル先生ですか?」
『そう、その人』
「……名前、覚えましょうよ」
『いや、まあ。とにかく、近くのホテルにナカジマさんが寝かされててさ。会ってみたら、前と同じっていうか』
それが、単なる寝言じゃない事は知っていた。
自らの体験を観察するような、不可解な視点と――理不尽な思い込み。
必ずというわけではないのだが、どちらかと言うと、以前よりも話が聞き取りやすかった。
その結果判明したのが、ギンガの認識が一定の時間を繰り返しているという事実。

何故、聖に彼女が応じたのか。それは誰にも分からなかった。
唯一答えを出せそうなのは本人だけで、残念ながら彼女以外には何の反応も見せてくれない。
家族、友人、同僚。それら全て。
選択の余地が無いことは、誰の目にも明らかだった。
同じ事を何度か試した結果、決断を下したのはスバルである。
ちなみに。
リリアンの近くに部屋の手配を行ったのは、微妙な自責の念に駆られたアリサだったそうだ。
親友から頼まれた結果がこの有様では、どうにも夢見が悪いとのこと。
如何にも彼女らしい責任感と言えた。

『それで、私が帰りに寄ってみるって事になったわけ』
「はあ」
『毎日ってわけじゃないけどね。それでも、一通りの話は聞けたかな』
主観、客観、その他様々な視点で語られる話は取り留めなく、特に向こう側の話はほとんど理解出来なかった。
それでも、会ってからの事については、ほぼ全てを把握している。
分かる部分で話し掛けている内に、何となく会話が成立する機会が増えていった。
『向こう側については、お父さんの話くらいは分かったんだけどね。それ以外はさっぱり』
「あの、シャマル先生やスバルが説明したりとか」
『私の方が聞かなかった。詳しく聞いちゃいけないと思ったし、何よりもナカジマさんが言わなかったじゃない』
だったら聞く必要なんか無いじゃん、と聖は笑った。

ギンガは、何も言えなかった。
興味はあるはずだし、異なる世界に関わっているという不安があってもおかしくない。
しかし、そんな感情は全く感じられなかった。
極自然に、必要な事だけを割り切って。自分の為に行動してくれている彼女。

思わず唇を噛み締める。
素直に泣いてもいいと思ったが、そんな暇はない。
何故なら。
『さて。いつも通りだと時間が無いはずだけど……もう少しお話をしようか』
「はい」
優しげな――でも怒りを押し殺したような声に、彼女は深々と頷いた。




あの時、彼女は同じ所を回っていると言った。結論だけ捉えれば、それは真実だ。
夢かもしれないと弱音も吐いた。無論、それも真実である。
だからこそ不安を抱え、結末を決め付け、与えられる証拠に縋り付いたのだろう。

春から幾度となく感じた聖の気配は、会う前の思い出にすら、影の如く付きまとった。
過去の自分に触れる、初対面の風変わりな女性。
そこから得られたのは、漠然とした疑問。
だが、想像で造り出した人格にしては、意外性があり過ぎた。いっそ理想の王子様の方がありそうに思えるくらい。
引っ掛かりはしたが、まだ眼を瞑れる程の些細な事だった。

むしろ気になったのは、何故あんな場所で迷子になったのかという事だ。
次元間移動で、全く情報の無い場所に転移することは有り得ない。自ら望むか、大きなトラブルでもない限り。
思い起こせば、明確な理由はあったのだろう。
問題を抱えた自分を、同僚や先輩たちはあれこれと面倒を見てくれた。
恩人の執務官が誘ってくれたのも、純粋な好意だったはずだ。
しかしながら、それは彼女に負い目を感じさせた。迷惑を掛け続けることの、深い自責と言い表せない悔恨。
誰にも迷惑を掛けることのない、そこじゃないどこかへ。
自身の気付かぬ内に、そう考えたとしても――仕方がなかったかもしれない。

あの暑い夏。
妹から聞いた事が、以前からの不安に明確な理由を与えた。
初めて訪れたはずの世界で、何故あの場所を選ぶことが出来たのか。
会った事もない人が、何故昔からの知り合いなのか。そもそも本当に存在している人なのか。
いや――自分が見ている光景は、果たして現実なのか。
その答えの、前提が成り立ったのだ。
自分と愛機のデバイスは、この世界に来たことがない。その事実がある故に、未知の体験に真実の重みがあった。
だが、情報という名の『経験』は、既に手元にあったのである。その情報に基づいて、現実に似せた虚構を築く手段もある。
それが過度な思い込みに過ぎなかったとしても。
少なくとも、彼女はそう思ってしまったのだ。

自らの不安を、自ら積極的に強化する。融通の利かない生真面目さが、一つの方向に走った結果。
秋を迎える頃には、既に後戻り出来ない状態になっていた。
非現実感が己の四肢に対する信頼を削り、周囲の優しさと穏やかな時間が、虚構に説得力を与えたのである。

そして、彼女の世界は閉じた。



問題は、それがいつからだったのかという事になる。

「白い薔薇を見ました」
『咲いてたね、確か。その後、ぐるぐる回ってるって言ったのも本当』
「お手洗いに行ったのは」
『それも本当だけどさ……変なこと覚えてるなあ』
「それから、右手を――」
そう口にしたギンガは、慌てて右腕を掴んだ。
今は、ちゃんとある。
触れた感覚もしっかりあるのに、何故だろう? 追い詰められる様な不安が、徐々に大きくなっている事を感じた。
多分、ここからだったはず。最後で、全ての始まり。
分かっているのだ。
自分の何処かが未だに疑ってるのは、我ながら度し難いと思う。
この状況だって、これまでと何ら変わらない嘘かもしれない。第一、聖とだけ話が出来るなんて、絶対におかしい。
理屈が成り立たないし、理由だって説明出来ないと思う。

だけど、今は理由が必要だろうか?

『そろそろじゃない?』
「分かってます」
ギンガは、ゆっくりと顔を上げた。
目の前にあるのは、組み上がったままの真っ白な板。
これから何かを描く為の物に見えて、実はそれこそが結末である白いパズル。継ぎ目なんて全くない。
以前のように引っ繰り返しても、やり直しが出来る保証はなかった。出来たとしても、同じ結果を導くかもしれない。
もしかしたら、未来永劫?
「でも」
そっと手を伸ばして、触れてみる。
どこまでも続く平らな面。
しかし、やっぱり『そこ』だけに抵抗を感じた。指先への僅かな手応え。
どうやっても動かせなかった、始まりの一欠片。
(……これが)
自分が最後を迎えたのだという、結末の証。
虚構の根幹。

『一応、最後に言っておこうか』
遠くなりつつある声が、悪戯っぽい口調で囁く。
『貴女と遊んだのは全部本当。だけど、それは一周目だけ。それ以降については知らないよ』
「え?」
『だって、私の体験は一度きりだもん』
「それはそうでしょうけど」
『知らないって事は、やっぱり嘘かもしれないね。と言うことは、これも嘘かもしれないなあ』
「ちょ、ちょっと待って下さい。今更そんな」
『そうすると、今の私は、もう二度と会えない人ってわけか。何せ夢の住人だし』
「あの!」
『それじゃ、こっちは気楽に待ってるから。ナカジマさんも、気長に頑張ってねー』

「気楽にって、聖さま!?」
いっそ無責任と言っていい程の声は、実に軽薄な調子で消え去った。



「…………」
彼女は、ふらふらと立ち上がった。
呆然と辺りを見回してから、今の誰かさんとの大切な思い出を呼び起こす。
桜。
あの街の道々を飾った桜並木。
学園の見事な桜。
山腹で見上げた幻想的な夜桜。
それから、妹たちが模擬戦を行った場所で、盛大に咲き乱れていた名も知らぬ花。

名も知らぬ――つまり初めて見た桜と、そこで何故か感じられた聖の気配。
それが、嘘?

「えーっと」
それこそが切っ掛けだったような気もしたが、あんな風に言われてしまっては、考えること自体が間抜けな気がする。
長いこと視線を彷徨わせてから、もう一度それを見下ろした。
起きた出来事は本当。でも、思い出は嘘。
だとしたら。

『あの時』から、自分は閉じた世界の中で過ごしていたことになる。

(いったい、何周目からだったんだろう)
無性におかしくなって、彼女は笑った。
聖との出逢いを大事にするあまり、自分で虚構を織り交ぜてしまったのだ。
順番がバラバラなのも、整合性が保てないのも当たり前だ。その虚構にしがみついて、結末だけを決めてしまった。
自分で出口を閉じたくせに。
その狭さが嫌で、色々な思い出を並び替えて、継ぎ足して。
何と言うか、もう馬鹿馬鹿しくて涙も出ない。

第一、ある意味で嘘ではないのだ。
自分が同じ所を回っている間、聖はずっとそばに――この部屋にいたのだから。
気配を感じるのは、当たり前ではないか。
「えい」
笑いながら、それを適当に蹴り上げる。
あっさりと宙に舞う無数の欠片。

その一つを、ギンガは無造作に掴み取った。
「要するに。これを最後にしようとして、必死に理由を探していた訳よね」
確かに、あの怪我で自分は死んだと思った。そんな動かせない結末の為に、周りを並べていたのなら。
今度は、これを始まりにしてみよう。
「いいじゃない。何回死にかけたって」
運が良い方とは思わないから、これからも似たような目に遭うかも知れないけど。
(たまには、こんな出逢いがあるんだから)


緊張感のない笑顔を浮かべた彼女は、その一欠片を気楽に置いた。
今度こそ、自分の意志で。










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藤桜 ― 冬 ― 第二話

2009/01/03 00:00
「ここ……ですか?」
「うん」
可南子は、不可解そうな面持ちでそこを見上げた。
何の変哲もないマンションの入口。先程の店から五分程歩いた場所である。
外観は瀟洒と言うより堅実。内部に入る為のキーはパスワードではなく、静脈認証という所が新しさを感じさせた。
八階建てとそう高くはないが、道路からの距離を含めて余裕のある敷地取りをしている。
バルコニーの広さからすると、おそらく各部屋の間取りも相当なものだろう。
「いやー、助かった。さすが運動部員は違うね」
荷物を引き取った聖は、感心したように頷いた。
「いえ。これくらいなら大した事はありませんから」
「そう言えるところが現役の証拠じゃない?」
「はあ」
曖昧な表情を浮かべる可南子。
本当に負担とは思わなかったので、感謝される程の事をした実感が湧かなかったのである。
実際、かさばった事は間違いないが、その原因は過剰気味の断熱梱包だ。重さ自体は大したことはない。
体格を生かして両手で抱えてしまえば、背中に回した自分の荷物の方が重く感じられるくらいだった。
「ごめんね、付き合わせちゃって。バスを待ってたんだよね?」
「私から言い出したことです。それに、今から戻ればちょうど次のバスに間に合いますので、大丈夫です」
「そっか。じゃあ、いつか必ず埋め合わせするから」
「どうぞお構いなく。それでは、失礼します」
手を振って扉の奥に消える聖を、彼女は会釈して見送った。


(結局、よく分からなかった)
振り返ってみても、やはりマンションはマンションである。ただの集合住宅で、先程の『お墓参り』とは結び付かない。
ポケットからホットレモンティーのボトルを取り出すと、少し口に含んだ。
大した時間は経ってないので、ちょうど良い案配。
荷物を運んだことで身体も暖まったから、あのままコンビニで暖を取るよりは有意義だった。

バス停へと歩き始めた彼女は、抱えた疑問に意識を傾ける。

短い道中、多少なりと話は聞けた。
聖が向かった一室は、現在とある大企業の社長令嬢が借りているらしい。
別に家庭内で不和を抱えている訳ではなく、会社の借り上げ社宅制度で確保していた場所を、一時的に利用させてもらっているそうだ。
令嬢などという存在自体は、リリアンでは珍しくもない話で、その人と聖が知り合いだとしても不審な点は無い。
しかし。
ほとんど話もした事がないとなると話は別だ。
聞いた時は一瞬理解出来なかった。
インターホンで呼び出さず、自分で開けて入っていったという事は認証登録済み。単なる客人とは異なるはず。
そこまで親しいのに、部屋の主とは僅かな面識しかない――そんな事が有り得るのだろうか。
本当は親しいが、滅多に会えない?
一人暮らしなのに?
いや。話をしないからって、会っていないという事にはならないかも。

先程のあれが、悪趣味な冗談だったとすると。
「もしかして、実はお見舞いってこと?」
現在、何らかの大病を患っていて、ほとんど会話出来ないとか。
が、その場合は、あの荷物が納得いかない。
第一、病院ではないのである。自宅療養が可能であれば、ああいった表現を使う可能性は低いと思う。

それ以前の話として、だ。
元白薔薇さまが、病気や人の生死を冗談にするような人とは思えない。
だから、目的地がマンションだったとしても、目的は言葉通りだったのだろう。

考え込みながら歩いていた彼女は、やがて無造作に足を止めた。
後方から重量のある物が近付く気配。バス停に記された時刻を、ちょうど腕時計が指し示している。
ふっと溜息を吐いてから、可南子は軽く首を振った。
「考えても仕方がないのかしら」
停まったバスに乗り込みながら、改めて実感する。

薔薇さま方は本当に素敵だけど、たまに――どこか手の届かない遠い場所に行ってしまうことがあるらしい。
以前、現紅薔薇さまに言われたような遠い星に。
まあ、つまり。
地上の自分たちに理解出来ない事があっても、それは当たり前ではないだろうか。


      ◆   ◆   ◆


彼女の葬儀は、参列者の数と比べれば質素なものだった。

任務中の殉職ではなく、休暇中に独断で行った調査での事故死。
それも、人目に触れないような場所である。
発見されたのは二週間以上経た後であり、消費された時間や人員を考慮すると、部隊に与えた損害は大きかった。
時期が時期だけに、新たな犯罪絡みかと推測されての大々的な捜索。
ただでさえ人員不足に陥っている昨今、自分勝手な行動で各所に迷惑を掛けたという事実は、記録にも残る。
何ら功績を残したわけでもなく、逆に犯罪者に利用され、少なからず荷担した経歴を持つ者だ。
例え被害者であったとしても。特異な体質を本人が理解していたのであれば、最初から捜査官などにならない方が良かったのである。
故に。
死は自業自得であり、知人以外からは同情の声など上がらなかったという。




桜舞う春。

久々に休暇を貰ったスバルは、以前訪れた学園に足を運んでいた。
姉が亡くなってからさほど時を経ていない。それでも、自分を含めて周囲の者たちの立ち直りは早く、既に過去の話となりつつある。
今は週に一度お墓参りをしているが、仕事が忙しくなったら月に一度、年に一度となるはずだ。
実際、最近はまた仕事が押してきている。

今日こちらに来たのは、溜まっていた休暇を消化する為だった。
向こうと違って、自分を知る者がいないのは気楽でいい。

「ここですよー」
「あーごめんごめん。ちょいと遅れた」
待ち合わせ場所に現れたその人は相変わらずで、気さくに挨拶をしてくる。
「久し振り。今日は一人?」
「はい。ちょっと臨時でお休みを頂いたので」
「向こうで何かあったの?」
「まあその……色々と」

「色々かあ。お仕事、大変なんだね」
その人は近くの桜を見上げた。
無限の花弁に包まれた豪奢な天蓋が、視界一杯に延々と続いている。
まるで、広大な地平線を全て埋め尽くすかのように。少し異様だとも思ったが、以前見た時もこうだったかもしれない。
「しがらみを捨てて、何も考えずにのんびりするっていうのも、たまにはいいと思うよ」
「説得力のある言い方ですね。いつもしてるから――だったりします?」
「こら」
調子に乗ったスバルを小突くと、彼女はさっさと歩き出した。
「どこに行くんですか?」
「いいところ」
「いいところって? 変な所は困りますよ」
「つべこべ言わない。ほら、置いてくよ」
「あ、はい」
小走りで後を追いながら、スバルは苦笑いを浮かべた。
やっぱり、この人は少し意地悪だ。



ふと気が付くと、どこかで見たような店に停まっていた。
こちらの世界の車は、燃料を特定の施設で補充しないと走れない。
独特の匂いが漂うガソリンスタンドで、どこかで見たような店員さんが笑っている。多分、携行缶を借りた時の人だろう。
もっとも、借りた覚えは無いのだけれど。
「ちゃんと入れておかないと。途中でガス欠になったら悲惨だし」
「そうですよ。今度こそ騒がれちゃうかもしれないですから」
「今度こそ?」
「……あ、いえ、何でもないです」
問われたスバルは、間抜けなことを言ったと気付いて、あたふたと手を振った。
来た事もない場所で訳の分からない想像をしている。考えてみると、あまりにも情けない。
さっきからどうにも注意力が散漫だ。
何をしたいか、何をするつもりなのかは分かっているはずなのに、これでは寝ているのと同じである。
「よし。じゃあ行くとしますか。どうする? 途中で何か食べていく?」
「お腹はそんなに空いてないんですよね。だからケーキとかなら」
「ケーキバイキングって手もあるけど、少し戻らないといけないか。……時間も間に合いそうにないよ」
「だったら、またの機会でいいですよ」
「そうは言うけど、なかなか会えないしねえ。帰りに寄ろうか。夜もそれなりって話だよ」
「あそこのお任せコースって、今日は何でしょうね?」

「今日は?」
「あれ?」
つくづく思うのだが。
今日の自分は、本当に間抜けである。



暗い山道を車で登っていくのは、様々な意味で風情がある。
仕事上は浅海や多層構造の船内に潜ることが多い為に、ゆっくりと細道を進む雰囲気には、既視感と新鮮さの両方を感じられた。
生い茂った広葉樹林。徒歩で行けば過剰な程の森林浴が味わえるだろう。
常緑ではないから、他の季節には別の色に染まるはず。
無論、この辺りの秋は見たことが無いので、想像は出来なかった。
学園の銀杏並木だけは、直ぐに思い描けるのだけど。

「ほい、到着」
「うわ」
車から降りたスバルは、大きく目を見張った。
山腹の開けた場所。閑散とした雰囲気を、たった一つの存在が全く違う物に塗り替えていたからだ。
見たこともない程の巨大な桜が、山間の風に揺らいでいる。
高さも枝振りも尋常ではなく、その規模は山一つに相当するのではないか。
現実離れしているとは思ったが、実際そう見えるのだ。
葉擦れの音も、まるで嵐の如く鳴り響いている。

更に。
「まるで、雪みたいです」
「桜吹雪って言うくらいだからね」
辺り一面に舞い踊る、淡い色。
降り積もった分で、足首まで埋まりそうだ。大地を覆う天然の絨毯。
「本当に凄いです。あたし、こんなの初めて見ました」
「そっか」
満面の笑みを向けると、彼女は嬉しそうに頷いた。
それを確認してから、スバルはもう一度周囲を眺める。心に染み込む程の圧倒的なこの光景。
素晴らしいの一言では言い尽くせない。何かいい表現方法はないかと考えるが、残念ながら思い付かなかった。

思い付かない?

(何だろう……何かが違う気がする。凄いことは凄いんだけど)
だけど――何となく物足りない。
明るい陽差しの下で見る風景には、それなりの良さがある。それは充分に分かっているけど。
だったら、夜は?
星明かりに映し出された桜。それが生み出す静謐な時間。
不思議な郷愁を感じて、スバルは思わず口に出した。
「ここで、ずっと待てば……」
「夜になるね。暗い中で見る桜もいいもんだよ」
「でしたら!」
そう、夜まで待てば、もう一度あの光景を見られるかもしれない。
そんな期待の色を溢れさせたスバルに、

「でもね。夜が来る前には、夕焼けがあるんだよ」
どこか素っ気ない声が、言葉を紡いだ。




何時間経ったのだろう。
陽は傾き、風は冷たくなった。桜は散り続け、視界は一色で塗り潰されている。昼過ぎから、既に半日以上過ぎたと思う。
しかし、何故か夜の帷は訪れなかった。
(何でだろう)
心の中に疑問が浮かぶ。おかしいな、と思う気持ちはあるのに、当然だと納得する自分がいる。
それ以前に、自分――スバル・ナカジマは、こんな風に途方に暮れたりするだろうか。
疑問を前にして、足踏みしたりするだろうか。
違うのなら簡単だ。答えてくれる人に聞けばいい。答えてくれないと分かっていても、自分は聞くはずだから。
「……何で」
「ん?」
小首を傾げる相手に対し、嘆くように問い掛ける。
「何で、夕方にならないんでしょうか」
「そりゃあ」
簡単でしょ、と彼女はあっさりと肩を竦めた。

『貴女は、ここの夕焼けを見ていないもの』

「見て、ない?」
『そうだよ。夕焼けが綺麗だった時間、ずっと寝てたでしょ。寝不足だって言ってさ』
「寝不足……そんな事は」
『言ってました。覚えてないって事は、やっぱり言い訳だったんだ』
「でも」
尚も言い張ろうとしたスバルは、今更ながらそれに気付いた。
あの人の姿が、どこにも無い。
数瞬前まで会話していた相手が、いつの間にか居なくなっている。

『まあ、確かに。私に会う前に亡くなった人が、私に会える訳はないよね』
呆れたような、困ったような笑いの中に、僅かに感心を織り交ぜて頷く気配。
『どんな状況でも、客観的に見られるのは立派だけど、あまりいい趣味じゃないね。自分のお墓参りって』
「自分のって」
『もう何回目かな。スバルちゃんはそんなに淡泊じゃないよ。きっと何度だって大泣きすると思う』
深い溜息を吐いた後、声は続ける。
『あの子は捜してるよ。貴女と会える方法を一生懸命調べて、考えて。貴女をずっと捜してる』

「捜している?」
そんなはずはない。
だって、あの子が言ったのだ。他の人達だって、みんな同じ事を言っていたはず。
『私』は、ここにいる。ここにいるんだって。
いつも言ってくれていたのだから。
「だから――」
『……ああ、そうか』
抗弁を遮るように、相手は言葉を続けた。
『やっと分かった。つまり、貴女は――――ってこと』

「!」
その声が耳に届いた時。一瞬、意識が真っ白になった。
混乱と衝撃で、胸が苦しくなる。自分自身が壊れてしまいそうな、圧迫感と激しい痛み。
もう一度聞かされたら、どうなってしまうか分からない。
そう震える彼女に。


『もう一度言うよ。ナカジマさんは、ここにはいないんだ』
無慈悲にも、声は淡々と繰り返した。










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藤桜 ― 冬 ― 第一話

2008/12/31 00:00
師走も初旬を終えようとしていた頃。
腰まで届く長い髪を揺らした彼女は、ふとコンビニの前で立ち止まった。
学園前のバス停に一番近い店である。
徒歩でここまで帰ってきたのはいいが、時刻表は三十分近い待ち時間を示していた。休日の昼時は、こんなものかもしれない。
普段なら待てる程度の時間だが、今日はそうもいかなかった。

寒い。とにかく寒い。

マフラーを持ってこなかったのが失敗だと思う。
最近気に入っている物がクリーニング中なので、週明けまで我慢出来ると思ったのだが――これは少々厳しい。
朝のテレビで、寒波がどうの放射冷却がどうのと言っていた気もする。

(雪が降りそうな天気)
細川可南子は、低い雲で覆われた空を見上げた。

昨晩電話をくれた父親の現住所は、既に大雪になっているそうだ。
向こうと比べれば遙かに暖かいとしても、都心はビル風が強く、体感温度も数字通りとはいかない。
時刻はそろそろ正午に差し掛かろうというのに、未だ気温は一桁半ば。
風速を考慮したら、気分はもう氷点下である。外出は控える方が賢明だろう。

とはいえ、用事があったのだから仕方ない。
大型書店での目的は、既に達成済み。
部活関連の書籍を買い求めたのは良かったが、ここまで冷え込みがきついとは思わなかった。
どこかで少し暖まらないと、部活でこしらえた肩の打ち身に響きそうだ。
(でも、喫茶店に寄るわけにもいかないし)
昼は家で食べるつもりで出てきた為、食事して帰るのも問題がある。
休日のデパートで人混みに揉まれるのも面倒。
コンビニに立ち寄るくらいが丁度良いわけだが、入るのは何となく躊躇われた。

その理由は――まあ、些細な事だ。

荷物は重い本数冊だったから、部活で使っているスポーツバッグを持ってきたのは必然として。
この寒空の下では、ロングコートは正解だったと思う。ベージュのトレンチにしたのは、一番厚手だったから。
それでもジーンズだけでは寒かったので、一番頑丈なブーツを選んだ。
ヒールが七センチ近くあるのは、この際我慢。プレゼントしてくれた『母』に悪いからと、ずっと取って置いた物だ。
結果的に、こういう日は本当に助かる。首回り以外は完全装備。
いつもだったら、もう少しは服装に気を配るのだが、今日は寒さ対策しか考えなかった。
おかげで、地味な上に無愛想極まりない格好に仕上がっている。

さて。
高等部一年の時点で、既に身長が一七九センチだった自分。
現在はバスケ部所属の、あと数ヶ月で進級となる二年生である。当然ながら成長期真っ最中。
それにヒールの分を足すと、視点はどれだけ高い位置に来るのであろうか?

(計算したくないな)
身長の単位が繰り上がらないだけ、マシかもしれない。
分かってはいても。擦れ違う人たちに次々と驚きの眼で見上げられるのは、正直気分が良くないのだ。
身長に加えて、この格好だと変な迫力を感じるらしい。失礼な話である。
とにかく。
寄り道せずに早々に帰宅しようとは思うのだが……やっぱり寒い。
「ちょっとだけ寄っていこう」
ついでに、ホットティーと使い捨てカイロでも買えば、自宅までは保つだろう。

店内に入ると、いつもと同じく店員や数人の客から視線を感じた。
この程度なら気にする程でもないので、店内をぐるりと歩くことにする。買うつもりのない化粧品に文具。
雑誌のコーナーを通過する時に、足元に置かれた大きな荷物に気付いた。
この冬空には全く似合わないもの。
何となく、雑誌を立ち読みしている持ち主に眼を向けると、相手の珍しげに見上げてくる視線と合った。
反射的に顔を逸らそうとして、
「あ」
「おや」
同時に零れる、驚きの混ざった呟き。
お会いした回数はさほど多くはないものの、この端正な顔立ちは忘れようがない。

「おひさ。夕子ちゃんは元気?」
「おかげさまで。――佐藤聖さま」
あっさりとした挨拶に会釈を返した後、彼女は深々と頭を下げた。



「何度か顔は見てるけど、こうして会ったのは久し振りだね。学園祭以来?」
「はい。その節は、大変お世話になりました」
「私、何かお世話したっけ?」
疑問符を浮かべる相手に、可南子は指を立てた。
「ほら、反復横跳びの」
「……あー、匿った時のあれか。懐かしいな」

目を細める彼女の名前は、学園祭で会った夕子先輩――今の母親に聞いた。

二歳年上の先輩、細川夕子はリリアン出身ではない。
彼女は、高校一年の時に可南子の父親の子を宿して中退し、出産後は夫婦揃って新潟で暮らしている。
父親は可南子の実母と正式に離婚した後、実家の農業を継ぐことにしたからだ。
その辺りの紆余曲折の結果として、可南子は同居を選ばずに残っている。
当然ながら、夕子がこちらに来ることは滅多に無い。気軽に往復するには新潟は遠過ぎた。
ところが昨年、後輩こと義理の娘を訪ねた学園祭で、聖と僅かな縁が出来たのである。

「皆様方のおかげで、誤解も解けました。あの時、夕子先輩と会わせて頂いたおかげです」
「それについては、私が第一発見者じゃないからね。蓉子に伝えておくよ」
軽く手を挙げた聖は、思い付いたように向き直った。
「コンビニで立ち話ってのもあれだしさ。暇なら、いっそお茶にする?」
「それは、まことにありがたいお誘いなのですが」
「あ、用事があるの? そりゃ残念」
「すみません」
「別に謝ることじゃないっしょ。ま、そういう事なら、私はそろそろ行くとするか」

重そうに荷物を持ち上げた彼女は、持っていた雑誌をレジで精算した。
何故か、似つかわしくないパズルの本。

「このお店に、よく寄られるのですか」
「最近はね。今日は車を家族が使ってるんで、バスで来たわけ。――よいしょっと」
「重そうですね」
「ん。でも近いから」
「近い……もしかすると、大学に運ばれるのでしょうか?」
「いーや、ちょいと訳有りな場所でさ。リリアンの直ぐ側には違いないけど」
意味ありげな笑いに引かれて、可南子は何気なく聞いてみた。
「あの、何か重大なご用件とか」
「重大? まあ、そう言えなくもないような」
彼女は、多少気を持たせるような間を置いてから。

「何せ、お墓参りだから」



「……え?」
やたら楽しそうな調子で言われた内容に着いていけず、可南子はぽかんと口を開けた。


      ◆   ◆   ◆


食事を共にすること自体は悪くない。
日頃から仕事で世話になっている相手の買い物に、付き合うのも良いだろう。
試作料理の味見を頼まれるのも、ある程度以上の腕だと分かっている場合は期待が持てる。
しかし、それが全部セットとなると――如何に年齢を重ねても、些か腰の座りが悪かった。

「少し曇ってきましたね」
「そうだな」
「昨日は一日中良いお天気だったのに。でも買う物は買えましたし……今日は何がいいですか?」
「いや、んなこと言われてもよ」
助手席で窓の外を眺めながら、ゲンヤはこっそりと溜息を吐いた。
休日の朝から、妙に楽しげな執務官やランスター執務官補佐、最近は八神特別捜査官までが押し掛けてくるのは定番になりつつある。
自分との接点に共通項の無さそうな三人が、入れ替わり立ち替わりで順番に。
今回は娘の不在を聞いた執務官が、二日間連続で自分を連れ回している。

何故こうなったのかは、今一つ分からない。
以前、執務官が自宅に来た時に手料理を振る舞ったのだが、そこに二人の補佐官が怒鳴り込んできてからややこしくなった。

最初は、糾弾する声が響いていた気がする。
嘘を吐いてまで仕事を一人で抱え込む上司に対し、部下としては怒りよりも困惑や後ろめたさがあったはずだ。
ところが。
微妙な感情を持て余して訪ねてみれば、仕事の大先輩に手作り料理を御馳走になり、のんびりとお茶を啜っている。
これでは、言いたいことが山程並ぶのが当たり前だ。

玲瓏とした美貌のフェイト執務官が、嫌味や理詰め非難の嵐でへこむ姿は、ある意味で微笑ましい。
そこまでは、ゲンヤも横目で観察していたから知っている。
問題はその後で、彼がリビングの端に避難してからが本番だったらしい。
フェイトを糾弾するティアナに、もう一人が横から何かを指摘してから、空気ががらりと変わったのだ。
複雑な表情で俯く二人に対して、熱弁を振るうシャリオ・フィニーノ執務官補佐。
内容については特に注意を払わなかったが、随分と説得力のある事を並べたようだ。

その翌日以降、何故か――こうなってしまったわけである。
(どこから聞き付けやがったのか、最近は八神まで出張って来やがる)

「何を言ってたんだか、聞いときゃ良かったぜ」
「三佐? どうかなさいましたか?」
「こっちの話だ。……お嬢、前から言ってんだが、俺に味見を頼んでも意味ねえぞ」
料理なんざ大してやってねえんだ、と頭を掻くゲンヤに、フェイトはくすっと笑った。
「それでも、舌は確かじゃないですか。正直に評価して頂けるだけ嬉しいです」
「もっと他に適任がいるだろう。若い連中で暇な奴はいないのか?」
「もちろんいますよ。でも、年配の男性って、知ってる範囲では三佐だけですから」
若いとどうしても濃い味を好む上に、男と女では味に対する反応や表現が異なる。
そう言われてしまえば、納得出来ないことはない。
「ま、年寄りは口うるせえってのが相場だ。評価させる意味はあるか」
「年寄りって程ではないでしょう? まだまだ現役じゃないですか」
「そうは言うけどな。俺はお嬢の父親かって位の歳だぜ。さっきの店でも勘違いされたろ?」
「そ、そうですよね!」
不可解に頬を染める彼女に気付かず、言葉を続ける。
「しかもなあ……ここんとこ、娘の気持ちも分からねえバカ親でよ」

「ギンガが、何か?」
自嘲の響きを聞き取ったのか、フェイトも声音も変えた。
「ちょいと前から、変に上機嫌でな。料理やら洗濯やら、たかが家事一つでも気合いが違うのさ」
「確かに。この前お邪魔した時も、凄く楽しそうに料理を手伝ってくれました。何かあったんですか?」
「何かってえと、例えば何だ?」
「そうですね。嬉しいことがあったとか、待ち遠しい楽しみが増えたとか」
向こうの世界に出掛ける事も増えているから、何かに巡り会えたのかもしれない。
何にせよ、明るくなったのは良いことだ。
「最近は落ち着いてますし、これからはもっと良くなって――」

「そうじゃねえ。ありゃあ違うんだ」
ゲンヤは、表情を歪めて遮った。
娘は昔から、興味を示した事に真っ直ぐ走る所はある。人の話を聞かない強引さもある。
良い意味で単純明快な姉妹だ。近くで見ていれば、何を考えているのか大抵は読み取ることが出来た。
だが、知らぬ内に余計な演技力を身に付けたらしい。
「お嬢に気付かれてねえんだから、大根役者じゃなさそうだがよ」
「何か、隠してるんですか?」
「細かいことは知らんが、おそらくな」
父親としての勘である。
表面上は笑顔だが、色々と複雑な感情を抱えているらしい。自棄とまではいかなくとも、今までにない感情が垣間見える。
諦観――と言えるほど単純でもなく。
とにかく、見える部分が取り繕ったものである事は間違いなかった。

「……直接聞いてみたら、如何です?」
フェイトは、伺いを立てるような口調で問い掛ける。
「家族なんですから、素直に答えてくれるかもしれませんよ」
「その家族を、あいつは必要以上に意識するからな。自業自得なんて負い目を持っちまったら、言いやしねえよ」
「なるほど」
二人とも、申し合わせたように苦笑した。妹のスバルも、頼ることは知っていても寄り掛からない。
その辺りは、如何にも姉妹である。
「ギンガは、今日帰るんですよね?」
「その予定だな。昨日は向こうに泊まったんだろ? お嬢の知り合いの」
「そのはずです。アリサがいつも――と。少々お待ち下さい」
「おう」
運転しながら、他に意識を向けるフェイト。

おそらく緊急の思念通話が入っているのだろう。俄に表情が厳しくなる。

数分後、彼女は車を加速させながら呟いた。
「三佐、今のは母からでした。つい先程、地上本部に到着したそうなので、そちらに向かいます」
「リンディ提督が?」
厳しい表情に、ゲンヤは眉を顰めた。この来訪は聞いていない。
例え後方に控えていようと、楽隠居を決め込まない人である。
その提督が直接動かねばならない案件だとすると、洒落にならない規模が予想された。
「いえ、そういった事ではありません」
至急手配を、と通信機器に手を伸ばそうとした彼を、フェイトはやんわりと制止した。
しかし、否定した割には、声音の緊迫感は消えていない。
「母は、人を迎えに来たと言っていました」
「どういうこった?」

「……先程の念話の中身、正確には、母に連絡を頼んだ私の友人からなんです」
法定速度の超過を気にも留めず。彼女は、愛車を更に加速させた。




それが。
――――細川可南子が聖の言動に振り回される、およそ一ヶ月前の事である。










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藤桜 ― 秋 ― 第九話

2008/12/30 00:00
「バルディッシュ!」
「――――Sonic Drive」

「わっ!?」
ユーノは、反射的に防御魔法を展開した。
隣から膨大な魔力が吹き上がり、周囲の大気が激しく帯電したのである。
しかし、それも一瞬の事で、後は急速に平穏を取り戻していく。
親友に勝るとも劣らない強大な力が、狭い器の中に押し込められようと収縮しているのだろう。
器――それはフェイトの身体に他ならない。

真・ソニックフォーム。
フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官の現時点に於ける切り札であり、管理局『最速』の具現でもある。
ただ速さのみを求め。
人の感覚には納まらぬ世界に入る為、五感の強化と慣性制御、更には分厚い空気抵抗を排除する表層結界。
纏うバリアジャケットは薄く、外的干渉を一切考慮していない。
高速機動に特化した、艶やかなボディスーツ。
彼女だけの時間に潜るという意味では、ダイバースーツに近いのかもしれない。

魔導師として有数の圧倒的な魔力。
AMF――無効化フィールド等の抑圧要因も無く、全ての力を余すことなく顕したその姿は、根源的な畏怖すら感じさせる。
だが。
本来、このフォームの時は大剣か双剣にして使われるデバイスは、未だ戦斧形態。
無手の左拳は、指が白くなるほど握りしめられている。



「ユーノ!」
「は、はい!」
何故ここでと疑問に思う暇すら与えられず、ユーノは冷厳な声に意識を引き戻された。
それは友人としてではなく、謹厳実直な執務官としてのものだ。
「対象周辺を、出来る限り広範囲で上空に転送。移動後に気圧や温度変化の影響が無い様、周囲の大気を調整して」
「え? て、転送って言っても」
「それと、転送する際は負荷厳禁。相対位置を変えないこと」
「し、しかしフェイト」
「急いで! 準備出来たら、合図お願い!」

「りょ、了解!」
魔法を組み上げながら、彼は混乱した思考を強引に整理する。

おそらく最悪の結果となっているはずだが、それでも要救助者の状態は不明。
高層建築物の最下層に埋もれているから、救出は極めて難しく、また、それだけの人員を手配するだけの時間が有るとも思えない。
ましてや今の有様では。正直に言ってしまえば絶望的だ。
と、彼が詳細を伝えた直後、フェイトは力を解き放ったのである。

(可能性は、ほとんど無い)
対象の特異な体質については聞いている。
一般人よりも遙かに生存率が高い、極めて頑健な身体。――だとしても限度がある。
出来る限り広範囲との指示は、対象の『全て』を助けるつもりだからか。
該当箇所を上空に転送しても、膨大な質量を中空で支える事は出来ない。
確かに、一定量の重力制御は可能だが、落下速度の減衰を図る程度。
これ以上の負荷を防ぐ意味でも、ある程度以上は自由落下に任せるしかないが、その間に果たして救出が可能なのか。
戦斧で瓦礫を削り、魔力を纏った拳で砕く。繊細で、しかも時間を求められる作業。
如何に、彼女の速さが尋常でないとしても。
(……いや、悲観的になったら怒られるな)
ユーノは、弱気な思考を振り払った。
疑問や分析は構わない。
しかし、為すべき事を為さないまま悲観論など並べたら、最愛の人に怒鳴られるだけでは済まないのだ。
フェイトの親友は、常に全力で行動する人だから。

それでも、一つだけ疑問が浮かぶ。
(こんな一か八かの賭けに出るなんて、らしくないな)
如何に一分一秒を争うとしても、機会は一度。やり直しが利かないどころか、最悪の結果を確定することになりはしないか。
彼とて捕獲魔法を得意としているから、外殻の除去にも力を貸せる。
そういう意味での成功確率はそう低くないが、それでも賭けには違いない。
第一、自分の助力を計算に入れているようには見えないのだ。
横目で観察すると、こういった場面では最も冷静なはずの執務官の表情が、いつになく厳しい。
張り詰めているのとは異なる、余裕の無いそれは、明らかに焦燥に染まっていた。
(こんなフェイトは、最近見なかったな)
その時、夜風が小さな声を運んでくる。

「絶対に、連れて帰る……約束したから」

(ああ、そうか)
耳に届いた微かな呟きに、ユーノはようやく理解した。
友人を助けたいという気持ちは、もちろん本当だと思う。だけど、ここまで必死に動揺を抑えている姿は何故なのか。
その答えを得られたような気がする。
彼女は知っているから。
親が娘を失うという事が、一体どれほどの意味を持つのか。

(だったら、余計なことは考えなくていい)
全てを注ぎ込むと言うなら、自分も全力で応えるだけだ。
「フェイト!」
対象の相対位置と上空の座標を送ると同時に、転送を開始。
幾重にも重ねられた繊細な魔法が、その目的に向けて過不足無く実行される。

その瞬間。
一際輝いた金色の光は、残像すら残さず飛び立っていった。


      ◆   ◆   ◆


薄く、眼を開けた。

何が見えるわけでもないが、耳元の音を確認したくなったのだ。
声を出してみようかと思ったが、止めた。もう念話も使えないから、相棒の声も届かない。
が。

(あれ?)
本来、深い暗闇の中では、自分がどんな状態かは分からないはずだ。
それでも、上半身が瓦礫の僅かな隙間に入り込んでいる事は理解出来た。
耳元で囁きのような声を上げていた『彼女』の輝きが、周囲の狭い空間を照らしていたから。
(……ブリッツ、キャリバー)
最後に小さな光を残し、相棒のデバイスは機能を停止した。
今度こそ、完全な闇が落ちる。
ギンガは微かに唇を震わせたが、感謝の言葉すら出せそうになかった。一応、向こうで伝えたつもりなのだが、伝わったかどうか。
瞼を塞ぐ血は既に乾き切っているから、あれから相当な時間が経過したのだと思う。




些か動揺していたのは間違いない。
過剰な勤務で、気付かない内に計算外の疲労を抱えていたのも確かだろう。
粗雑な行動と、鈍い反応。全てが手遅れとなった。

石碑の如く立ちはだかった大きな瓦礫。その後ろにあった扉。
その隙間から見えた――白いもの。それを眼にした途端、身体は勝手に動いていた。
思い返せば、短絡もいいところである。
場所が場所だけに震動厳禁。デバイスのそんな警告もあったのだが、幾ら彼女でも素手で動かせる程の膂力は無い。
無造作に振り抜いたリボルバーナックルの一撃は、瓦礫をあっさりと弾き飛ばした。
その衝撃で扉も傾ぎ、広がった隙間から足を踏み入れた時。
彼女は、自分でも意外なくらい呆然と立ち竦んだ。

休憩室と思われる室内は、既に外と同様の有様だった。
壁は崩れ、天井も半ば崩落している。もしも扉を塞がれたのが先だとしたら、前兆を感じても逃れられまい。
もっとも、外部に連絡を取った形跡も無いから、崩壊はほぼ同時だったのかもしれない。

部屋中に散らばった貴重品や装飾品の数々。
量からして、相当の期間を掛けて集めた物と思われた。無論、本来の持ち主の不同意で。
状況を想像する事は容易い。
監視外区域。復興の遅れた立入禁止地区。かつては大都市の一部だった場所。
魔導師であれば探知されるかもしれないが、その素質の無い者達にとっては、極めて魅力的で安全な場所だったのだろう。
崩れそうな建物の最深部。
確かに、治安監視網の再構築が終わるまでは、誰の目にも触れまい。
それ故。
誰が探すことなく、誰に気付かれる事もなく。この人達は、ここでひっそりと今を迎えたのだ。

だから――やはり、あれは石碑だったのだと思う。
墓を暴く者には、それ相応の報いがあるという事なのか。

相棒の警告に対する反応は、自分でも呆れるほど鈍かった。
先程の僅かな衝撃が、辛うじて保たれていた建物のバランスを崩したのである。
単に建築材の寿命を使い果たしたという可能性もあったが、そうでなくとも、基礎部分の崩壊は建物全体に終末をもたらした。
室内にいなければ、もう少しどうにか出来たとは思うが、振り向いた時は既に遅かったのだ。

一気に崩れ落ちる上層部。四方を塞がれた地下駐車場跡に逃げ場は無い。
デバイスの起動はやや遅れ、防御魔法の展開も焼け石に水だった。
次から次へとのしかかる巨大な質量相手では、少々魔法が使えたからと言って、何が出来るわけでもない。
多少なりと悪足掻きをしたおかげで、即死だけは免れた。

もちろん、客観的には意味が無かったのだろう。
過負荷を考慮せず、限界まで支えてくれたデバイスは半壊した。自分もこんな状態では――とにかく、どうにもならない。
体調を含め万全の態勢であれば、天へ駆けながら遮る物を撃ち砕く事が出来たかもしれない。
自賛するつもりは無いけど。
それ以前に、こんな不注意自体が自分らしくなかった。
(一瞬、足が動かなかった)
捜査官として嫌と言う程に見慣れた光景に、何故あそこまで動揺したのだろう。
暗闇に浮かんだそれが予想外だった? 自分が思う以上に、精神まで疲労していたのか?
多分、違う。
(親子……だったのかな)
明白な体格差が、印象として残っている。
一体、どんな事情があったのか。それも今となっては分からない。同情すべき点があったのかどうかすらも。
ただ。
ギンガは、頬の痛みを思い出した。もうどこが痛いかなんて分からない位なのに、それだけは残っている。
父が、どんな気持ちで腕を振り上げたのか。
それが分かれば分かる程、いつまでだって痛いだろう。



(父さん、もっと怒るかも)
上の方で、何かが崩れる音がした。まあ、どれほど困った事態が起きているとしても、気にするだけ無駄である。
身体の大半が潰されてしまっているから、今更足掻く気も起きない。
狭い空間の空気も澱み切っている。
(そう言えば、志摩子さんはお父さんと喧嘩とかしないのかしら)
かなり傍迷惑というか面白い人のようで、一人娘の彼女は、悪意の無い悪ノリに振り回されたりしているらしい。
機会があれば、是非ともお会いしてみたかった。

……などと、先程まで見ていた人達を思い出す。
デバイスから伝えられる仮想空間データは、思考内訓練で限りなく実戦に近い経験を得る事を可能とする。
高町教導官に限らず、こういったデバイスを持つ魔導師なら、誰でも行っている事だ。
ただ、姉妹機と相互にデータ補完を行うナカジマ姉妹のデバイスは、提供する仮想空間の現実味が違う。
訓練以外に使用した事は無かったが、その気になれば本物と寸分違わぬ世界を与えてくれる。
実時間では数時間に過ぎなくとも、その世界では充実した時間を過ごす事が可能かもしれない。

例えば。
――半年以上の長きに及ぶ、別の次元世界との心温まる交流、とか。

(こんな事が出来るなんて、思ってもみなかったけど)
実際に体験させて貰ったのだから、これが『事実』なのだろう。
最初に、弱音を吐いたのは自分だったと思う。
暗闇に閉ざされた場所で。激痛に喘ぎ、救助を求めることも不可能と知った時。
悔恨と家族への謝罪を並べる中で、違う人生を過ごせていたら、と口にしたような覚えがある。
詮無い事と溜息を吐いた記憶もあった。
それ以降、朦朧となった意識が無防備だったのは確かだ。
相棒が、保有している膨大なデータを放り込んでも、何の抵抗もしなかったはず。
まあ、夢だと思えても仕方がない。

大半の機能を失ったブリッツキャリバーが、最後に選択したこと。
死を迎える主人に何かを与えたい。――そう考えてくれたのは、彼女にだって理解出来る。
残念ながら、ブリッツキャリバー自身が体験した内容では、現実以外の世界を用意出来なかった。
ミッドチルダを主な舞台にしてしまうと、少々の事では違和感を感じさせてしまう。
幸い、最近外部から得られたデータに、使用出来そうな物があった。
姉妹機マッハキャリバーが数日間に渡って蓄積した、ある都市近郊の風景。そこで交わった現地の人達。
それが。
(きっと、リリアンの薔薇さま方だった)
スバルはあの次元世界を何度も訪れたそうだから、四季の変化も記録していたに違いない。

信じられない、という気持ちもある。
デバイスの構築する仮想空間が、あんなにも現実感の溢れるものだなんて。

春に写真を撮ってくれた人。プロのような出来映えは素晴らしく、自分の部屋に何枚か飾ってある。
写真を届けてくれた人。素直で真っ直ぐな印象で、今は現役の紅薔薇さま。
その時のお茶会を開いてくれた人。眼鏡の奥は冷めたように見えるけど、実は細やかな世話焼きさん。
夏の海岸で、一緒に花火を楽しんだ人。相手の娘さんとは、上手くいってるのだろうか。
そして、秋。
現役の白薔薇姉妹に、黄薔薇さま。

一言で幻と言い捨ててしまうには、鮮明過ぎる記憶が残っている。
自分の願望が入り過ぎて、有りもしない人格を造り出したのか?
いや。多分、ほとんどは現実に即した事なのだ。
実際に会った妹が見た光景を。話してみて感じた人格を、忠実に違和感なく再現したのだろう。
だからこそ、自分が本当に会えたなら、同じような会話を楽しめたと思う。


『――――そうかなあ?』


(そうですよ)
心の奥から聞こえる、不思議と懐かしい声にギンガは笑った。泣きたいけど、笑った方が楽しいから。
パズルは埋まっている。
こんな結末を認めたくないから、完成させる事を何度も拒んだのだ。
だけど、幾ら先延ばしにしたって、今の現実が最後のピースであることに変わりはない。
桜の下で。
妹たち同僚の模擬戦を眺めた記憶は、今よりも遙か前。
それなのに、その時点で『あの人』の気配を感じていたとしたら、それは間違いなく虚構ということになる。
(だって、聖さまと初めて会ったのは、あの日なんだもの)
視界一杯に舞い散る桜の花弁。
例え嘘だったとしても、絶対に忘れられるはずがない。


『忘れてもいいよ。忘れたら、また行けばいいんだから』


(嫌です)
この期に及んで、意地悪な台詞だなあ、と思う。
本当は、悲鳴を上げたかった。こんな終わり方なんて望んでなかった。
幼子のように恐怖で泣き叫ぶとしたら、これが最初で最後の機会だったかもしれない。
でも。
相棒が与えてくれた楽しい記憶と、あの人の面影を感じてしまったら。




地の底の、深い暗闇の中で。
動きを止めた彼女の指先が、最後に一度だけ――何かを掴もうと土を掻いた。
かり、と小さな音が響く。

それは、口元に浮かんだ微笑みと同じくらい、ささやかなものだった。










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タイトル 日 時
藤桜 ― 秋 ― 第八話
技量は、相手の方が遙かに上だった。 ...続きを見る

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2008/12/29 00:00
藤桜 ― 秋 ― 第七話
以前、江利子が誰かのことを、 「人間の消えた楽園に住みたい」 と評した事実は、本人を除けば一人しか知らない。 聞かされた当の志摩子も、本当の意味で理解したのは後々になってからの事である。 ...続きを見る

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2008/12/28 00:00
藤桜 ― 秋 ― 第六話
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2008/12/06 00:00
藤桜 ― 秋 ― 第五話
「それじゃ、まったねー」 「さ、さようなら。お邪魔しました……」 ひらひらと手を振る聖に、半ば引き摺られるように去っていくお客様。 何か言いたそうな視線を志摩子に向けているが、それすら無頓着に無視していくのは酷い。いや、酷いのはさっきの所業か。 あそこまでやったらイジメじゃないかと思うのだ。 ほら。 可哀想に、まだ泣きそうな顔をしている。 ...続きを見る

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2008/11/27 21:51
藤桜 ― 秋 ― 第四話
本局の夜も深まり、そろそろ夜間シフト以外の局員がいなくなる時間帯。 髪を後ろで束ねた学生風の青年は、友人と久し振りに顔を合わせた。 ...続きを見る

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2008/11/17 21:02
藤桜 ― 秋 ― 第三話
「――それで、親切なサンタさんのご用件は?」 平坦な声が、マリア像の前で冷たく響いた。 ...続きを見る

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2008/11/11 21:08
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イチョウ。 文字は銀杏。読み方は二通りあって、もう一つは『ぎんなん』と読む。 ぎんなんとは実の事であり、果肉ではなく種の部分が食用に適すとのこと。独特の風味ながら、好む者も少なくない。 料理によっては入れるのが定番だから、好まぬ者にも知名度は高いようである。 ちなみに。 同じ文字で木と実の双方を表す例は、滅多に無いそうだ。 ...続きを見る

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2008/11/03 20:53
藤桜 ― 秋 ― 第一話
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2008/10/29 22:34
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「借りれた?」 「ええ。具合が悪くなった子がいるって伝えたら貸してくれたわ。その代わり、夕食を取ることになったけどね」 「高いのかな」 「まさか。一般客向けのコースもあるのよ」 「とすると、条件としては破格だね。予約してたわけじゃないんだし、正直運が良かった」 戻ってきた江利子に、聖は大きく頷いた。 ...続きを見る

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2008/09/15 20:31
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2008/09/15 20:30
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2008/09/07 23:51
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こう言っては何だが、ナカジマさんは弄りやすい人である。 ...続きを見る

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2008/08/26 00:17
藤桜 ― 夏 ― 第五話
小さめに切り揃えた野菜が、とろみのついたソースに良く馴染んでいる。 色は香りに合った赤が基調。緑黄色野菜との対比が鮮やかだ。 娘に作っていた癖が抜けないのか、パスタの量はやや多め。食べ切れるかどうかギリギリかも知れない。 (でも、美味しそう) 辛い物は得意じゃないけど、この香りは食欲をそそる。 ...続きを見る

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2008/08/14 23:09
藤桜 ― 夏 ― 第四話
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2008/08/05 22:24
藤桜 ― 夏 ― 第三話
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2008/07/26 20:15
藤桜 ― 夏 ― 第二話
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2008/07/23 22:29
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2008/07/15 21:59
藤桜 ― 春 ― 第十話
「では聖さま、お休みなさい」 「はい、お休み。またそのうちね」 「ナカジマさま、今日は楽しかったです。またいつか、お会い出来ると嬉しいです」 「ええ、私も」 ギンガと軽く握手すると、祐巳は少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。 海外に留学した先輩と同じく、彼女ともそうそう会えそうにない。 とは言え、こればかりは仕方の無い事である。 「それでは失礼します」 迎えに来た父親の車を背後に、祐巳は深々と頭を下げた。 ...続きを見る

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2008/05/09 00:16
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2008/05/09 00:15
藤桜 ― 春 ― 第八話
遙か遠い空で、恩人の執務官が似たような一言を呟いた頃。 とある郊外の道沿いには、楽しそうな笑い声が響いていた。 ...続きを見る

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2008/05/09 00:15
藤桜 ― 春 ― 第七話
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2008/04/29 13:42
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2008/04/20 21:41
藤桜 ― 春 ― 第五話
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2008/04/20 21:39
藤桜 ― 春 ― 第四話
ベッドから身を起こせる様になった後の方が、大変だった。 歩く事は出来るし、日常生活にもそれほど支障は無い。簡単な料理だって出来る。 でも、それだけ。 見かけ上は何の後遺症も無い健全な身体。しかし、何一つ言う事を聞かない――借り物の器。 ...続きを見る

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2008/04/14 01:17
藤桜 ― 春 ― 第三話
「じゃあね。祐巳ちゃんによろしくー」 「付き合わせちゃってごめんなさい。写真撮ってくれてありがとう」 そう言って微笑んだ二人は、軽く手を振って去っていく。 ...続きを見る

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2008/04/06 22:10
藤桜 ― 春 ― 第二話
一通り構内を歩いた二人は、前方に見える建物を目指していた。 ...続きを見る

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2008/03/31 18:50
藤桜 ― 春 ― 第一話
「困ったなあ……」 緊張感の無い声で呟いてみた。もちろん、あまり意味は無いけれど。 ...続きを見る

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2008/03/31 01:00
はじめに
その日、ギンガ・ナカジマは『彼女』に出逢った。 ――そんな感じの、二人の一年です。 ...続きを見る

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2008/03/31 00:00

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